第四十六話 鴨の南蛮漬け
少年の咳は一時的なものだった。すぐに止まったので、兼平さんもナユタももはや気にしていない。
スーパーカブの牽引する荷車に少年を乗せた。すると、ランドール・フラッグが近づいてくる。
「一つ忠告しておこう。あの小僧、何か異変があったら、すぐに遠ざけたほうがいいぜ」
ランドール・フラッグの表情はニヤニヤとしていて、欠片ほども信頼できるものがない。だが、この男への信頼は見た目以上に低い。そう思わせておいて、彼の言うことに反すると罠が張られているという可能性する感じさせた。
実に厄介な忠告だったといえる。
「そう、覚えておく」
そっけなくそれだけ言うと、兼平さんはカブに乗り込んだ。ナユタも同じようにスクーターに乗る。
そして、二人ともバイクを走らせ、ランドール・フラッグのいる場所を後にした。
だが、違和感はすぐに露わになる。臭うのだ。
ナユタは兼平さんの荷車のある前方を見る。そして、気づく。いつの間にか、少年は腐っていた。いつ死んだのかはわからない。だが、腐敗するほどに、死んで時間が経っているように見える。もしかしたら、最初から死体だったのだろうか。
「兼平さん、その子、死んでるよ!」
ナユタが大声を上げた。だが、兼平さんに声が届かない。これはどういうことなのだろうか。
嫌な予感がする。しかし、兼平さんに声をかけることもできない。どうしたら、いいのだろうか。
◇
少年の死体に蛆虫や蠅がたかっていた。ブーンブーンと嫌な音が鳴る。
やがて、その腐肉を狙って、鳥が降下し始めた。それを皮切りに、周囲で威嚇するような鳴き声が聞こえ、少年の腐肉に鳥が群がり始めるのだ。
「お前ら、どっか行け!」
ナユタが大声を上げ、槍を振るう。必死になって槍を突き出し、鳥を追い払おうとした。スクーターを運転しながらのことであり、兼平さんがクロスボウを放つようには上手くいかない。それでも、どうにかスクーターの速力を上げて兼平さんの下部の荷車に追いつき、スピードを落とさないように槍を振るうのだ。
しかし、そんな状況にあっても、兼平さんは後方の様子に気づく様子がない。
この状況に業を煮やしたナユタは、兼平さんに追いついて、文句を言うことにした。ところが、一定以上兼平さんに近づくと、世界が一変する。少年は生きており、腐敗臭もなく、群がる鳥や蟲もいない。
「ナユタ、どうしたの?」
兼平さんは何も気づいていないのだ。
ナユタが事情を話すと、兼平さんはカブを停めた。ナユタも同じようにスクーターを停車する。
そして、荷車に近づく。果たして、少年は死んでおり、腐敗臭が充満し、鳥や蟲が群がっていた。
「何なの、これ?」
兼平さんが思わず、声を上げる。そして、バルザイの偃月刀であった包丁を振り回し、周囲の生物を追い払おうとした。
すると、一際巨大な怪鳥が舞い降りてくる。それは怪鳥というよりも翼竜と呼ぶべきかもしれない。一本足に巨大な一つ目、羽毛のない翼を広げて羽ばたいていた。ただ、羽毛の代わりに黒い鱗で覆われており、棘の生えた尻尾はその攻撃性を思わせた。
「これは、グロス=ゴルカ? シャンタク鳥の支配者!?」
その迫力は凄まじい。その巨体はカブやスクーターなど物の数ではないように、破壊されることだろう。兼平さんはクロスボウで矢を打ち込むが、まるで効き目がない。
グロス=ゴルカが少年を狙い、降りてくる。ランドール・フラッグの言葉通りに、少年を捨てて逃げるべきだったのだろうか。ナユタは覚悟を決めて、目を逸らす。
