第二十九話 酢豚

 ナユタは夢見る能力ちからを持っていた。


 それは人間牧場に来てからも変わらない能力だったが、しかし、ナユタのその力は弱い。目覚めた時に幻夢境ドリームランドで起きた出来事はほとんど覚えておらず、覚えていたとしても、それはおぼろげなものだった。


 今日も浅き眠りの七十階段を降りていく。一段一段、まるで夢遊病患者のように体が自然に動いていた。

 二人組の門番、ナシュトとカマン=ターはナユタが現れても、一瞥もしない。炎の洞窟へと続くその門は固く閉ざされており、入ることは叶わなかった。

 とはいえ、もともとそんな恐ろしい場所に行くつもりはナユタにはない。ナユタは炎の洞窟を迂回して、ドリームランドへの道を歩いていく。


 ナユタは夕映えの都に辿り着いた。ドリームランドでの長い旅が続き、時折、覚醒し、再び眠りとともにドリームランドへと訪れ、そして旅の続きをする。そうして、今宵、ついに夕映えの都に辿り着いた。かつて、未知なるカダスと呼ばれていた都市だ。


 夕映えの名を冠するに相応しい、雄大にして壮麗、そして、どこか寂しさと切なさを感じる風景だった。

 白い巨大な建物が並び、それが夕日によって照らされ、赤く輝いている。

 街行く人々は誰もが整った顔立ちで、どこか高貴な風を纏っていた。切れ長だが穏やかな目をしており、耳たぶの垂れた耳が特徴的だ。この人々は人間などでなく、地球本来の神々なのだろう。


「ナユタさんですね、カーターがお待ちしています」


 地球本来の神の一柱から声をかけられた。いきなりのことで戸惑い、ろくな返事ができない。


「え、ああ、はい」


 その言葉を肯定と取られたのか、地球本来の神はついてこいと言わんばかりに、背を向けて歩き始めた。ナユタはその後についておずおずと進んでいく。


          ◇


 透明感を感じさせる白亜の壁が一面に広がっていた。その先には古代インディカ文明を思わせる豪奢な宮殿がそびえ立っている。

 ナユタは連れられるまま、その宮殿に入っていった。幾柱もの地球本来の神々が宮殿を警護し、宮殿内で働いているのを目の当たりにする。ある地球本来の神は台所で炊事を行い、ある地球本来の神は宮殿を清掃していた。


「カーターはかつて旅人でした。今でも、旅人が訪れるのを心待ちにしているのですよ」


 ナユタの気持ちを察したのか、案内する地球本来の神が話しかけてくる。ナユタは返事を濁しつつ、そのまま先へと進んでいった。

 やがて、大広間の扉が開く。意外なことに、真っ白な空間が目の前に広がっていた。白亜で覆われた空間なのだろうが、何もない空間のように思えてならない。

 その奥にカーターはいた。何もない空間の中に玉座があり、そこに腰かけている。その姿はもはや旅装ではなく、宝石の散りばめられた王冠をかぶり、動物の毛皮をなめしたローブで身を包んでいた。


「ナユタ、よく来てくれたな。ここまでの長い旅路、想像するだけで胸が躍る。どうだろう、旅の話をしてくれないか」


 カーターの言葉を受け、ナユタは旅であった出来事を語った。だが、話のタネはどれだけ話しても尽きることはない。

 やがて、目覚めの時が迫っていることを感じた。


「陛下、お話も盛り上がっており恐縮なのですが、そろそろ覚醒の世界へと旅立つ時が来ました。そろそろ、おいとまさせてはいただけないでしょうか」


 その言葉を発した瞬間、カーターの目に怒りと苛立ちが浮かぶ。眉間をしかめ、怒気を孕んだ声で叫んだ。


「ならぬ! お前はここで永久に旅の話を続けるのだ」


 そう言ったカーターの影が伸び、ナユタを暗いものが覆う。その影はカーター本人のものとは違い、筋肉が盛り上がり、顔から触手のようなものが力強く伸びていた。そして、影には三つの眼があり、赤く燃えるように輝いている。その燃える三眼はどれもナユタを睨んでいた。

