第二十七話 牛丼(紅生姜がポイント)
兼平さんの運転するスーパーカブは相変わらず砂漠を走っていた。砂漠にできた岩の道はガタガタと揺れ、牽引される荷車に乗るナユタは一言喋るだけで舌を噛みそうだ。
しかし、兼平さんの言葉は驚くべきもので、聞き返さずにはいられなかった。
最初に気づいたのは兼平さんが指摘したからだ。
「ナユタ、空を見て。だいぶ、まずいことになってる」
そう言われて、ナユタは空を見上げた。
真っ黒な雲が空を覆い、雲にはバチバチと雷が纏わりついている。嵐が来そうな予感があった。
だが、そんなことは小さなことに思える。それ以上に恐るべきことは、巨大な生物の群れが雲とともに空を飛んでいることだった。
ひとつは、巨人に見えた。赤い目が輝き、ヒレのついた足で風を掴むように歩いている。
ひとつは、巨大な翼を持ち、まるで泣き叫んでいるかのように蠢く触手を湧きださせる
ひとつは、赤く輝く粘液にまみれた翼を広げていた。その姿は不定形なようで見るたびに姿が変わるが、なぜか猛禽を思わせる狩人としての鋭さを感じる。
そのひとつひとつが数十メートルを超える巨体であり、そんなものが空に浮かんでいることが、人間牧場に遭っても信じがたいことだった。
「あ、あれ、何!?」
ナユタは舌を噛まないように注意しつつも大声を出す。
「あれは神よ。旧支配者と呼ばれている。一柱だけでも、人類を滅ぼす力があるはず」
この言葉にはナユタは驚愕した。そして、思い出す。ノーデンスと暗黒神の激しい戦いを。
あれだけの力を持ったものが無数空にいるというのだろうか。ナユタは怯え、思わず叫んでいた。
「旧支配者!? そんなものがなんでこんなに……。
どうするの?」
しかし、兼平さんの言葉は諦観に満ちたものだった。
「見つからないように祈るしかない。できることはそれだけ」
ナユタは絶望する。
◇
兼平さんとナユタは無言になっていた。しゃべる気力が湧かなかったこともあるが、それ以上に声で旧支配者たちに見つかることを恐れている。もっとも、喋り声が聞かれることがあるのかはわからないのだが。
カブは相変わらず岩でできた道をガタガタと揺れながら進んでいた。この時間は無限に続くように思えた。
ふと、ナユタは空を見上げた。風に乗りて歩むものの赤い瞳と目があったかのように感じる。その瞬間、巨人が急降下を始めた。
来る。ナユタは絶望とともに、自身の死を覚悟した。
ガッキィィィン
金属音が響く。風に乗りて歩むもののヒレの付いた足が、巨大な刀によって止められていた。
ナユタの目の前には人影が立ちはだかっている。それは、黒い馬に乗り、全身を黒い甲冑で身を包んでいた。鎧武者のように見える。その鎧兜は漆黒に輝くものであったが、ところどころ意匠された赤い紋様が壮麗さを感じさせた。
「ハッハッハッハッハ、甘い甘い。そんな攻撃で玉を取れると思ったか!」
黒武者は腹の底から出たような笑い声を上げながら、風に乗りて歩むものを斬り上げた。霧を象徴する旧支配者は容易く刻まれ、その全身がバラバラになっていった。
しかし、その笑い声に引き寄せられるように、空にいたほかの旧支配者たちも現れる。そのどれもが巨体に似合わぬほどに俊敏な動きで、ナユタには瞬間移動して出現したようにしか見えない。
その攻撃を黒武者は的確に弾き返し、その肉を確実に切り刻んだ。
これを好機と見て、兼平さんはカブを走らせ、その場から立ち去る。
「あれは
日本史上、合戦のたびに現れ、状況を混沌とさせ、戦火をより悲惨なものとしていった。そんな存在らしい」
兼平さんが呟くと、すでに遠くなっていた悪心影の声が、先ほどと変わらないボリュームで聞こえてきた。
「悪鬼か。ハッハッハッハッハ、面白い名前で呼ばれるものだ」
相変わらず、力強い笑い声だ。
ナユタはほっと一息をつき、助かったことに実感していた。
兼平さんの運転するカブは戦場から逃れようと、全速力で走る。その甲斐もあったのか、やがて空が晴れてきた。旧支配者の脅威から逃れたのだろう。
二人が安堵のため息を漏らした頃だろうか、馬の蹄の音がパカランパカランと近づいてきた。
それは悪心影の黒い馬のものだ。黒武者は何やら肉の塊を抱えていた。
「ハッハッハッハッハ、お前ら、ちゃんと食っているのか? そんな痩せっぽちでは丈夫な
これをやる。しっかりと精をつけることだ」
そう言って肉の塊をいくつか置いていく。
兼平さんとナユタはその肉を見て、複雑な表情をしつつ、互いを見た。
そして、ふぅとため息を漏らすと、兼平さんは言った。
「それじゃあ、料理を始めましょ」
◇
その次は玉ねぎを千切りにした。ウィッカーマンから手に入れた野菜も残り少なくなっている。
ナユタは米を研ぎ、ガスバーナーでご飯を炊いた。この役目も、いつの間にかナユタのもので固定されている。
さらに、お味噌汁を作ることにした。もたらされた肉のうち、柔らかいものを煮込み、出汁を取りつつも、それを具材にする。ネギも入れると、煮えてきたので、火を止めた。味噌を溶かし、味を調えた。うん、いい味だ。
兼平さんは鍋で出汁を取る。鮎の干物が残っており、そこから出汁が取れた。
そこに千切りにした玉ねぎを入れ、くたくたになるまでしっかり煮込む。その後、醤油とみりんを加え、薄切りにした肉を入れた。
肉にしっかりと火が通ると、竈門の灯を消す。
悪心影からもらった肉の中に、卵が紛れていた。真っ赤な殻をしているが、器に落としてみると、赤みがかかっているが、普通の卵のように見える。
さらに、茶葉のようなものも混ざっていた。湯に浸すと、緑茶となる。香りを確認し、一口飲むと、まさに緑茶の味わいだった。
「なんか、悪心影って用意がいいね」
思わず、ナユタはそんなことを呟く。
ご飯をよそい、肉と玉ねぎを乗せ、つゆをかけた。その上から紅生姜を乗せる。
この紅生姜は赤の国でイアラからもらったものだ。千切りにした生姜が梅酢に漬けられ、真っ赤な色合いになっていた。茶色の牛丼に赤い色が乗っているだけで、華やいだ感じがする。
牛丼が完成した。
◇
兼平さんは冷凍庫代わりになっているポーンの殻から氷を取り出すと、焼酎に緑茶を注いでいく。
「これは緑茶ハイ。緑茶の渋みと香りが楽しめるのと同時に、焼酎のコクと香りも味わえるの。
ナユタも飲む?」
そう言って、緑茶ハイをごくごくと飲む。
彼女は美味しそうに飲んでいたが、ナユタは断った。
「久しぶりに緑茶を飲みたいから、いいや」
緑茶を飲む。温かいお茶はそれだけで安心感があり、ほっと一息ついたと感じられた。
しかし、落ち着いてばかりもいられない。お腹が減っていた。
牛丼を手にすると、まずは肉を口に入れた。その豊かな旨味は牛肉を思わせる。噛みしめるごとに、その深い味わいが伝わってくるようだ。
実際には、何の肉なのかはまるでわからないのだけれど。
その味付けは甘くしょっぱく、何とも言えない美味しさがあった。
玉ねぎはくったりとしているが、シャキシャキとした食感も残っており、アクセントとしても仕事をしてくれる。甘く、旨味たっぷりで、ボリューム感もあり、つゆの美味しさともぴったりだ。
そして、その味付けのまま、ご飯を食べる。これは幸せなことだ。肉と玉ねぎ、それにつゆ、その一体感がご飯を食べる手を進ませる。
時折、味噌汁も飲む。ご飯と味噌汁の相性はもはや語る必要もないだろう。ご飯のたんぱくな味わいと味噌の濃厚な甘さと塩気がちょうど噛み合っている。
具材であるネギの旨味と香りも抜群だ。もう一つの味わいである柔らかい肉からは脂がしっかり出ており、旨味たっぷり。その味わいはどこか油揚げを思わせた。
紅生姜も食べる。そのスパイシーでありながら、清涼感のある独特の辛さは病みつきになる。爽やかな刺激は牛肉ともよく合い、互いの美味しさをより昇華させていく。
これ以上に相性のいい付け合わせはあるだろうか。夢中で食べていった。実に満足感のある食事だ。
さらに、卵をかける。箸で卵をかき混ぜ、それを牛丼の上にかける。
とろーりとした卵が牛丼と混ざり合った。まろやかな味わいが加わり、牛丼は新たな顔を見せる。これがあるからこそ、牛丼というものは奥が深い。
滑らかな食感も楽しく、いつまでも飽きさせない。いつの間にか、牛丼はなくなっていた。
「美味しかった。でも、これって……」
これが何の肉なのか、当然ながら、わかっていないわけではない。
食べておいて何なのだが、ナユタは嫌な予感を感じていた。
「そうね。旧支配者の肉。イタカかロイガーか、それはわからないけど」
美味しそうに牛丼を食べていた兼平さんも急に真顔になる。
そんなものを食べていいのだろうか。ナユタは不安を感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます