第五十話 カオマンガイ

 兼平さんの運転するスーパーカブが走っていた。荷車を牽引するそのカブの様子を心配そうにナユタが眺める。ナユタはスクーターに乗り、その後を走っていた。

 彼女のお腹は日ごとに大きくなっており、それとともに体調が悪くなることが少なくなり、徐々に安定してきているようだ。それでも、大きいお腹で行動することをナユタはハラハラとした目で見ている。


 カブとスクーターが走るのは、緑が一面に広がる大地だった。しかし、それは自然で溢れた爽やかさなど皆無で、どこか禍々しく、植物などは見当たらない。ただ、大地の色が不気味に緑色であった。それは獣の体内のようでもあり、どこか脈打つような動きを時折見せている。


 やがて、兼平さんのカブが停車される。ナユタもそれに倣い、スクーターを停める。


「この辺りに、シアエガが現れるって聞いた。因果を歪める邪神らしいけど、私とナユタなら狩れそうじゃない?」


 しかし、それを聞いて、ナユタには不安がよぎった。ついつい、兼平さんのお腹を見てしまう。


「大丈夫よ。今はだいぶ落ち着いてるから。それに、何だったら、この子が力を貸してくれている。そんな感覚もあるの」


 そう言って、お腹をさする。

 兼平さんには今までに増して、懐の深さというか貫禄というか、力強さを感じるようになっていた。すでに母親になっているのだろう。そんな様子を見ると、ナユタは彼女に置いていかれまいと必死な気持ちになった。不安の正体というのも、もしかしたら、そこにあるのかもしれない。


「わかった。罠を張って待ち受けよう」


      ◇


 ナユタは魔法陣の上にアブホートの肉を捧げ、呪文を唱えた。それはシアエガを讃える言葉であり、彼の者を呼び出す祝詞でもある。

 それと同時に地面が揺れた。地震か。いや、そうではない。ナユタたちの踏みしめる大地そのものがシアエガの肉体なのであった。


 何かに見られているような感覚がある。そして、気づいた。

 周囲に広がる緑色の地面、それはシアエガの瞳そのものなのだ。


 ナユタたちに向かい、触手が襲い掛かる。これもまた、シアエガの肉体であろう。

 魔法陣の周囲に仕掛けていた罠が作動していた。触手に反応して、分銅の付いた鎖が襲い掛かる。しかし、一本や二本の触手の動きを止めたとて、どうにもならない。

 無数の触手に覆われる。意識が一瞬飛んだ。


 気づくと、ナユタは闇の中にいた。ここはシアエガの体内なのだろうか。

 何も見えず、何があるかもわからない。ただ、何者かが自分を見ているように思える。何かがいる。

 それは闇の中をさまようようにこちらに向かっているように感じた。


 ――何か、ないか。


 に恐怖を感じたナユタは自分のポケットをまさぐる。

 これは――。それはライターだった。竈門に火をつけるために使用しているものだ。

 ナユタは深呼吸して心を落ち着かせると、ライターの火を灯した。


 周囲が照らされる。深緑の壁に囲まれた空間だった。シアエガの胃の中だとでもいうのだろうか。

 ただ、さっきまで確かに感じていたの気配はいつの間にかなくなっている。

 ナユタは安堵した。


 しかし、少しするとライターの火が揺らいだ。そして、消えてしまう。

 燃料が尽きたのだ。それと同時に、が近づいているのがわかった。

 ナユタは恐怖する。得体の知れないものが襲いかかってきた。


 ――殺される!