 ナユタは身がすくむが、しかし、その場に留まることの危険を感じる。ナユタはカーターに背を向けて、逃げだした。扉が開く。出口に向かって走った。


「そのものを追え! 捕らえよ」


 カーターの声が響く。それと同時に警護の地球本来の神々がナユタに視線を送り、追いかけ始めた。

 だが、それは人間牧場で数々の冒険と戦いを経たナユタにとって、ゆったりとしたものに思える。反応が遅いのだ。所詮は都市で暮らし、自ら獲物を捕らえることのないものたちである。そんな神々に野生の生物を相手取って生きているナユタを捕らえることはできない。


 とうとう夕映えの都の出口までやって来た。だが、そこには門番が待ち構えている。


「話は聞いている。通すわけにはいかない」


 その言葉とともに、槍を構える。後ろからは幾多の地球本来の神々が追ってきている。

 やるしかない。だが、手持ちの武器は宮殿に入る前に取り上げられてしまっており、丸腰だった。徒手空拳でどこまでやれるか。


 そう思った瞬間、門番の頭に矢が刺さった。門番は力を失い、その者に殴りかかろうとしていた、ナユタの身体に倒れ込んできた。

 カーターに敵対する者の襲撃だろうか。危険はあるかもしれないが、当面の危機は去った。


 ナユタは門番を引きずる形になりながらも、夕映えの都から出る。

 すると、スーパーカブに乗った女の子がいた。


「旅人は助け合いでしょ。今は私が助けてあげたのよ」


 ぼそぼさの髪で、セーラー服を着ている。カブの上でクロスボウを構えていた。


「兼平さん! 助けに来てくれたんだ」


 ナユタは歓喜に満ちた声を上げる。だが、兼平さんは怪訝そうな表情をして、不審そうにつっぱねた。


「誰? なんで、私の名前を知っているの?」


 よく見ると、兼平さんはいつもより若かった。幼いと言い換えてもいい。セーラー服もそれほど草臥れたものではなかった。


 人間牧場は時間の進み方が現実と異なる。現実世界から人間牧場に迷い込んだナユタと、人間牧場で生まれ育った兼平さんでは、歩んでいる時間軸が違うのかもしれない。

 人間牧場では時を同じくする二人だが、ドリームランドではまた違う時間軸を歩んでいるようだった。


「え? あ、あれ? ごめん、人違いかも」


 そう言ってごまかしたが、兼平さんは納得したように見えない。


「まあ、いいかな。逃げ切りましょう」


 どことなく、いつもの兼平さんよりも声が明るいように感じた。この兼平さんはナユタの知らない兼平さんなのだ。


「ありがとう」


 ナユタは礼を言いつつ、兼平さんのカブへと近づいていく。門番だった地球本来の神の死体は引きずったままだった。

 だが、それが限界だ。ナユタは覚醒の世界へと誘われる。


          ◇


 ナユタは目を覚ました。

 兼平さんの運転するスーパーカブに牽引される、荷車の中で揺られていた。夢を見ていたのだ。


 夢の中での出来事はすでに記憶から消えつつあった。それでも、夢がただの夢でなかったことは、ナユタに覆いかぶさっている地球本来の神の死体でよくわかる。


「ナユタ、いい獲物ね」


 そう言うと、兼平さんはカブを停める。


「じゃあ、料理を始めましょ」


 兼平さんは地球本来の神を捌く。

 その身に纏う衣服や装飾具、鎧や兜を剥いでいった。首過ぎを掻っ切り、血抜きする。その血はドロリとしたものだった。

 ふと、何を思ったのか、その血を指で拭い、口に入れる。


「ナユタ、これ食べてみて」


 同じ行動をナユタに促した。ナユタもその血を舐めてみる。強い酸味と深い味わい、そして柑橘に近いがより強い香り。トマトケチャップのような味わいだ。


 血抜きが終わると、解体を始めた。頭部を切り離し、頭蓋骨をバルザイの偃月刀で輪切りにする。地球本来の神の脳味噌は黄色いものだった。

 それをまな板に乗せ、ザクッザクッと切っていく。その一欠けらを兼平さんは食べる。


「うん、これ美味しいよ」


 そう言って、同じようにもう一欠けらをナユタに食べさせる。甘かった。そして、酸っぱかった。爽やかな風味とともに、濃厚な甘さと酸っぱさが伝わってくる。これはパイナップルだった。

