#04 役者は揃っている 後編

「まあまあ。挨拶ぐらいに目くじらを立てることないじゃないか。開演前だ、殺伐とすることはないさ。

 我々は支え合わなければいい舞台はできないのだから」


 白髪交じりの髪をオールバックに撫でつけた恰幅の良い男性が楽屋に顔を覗かせた。


「ガチガチに緊張しすぎていてもねぇ。本番前は談笑しているぐらい胆がすわっているほうがいい」


 今の演劇界で知らないものは、いない。

 演劇学校の教授で劇団主催もしているマルタン・ロンダだ。私も学生時代にロンダ氏の現代演劇論の講義を受けたことがある。

 太く低い声が部屋中に響く。


「新人さんをいじめちゃかわいそうだ。

 カーリンは愛らしくてチャーミングでないといけないのに暗い顔をさせてはいけないだろう?」


 マルタン・ロンダがザザに微笑みかけてウィンクした。カーリンというのはザザ・レスコーが演じる役名だ。

 ラシェル・ボネールはロンダ氏を一瞥すると、ふんと溜息をついて楽屋の奥の席へと移動した。こちらに背中を向けて椅子に身を投げ出し、葉巻に火をつけた。

 イライラした様子を隠さないボネール女史に、かえって恐縮してしまったらしいザザは身体を強張らせ、エドモンから身を離した。

 エドモンが、ザザの腰に回していた手を所在なさげに自分の元に戻す。


「ロンダさんまでもがこちらの部屋に来られるだなんて。何か御用でも?」


 クリストフ・ラヴォーが尋ねる。


「いや……用事というのは特段ないのだが、賑やかな声が聞こえるなと思ったから来てみたんだ。

 ああ、そうだ。ジャン・モニオットを見なかったかな?」


「ジャンですか?……見ていませんね。ロンダさんのところにいらっしゃるものだと思っていましたから。今日は一緒ではなかったんですか?」


「うむ。今日は家内と一緒に劇場にやってきたから、まだジャンには会っていないんだ。先に劇場入りして小道具など準備を整えておくと言っていたんだが、挨拶すらしにこない」


「まあ……小道具は彼の仕事ですから。本番前で忙しんじゃないですかねぇ」


「……ふむ。衣装を着るのを手伝ってもらいたいんだがなぁ」


「アニーに手伝わせましょう」


「よろしく頼む」


 ロンダ氏とクリストフが連れ立って楽屋から出ていく。私もこの場から立ち去るにはにはちょうどいいタイミングだ。


「開演前のお忙しいお時間に、お邪魔してしまって申し訳ない。私もこちらで失礼するよ」


 私は喉の奥から声を絞り出した。

 本番前の忙しいときに顔を出した私が悪いのだ。

 退散しよう、一刻も早く。


「ドウヨ!!!」


 楽屋を出て数歩進んだところで、後から追いかけてきたエドモンが私を呼び止めてきた。


「追い返すようなことになってしまって申し訳ない」


「いや、私が時間をわきまえなかっただけだよ。気にしないでくれ。

 舞台、楽しみにしてるよ」


「今夜は楽しんでいってくれ!また改めて会おう。会えてよかった、ありがとう」


 私は「ああ」と頷いてエドモンと別れた。

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