第三十五夜 肉じゃが

 その夜、兼平かねひら沙織さおりは寝付けないでいた。

 おばあちゃんの容体がいよいよ悪くなったのだ。そうなる兆候は今までもあったものの、その悪化は急激なものだった。


 一体、なぜこんなことになってしまったのか。

 考えても仕方のないことに悶々としながらも、それでもいろいろな考えがよぎる。

 昨日、捕まえたガストの内臓が悪くなっていたからなのか。それとも、一昨日の深きもののソテーを作るのに失敗したからかもしれない。

 あるいは、最近の気候の変動が慌ただしかったせいなのだろうか。


 ガサガサガサ


 なぜ、気づかなかったんだろう。

 サオリはその時になってようやく周囲の地面に蠢き続けるものがあると知る。ガサガサと絶え間ない音を鳴らし続けるそれは黒い飛蝗バッタの群れだった。

 それは小規模な移動から始まり、その小さな響きが徐々に大きくなっていたため、その存在に気づけなかったのだ。


 地面のあらゆる場所を黒い飛蝗が飛んでいる。飛び跳ね、滑空し、着地し、また跳ねる。その繰り返しも大量の数がいると、不気味なものだった。

 無限に思えるほどに大量の数でありながら、なぜか一つの意思を持って動いているようにも感じる。


「あれが、まさか――!」


 サオリは一つの考えに到った。悪寒といってもいい。

 あれが、まさかおばあちゃんに病魔を運んできたのではないか。そう考えると、もはやであるとしか思えなくなっていた。


「このっ、どっか行け!」


 サオリは近場にあった石を掴むと、投げつける。感情に任せた咄嗟の行動だった。

 だが、投石が落下するやいなや、黒い飛蝗が一斉に飛び上がる。そして、飛蝗たちは空中で集まると、人型のような姿を取った。頭と思しき部分は触手のようにうねり、長く伸びている。顔の中央には真っ赤な蟲三匹がその場に収まっており、まるで燃え上がるかのように輝いていた。


 その、疫病をもたらすものをサオリはしばらく眺めていたが、いつの間にか散り散りとなり、その姿は消え去る。

 辺りに静寂が取り戻された。ただ、病魔に侵されたおばあちゃんを残して……。


         ◇


 サオリとコウは朝ご飯を食べる。

 ガストの肉で作ったベーコンとシャンタク鳥の卵を焼いたベーコンエッグ。ヴルトゥームの落とし子の葉を用いたサラダ。そして、自分たちで焼いたパン。

 そのどれも、おばあちゃんは手をつけることはなかった。


「もうちょっと食べやすいものじゃないとダメかもね」


 コウが寝込んでいるおばあちゃんの様子を眺めながら、ため息をつく。


「どういうのがいいのかな」


 その言葉を受けても、サオリは何を用意するべきか見当がつけられなかった。


「本当はお粥がいいんだろうけど、今はお米がないもんね。でも、何か煮込み料理なら」


 コウが少し考えて、返事をする。

 それを聞いて、サオリが頷いた。


「そう、ありがと。コウ、おばあちゃんを見ててね。私、食べ物採ってくる」


 そう言うと、サオリはスーパーカブに跨ると、ヨタヨタとした慣れない運転で走りだす。周囲は草木に覆われており、初心者が走る道としては適していなかった。


 そのおぼつかない走りが少しは様になってきた頃、集落が見え始める。昨日、見かけたものの、結局、立ち寄ることのなかった場所だ。

 その集落で村長らしき人を呼んでもらい、袋に入れていたガストのベーコンと野菜を交換してもらう。


 交渉が上手くいった。少し気分の良くなったサオリは来た道をカブで引き返す。

 そんな時、ピョンピョンと飛び跳ねるものを見つけた。怪訝な顔で観察していると、それは毛むくじゃらのカエルのようである。

 しめた。サオリは喜び勇んで、カブを降りると、カエルに背後から近寄る。そして、その腹を掴んで持ち上げると、流れるような手つきで、その首をナイフで掻き切った。


 それはツァトゥグアの落とし子である。絶命させるのと同時に、血抜きを行った。

 そして、それを野菜とは別の袋に詰め込むと、帰りの道を急いだ。


 コウの姿が見えてくる。昨日作ったキャンプに戻ってきた。

 カブに乗って移動していたにもかかわらず、サオリは息も絶え絶えだえに疲れ切っていた。

 息を切らしながらも、言う。


「料理を始めるよ」


         ◇


 サオリは竈門を作り、鍋に火をかけると、お湯を沸かす。

 その湯にいんげん豆を潜らせ、しばらく茹でると、取り出して、一口大に切った。これは置いておく。


 ジャガイモの皮を剥き、四等分に切った。にんじんも皮を剥いて、いちょう切りにする。本当は玉ねぎがあればよかったのだが、仕方なく長ネギで代用することにして、斜め切りした。

