第四十四話 春巻き

 船の旅も終わりに近づいていた。向こう岸が近づいている。兼平さんとナユタは対岸を眺めていた。

 ただ、船をつけるのには相応しくない岸壁や森林が続いている。河の流れのままに、河口へ進み、上陸できる場所を探して流れていた。

 やがて、開けた場所に辿り着く。そこには集落もあり、上陸するのにちょうどいい場所に思えた。


 船を陸に近づけると、そのままズサァーっと陸に上がっていく。場合によっては座礁と言うべき状態であったが、もう船には用がない。そのまま船を乗り捨て、地面に足を踏みしめた。

 だが、兼平さんは上陸した途端、地面に伏した。なんとか立ち上がろうとしているようだが、もがくばかりで、どうにもならないようだ。


「あれ、私、おかしい? これは、何?」


 顔色は青白く生気がない。腕を見ると、蚯蚓腫みみずばれのように肌が膨れ上がっている。ゲホッゲホッと嘔吐していた。その吐瀉物には血が混じっている。

 肩を支えようとするが、腕の腫れに触れるたびに、激痛が走るようで、呻き声を上げた。


「兼平さん、耐えて。そこの集落に助けてくれる人がいるかもしれない」


 ナユタがそう言うと、兼平さんは絶望的な声を出した。


「人間牧場に、そんな人がいるはずない。私は死ぬ。ナユタは自分のことだけ考えて」


 そんなことを言われて、放り出せるはずがない。

 ナユタは兼平さんを集落の中まで運ぶと、大声を出した。


「急病人がいるんです! 誰かいませんか!? 助けてください!」


 しかし、反応はない。しばし、沈黙が続いた。

 ナユタは息を吸い込み、再び大声を上げようとする。そんな時だ、集落の小屋の一つで扉が開いた。


 ギギィィィー


「聞こえておる。耳障りだ。もう叫ばなくてよろしい」


 出てきたのは神経質そうな男だ。青年と呼ぶには無理がある年齢のようだが、長身痩躯で日に焼けた風貌をしている。人間牧場の粗末な集落にありながら、背広に革靴、山高帽という洗練された装いをしており、その立ち振る舞いには隙がない。


「ありがとうございます! 彼女はここに上陸した途端、急に倒れてしまったんです。熱があるし、立てないし、肌に……」


 ナユタが捲くし立てると、男はその言葉を止めた。


「私はアンブロース・デクスター。医者だ。もう心配はない。そのお嬢さんは私の家に運んでしまおう。治療施設がある」


 その言葉に促され、兼平さんを男の家へと運ぶ。ナユタにはそれ以外に選択肢はなかった。


 男の家にある、治療室にある診療台に兼平さんは寝かされた。

 その部屋には治療器具のようなものも多数あるが、用途不明な機械で溢れていた。本棚には様々な書物が置かれている。大抵は読めそうもなかったが、英語で書かれているものは多少は表題を読み解けた。「黒の書」「グラーキの黙示録」「ネクロノミコン」。なぜだか、嫌な予感のする書物ばかりだ。


