第三十九話 白身魚の中華蒸し
「ここら辺りって夢の世界との境界が曖昧らしくてね、ズーグ族の亜種っていうのか?
その男は憎々し気に言い放つ。
ナユタもそうだが、兼平さんも夢の世界という言葉にピクっと反応していた。この男もそうだが、兼平さんもやはり夢の世界を知っているのだろうか。
巨大な河が広がっている場所だった。河といっても向こう岸が見えないほどに広大だ。流れは穏やかなものだったが、なぜか濁流のように白く濁っている。
男は漁師だった。現実の世界から人間牧場に紛れ込んできてから、独力で銛や網を作り、ここら一帯の河川を縄張りにして、魚を取って暮らしているのだという。
浅黒い肌は健康的なもので、言葉の端々も爽やかだった。その明るい雰囲気に、兼平さんは妙に居心地悪そうにしている。
魚と肉の交換を持ち掛けた兼平さんに対して、男はそんな話を返してきた。要するに、ズーグ族亜種の駆除を手伝えというのだろう。肉と交換するよりも、人力が欲しいようだった。
「見てくれ、この網、破れてるだろ。沈めていると、河底からズーグ族亜種が現れて食い破るんだ。
といってもな、こんなのまだ可愛いもんだったのさ。奴らは動物じゃない、知恵を持った獣人だ。一度、ズーグ族亜種を一匹、漁の邪魔をしてきた時にな、殺っちまった。別に後悔もしないし、罪悪感もない。単なる害獣だと思ってたからな。だが、それは間違いだった。
その晩に、ズーグ族亜種が俺の家を囲ったんだ。一触即発の事態さ。俺は威嚇のために銛を投げた。ズーグ族亜種には当たらんようにな。それを見て、奴らは消えたよ。けどよ、次に来るときは全面的な戦争になる。そんな予感がするんだ。漁への妨害は酷くなる一方だしな」
それを聞いて、兼平さんは考え込む。
「そのズーグ族亜種っていうの、興味ある。ナユタ、やってみない?」
珍しく、兼平さんがナユタに尋ねてきた。急に振られて、少し驚いたが、ナユタは「やってあげようよ」と答える。しかし、何をやるのかはよくわかっていなかった。
◇
「そこね」
淡々とした兼平さんの声が響く。兼平さんの放ったクロスボウの矢がビーバーのようなズーグ族亜種の額を貫いていた。
それを見て、男はあちゃあと言わんばかりに頭を抱える。
「ありゃ、やっちゃったか。これ、全面的に事を構えることになっちまうぞ」
そうぼやく男に対して、兼平さんは表情を変えずに返事した。
男の家の近くにズーグ族の亜種が探るように現れていた。それを有無を言わせずに兼平さんが殺したのだ。
「あなたの話だと、事はもう構えているはずよ。あとは真綿で締められるように追い詰められるか、直接撲殺されるかって違いでしかない」
バチバチと二人の視線が交わされる。だが、しばらくして、男がやれやれと視線を外した。
「確かにな。もう、腹を括る事態なのかもしれない。
むしろ、却って、ありがたかったかもな。これであんたらは俺に関わらざるを得なくなった。見捨てるのは寝覚め悪いだろ」
そう言って、男は意地悪く笑う。兼平さんもまたやれやれと冷笑気味な笑みを見せた。
奇妙な友情が芽生え始めたかのように思える。だが、事態はそんな穏やかなものではなかった。
ガヤガヤと音が聞こえる。男の家の周りに大勢が囲み始めたようだ。
それはズーグ族亜種だった。いや、それだけではない。巨大で毛むくじゃらのガグもいるし、魚のような顔面を持つ深きものの姿もあった。彼らが一様に怒り狂い、男と兼平さんたちに襲いかかろうとしているのだ。
「籠城するよ」
兼平さんはそう言うと、咄嗟に携帯していた油を周囲に撒く。そのまま、男とナユタを連れて家に入った。
どんどんと家を叩く音がする。そして、声が聞こえた。
「おめぇらよ、罪もないズーグの子を殺しておいて、ただで済むと思ってないよな。こんな家、大岩を持ち込んで瞬く間に潰してやるぞ!」
それは恐怖だった。異形の怪物。等身大の齧歯類。それが言葉を話すのだ。
「それはあんたらが始めたことだ。こっちは防衛のための行動だ」
男が言い返すが、ズーグは聞く耳を持たない。
「ズーグの子を殺した奴は嬲り殺しよ。生きたまま内臓を抉って、啜り喰ってやるぞ」
言葉は通じるが、意思が通じる気がしない。男の言葉をまるで意にも介していないのだ。
そんな時だ。
屋上から何かが落とされる。それは松明だった。
松明は兼平さんが撒いた油に引火して、激しく燃え上がる。さらに矢が何発も撃ち放たれ、ズーグ族亜種やガグ、深きものどもの身体を撃ち抜いていた。
