第三十二話 シカゴピザ
兼平さんの運転するスーパーカブが紫色の大地をぐんぐんと進んでいく。比較的、なだらかな道のため、カブに牽引される荷車に乗るナユタもゆったりとした気分だった。
そんな時、目の前にスクーターが止まっているのが見える。それに乗るのは見覚えのあるポニーテールの少女、コウだ。
プップー
錆びついたクラクションが鳴る。しかし、コウは気づかいないのか、まるで反応がなかった。兼平さんとナユタはカブから降り、コウの正面に回り込む。
コウは顔を背けて隠そうとしたのだろう。だが、見えてしまった。
彼女の顔にあったもの。それは奇怪なものだった。
小さな人形のようにも見えたが、顔と思しき箇所には二対の目玉が計四個並んでおり、その腕もまた左右に二本ずつが生えていた。
そして、下半身には足の代わりに三本の触手が蠢いており、その触手がコウの顔面に絡みついている。
「どうしよ、サオリ……。なんか、これ、取れなくなっちゃった……」
いつもの勝気なコウからは考えられないほど、弱気な声だった。もっとも、こんな状態で元気を出せという方が無理というものだろう。
「うわっ、なにこれ。どうなってんの」
珍しく、兼平さんも驚いた声を上げる。ナユタもまたおぞましさに声も出せなかった。
「そんなに嫌うこともないんじゃないか。まかり間違って絡まってしまっただけなんだから」
コウの顔に張り付く小さき奇怪なものが喋り始めた。
「おや、私が人語を操ることを不思議に思うのかね。私は君たちよりも高度な存在だ。そんなことはできて当然なのだよ。
そうだな、私のことは小さき這うものとでも呼んでくれればいい」
小さき這うものは滔々と語り続ける。その様子を間近で見ているためか、コウは鳥肌を立てながら硬直していた。
「この絡まりを解く方法ならあるよ。この先に雲の溜まる湖があるんだ。そこにハスターの落とし子が群れをなして泳いでいるという。
そのハスターの落とし子の血と肉を集めて調理してくれ。それを食べれば、私もこのものから離れることができるだろう」
その言葉を聞き、兼平さんとナユタは顔を突き合わせた。そして、今にも泣きだしそうな表情をしているコウの姿を見る。
拒否する選択肢はありそうもなかった。
◇
スーパーカブとスクーターが並んで走る先に、その奇妙な湖が姿を現した。水ではなく、雲が溜まるというその姿は実に不思議なものだ。
地上にあって、天空にあるかのような、変な錯覚を覚えさせる。
「でも、どうやってハスターの落とし子を狩るわけ?」
荷車から降りたナユタが尋ねた。それを聞くと、兼平さんは荷車に向かい、荷物を漁る。
「決まっているでしょ。釣るのよ」
そう言うと、釣り竿を取り出していた。
そして、釣り針に地球本来の神の肉を括り付けると、雲の湖に向かって投げ込んだ。
「そんなんで、本当に釣れるわけ?」
負傷者ゆえ、後ろで見守ることになったコウが不満げな声を出す。
しかし、そう言ったそばから、釣り糸が激しく反応した。何かがかかったのだ。
「う、うわっ」
その引き込む力は強く、兼平さんは雲の中に引き込まれそうになる。ナユタは兼平さんの身体を掴み、どうにか抑え込んだ。
「ナイス、ナユタ!」
兼平さんの腕が黄金色に輝きだし、筋肉が盛り上がる。
ブワっと釣り竿が跳ね上がり、雲の中から黄土色をした何ものかが宙に浮かび上がった。多数の触手を持ち、一見するとタコかイカのようであるが、顔面と思しき箇所は髑髏のような異相になっている。
これがハスターの落とし子だというのか。
――ブボォォォォォオオ
落とし子が鳴いた。それにより風が巻き起こり、周囲を吹き飛ばす。スーパーカブも風の流れに乗って飛ばされ、コウもどこか遠くへ行ってしまった。
しかし、兼平さんは風の流れにあって、一人だけ流れの外にあるようで、風の影響をまるで受けていない。
ナユタは飛ばされそうになりながら、必死でハスターの落とし子に手を延ばした。
「この! 飛ばされて、たまるか!」
ナユタの手が伸びていた。その腕はしなりながらも、ハスターの落とし子を掴み、締め上げながら、地面に叩きつける。
ドオンと轟音が響き、ハスターの落とし子は脳天から大地に伏した。衝撃とともに、その動きは止まる。
幸いにも、カブもコウもそこまで遠くには行っていなかった。ハスターの落とし子の死体を引きずりながらも、どうにか合流する。
そして、兼平さんは言った。
「それじゃ、料理を始めましょ」
◇
