第四十話 サンドウィッチ
ナユタは夢見る
今日も浅き眠りの七十階段を通り、炎の洞窟を歩む。二人組の門番、ナシュトとカマン=ターはナユタに関心を払わず、ナユタもまた気にもせずにその前を通り過ぎていた。
洞窟を抜けると、そこは
そこは夕映えの都より南方に位置するレン高原である。極北に近い位置にあり、冷たい風が吹きすさんでいた。
ナユタはコートを塞ぎながら、道を探してさ迷い、歩いてた。
ブロロロロロロ
聞きなれたスーパーカブの音が聞こえた。ナユタは音のした方に振り返る。それは、兼平さんの運転するカブだった。
けれど、兼平さんはいつもより幼い。幻夢境の時間軸はやはりおかしいようだ。
「ふふ」
つい笑みが漏れる。幻夢境よりも人間牧場の時間の流れの方がおかしいというのに。
「――兼平さん!」
声を張ったつもりだったが、なかなか声が出なかった。掠れた声が僅かに漏れる。
兼平さんは気づかずに、そのまま通り過ぎてしまった。ナユタは兼平さんを追って走り始める。
身長ほどの草をかき分けつつ、カブの轍の残る、僅かに道と呼べる場所を通っていった。
その先にあったのは奇妙な仏像だった。黒曜石でできたように、全身が真っ黒で、輝きがある。黒い仏だ。厳粛な雰囲気を持ち、座禅を組んだ姿が刻まれていた。そして、奇妙だと感じた根源であるが、その仏像に顔はなかった。顔があるべき場所に何もなかった。
顔の部分が切り刻まれたり、削り取られているわけではない。顔があるべき所には、空間すらないように見えた。
「これは何だろう」
ナユタは仏像の顔があるべき場所を手で触れる。その空間のない箇所を触れると、激しい力で引っ張られる感覚があった。吸い込まれるように、ナユタは仏像の中に入りこんでいく。
◇
暗闇の広がる空間にいた。
ここは一体どこなのか。まるでわからない。だが、光が広がる場所があり、ナユタはそこへ向かって駆けていく。
ふと、横目に光がよぎった。それはお店だ。思わず、ナユタは立ち止まる。懐かしいお店だった。
コンビニエンスストアだ。こんなところにコンビニがあるなんて。
ナユタは驚きを禁じ得ないままに、その店に入る。そこはルリエ―マートというコンビニチェーンだった。
ルリエ―マートに入ると、食品コーナーに向かう。それはクトゥルフお母さん食堂と呼ばれる売り場だ。
クトゥルフお母さん食堂には案内役として、クトゥルフお母さんが常駐していた。彼女はナユタに気づくと、満面の笑みを向ける。
「あらぁ、あらあらぁ? ナユタちゃんじゃない。久しぶりねぇ、今までどうしていたのよぉ」
クトゥルフお母さんのピンク色の触手が可愛らしく揺れていた。その触手は緑色のルリエ―マートの制服と対比となり、鮮烈な印象を持っている。
「え、えと、その、ルリエ―マートの全然ない場所に行ってて……。人間牧場っていう……」
なんて説明したらいいか、わからないまま、ナユタは頭の中に出てきたことを喋った。
すると、クトゥルフお母さんは右手の人差し指を天井に向けて、納得するような表情をした。
「ああー。あの方のところにいるの。大変よね。でも、悪いようにする方じゃないから、そんなに心配しなくて大丈夫よぉ」
クトゥルフお母さんは微笑みながら、話してくれる。その微笑みに愛想笑いを返しつつ、ナユタは棚の商品を眺めていた。
そして、思い出す。今は兼平さんを追いかけていたんだ。せめて、簡単に食べれるものを買って、すぐに出なくては。
目についたサンドウィッチを手にすると、クトゥルフお母さんに差し出した。
「このサンドウィッチを買うね。急いでるんだった」
クトゥルフお母さんはサンドウィッチをレジに通し、会計をしてくれる。でも、今のナユタは財布を持ち歩いていなかった。久しぶりの貨幣経済と出会って、わたわたと慌ててしまう。
「大丈夫よぉ。ここは私が払っておくから。それより、がんばってね」
慌てるナユタを窘めるように、クトゥルフお母さんは笑顔を見せた。
ナユタは恐縮しながらも、彼女の善意を受け入れる。そして、おずおずと気になっていたことを尋ねた。
「ねえ、クトゥルフお母さん、ここってどこなの? なんか、気づいたら、ここに来てて……」
クトゥルフお母さんは少しだけ驚いたように、その目を開く。けれど、すぐに笑顔に戻った。
「ここはルリエ―マート時と時の狭間店よぉ。ナユタ、あなたは時間を遡っている途中だったの。このまま、先へ進めば過去に行けるのよ」
ナユタはルリエ―マートを出ると、過去に続く光に向かって、走り始める。
◇
気づくと、人間牧場にいた。真っ赤な空に、真っ青な大地、黄土色の草木が茂っている。
とはいえ、戻ってきたわけじゃない。目の前には幼い兼平さんがいた。
スーパーカブはなく、どちらに進めばいいか迷っているように、あちこちに視線を回している。
「あ、兼平さん」
思わず、声が出た。くるりと、兼平さんが振り返る。彼女の鋭い視線がナユタに向けられた。
「あなた、誰?」
その質問にナユタはワタワタする。何て答えたらいいかどうか、わからない。自分よりも幼いころであろう、兼平さんに対してである。
けれど、その様子を見て、兼平さんは笑った。
「フフ、そんな慌てなくていいのよ。前にカダスであった人だったっけ。名前、教えたかしら?