巨大なライオンが出現した。全身が真っ黒のライオンである。貌のない黒いスフィンクスにも似ているが、その顔にはライオンの貌だけでなく、さまざまな動物の貌がみっしりと生えていた。奇怪で、恐ろしいライオンである。
そのライオンが前足を振るうと、瞬く間にグロス=ゴルカが引きちぎられた。黒いライオンはグロス=ゴルカの肉片を咥えると、いずこかへ去っていく。残されたのは食い荒らされたかのような、グロス=ゴルカの死骸と少量の肉片だった。
少年の死体もいつの間にか消えている。
兼平さんは残された肉片を集め、袋の中に詰めた。
そして、言う。
「じゃあ、料理を始めましょ」
◇
まずは調味料を合わせる。鍋に酒を入れ、沸騰させた。そこに醤油、酢、砂糖を混ぜ、もう一度煮立たせる。さらに唐辛子の輪切りを浮かせた。
これで調味料は完成だ。あとは具材を待つばかり。
グロス=ゴルカの肉片を一口大に、薄くそぎ切りにする。そこに小麦粉をまぶせた。
鍋に油を注ぐと、一定の熱量にし、肉を入れていく。きつね色に焼けると、調味料の中に漬けていった。
さらに、長ネギも残った油で揚げる。しっかりと熱が通ったら、同じように調味料の中に漬けた。そのまま、しばらく寝かせる。
今回はもう一品。もう一つの鍋に、蕎麦粉、水をいれてよくかき混ぜる。ダマが残らないように注意だ。竈門に火をかけ、そのままかき混ぜながら加熱。焦げないように注意する。固まってくると、火力を弱め、水気がなくなるの待って、完成だ。
更につゆを作る。出汁を温め、醤油とみりんを加えた。味を見て、塩で整える。
それを蕎麦がきにかける。蕎麦かきも出来上がった。
◇
「お酒飲みましょ。これは鍛高譚」
兼平さんがコップにお酒を注ぐ。透明な液体。匂いを嗅ぐと紫蘇の香りがした。
「これは紫蘇の焼酎なのよ。ナユタでも飲めると思う」
口にすると、確かに紫蘇の香りが強い。焼酎の癖の強さがその香りで消し飛んでいるようで、確かに飲みやすかった。
「これなら、焼酎でも飲みやすいかも」
ナユタは素直にそう返す。すると、兼平さんがにっこりと笑った。兼平さんの笑顔は可愛いなあと思う。これもナユタの素直な感覚であった。
鴨の南蛮漬けを食べる。
カリッとした歯ごたえでありながら、しんなりとした口触り。相反する食べ心地ではあるものの、それが同時に味わえて、食べていて楽しい。
噛みしめると、その上質な旨味が口の中に飛び込んでくる。上品な味わいだが、野性的な旨味にも満ちていた。なんという美味しさだろうか。甘辛い調味料と合わさったことでそのポテンシャルが十全に発揮されているように感じた。
加えて、ネギである。長ネギの辛さと甘さが鴨肉に加わることで、絶妙なアクセントになり、清涼感とともに食欲を掻き立てるものがあった。
素晴らしいものだった。
さらに、蕎麦がきを食べる。とろっとした舌触りが優しく、蕎麦の香りが嬉しい。
つゆの塩気と旨味に満ちた味わいも完璧で、蕎麦がきをたべるのに申し分のないものだ。さらに、ネギを散らし、ワサビを乗せる。これにより、蕎麦がきを200%美味しく食べられるという算段だ。
ふんわりとした蕎麦がきの味わい。それを十分に堪能した。
「この先には何があるのかな」
ナユタはふと口に出した。鍛高譚で少し酔ったのかもしれない。
人間牧場に心休まる場所なんてない。ましてや、未知の領域ともなれば波乱が待ち受けていることは必定であった。
「わからない。けど、ナユタと一緒なら、なんとかなるように思えるよ」
そう言いながら、兼平さんは笑顔になる。ナユタはその笑顔に見惚れて、何も返せないでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます