第三十三話 すき焼きは関西風
「昨日は随分と迷惑かけちゃったね。今日は私がご馳走するから、楽しみにしてて!」
兼平さんとナユタが起きてくると、コウがそう宣言した。その言葉に対し、兼平さんは呆れたようにため息をつく。
「そう言うけど、食材は何か持ってるの?」
それを指摘され、コウは決まり悪そうに頭をさする。そして、開き直ったように笑いだした。
「アハハー、それはこれから捕まえるのよ。でも大丈夫、調味料はたくさんあるから」
そんな話をしていた時だった。にわかに、空が騒がしくなる。
見上げると、飛行する巨大生物が群れをなして飛んでいた。あれはビヤーキー、それにミ=ゴ、シャクタク鳥もいる。それらは四方から飛んできており、かち合うと激しく争い始めた。
それはさながら、空中を舞台にした合戦のようだ。
ズドン
何ものかが降ってきた。
戦いに敗れ、飛行能力を失った怪物のようだ。
それは歪んだ頭部を持った蛇のようである。ゴムのような漆黒で光沢のない翼を持っており、空を飛ぶ生き物であることが想像できた。巨大な鉤爪は血に染まっていることから察するに、大空で激しい戦いを繰り広げていたのだろう。
しかし、翼の付け根は痛ましく裂けていた。
「ラッキー! 忌まわしき狩人じゃん。こいつのお肉、美味しいのよね」
そう言うと、コウは忌まわしき狩人に大喜びで走り寄った。
兼平さんはやれやれと肩をすくめると、出発の準備を始める。
「なんにしても、ここに留まるのは危険よ。どこか、避難できる場所を探しましょ」
ナユタもコウも兼平さんの言葉に同意するが、コウは忌まわしき狩人を回収することだけは頑として譲らなかった。
◇
「それじゃ、料理を始めるよ」
コウが宣言する。
その場所は岩場の影だった。反り返った岩の下のため、怪物が落下することもないだろう場所だ。兼平さんが目ざとくこの場所を見つけたのだった。
「もっと、遠くへ逃げなくていいの?」
ナユタは気が気でなかったが、その意見はすぐに否定されてしまう。
「だいぶ広範囲で起きてるから、カブのスピードじゃ、意味がない。ここで隠れてるのがいい」
そんな二人の様子を眺めつつ、コウは竈門を作り、料理の用意を始めていた。
「二人は喋ってていいよ。私が料理するからね」
コウはまず、忌まわしき狩人の血抜きをする。そして、腹を捌き、丁寧に皮を剥いだ。内臓を取り出すと、三枚に卸すように、肉を切り分けていく。そして、丁寧に肉を一枚一枚薄切りにした。
さらに、豆腐を焼いて焼き色を付けると、一口サイズに切る。
白菜、ネギ、春菊も一口サイズに切っていった。シイタケは軸の部分を落とすと、傘の表面に六方の傷をつける。こうしておくと、熱したときに星型に広がるのだ。
しらたきは水で戻し、やはり一口大に切っていく。
鍋に火をかけると、忌まわしき狩人の脂身を鍋に塗っていった。
十分に鍋が熱くなる。準備は終わった。
「さあ、食事の時間だ」
◇
コウはコップに日本酒を注いだ。特別純米酒というらしい。
兼平さんもナユタもそのお酒を一口飲む。甘い。ただ、辛さも同時に感じた。芳醇な香りとともに、奥深い旨味を感じる。
なんというか、米の味わいがしっかりと存在するように思えた。
「すき焼きって関東風より関西風のが美味しいよね」
ニコニコしながらコウが言う。それを聞いて、やはり笑みの抑えきれないナユタが口を開いた。
「すき焼きは関西風よりも関東風のが美味しいんじゃない。食べたことないけどわかるよ」
喧々諤々の言い合いに発展……はしない。コウとナユタはそれを言った後に二人で笑い合っている。同じ世代だからわかる冗談のようなものだろうか。
それを見て、兼平さんは少しだけムスッとしたような表情をする。
「でも、本当に関西風って食べたことないんだ。関東風とどう違うの?」
ナユタが質問すると、コウが答える。
「関東風って牛鍋から発展して、関西風のすき焼きと合流したと思うんだよね。だから、あくまで鍋なのよ。
関西風は違う。ちゃんと焼くから」
そう発言すると、コウは鍋に肉を敷くと、その上から砂糖をまぶし、醤油と酒で作った割下をかけて砂糖を注ぐ。
ジュワジュワとした肉の焼ける音とともに、肉と砂糖の混じり合う香ばしい香りが漂ってきた。
「はい、焼けたよ。食べて」
そう言いながら、兼平さんとナユタの器に肉を置いた。
二人は肉を口に入れる。衝撃的な美味しさだった。忌まわしき狩人の肉の赤みと脂身のバランスが絶妙だ。そして、それを引き立てるのは砂糖と割下による甘じょっぱい味付け。シンプルな料理故に、肉の上等さと味付けの上手さが引き立っている。
「これ、美味しい」