兼平さんが屋上に上がり、攻撃を仕掛けているのだ。
男もナユタも屋上に上がった。
男は銛や石を投げて攻撃し、ナユタはスリングショットで石を打ち込む。そして、兼平さんはクロスボウを放っていた。
見事な快進撃といえたが、多勢に無勢である。ズーグ族亜種は扉を蹴破り、壁を喰い破り、やがて、屋上にも侵入してきた。退路が断たれる。
「クックックックック」
男が急に笑い出した。そして、銛を手にし、凄まじいスピードで突きを繰り返す。瞬く間に、ズーグ族亜種の死体の山が築かれていった。
さしものズーグ族亜種もこれには怖気づいたのだろう。次第に人気が捌けていき、やがて、残ったのは死者のみとなった。
「ククククク」
男の笑みは止まらない。今度は兼平さんとナユタに向き、その銛が迫った。
ダンッ
その瞬間、兼平さんの放ったクロスボウの矢が男の額を貫く。その行動を見越していたのだろう。
兼平さんは当然のように、崩れ落ちる男の姿を見ていた。
――キエエエエエエエエエ
叫び声が聞こえる。
男の死体から、渦巻くように黒い触手と口が列をなして湧き上がってきていた。口からは悲痛な叫びが上げられている。
嘆きもだえるものは痛ましい声を上げながらも、やがてその姿を消す。いつの間にか、男に憑りついていたものがあったのだろう。
声が消えると、兼平さんは言った。
「じゃあ、料理を始めましょう」
◇
男の獲った魚があった。
その魚の鱗を落とし、三枚におろす。それに塩をまぶし、タオルで包んだ。水分を吸い取るためだ。
ズーグ族亜種の毛皮をはぎ取り、内臓と骨を抜く。
竈門に火を炊き、その肉と骨を煮立たせて、出汁を取った。
ニラ、もやし、舞茸を一口大に切る。
竈門に鍋を置き、油を敷いて、野菜を炒めた。塩を振り、胡椒を掛けて味付けし、さらに水に溶いた片栗粉を入れる。それが野菜に絡まり、餡状になっていった。
もう一つの竈門の鍋で、魚を焼く。油をたっぷり入れた鍋に、魚を落とす。ジュワァッと油の音が沸き上がった。そこ酒を加えると、火が吹き上がる前に蓋を落とす。そして、沸騰した酒が魚を煮え立たせるのを待った。
しばしたち、魚が蒸し上がると、醤油、タレ、水、ニンニク、ショウガのすり下ろしたものを混ぜ合わせたソースをかける。ジュワジュワと鍋の中で音が鳴る。そこに餡掛け状になった野菜を乗せ、さらにズーグ族亜種から取った出汁を被せた。
魚の焼けた匂いと中華出汁の香りが辺りに充満する。お腹が減ってきた。
◇
「梅酒があったよ」
男の貯蔵していたであろう酒を兼平さんが持ってくる。缶に入った梅酒だった。
プシュッと缶を開け、口をつける。爽やかな梅の味わいに、冷たい口触りが嬉しい。そして、アルコールの重さとともに、甘い飲み口が続いてくる。
いい気分だった。戦いも終わり、料理も済んでいる。お酒も美味しい。晴れやかな気分で食事をすることができる。
蒸し魚を食べる。白身魚のほろほろとした口触りが心地よい。淡白な味わいであるものの、それもまた美味しいと感じられる。カラっと揚げられた魚の皮にはぱりぱりとした歯ごたえがある。旨味もたっぷりだ。
味付けは塩気と甘さのバランスがいい。牡蠣の深い香り、醤油の味わい、ニンニクやショウガの匂い。どれもが食事を楽しませるのに十分だ。
野菜の餡掛けが魚に乗っている。餡と魚の交わりは、得も言われぬほどに複雑な味わいがあった。まろやかでありながらも刺激的で、多幸感に満ちた不思議な感覚に満たされる。
もやしのシャキシャキとした歯ごたえ、ニラの刺激的な香り、舞茸の独特な歯ごたえと旨味を伴った匂い。そのどれもが素晴らしいものであったが、さらにそれを温かな餡が包み込んでいる。
餡掛けの味わいは複雑で、魚の味わいを伴って、奥深さを感じさせる。
魚の旨味と野菜の旨味のたっぷり入った餡。それが何重もの味わいを演出していた。それが実に美味しいのだ。
思わず、夢中で食べ進めていく。
気づくと、白身魚の中華揚げと中華餡を食べきっていた。
「この家には河を渡るための船もあるし、このまま旅を続けられそうだね」
ナユタは満腹になって満足したのか、嬉しそうに口にする。
兼平さんもそれに同意した。
「船に乗って先に行くんだね。これから、どこに向かうのか。ちょっと楽しみなってきたよ」
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