「彼女の治療には誠心誠意尽すが、どうしても足りないものがある。それを取ってきてもらえないかな」


      ◇


 ナユタは松明を持たされて、河まで戻ってきていた。河沿いにある洞窟に目指すべき獲物がいるのだ。

 河岸を進み、浅瀬を歩くうち、デクスター医師から説明された場所に辿り着く。そこには地下へと潜る空洞があった。その空洞にナユタは単身で足を踏み入れる。


 暗がりの中をナユタは歩いている。足元は不安定で、油断していると、奇怪な形をした岩に足を取られるだろう。頭上からはポタポタと水滴が落ちてきていた。

 そんな中、手に持った松明だけを頼りに歩いている。その道は果てがないようにすら思えた。


 けれど、デクスター医師からは地図を貰っている。それを頼りに歩きさえすれば、迷わないはずだ。

 ナユタは慎重に道を確かめ、洞窟の最奥へと進んでいく。


 そして、ついに最奥に辿り着いた。果たして、目当てのものはいた。生き物であるかさえ定かではない、巨大な動くもの。

 二対の脚と膨らんだ一つ目を持つ黒い怪物。そのものを現すならば「悪霊」という言葉がピッタリだろう。デクスター医師がと呼んでいた。


 オトゥームに相対したナユタは背負っていた槍で突く。だが、まるで歯が立たない。むしろ、怒らせてしまう結果となった。

 無数の触手を剥き出しにしたオトゥームによって、幾度とない攻撃を受ける。触手が鞭のようにしなり、ナユタを襲っていた。

 ナユタは洞窟の鍾乳石にまで腕を伸ばし、天井に張り付くようにして攻撃を回避する。


 槍が効かないとなると、ナユタには打つ手がない。ほかに攻撃手段なんてないのだ。

 けれど、デクスター医師はナユタにオトゥームの撃破を任せた。ならば、退治する方法があるということだろう。

 ふと、右手に握られた松明に気づく。まさか、これか? ナユタは意を決すると、バックパックの中から油を取り出し、オトゥームの身体に撒いた。

 そして、乾坤一擲。松明で火をつけ、瞬時に逃げる。


 オトゥームは燃え上がった。その炎の勢い凄まじい。渡された炎はただの炎ではなかったのだろう。旧支配者を燃やし尽くすほどの火力がある。

 後には、焦げたオトゥームの肉体だが、それこそがナユタの目当てであった。それを回収すると、帰途を急いだ。


      ◇


「じゃあ、料理を始めるよ」


 兼平さんがそう口を開いたのは、集落を出てから大分後だった。


 ナユタがオトゥームの肉片をデクスター医師に渡すと、立ちどころに兼平さんの病状は回復する。しかし、意識を取り戻した兼平さんはナユタを引っ張って、一目散に逃げだした。

 船からスーパーカブとスクーターを引き上げ、逃げるように、その場から去る。


 そして、ナユタが状況も理解できないままに、料理が始まっていた。


 兼平さんはニンジン、タケノコ、シイタケを千切りにする。余っていた忌まわしき狩人の干し肉を戻して、これも千切りにした。肉には酒、片栗粉、塩、胡椒をまぶして下味をつける。


 竈門に火をくべ、鍋を乗せた。鍋に油を注ぐと、肉に火を入れ、野菜を炒める。

 醤油、ごま油、酒、砂糖、ダオロスとゴル=ゴロスで取った出汁を加えた。塩と胡椒で味を調える。

 そこにオトゥームの糸状になった肉片を追加した。プルンプルンとでんぷん質を感じさせるそれはどことなく春雨に似ている。

 さらに溶かした片栗粉を入れて、とろみを加えた。


 一方、ナユタは皮を作る。

 小麦粉と片栗粉に塩と水を混ぜ合わせ、こねていった。薄く延ばして形を整えると、もう一つの鍋に入れ、蒸し焼きにする。


 具材と皮が冷めると、皮の上に具材を乗せていく。そして、皮をくるくると巻き、春巻きらしい形状に整えた。

 あとは焼くだけだ。

 鍋に油をたっぷり入れて、春巻きを置いていく。何度かひっくり返すと、だんだんきつね色に焼けていった。そうなれば食べごろだ。容器へと移していく。


      ◇


「それじゃあ、食べましょう」


 そう言いつつも、兼平さんは飲み物を入れる。紹興酒にウーロン茶、レモン果汁を加え、かき混ぜた。ドラゴンウォーターというカクテルらしい。

 一口飲むと、紹興酒の癖のある味わいが和らげており、風変わりだが美味しい飲み物に変わっていた。脂っこい中華料理を食べるのにぴったりな爽やかなお酒だ。


 でも、やはり主役は春巻きだ。

 春巻きを手に取り、齧る。サクサクとした食感が楽しい。皮が何重にもなり、揚げられたためだ。香ばしい味わいとこの食感はなんとも言えない幸福な感覚がある。

 そして、そこから弾き出てくる中華餡の旨味だ。


 にんじんの甘さ、フレッシュな噛み応えは何とも言えない美味しさだ。

 タケノコのコリコリとした食感とともに齎される味わいは忘れられない。

 シイタケの濃厚な旨味、香りは何ものにも代えがたいだろう。

 そして、肉汁の旨味。野性的な美味しさとともに、旨味をたっぷり含んだその味わいが多幸感を生み出している。

 春巻きのツルツルした舌触りと、プチプチとした不思議な噛み応えも華を添えていた。


 そのすべてをまとめる餡の旨味。とろけるような深い味わい。その熱さがすべての具材の美味しさと歯応えと、その他もろもろを溶かして、すべてを内包させる。

 一言でいえば、美味しい。というほかない。


 こんな春巻きが食べられるだけで幸せだ。味の濃さをドラゴンウォーターで流し込めば、また新しい春雨を食べることができる。

 気づいたら、春巻きを食べきっていた。そして、はたと冷静になる。


「兼平さん、どうして急いで逃げ出したの?」


 その質問を聞くと、兼平さんの表情が強張る。


「核物理学者デクスターって聞いたことない? 核兵器……だっけ? 原子爆弾とかいうの。

 その原理をアインシュタインって人に教えたのが、デクスターなのよ。その実験は人間牧場に現れても継続しているみたい。

 あの機械の数々を見なかった? あれは核爆弾の研究に使っているのよ」


 それを聞いて、ナユタは絶句した。核兵器がナユタが元いた世界で何を起こしたのか。そんなことは歴史の授業で学ぶまでもなく、一目瞭然の事実だった。

 事の重大さが理解できる。自分は恐ろしいことに加担してしまったのではと身震いした。


「私もその影響で倒れたのかもしれない。デクスターが何をしたのかわからないけど、今のところは体調に問題はない」

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