第四十五話 蕎麦粉のガレット

 兼平さんの運転するスーパーカブとナユタの運転するスクーターが走っていた。周囲には麦がそこかしこに生えており、その隙間を縫うように進んでいく。麦は成長しきり、小麦色の輝きがあるが、肝心の稲穂は存在すら窺えない。


 そんな中、急に犬が横を通り過ぎた。そして、通り過ぎたかと思ったら、いつの間にか後ろから追いかけてきている。黒い犬……いや、狼だろうか。


「牽制として撃ってみる」


 兼平さんはカブのスピードを落とさないままに、クロスボウを取り出し装填する。流れるような慣れた手つきだ。

 そして、狼の足元を少し避けるようにして、射抜く。


 ピュンッ


 いつの間にか、狼は人の姿を取っていた。テンガロンハットにジャケット、デニムジーンズ、カウボーイブーツという出で立ちで、カウボーイファッションを意識したアメリカ人という印象の装いである。その顔は後光が差しているせいで真っ暗になっており、よく見えないが、なぜか口元がニヤニヤと笑っていることだけがわかった。

 その男は撃ち抜かれた矢に気づくと、ピューっと口笛を吹く。


「いやぁ、やるねぇ。いい腕だ」


 そう言いつつ、走るでもなく、カブとスクーターに平然とついて来ている。

 観念したのか、兼平さんはカブを停めた。ナユタもそれに倣う。


「あんた何?」


 兼平さんはクロスボウを構え、腰にはバルザイの偃月刀であった包丁を下げている。ナユタも槍に手を掛けていた。

 闇の男はその様子を見ても、両手を上げてはいるものの、ニヤニヤ笑いは止めず、煽るような気配のまま近づいてくる。


「ハハっ、怖い怖い。そんなものは下げてくれよ。俺はランドール・フラッグ。フラッグにGは二つだ。この辺りは初めてだろ。案内してやるよ。

 見ての通り、怪しいものなんかじゃないさ」


 どこからどう見ても怪しかった。だが、それを口に出せる雰囲気でもない。

 兼平さんとナユタはランドール・フラッグを警戒しつつも、その案内に乗ることになった。


      ◇


 ランドール・フラッグの案内に従って先を進むと、やがて集落に辿り着いた。しかし、その様子はどうにもおかしい。活気がない。そもそも人影がない。無人になった集落かと思いきや、人はいる。生きてはいなかったが。

 死体からは蛆虫が湧き、ハエが群がっている。時に、大空から鳥が舞い降りると、死肉を啄ばみ、また大空へと帰っていった。


「あんた、どういうつもり? 何がしたいの?」


 兼平さんが怒気を発し、クロスボウを向けながら、質問をする。それに被せるように、ナユタも疑問を口にした。


「ここは何? どうして、こんなことになっているの?」


 それらの質問に、ランドール・フラッグは笑顔で答える。


「ハハハっ、そんなのは当然のことだ。こいつらは疫病でなくなったんだよ。なす術もなくね」


 それは楽し気な笑顔だった。その笑顔を見て、兼平さんの殺気は増す。


「私の質問に答える気はある?」


 今にも引き金を引きそうな表情だった。さしもの、ランドール・フラッグも少し慌てたようだ。


「ハハっ、もちろんあるさ。そりゃ、ここは死の町だ。生きてる人間なんていないんじゃないかな。だけど、何もないってわけじゃない。食糧だって残ってるし、酒だってある。お前さんだって嫌いなわけじゃないだろ」