 そう思った。だが、次の瞬間、衝撃とともに周囲に光が満ち始める。

 シアエガの身体が吹き飛んだのだ。それをやったのは、兼平さんだった。


 兼平さんは周囲に風を纏い、空中に浮かび上がっている。そして、空気を圧縮して解き放ち、シアエガを木っ端微塵に吹き飛ばしたのだろう。

 光が満ちるとともにも消えている。今度こそ、ナユタは助かったのだ。


「じゃあ、料理を始めましょう」


 辺りに散乱したシアエガの肉片を集めながら、兼平さんが言った。


      ◇


 兼平さんは集めた肉片から、ちょうどいい大きさを見繕うと、フォークを突き刺して穴を開ける。ニンニクをすりおろしして、鳥の骨から取った出汁と絡ませ、塩をまぶしたシアエガの肉になじませた。

 そして、調味料を作る。醤油に砂糖、唐辛子、グラーキのタレ、レモンの搾り汁、ごま油、それにナンプラー。これらを調合していく。


 一方、ナユタはご飯を炊く準備をする。米を研ぎ、少なめに水を入れる。そして、浸水の時間を取ると、すりおろした生姜を加え、その上に兼平さんが味付けしたシアエガの肉を乗せた。

 そのまま、普通に炊き上げる。


 さらに、ネギをみじん切りにする。同様にパクチーもみじん切りだ。トマトときゅうりは一口大のブロックサイズに切り分ける。

 ネギとパクチーは調味料と混ぜ合わせた。トマトときゅうりは器に盛りつけておく。


 ご飯とお肉が炊きあがった。お肉を先に取り出し、冷まさせると、食べやすい大きさに切っていく。

 ご飯は器に盛りつけ、その上にお肉を乗せた。そこにネギとパクチーがたっぷり入った調味料をかけていく。


 カオマンガイが完成した。


      ◇


 兼平さんは妊娠中でお酒が飲めない。ナユタはプーアル茶を淹れた。カフェインも避けたいところだが、プーアル茶ならカフェインも少ないので、量を飲まないならいいだろう。

 独特の強い香り、渋さがツーンとするが、それも慣れると美味しい。なにより、気分の落ち着くものがあった。


「なんか、ほっこりするね」


 ナユタが声をかけると、兼平さんは笑った。


「うん、温かいね」


 カオマンガイを食べ始める。スパイシーでありながら、甘さも酸味もある複雑な味わいが魅力的な蒸し鶏料理だ。


 まずは鶏肉を口に入れる。まだ温かい鶏肉の味わいは優しく、淡白ながらもお肉の旨味がしっかりと感じられた。それにエスニックな調味料がかかっている。パクチーの香り、ネギの歯ごたえ、ナンプラーの深い旨味と酸味、複雑な香りが合わさり、得も言えない味わいとなっていた。

 その深い味わいとともに、ご飯を消化していく。この満足感、美味しさ。実に楽しい食事体験といえるだろう。


「この味付け、美味しいなあ。あまり、こういうの作らないけど、たまに食べるといいよね」


 ナユタが素直な感想を口にした。兼平さんは嬉しそうに笑みをこぼす。


「いいよね。コウがたまに作っていたのよ」


 もう、コウのことは二人の間で禁句でなかった。人間牧場では人が神に殺されることなど、日常茶飯事だ。それをいちいち悔やんではいられないのだ。


 鶏肉と調味料の組み合わせが美味しく、それでご飯を頬張るのは堪らない。どんどんカオマンガイが昇華されていく。

 トマトを食べる。鶏肉とエスニックの風味にトマトの旨味と酸味が加わることで、フレッシュな美味しさが加わった。思わず、「美味しい」と言葉が漏れる。トマトにはそんな魅力が詰まっている。

 きゅうりと一緒に食べるのもいい。エスニックな味付けをきゅうりの爽やかさが覆うことで、さっぱりとした味わいに変わった。それがいいアクセントになり、食欲はさらに掻き立てられるのだ。


「美味しいね。赤ちゃんも喜んでくれてるといいけど」


 ナユタは何の気なしに呟いた。すると、兼平さんのお腹が少し膨らんだように感じる。


「うふふ、この子も食事を楽しんでいるのよ。だから、あれだけの力を発揮したのね」


 兼平さんはケタケタと笑った。

 そんな様子を見て、ナユタは嬉しく思う。もう、自分たちは二人じゃない。三人の家族になっているのだ。

 三人なら、旧支配者であろうと、狩ることができる。ナユタはそのことを嬉しく、力強く思うのだった。

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