ハスターの落とし子の血抜きをする。しかし、この血は調理する必要があった。
血抜きをした血液をバケツに溜める。地球本来の神の肉を食べていたせいか、トマトの味わいがした。
血抜きを終えると、兼平さんは落とし子を捌いていく。腹の中に乳白色の塊が溜まっていた。チーズのようだ。母乳を蓄えているうちに乳酸発酵・酸乳化したのであろう。
ナユタは小麦粉を捏ね合わせた。薄力粉、強力粉、イースト菌、砂糖、塩を混ぜて、水とオイルを加える。混ぜていると、次第に塊になってくるので、それを捏ね捏ねして、表面が滑らかになると、丸い一塊にした。
これはしばらく置いて、発酵を待つ。
兼平さんはハスターの落とし子のバラ肉を細かく切り刻んで挽肉にした。さらに、玉ねぎ、ニンジン、ニンニクもみじん切りにする。
竈門に火をくべて鍋を置くと、オイルを落として野菜を炒めた。そこに挽肉を加え、火を通していく。肉と野菜の混じり合って、豊かな香りが漂い始めた。
とろみを入れるために小麦粉をさっとかけ、ついで、落とし子の血液であったトマトソースを加える。
ジュワっと熱の入ったトマトソースから甘酸っぱい香りが立ち込める。ミートソースが出来上がりつつあった。
ナユタはチーズを細かく切り、
竈門をもう一つ用意して鍋を配置し、ニンニクと白ワインを入れた。軽く沸騰させてアルコールを飛ばすと、火を弱めつつ、チーズを加えていく。
チーズがドロドロに溶け、独特の香りが漂う。それを塩コショウで味を調えた。これだけでチーズフォンデュとして食べることもできるが、今日はこれで終わりではない。
ピザ生地の様子を見る。発酵してサイズが二倍ほどになっていた。これを丸め直して、もうしばらく様子見。
その後、めん棒で生地を広げると、オイルを染み込ませた鍋に敷いていく。
具材を乗せよう。
まずはミートソース。その上に玉ねぎを敷き詰め、細かく切ったチーズを乗せていく。ハスターの落とし子の肉もブロック状にカットして乗せ、マッシュルームを付け合わせた。そこにフォンデュソースをかけ、最後にもう一度ミートソースをかける。
これに蓋をして、弱火にかける。
ワクワクしてきた。後は焼き上がるのを待つばかりだ。ピザが出来上がる。
◇
「ピザにはやっぱりビールね」
そう言うと、赤の国の
プシュッと缶を開けると、ナユタは一息にビールを飲んだ。美味しかった。へとへとに疲れて、喉がカラカラだったのだ。それだけでビールがなんと美味しく感じるのだろう。魂が救済されるかのような、圧倒的な潤いである。
ピザを食べることにする。ピザを八等分に切り、その一欠けらを口に運んだ。
「んん!」
三人の声が重なっていた。言葉にならない感嘆の喘ぎが周囲に響く。
チーズとフォンデュソースが口いっぱいに広がっていた。なんとも贅沢なチーズの使い方。チーズの豊潤で奥深い旨味が全身に満ちていくようだ。
そこにミートソースの味わいが加わり、チーズと溶け合う。ハスターの落とし子の肉はとろけるような口触りで、野性的な旨味が凝縮され、噛みしめるごとに脂が弾けるようだ。細かく刻まれたミンチ肉がトマトの旨味と甘み、酸味に閉じ込められ、凝縮され、さらにチーズの味を引き出す。
何とも言えない美味しさだ。
ピザ生地もいい出来だった。
表面はパリパリしていて歯ごたえがサクサク。噛み砕くと、その中のもちもちした柔らかな膨らみに行き当たる。小麦の味わいも感じられるようで、生地だけで食べても美味しいのだろう。
だが、生地は主張しすぎることなく、フォンデュソースとミートソースの混じり合う珠玉の味わいを引き立てている。
ブロック肉が美味しいのも当然のこと、アクセントの野菜もいい仕事をしている。
玉ねぎはシャキシャキとした食感とともに、爽快感と旨味、甘みがピザの中に溶け込んでいる。マッシュルームのコリコリした食感も良く、ミートソースやフォンデュソース、チーズの味わいの媒介としても機能している。
夢中で食べてしまう味わいだった。
気づくと、コウの顔に張り付いていた、小さき這うものが姿を消していた。
「ああ、よかった。ずっとあのままだったら、どうしようかと思ってたよ」
コウがせいせいしたように身体を伸ばす。
「でも、あれ、なんだったんだろう」
ナユタが呟くと、兼平さんが首を傾げた。
「ああやって、ハスターの落とし子を駆除してるんじゃ……」
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