 そう言って、肩をすぼめ、両手を広げる。ナユタはアメリカ人らしい仕種だと感じた。

 そして、また陽気な笑みを見せると、通りがかった家の駕籠を漁ると、卵を取り出す。


「ハハハっ、鳥葬の成果かな。新鮮な卵だってあるんだ。来た甲斐あっただろ。これで何を作る? 目玉焼きか、オムレツか、それともクレープか。夢が広がるねえ」


 訪ねた以上は仕方がない。兼平さんはそう思ったのかもしれない。卵を集め、集落から食べられるものを探した。

 そして、まだ息のある人間を見つける。まだ、年端もいかない少年だった。


「この子、助けられない?」


 彼はまだ疫病に侵されていないように見える。けれど、世話をする人が急にいなくなったからだろうか。急激な栄養失調で動くこともままならないのだ。

 ナユタは兼平さんの言葉に同調し、少年を連れて集落の外へ出る。そして、キャンプを設置した。


「それじゃあ、料理を始めましょ」


 兼平さんが言った。


      ◇


 ニャルラトフィスの置いていった蕎麦粉はまだ残されている。それを集落で見つけた小麦粉と混ぜ合わせた。

 ナユタは鳥葬の鳥が産んでいた卵を割り、水と合わせて、掻き混ぜる。それを蕎麦粉と小麦粉の中に入れ、均等になるように混ぜていった。

 しっかり混ざったら、少しの間、寝かせる。


 兼平さんはベーコンとしめじを一口大に切り分ける。

 火をつけた竈門に鍋を置くと、油を敷き、先ほど切ったベーコンを炒めた。適度に色が変わったのを見て、しめじも加える。そこに塩を振り、胡椒を削り入れた。

 油とベーコンのいい香りが漂っている。


 もう一つの竈門と鍋を用意した。しっかりと油を馴染ませる。しっかりと寝かせた生地を鍋に垂らした。円形に形が整っていく。

 生地が焼けてくると、そこに具材を乗せた。ベーコン、しめじ、それにチーズ。土手を作るように具材を並べたら、そこに卵を割って落とす。目玉焼き状に卵が嵌っていた。

 そして、生地の四隅を折り込む。円形から四角形へと見た目が変わった。


 蓋をして、しっかり熱が通るのを待つ。ちょこちょこ様子を見ていたが、焼けたことを確信すると、器によそう。

 完成、これが蕎麦粉のガレットだ。


      ◇


「こんなお酒あった」


 兼平さんがコルクを抜き、コップにお酒を注いでいく。シュワシュワと泡立った。けれど、ビールのような強い炭酸ではない。あくまでも、シュワシュワ。微弱な炭酸だ。


「シードルっていうんだって。林檎酒。リンゴのお酒。ワインをブドウの代わりにリンゴで作ったみたいなものかな。君もいる?」


 兼平さんは少年に尋ねる。人間牧場では飲酒に年齢制限なんてない。もっといえば、年齢もなければ、時の流れもない。

 少年は頷く。兼平さんはもうひとつのコップに少年の分のシードルを注いだ。


 飲んでみる。確かに、リンゴの香りがするお酒だった。リンゴの甘さにリンゴの渋さ。リンゴジュースを飲むような手軽さも感じるが、渋さ、苦みがお酒らしい味わいを齎していた。甘さよりも苦さに引かれる。人間牧場に来てから苦労したせいだろうか。


「美味しいね」


 ナユタが呟くと、それに反応して少年もニコッと笑う。兼平さんも満足げに頷いていた。


 よし。それじゃあ、いよいよガレットを食べよう。

 ナイフで生地の片隅を切ると、それに齧りつく。蕎麦粉の芳醇な香りが感じられた。次いで、ベーコンが口に入る。燻製の香りと野性味たっぷりの旨味。そして、しめじのコリコリした食感と確かな美味しさ。それが卵とチーズのまろやかさによって、調和していた。

 最初に食べるのなら、こんなガレットがいいのだろう。成り行きの中で学習した記憶が、このガレットが最上のものだと念を押す。


 ガレットの生地は外側がパイ生地のようにサクサクで、その内側はふっくらとしたボリュームたっぷりのパンのようだ。パンは美味しい。ならばガレットもまた美味しい。蕎麦粉の香りが爽やかだ。

 チーズのまろやかだが、濃厚な香りの味わいも素晴らしい。食べるごとにいろいろな側面を見せてくれる。


 ナユタが食べ進めているうち、ついに黄身の部分だけが遺される。最後の一口はずっと楽しみにしていた一口だ。卵の黄身が弾け、口の中が黄身でいっぱいになる。黄身とベーコン、黄身とキノコという組み合わせもいい。至福の時間だった。


「美味しかった。もうちょっと焼こうか?」


 ナユタが声を上げた。竈門に火をかけて、鍋を熱する。

 兼平さんも少年も肯定的な眼差しでナユタを見つめていた。

 よし、それならもう一枚ずつ焼こう。


「けほっ」


 少年が咳をする。慌てて食べたせいで咽てしまったのだろう。

 誰も、この時は嫌な予感なんてしていなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る