あなたも過去に来たかったの?」
そう問われてナユタは再び慌てる。何て答えたらいいんだろう。
でも、素直に事実を話すことにした。
「いや、道に迷っていたんだ。そんな時に兼平さんを見つけてさ、道を尋ねようと思って追いかけてたら、顔のない仏像があって、つい手を触れたら、ここにいて」
それを聞いて、兼平さんは笑う。
「そうだったんだ。それは悪いことしたかもね。でも、すぐには帰れないみたい。たぶん、私の目的を達成する必要があるんだと思うんだけど」
そこまで言うと、少し悲し気な表情になる。ナユタはそれが何か尋ねたものか迷う。
「じゃあ、兼平さんの目的が果たされるまで、手伝うよ。別に目的があって
そう言って、ナユタは笑った。釣られるように、兼平さんも笑顔になる。
「でもさ、兼平さんも迷っていたんじゃない? 行先に当てってあるの?」
ナユタのその質問で兼平さんの表情が曇る。
「それが、まるで見当つかない。黒い仏を見つけて過去に戻ることが重要なことだと思い込んでて、そこから先で戸惑うなんて、考えてもなかった」
兼平さんは嘆く。ナユタにもそんな状況を打開する考えなんてない。
とはいえ、このまま思い悩んでいても、何も変わらないだろう。何か、提案できることはないだろうか。
「じゃあさ、ご飯にしよう。考えがまとまらない時は、そのことを考えてもしょうがないんだ。別のことをした方がいいよ」
◇
ナユタはルリエ―マートのクトゥルフお母さん食堂で買ったサンドウィッチを広げた。
兼平さんは小さな竈門を作り、コーヒーを入れてくれる。
ブラックコーヒーを飲むのは初めてだった。苦い。けれど、その温かさと苦さが次第に癖になってくる。
なんだか、落ち着く感じがした。苦さは相変わらずだが、少しだけ、ブラックコーヒーが好きになる。
続いて、サンドウィッチを食べる。
まずはたまごサンドだ。スライスしたゆで卵に、タルタルソースがかかっている。
口に入れると、たまごのまろやかな風味が広がった。しっとりとした口当たりがが優しく、なめらかな舌当たりと味わいの中で卵の美味しさを感じた。パンの味わいも美味しいのだが、あまり主張せずに卵の美味しさを引き立てているようだ。
柔らかく、食べやすい。気づいたら、食べ終えてしまう。
次はハムチーズサンド。
噛みしめると、レタスの爽やかな味わい。次いで、ハムの肉々しい旨味と塩気たっぷりの味わいが追ってきた。それにチーズの風味も合わさっている。
それらを包み込んだパンの柔らかな食感、小麦の甘いに香りに陶酔してしまう。
気がつくと食べ終えていた。あまりにも美味しかったのだ。
ツナサンドも美味しい。
ツナの豊かで雄大な味わいが一口ごとに伝わってくる。魚介の風味がしっかりと感じられた。シャキシャキとした玉ねぎの食感もあり、それこそがツナの味わいを引き締めたものとしている。
パンとツナの組み合わせは何とも言えない。美味しいとしか言いようがなかった。
二人がサンドウィッチを食べ終えるころ、頭に角があり、足に蹄の付いている生物が来ていた。
ハムや卵の食材がわからなかったが、なんとなく彼らと同じ種族の肉だったのだと思える。
「#9870hfljEU(092」
奇怪な生物が言葉を発した。
「63867uhjahiyw8」
兼平さんも言葉を発する。そして、立ち上がった。
「この人、案内してくれるって」
待ちに待った情報だった。それがどんなものにせよ、時空を遡って来ている兼平さんやナユタには聞き入れるしか方法がない。
「ねえ、目的が何か聞いてもいい?」
ナユタは尋ねた。兼平さんが返事する。
「お母さんに会いに来たの。ここには」
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