第四十九話 肉巻きおにぎり

 どうにも兼平さんの様子がおかしい。

 珍しく、ずっと眠そうで、どこか体調が悪そうだ。聞くと、熱っぽくて、お腹が痛いのだという。

 風邪だろうか。それとも、別の病気なのだろうか。嫌な予感がしてしまう。


 そんな心配をしながらも、ナユタはスクーターを走らせる。前を行く兼平さんのスーパーカブを追いかけていた。

 だが、やはり兼平さんは体調が悪いようで、どこか運転もおぼつかないようで、ふらふらと蛇行をしているように見える。

 そして、ついにはカブは荷車ごと風を纏い、空中に浮かび上がった。


「え、ちょっと、……兼平さん!」


 思わず、ナユタは手を延ばす。腕がニョキニョキと伸び、十メートル近く先にいる兼平さんの肩を掴もうとするが、カブの周囲に空気の膜ができており、弾かれてしまった。

 兼平さんのカブはそのままもビビッドカラーの森の中へと突っ込んでいく。


「危ない!」


 ナユタは叫んだ。大木にぶつかってしまう。

 しかし、兼平さんを覆う空気の膜は枝葉を吹き飛ばし、大木をへし折った。

 兼平さんは無事だ。とはいえ、このままでは兼平さんを見失ってしまう。


 スクーターを停めると、ナユタは意を決して、再び兼平さんに手を伸ばした。空気の渦がナユタの手をズタズタに切り裂いていくが、その痛みに耐え、手を再生させる。そのまま兼平さんの肩を掴む。そして、腕を収縮させ、宙に浮かぶカブに飛び乗った。


「兼平さん、大丈夫?」


 全身がズタズタになりながらも、そう声をかける。ナユタの傷は瞬く間に塞がれていった。

 その言葉に、兼平さんがハッとなる。


「ごめん、なんかぼぉーっとしてた」


 そう言うと、兼平さんはカブを着陸させ、地面に降り立った。


      ◇


 こんな状況ではもう先へ進まない方がいいだろう。

 兼平さんとナユタはこの場をキャンプ地にすることにし、テントを建て、竈門を設置する。

 そんな時、奇怪な鳴き声が聞こえてきた。


 それはこの世のものとは思えない冒涜的な音色を伴う、禍々しい金切り声だ。

 それは恐怖を轟かせる響き。絶望を想起させる旋律。陰鬱な印象を齎す声であり、ナユタはそれだけで危機を感じる。


 その声の発生した方向から、色とりどりの異形の者たちが押し寄せてきていた。生物であるかどうかさえ怪しい奇怪な見た目のものたちだ。さながら、サイケデリックな悪夢のように思えるが、ここは人間牧場。現実である。

 そして、発生源と思しき場所には、筋肉の塊のような生き物が吠えていた。その筋肉は四つ足により支えられており、貌はなく、ただ口だけが震えるように鳴き声を上げている。


「どうする? 兼平さん、逃げる?」


 あまりに大量の異形の者どもの存在にナユタは怖気づいていた。どうにかして逃げださなくてはと、心が逸る。

 それに対し、兼平さんは気だるげにしながらも、イライラと怒りを募らせているようだった。


「あれは百万の愛でられしものども。それに、

 なんていうかさぁ、邪魔」


 その言葉とともに風が吹いた。兼平さんを中心に静かな風が宙を舞う。

 ナユタはその風をただ感じただけだったが、それを受けた百万の愛でられしものどもはその風によって身体が溶けていく。無数に存在した異形のものどもは瞬く間に崩れていった。バタバタと倒れていく。