「甘い」と思わず呟く。


「ね。これ、作るもの決まったね」


 そう言うと、兼平さんは地球本来の神を捌いていった。腹を掻っ捌き、内臓を取り出す。肩を切り落とし、足を落とし、部位ごとに肉を切り離していった。

 その中で、背中の肉を選ぶと、一口大に切り刻んだ。その肉に醤油、酒、ニンニク、ショウガ、片栗粉を混ぜ合わせる。


 ナユタは野菜を切った。地球本来の神の脳味噌であるパイナップル、玉ねぎ、ピーマン、キノコを一口大にする。

 竈門を作って火をくべると、鍋に油を熱していった。


 水、卵、小麦粉を混ぜ合わせ、味付けした肉を潜らせる。その肉を油の中に落とした。キツネ色に揚がってくると、器に移した。


 油を入れ替えて、野菜を炒める。まずは玉ねぎだ。色が変わると、さらに、ピーマンとキノコを加える。

 そこに、水、醤油、酒、酢、ケチャップを入れて、煮詰めた。


 しばらく煮込んだ後、器に保管していた肉を入れる。パイナップルもこのタイミングで入れた。

 水に溶かしたカタクリをさらに加え、とろみをつける。


 酢豚が完成した。


          ◇



 兼平さんは残ったパイナップルを絞ると、その果汁を焼酎と混ぜ合わせる。それをコップに移し、ナユタに差し出した。


「パイナップルサワーにしてみた。飲んでみて」


 そう言うと、兼平さんもサワーをゴクゴクと飲んだ。「うん、美味しい」と感嘆の声を上げる。

 ナユタもそれに倣い、パイナップルサワーを口にした。爽やかな味わいとともに、パイナップルの濃厚な香りと甘さは健在である。それと同時に焼酎の乾いた味わいとアルコールの熱さが襲ってきた。

 とろんとしたものを感じつつ、グラスを半分飲み干している。もう酔ってきたのかもしれない。


「飲みやすい。甘いし、酸っぱし、酔っちゃうね」


 そう言うと、ナユタは酢豚に手をつけることにした。

 まずは肉を食べる。とろけるようなその味わいはまさしく豚肉のようだった。しかし、これは地球本来の神の肉である。その旨味は雑味がなく、重厚な旨味だけが残っていた。それでいて、さっぱりしており、いくらでも食べられるようだ。

 地球本来の神がどれだけいい食生活をしているか窺えるようだ。普段、肉を食べず、菜食中心の暮らしをしているのだろう。肉食獣と違い、草食の生き物の肉の美味さが実感された。


 酢豚の味付けというものは素晴らしい。酸っぱさとしょっぱさ、それに甘さのバランスがいい。酸味が前面に立つがそれで終わらず、トマトケチャップによる濃厚な旨味が土台としてしっかりしている。

 肉も美味しいが、野菜も美味しい。これはいいものだ。


 ピーマンを食べた。その苦みが清涼感へと変わる。酢豚に合って、この苦さは貴重な美味しさだ。

 玉ねぎはシャキシャキとした食感が嬉しく、その甘みと旨味が酢豚の味わいにアクセントと確かな旨味を加えている。

 キノコのコリコリした食感、肉厚な歯ごたえ。その風味もよく、酢豚に新風をもたらしているようだ。


 そして、パイナップルを外すことはできまい。

 その旨味と甘み、その香り高さを除いて、この酢豚の美味しさを語ることはできないだろう。

 甘く肉厚なパイナップルとともに食べる肉の美味しいこと。甘さとしょっぱさ、それに肉の旨味と食べ応えが加わる。この味わいこそ、幸せというべきだろう。


「美味しい、本当に美味しい」


 気がつくと、ナユタは涙を流しながら呟いていた。神の肉とはそれほど美味しかったのだ。


「ふふ、美味しいよね」


 兼平さんも同意してくれた。

 その声を聞いて、微睡みの中で曖昧になっていた記憶が蘇る。ドリームランドでまだ若い兼平さんと出会ったのだ。


「兼平さん、昔、夢の中で出会ったこと、覚えてる?」


 その言葉を聞いても、兼平さんは怪訝な表情をするだけだった。

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