「すっごい、美味しいよ」
兼平さんとナユタの言葉が重なった。それを聞き、コウが笑顔になる。
「ちょっとは恩返しできたかな。じゃあ、野菜も焼くね」
同じように肉を焼き、その横にネギを置いた。鍋の中に、さらに白菜、春菊、しらたき、焼き豆腐が配置されていく。
割下がジュワジュワと沸騰し、より味を刻しつつ、肉と野菜に纏わりついていた。香ばしい匂いが周囲に漂っていた。
「はい、食べて食べて」
コウが二人の器に肉と野菜、豆腐を入れていく。
肉も美味しいが野菜も美味しい。
春菊の香りは得も言われぬものだ。その苦みもまた心地よいものとなる。肉と一緒に食べるとその味わいはさらに高められるというものだ。
割下をたっぷりと吸い込んだ白菜は美味しい。歯ごたえも十分で、満足感を高めてくれる。
椎茸の香りと旨味も最高だ。肉厚な椎茸は噛みしめるだけで嬉しく、割下と混ざり合った極上の旨味はほかの食材では得られない独特の味わいがある。
焼き豆腐は口に入れるだけで熱い。それが楽しい。豆腐の中に凝縮された爽やかな旨味は肉と一緒に味わうことで新たな次元へと進む。
シラタキのつるつるした食感も堪らない。口触りも面白く、柔らかでありながら、コリコリした歯ごたえも楽しい。肉や割下と味わうシラタキは間違いなく一級品だ。
それらを溶いた生卵で食べることで、またニュアンスが変わる。まろやかな味わいによって、肉や野菜の本当の美味しさが引き出されるようだった。
そして、その美味しさにも慣れ切ったころに投入されるのがうどんだ。コウは朝早く起きて、うどんを打っていたらしい。
うどんのシコシコした食感。小麦粉の香り。それは、肉の旨味と割下の味わいを十分に含んだものであり、すき焼きという料理の新たな地平を感じさせる。
締めには残った割下でうどんを茹でる。肉の旨味と野菜の味わいのしみ込んだ割下で食べるうどんは格別だ。生卵と搦めて食べるもの楽しく、すき焼きに足りないものを補完しているかのようだった。
「うーん、満足」
ナユタはお腹をさすりながら、眠そうにあくびをした。その様子を見て、兼平さんはニコニコとほほ笑む。
だが、そんな時だった。膠着していた上空での戦いに大きな変化が起きる。
◇
それは王というべき姿だった。
黄金色に輝くローブがはためいていた。その顔は黄金色のフードで覆われている。だというのに、その威厳は何だろうか。圧倒的な存在感に息を飲む。
それは、まさに黄衣の王と呼ぶべき存在だった。
黄衣の王は叫ぶ。その叫びとともに見えない刃が走り、シャンタク鳥や忌まわしき狩人の群れは次々に落ちていった。
そんな中、地上に出現したものがあった。真っ赤な頭部を持つ筋肉質な巨人。その頭部はまるで血塗られた舌でもあるかのように、血の滴ったような朱色をしており、舐めるように蠢いている。
血塗られた舌が怒声のような音波を発する。すると、忌まわしき狩人が苦し紛れかのようにハスターの落とし子に噛みついた。落とし子は触手を狩人に絡ませ、その肉体に喰らいつく。落とし子と忌まわしき狩人は落下しながらも互いを喰い合うが、ついに落とし子が勝ち、忌まわしき狩人を喰いつくす。
だが、すでに地面に落下し、落とし子に天空へ這い上がるだけの力はすでになかった。
落とし子は地上に這うものに希望を見出した。
ぼさぼさの黒髪で化粧気がなく、ただひたすら食べやすそうな人間。つまり、兼平さんだった。
ピシャアァッァァ
ハスターの落とし子が兼平さんに向かったその牙を向けた。
その時だ。
「危ない!」
動いたのはコウだった。コウは兼平さんを突き飛ばし、落とし子の牙に喰らいつけられ、その血を吸われる。
「なっ! えっ?」
兼平さんは声にならない悲鳴を上げた。
だが、それでも体は動く。コウの肩に取りついたハスターの落とし子を必死で引き剥がした。落とし子とともに、コウの肉は背中から剥がれる。背骨が露わになり、大量の血液が流れた。
「あ。これ、やばいのかな。私はここで終わり……みたい。
えっ、ほんとに……、私、ここまでなの……?」
コウから発せられた言葉は絶望的なものだった。
兼平さんの表情には怒りが宿る。金色の光が彼女の全身から放たれ、次の瞬間、ロケットのように空中を蹴り、上空へと舞い上がる。
「犯人はあんたなの?」
その怒りは黄衣の王に向かっていた。拳を振りかぶり、黄衣の王にその力の矛先を振るおうとする。
黄衣の王がその顔を兼平さんに向い合せた。
――何かと思ったら、我が眷属か。拳を収めよ、汝の敵は我ではない。
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