 百万の愛でられしものどもの父はその中心である兼平さんを、その貌のない貌、目のない目で眺めるように窺うと、筋肉の塊である翼をはためかせ、空の彼方に去っていった。


「ねえ、ナユタ、肉巻きおにぎりが食べたい……。おばあちゃんがよく作ってくれてたの」


 百万の愛でられしものどもたちが倒れるのと同時に、兼平さんも倒れていた。ナユタは必死で兼平さんを抱え込み、どうにか支える。

 熱い。発熱していた。ナユタは兼平さんを支えながらも、テントへと連れていく。

 そんな中、兼平さんは肉巻きおにぎりが食べたいと口にした。


「じゃあ、料理を始めてね……」


 兼平さんはそう言うと、眠りについた。


      ◇


 ナユタは死んだ百万の愛でられしものどもを漁り、形状のしっかりしたものを手にして戻ってくる。白い楕円の肉体に無数の赤い眼と脚。アイホートであった。

 バルザイの偃月刀であった包丁を借りると、お腹に切れ目を入れ、そのまま肛門まで切り裂く。すると、内臓が出てくるので、それはスコップで掘った穴の中に落とした。

 そして、アイホートの頭を斬り落とす。次いで、皮剥きだ。皮を削ぐように、丁寧に少しずつ切っていくが、兼平さんがやるようには上手くいかない。何度か手を切ってしまい、そのたびに傷を再生する必要があった。


 肉が剥き出しになったアイホートを部位ごとに切り分ける。

 ロースを斬り落とすと、薄切りにした。だが、薄く切ったはずが、デコボコと厚さが不均等になってしまう。


 ご飯を炊く。これは慣れた調理だ。いつものように米を研ぎ、飯盒に火をかけ、炊いていく。


 ご飯が炊けると、適度に冷まして、おにぎりにする。水で濡れた手に塩をまぶし、ご飯を握った。ご飯の中に紅しょうがを入れ込み、俵型に調整すると、表面に大葉を巻く。

 そこに薄切りにした肉を巻いて、おにぎりを肉で覆った。準備はできた。


 竈門に火をかけ、鍋に油を敷く。そこに肉を巻いたおにぎりを入れた。

 醤油と酒、砂糖を混ぜ合わせた調味料をかけ、味をつける。味を馴染ませつつ、おにぎりを転がしていった。徐々に加熱させる。

 しっかり、火が通ると、器によそう。


 同時に、もう一つの鍋で、バターを熱した。アブホートの茸状の肉を塩と胡椒で炒める。

 副菜としてエリンギのバター炒めが完成した。


      ◇


 お茶を沸かす。兼平さんの体調が悪いのだ。それを鑑みて、ほうじ茶にした。身体の温まる健康にいいお茶だ。たぶん。


「ふふ、香ばしい匂いがいいよね」


 兼平さんはほうじ茶を飲んで、少し落ち着いた様子だった。

 ナユタもほうじ茶を飲む。その香りが気分をゆったりとしたものにしてくれるようだ。美味しいお茶は心にゆとりをくれる。


 肉巻きおにぎりを食べる。

 自分で解体したから、ひいき目があるのかもしれないが、肉の味わいが素晴らしい。ジュワッとした脂身の味わいとともに、肉の旨味がガツンとくる。なんだかんだ焼いた肉というのは、ほかのどんな食べ物よりも食欲を刺激する。

 肉の厚さが不均等なのは良し悪しだ。カリッとした軽快な噛み心地の箇所もあれば、肉厚でジューシーな箇所もある。複数の楽しさがあった。けれど、焦げてしまっている箇所もあり、味に雑味が混じっている。


 肉の旨みを堪能した直後に、すぐにご飯、おにぎりの満足感のある味わいが来る。なんという贅沢な食べ物なのだろう。肉は美味しい。ご飯は美味しい。肉で食べるご飯はほかの何ものにも勝る最高のご馳走だ。


 薬味代わりに、肉に巻いた大葉が機能している。その爽やかな、独特の香りがご飯と肉の美味しさを際立たせていた。実に心地よい味わいだ。

 紅生姜もまた素晴らしい。ツーンとした刺激とともに、脂身のこってりさをリフレッシュさせる香りと食感が先鋭的である。

 この二つにより、肉巻きおにぎりは完全食品へと昇華されているのだ。


 ご飯とともに、エリンギのバター焼きを食べる。コリコリとした食感。芳醇なバターの味わい。この二つが新鮮な感覚を与えてくれた。ご飯との相性も抜群で、エリンギの美味しさとご飯の淡白さが混じり合う美味しさはこんなに心を湧き立たせてくれる。


「兼平さんに言われて作ってみたけど、美味しいね。兼平さんの口にも合っていればいいけど」


 思わず笑顔になったナユタが兼平さんに話題を振った。

 それに対し、兼平さんは少しだけ笑顔になる。


「うん、美味しい。ナユタ、ありがとう」


 けれど、すぐに真顔になった。


「私、妊娠したと思う」

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