 ツァトゥグアの落とし子は毛皮を剥ぎ、内臓を取り出す。そして、毒のある上半身は捨て、もも肉を削ぎ、薄切りにした。


 鍋に脂を入れると、鍋の全体に馴染ませる。そこにツァトゥグアの落とし子のもも肉を敷いていった。

 ジュワジュワと肉の脂が沸き立つ。肉の側面に焼き色ができたタイミングでひっくり返した。それと同時に野菜も入れる。ネギ、にんじん、ジャガイモを順々に入れると、次いで水と酒、それに出汁を加えた。

 沸き立つと、アクを取り除き、蓋を閉める。


 しばらく時間が経ち、蓋を開け、砂糖とみりんを追加した。また、蓋を閉め、しばらく待つ。

 十分に煮立つと、蓋を開け、醤油を回し、そのまま煮汁を飛ばした。

 そこに、最初に茹でたいんげん豆を追加する。


 肉じゃがが出来上がった。それを三人の器にそれぞれ分けていく。


         ◇


「おばあちゃん、これなら食べれる?」


 サオリがおばあちゃんの枕元に肉じゃがが持っていった。まだ温かさは残っているが、食べるのには十分なほどに冷めている。

 おばあちゃんの口元に運んだ。十分に煮込んだ肉じゃがは柔らかく、おばあちゃんは口にすることができた。


「美味しい。これはお養母かあさんの味……」


 おばあちゃんは呟いた。それと同時に涙を流していた。

 サオリもよくわからないままに、その涙に感化されて、涙を流す。

 ただ、ふと思い出すことがあった。


 サオリの祖母である萌詩きざしは養護施設で育った。小学校に上がる頃、養子になることが決まり、胃の頭いのあたま家で引き取られることになる。

 胃の頭家で暮らすことになった最初の日、養母が作ってくれた夕ご飯が肉じゃがだった。施設での味気ない食事とは違う家庭料理を、彼女は目を輝かせて食べたのだ。

 そして、その味は萌詩が受け継ぎ、こうして孫のサオリにまで受け継がれている。そのことが嬉しい。


 昔、おばあちゃんはそんな話をしていた。


「サオリ、私たちも食べよ」


 コウが声をかける。それはサオリの体調を慮ってのことだと、サオリにもわかる。

 サオリは肉じゃがの入った器を手にした。


 まず、ジャガイモを食べる。ほくほくとしたジャガイモは甘く味わい深く温かい。一口食べるごとに満足感がある。その味わいは醤油の香ばしさと酒の甘さが強調されており、はっきりとした美味しさだった。

 ツァトゥグアの落とし子の肉も上品で深い味わいだ。噛みしめるごとに甘じょっぱい味わいとともに上質な旨味が感じられ、何とも言えない幸福感が得られる。


 いんげんの苦みと香りは肉じゃがにおいて敢然たる存在感があった。肉じゃがの甘くしょっぱい世界観に新たな感覚を与えていた。

 にんじんの甘さもまたいい。ジャガイモとまた違ったほくほくとした食感があり、そのフレッシュな味わいを感じられる。

 ネギのシャキシャキした食感もまた楽しむべきものだろう。それと同時に香ばしい匂いが味わえるのだ。それが肉じゃがに新たな味わいをもたらしている。


 美味しい。そして、食べやすい。栄養もたっぷりだ。

 これなら、おばあちゃんの具合も良くなる。そう思っていた。

 はすでに去っているのだ。


 そう思っていた時、おばあちゃんの呼ぶ声が聞こえた。

 サオリとコウはおばあちゃんの前に集まる。


「私はもうここまで……。でも、最期にあなたたちと過ごせて楽しかったわ」


 そんな言葉は聞きたくなかった。サオリはそれを否定するように言葉を投げかける。


「おばあちゃん、帰ろう。ねえ。元の世界に変える方法はあるはず。だから、帰ろうよ」


 それは必死の思いだった。けれど、おばあちゃんは首を横に振る。

 サオリはおばあちゃんを元の世界に帰らせるために、幻夢境で冒険を繰り広げていた。だというのに、それをおばあちゃんは否定するのだ。


「私は、サオリ、コウと一緒にいられただけで十分。それ以上のことなんて、何も望まないのよ。

 むしろ、あなたたちのこれからが心配だわぁ」


 その言葉にサオリも、コウも、涙を流す。


「私が死んだら、すぐに私を食べてね。それが、あなたたちのためだから」


 おばあちゃんはそんなことも言う。サオリは全力でその言葉を否定した。


「そんなこと! 絶対しない! おばあちゃんだって、このままずっと生き続けるんだから!」


 その言葉と聞いて、おばあちゃんはにっこりとほほ笑んだ。

 そして、嗚咽のように言葉を続ける。


「……それはダメよ。……このままだと……」


 しかし、その言葉は最後まで聞き取ることはできなかった。

 おばあちゃんは事切れている。彼女の人生はこの瞬間に終わったのだ。


「サオリ、なんで、おばあちゃんは私たちに自分を食べるように言ったのかな」


 コウはおばあちゃんが死んだことを確認すると、そんなことを言った。

 サオリは涙を流しながら、その言葉を否定する。


「いや! 絶対、無理! 私はそんなこと、絶対にしない!」

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