第三十七話 鮭のちゃんちゃん焼き

 茶色がかった薄黒い平原を兼平さんが運転するスーパーカブが走っていた。その後ろをスクーターに乗ったナユタが追いかけている。ずっと荷車で運ばれるばかりだったため、慣れない運転に必死の思いだ。


 そこに並走してくるものがあった。

 黒い外套を纏い、白い手袋をはめ、黒い肌を持つ。ナイ神父だった。


「サオリ、ナユタ、ちょうど良い場所で会いました。ちょっと面白い見世物が見れるかもしれませんよ」


 ナイ神父が笑顔で語りかけてくる。その白い手袋には、かつて兼平さんとナユタとで取り戻してきたタレの入った壺が握られている。

 その言葉に兼平さんがピリピリした口調で反応した。


「それはどういうこと? 食料でも手に入るの?」


 その言葉にナイ神父は薄っすらと笑う。そして、手に持った壺を撫でた。


「もちろん、手に入りますとも。ご期待ください」


 カブはナイ神父の案内で進行方向を変える。スクーターはナユタのヨレヨレとした手つきで、どうにか彼らについて先を急いだ。


         ◇


 馬の頭を持つ巨大な鳥、ゴムのような漆黒の翼を持つ蛇が群がり、空を旋回している。シャンタク鳥や忌まわしき狩人だ。

 その中央にはジェル状になり、その肉体を蠢かせる黄色の塊があった。とでも形容すべきだろうか。その塊は時折触手を伸ばしては、シャンタク鳥や忌まわし狩人を飲み込んでいる。


「ふむ、下等な生物を近づけても、栄養になるばかり……ですか」


 ナイ神父が淡々とした口調で呟く。指をパチンと鳴らすと、群がっていた飛行生物たちが一斉にその場から引いていった。

 そして、手に持っていたタレの入った壺を掲げた。


「それでは、出番です。グラーキ、ヴルトゥーム」


 壺の中から巨大な蛞蝓ナメクジがニュルっと出現する。その背には金属片のような棘がびっしりと生えており、身体の下部は三角錐上の突起で覆われていた。

 グラーキだ。グラーキはその突起を器用に動かして、物凄いスピードで走り始めた。


 グラーキは黄色い不定形の塊に近づくと、その肉体が裂け、巨大な口が出現する。その大口が名状しがたいものを一息に飲み込んだ。その直後、グラーキの身体が膨らんだかと思うと、急速に萎み始め、忙しなく膨脹を繰り返す。グラーキの体内で黄色い塊が暴れているのだ。

 ついには、グラーキの身体が裂けた。大気中へと黄色い塊が逃れていく。


 次の瞬間、その名状しがたいものから蔦がびっしりと生え始めた。蔦は次第に太くなり、やがて枝や幹というべき形状に変化し、黄色い塊を締め上げる。その植物に生気を吸われているのか、不定形の塊が次第に萎んでいった。

 だが、名状しがたいものの姿が変わる。ジェル状の姿から硬質な金属のような姿になり、刃物のような触手で枝や幹を切り裂いた。

 植物の怪物はズタズタに引き裂かれると、花を咲かせ、その花から果実が芽生えさせる。果実から赤い妖精のようなものが現れると、青空の彼方へと飛び去っていった。

 植物の姿をした旧支配者、ヴルトゥームがその本体を逃がしたのであろう。


 グラーキとヴルトゥームをどうにかあしらった名状しがたきものであったが、すでに死に体となっていた。

 そこに、黒い悪魔が覆いかぶさってくる。


 ライオンのような頭部と腕を持ち、足には鷲のような鉤爪を生やし、四枚の翼で飛行し、サソリの尻尾がジャラリと伸びる。

 その容貌は総体して黒い悪魔としか言いようがない。


「あれは風の魔王、パズズ」


 遠くからその戦いの様子を眺めていた兼平さんが何かに気づいたかのように声に出した。

 ただ、その名前はナユタにも聞き覚えのあるものである。


「バビロニアの邪神だったっけ。そんなの、本当にいるの?」


 兼平さんはナユタの質問に答えたのか、けれど誰に言うともなく呟いた。


「ハスターは風の精霊とされることがあるけど、それを風の魔王の姿で倒すつもりなんじゃない」


 ナユタにはその言葉の意味はよくわからない。

 ただ、一緒に様子を眺めていたはずのナイ神父の姿がいつの間にか消えていることに気づく。


 パズズは咆哮すると、黄色い不定形の塊に噛みつき、その腕で左右に切り裂いた。左右に分裂した名状しがたいものは別々の方向からパズズに絡みつくが、一方は翼の巻き起こす風で吹き飛ばされ、もう一方はサソリの尾によって貫かれる。サソリの尾からは猛毒が抽出されるのか、黄色い塊はたちまち変色していった。

