第四十二夜 サーモンステーキのキノコソース掛け

 兼平沙織かねひらさおりには不満があった。おばあちゃんに、お母さんに会いたいと言っても、どうしても応えてくれないのだ。お母さんはサオリが生まれる前に死んでしまって、もう会うことはできないんだって。


 でも、サオリは知っていた。世の中に叶わないことはない。信じていれば、どんなことだって叶うって。

 それは、ほかならぬ、おばあちゃんが教えてくれたことだった。


 サオリには夢見る能力ちからがある。

 彼女は夢見る人として過去へ帰る方法を探し求め始めた。夢見る人は幻夢境ドリームランドを冒険することができ、ドリームランドの人々から尊敬を集めている。情報収集は容易なはずだ。


 魔法の森で齧歯類のズーグ族と面会する。肉食を好む危険な種族ではあるが、彼らの言葉を話すことができれば、友好的な関係を築ける。

 ズーグ族の長老は過去へ戻る方法について教えてくれた。黒い仏だ。黒い仏の貌に触れることで過去への扉が開くのだという。

 だが、長老の記憶は曖昧で、黒い仏がどこにあるのかはわからなかった。だが、何人かの夢見る人の足跡を聞く。その中に、黒い仏の情報を齎した者がいると信じて、その旅路を進んだ。


 旅人たちの足跡を追ううちに、ウルタールに辿り着いた。ウルタールでは人間よりも猫の方が賢い。サオリは猫と交流し、その肉球をプニプニと触りながらも、新しい情報を得る。ダイラス=リーンの港でドリームランドで最も偉大な旅人であるカーターを見たというのだ。

 サオリは急ぎ、ダイラス=リーンへと急ぐ。


 ダイラス=リーンは悪人が満ちている。サオリもまた月の怪物ムーンビーストに奴隷として攫われ、ガレー船の乗組員とされるが、彼女を追ってきたウルタールの猫によって救われた。

 そして、猫たちによってカーターに引き合わされる。カーターは気さくにも、黒い仏の場所を教えてくれた。だが、それは困難を伴う旅路を示唆している。その地点は北の最果てであり、凍てつく荒野のレン高原であった。


      ◇


「じゃあ、料理を始めるよ」


 目を覚ますと、おばあちゃんが言った。

 いつの間にか、水棲動物を捕まえている。鮭の長い体が膨らみ、手足の生えたような姿だった。その手足からはキノコが生えている。


 水棲動物を腹から切り、臓物を取り出す。そして、鱗を落とし、骨を抜き、ざくざくと輪切りにしていった。その紅色の切れ目が美しい。

 切り身に塩と胡椒をかけて下味をつけると、小麦粉をまぶす。鍋に油を敷いて、切り身を置くとジュワジュワと音が響いた。蓋を落として、蒸し焼きにする。


 もう一つの鍋ではジャガイモを茹でた。

 茹で上がると、皮を剥き、潰す。滑らかになったところで、牛乳とバター、塩胡椒を混ぜ合わせた。マッシュポテトが出来上がる。


 サオリはキノコを切った。シイタケは石附を取り、千切りにする。しめじも石附を落として、ざっくばらんに一口サイズに切っていく。

 さらに、ニンニクも縦に薄切りにした。ブロッコリーは小さく切り分け、パセリはみじん切りにする。


 サーモンが焼き上がると、鍋にバターを落として、ニンニクを炒める。ニンニクの香りが立つと、キノコとブロッコリーを入れ、ワインを加えた。煮立ったところで、醤油で味付けし、パセリを散らす。

 出来上がったキノコソースをサーモンにかけた。ジュワーという音ともに、サーモンに最後の調理が掛けられる。そこにマッシュポテトを添えた。

 料理が完成した。


      ◇


 おばあちゃんはシャンメリーというジュースを開けてくれた。金具をクイクイッと外し、ポンッという音とともに栓が勢いよく抜ける。サオリはこの音が好きだった。

 シュシュワッとした炭酸に甘い味わい。爽やかなブドウの香りが心地いい。なんと素敵な飲み物だろうか。


「ふふ、緑とオレンジの色合いがいいね。今日がクリスマスだったら、みんなこんな風にサーモンを食べるんだよ」


 料理の出来栄えに、おばあちゃんがにこりと笑った。

 サオリは魚より肉が好きだったが、クリスマスならしょうがない。シャンメリーが飲めるんだし、文句はなかった。


 サーモンを食べる。肉の厚さが思いのほか嬉しい。ほろほろと口の中で崩れて食べやすく、肉の旨味と塩味がたっぷりと味わえる。サーモンは脂身がたっぷりでそれだけで幸せな気分になる。