 残った塊をパズズが掴み上げ、その爪を突き立てる。不定形の塊は弾け飛び、細かい破片に分かれた。

 形勢は決まったようだ。


 弾け飛んだ不定形の破片の一つが兼平さんのそばに飛んできていた。

 兼平さんは薄暗い憎悪の念をもって、その破片を見下ろす。そして、その足に金色の風を纏わせ、踏み潰した。


         ◇


 黄色い不定形の塊は姿が変わっていた。

 あるものは魚になり、あるものは野菜に変わる。あるいは、また別のものになっていた。

 ナユタはそれをかき集める。そして、憎悪の感情をむき出しにしたままの兼平さんに声をかけた。


「さあ、料理を始めよう」


 それを聞き、兼平さんの様子は落ち着いたようだ。

 カブの牽引する荷車から道具を取り出し、その場で竈門を作り始める。


 ナユタは手に入れた魚を捌いた。鱗を落とし、血抜きをする。

 喉元から腹を切り裂き、内臓を取り出した。そのまま、三枚に卸す。


 さらに、野菜を切る。

 玉ねぎ、ニンジン、キャベツ、それにジャガイモを一口大に切っていった。


 調味料も用意する。

 名状しがたいものは味噌にも姿を変えていた。味噌をみりんと料理酒で溶かし、さらに砂糖とニンニクを混ぜ合わせた。


 竈門に火をくべると、鍋に油を敷き、魚の切り身を置いていく。ジャガイモも一緒に焼いた。

 しっかり焼き色がつくと、ひっくり返す。そこに、残りの野菜を敷き詰め、さらに調味料を回しかけた。そこに蓋をかけ、じっくりと蒸し焼きにする。

 少しだけ経つと、バターを乗せて馴染ませた。


 鮭のちゃんちゃん焼きが出来上がる。


         ◇


「いい料理ですね。そのメニューなら、このお酒がいいでしょう」


 突如、ナイ神父が現れると缶ビールをテーブルに置いた。それはサッポロビールだった。

 兼平さんは礼を言うと、プチっと缶を開ける。ナユタもそれに従い、缶を開けた。


 清涼感のある炭酸の刺激、麦のホップの香り、それが疲れた体を癒すかのようだ。

 喉元をシュワシュワと通り過ぎていく。それまでの、妙な緊張感から解放されるような思いがあった。

 スクーターを運転するという慣れない労働、名状しがたいものの戦いを見守る恐怖と緊張、それに憎悪に満ちた兼平さんの瞳。それぞれがそれぞれのストレスを感じさせるものだった。

 サッポロビールはその緊張感を解きほぐしていく。


 鮭のちゃんちゃん焼きを食べよう。

 まずは鮭を口に入れた。川魚特有の香りと旨味が体の中に満ちていく。脂身もたっぷりで満足感があり、焦げた皮の味わいもまたいい。食べ進めることで、その美味しさが全身に広がっていくのを感じた。

 その鮭の味わいを味噌の甘さが支えている。旨味たっぷりの味噌味は実に食欲をそそるものだ。身体が求めている美味しさといえた。


 ジャガイモはホクホクしていて、甘みもあり、何より満足感がある。その淡白な味わいは、味噌味たっぷりの酒を食べるのにちょうどいい。鮭の強烈な旨味を包み込むかのようだ。

 にんじんはフレッシュな味わいがある。甘みもあり、香りも独特で、味噌と鮭の脂を相殺する力があった。

 キャベツは旨味たっぷりだ。甘みもあり、深い味わいがある。キャベツと味噌の組み合わせ、これがどれほどのシナジーを生むかは言わずもがなであろう。

 しめじのシャクシャクとした食感も好ましい。きのこらしい香りも良く、料理に新たな風を呼び寄せている。

 玉ねぎが料理の美味しさを支えていることは言う必要もない。その旨味、甘さ、シャキシャキとした食感。これもまたアクセントとなり、鮭のちゃんちゃん焼きを支えていた。


 鮭のちゃんちゃん焼きを食べ終え、ビールを飲んで一息つく。


「これで、ハスターは死んだわけ?」


 兼平さんが突如、口を開いた。それに対して、ナイ神父が返事をする。


「ふふ、ハスターもまた神ですから、このくらいで消滅することはありません。ただ、人間牧場での拠点を失った、というところでしょうか」


 ナイ神父は淡々と言葉を返した。

 それに対し、兼平さんは喜んでいるような、悔しがっているような、複雑な感情を見せる。その感情は単純なものではなさそうだった。

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