 それによって生まれたエネルギーはマッシュポテトで和らげる。サーモンとジャガイモの組み合わせは完全無欠のコンビネーションだ。


 ブロッコリーは深い森の味わいだ。サーモンとともに食べるのも美味しいし、きのこと食べてもいい。新緑の旨味は優しい美味しさが溢れており、噛みしめるごとに、口いっぱいに弾けるようだった。

 しめじのコリコリとした食感が楽しく、味わいもいい。シイタケの滑らかな舌当たりも気持ちよく、キノコの確かな旨味を感じさせる。

 ニンニクは刺激的であるが、その香りが食欲をそそる。

 そのすべてを一口にまとめて味わうと、まるで宇宙が弾けるようだ。


 お腹がいっぱいになると、サオリはウトウトし始める。再び、夢の世界へと誘われた。


      ◇


 夢の世界ドリームランドでサオリはレン高原に向かって旅をする。それは困難な旅だった。

 獰猛なガストや巨大な毛むくじゃらのガグなど、恐ろしい野獣が蔓延っている。しかし、おばあちゃんから持たされたクロスボウで武装し、スーパーカブで突き進むサオリはいつしか旅慣れていた。

 レン高原に着くころには一端の旅人と言ってよいほどになる。


 夕映えの都カダスに辿り着いた。ここでしばらく休養を取るつもりだが、様子がおかしい。

 ひとりの夢見る人が地球本来の神の兵士によって追われていた。ショートカットの女の子だった。年齢はサオリよりも上のようだ。黒いシャツに黒いショートパンツ、その下にレギンスを履いていて、グリーンのコートを羽織っている。


 夢見る人同士は助け合うべきだ。サオリはそう判断した。

 クロスボウに矢をつがえ、女の子の行く手を遮る門番の頭を貫く。その瞬間、門番はぐたりと倒れ、女の子にしだれかかった。女の子は倒れた門番を引きずるようにして、こちらに向かってくる。慌てているせいか、混乱している様子だったが、やがてサオリの姿に気づいた。


「旅人は助け合いでしょ。今は私が助けてあげたのよ」


 ぼんやりした女の子に声をかける。女の子はパっと明るくなった。


「兼平さん、助けに来てくれたんだ」


 初めて会ったはずなのに、サオリのことを知っている風だ。サオリは怪訝に思う。

 なぜ、初対面の人物が自分のことを知っているのか。だが、その疑問に答える暇もなく、女の子は消えた。覚醒の世界に旅立ったのだろう。


 だが、彼女は一枚の地図を残していた。その地図を覗き込み、カーターに聞いた情報を照らし合わせると、黒い仏の場所がはっきりとわかる。

 やはり、夢見る人同士は助け合いだ。


      ◇


 情報を頼りに、黒い仏を見つけることができた。その無貌に手を掛けると、いつの間にか人間牧場に戻ってしまう。

 だが、そこはサオリの知っている人間牧場ではない。過去の人間牧場なのだ。


 ところが、困ったことにサオリはその後の行先をまるで考えていなかった。過去に戻りさえすれば、お母さんに会えると思っていたのだ。

 そこに、かつてサオリの助けた女の子がやって来た。彼女を追って来たのだという。ナユタと名乗った女の子は助けたお礼をしたいのだという。

 彼女の持ってきたサンドウィッチを食べると、角と蹄を持つものたちが現れ、おばあちゃんとおかあさんのいる場所に案内してくれた。


 とんとん拍子だ。やはり夢見る人は助けるべきだろう。

 しかし、お母さんと会うことは叶わなかった。過去の世界に干渉することはできず、さらに最悪なことにお母さんは冷笑の魔女ニトクリスによって、名状しがたいものに捧げられる。名状しがたいものはお母さんを犯し、殺し、そして、サオリが生まれた。


 まだ幼いサオリが知るべきことだったのだろうか。見るべきことだったのだろうか。

 衝撃とともに、彼女の心には怒りと憎しみ、絶望が宿っていた。


 ――人間牧場こんなところにおばあちゃんをいつまでもいさせることはできない。帰らせてあげなくちゃ。


 絶望は希望を生む。だが、その希望もうすい望みでしかないのだ。彼女の願いが果たされることはなく、おばあちゃんは死ぬ。

 最悪の運命と最悪の暮らし。彼女の運命は呪われていた。それでもサオリは人間牧場で生きていく。

 彼女の人生には這い寄る混沌が影となり横たわっていた。

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