第二十五話 ビーフストロガノフ
兼平さんの運転するスーパーカブはいつの間にか砂漠を走っていた。砂漠といっても、砂の上をカブで走ることはできない。それまで通っていた道がそのまま、岩でできた道とつながっていたのだ。
だが、その道は整備されているとはいいがたく、石ころを踏むたびにガタガタと揺れる。ナユタはカブの牽く荷車の中にいて、舌を噛まないようにするのに必死だった。
そんな時だった。ぶわっと風が吹いた。そして、遠くで砂が渦巻いているるのが見える。砂嵐だ。
砂嵐はこちらに近づいてきているようだったが、やがて奇妙なことが起きる。砂嵐の中かさまざまな動物の群れが出現したのだ。
そのうちの一種は犬だった。キャンキャンと吠えながら、統制の取れた動きで、兼平さんの運転するカブに近づいてきている。
その中には耳が大きく、首の長いものもいた。体毛はオレンジだが、背中だけ黒い。ジャッカルだ。
それに率いられるように、大型の哺乳類、シマウマ、ロバ、カバも走っている。水棲爬虫類のはずのワニもほかの動物に負けじと素早く駆けまわっていた。
豚もいる。ベージュ色の丸々と太った豚たちが犬とともに走る。豚の中に奇妙な姿をしたものもあった。鼻と口を含んだ吻が長く伸びている。耳も長く、豚のようではあるが豚ではない。それはツチブタだった。
「どうする? 狩る?」
ナユタは舌を噛まないように気をつけながら、兼平さんに話しかける。兼平さんは被りを振る。
「数が多すぎ。逃げるしかない」
兼平さんはカブの速度を最大に上げた。ガタガタとした揺れも激しくなり、ナユタは身を屈めて、それに耐える。
だが、動物たちのスピードはそれ以上で、カブを飲み込むのは時間の問題かと思えた。
しかし、動物たちは迂回するようにその進路を変え、カブの前に回り込んだ。兼平さんはカブを急停止する。その瞬間、動物たちは融合していき、ひとつの存在へと姿を変えた。
それは黒いジャッカルの頭部を持った人間のようだ。ネメスと呼ばれる古代エジプトの王族を思わせる頭巾をかぶり、全身にもさまざまな装身具を身に纏っている。まさに、エジプト神話で語られるセト神を思わせる姿だ。
セト神はジャッカルの口を動かし、声を発した。
「おっと、驚かしてしまったかな。
サオリ、ナユタ、これは良いところで出会った。少し、頼みごとをしたいんだが、いいかな」
兼平さんは睨むようにセト神を見つめる。
「それ、拒否権、ないんでしょ」
その言葉を聞くと、セト神はハハハハと笑い声を上げた。
「もちろんあるさ。拒否してもいいよ」
兼平さんはその返事に深々とため息をつく。
「それを拒否権ないっていうのよ。こっちが拒否したら、また砂嵐になるか、動物の群れに戻るか、でしょ。
いい。やるよ」
セト神はジャッカルの顔のため、よくわからないが、にやりと笑ったように思えた。
「なに、簡単なことさ。害虫駆除をやってもらいたいだけだ」
◇
兼平さんとナユタは砂漠を超えた場所にある洞窟に入っていた。当然ながら、スーパーカブと荷車は置いてきている。
「一応、念を押しておくけど、今回の獲物は大きな音が鳴ると溶けて消えてしまう。注意してね」
その言葉にナユタは頷く。そのまま、洞窟の奥へと進んでいった。
どれだけ進んだだろうか。洞窟の地図はセト神からもらっており、どうにか迷わず先へ進むことができた。
そして、ついてに洞窟の最奥のひとつに辿り着く。
兼平さんは腰に差した大振りの包丁――バルザイの偃月刀に手をかけ、後方にいるナユタに目配せした。それを受けて、ナユタは頷く。ナユタも自作の槍を手にしている。
二人が最奥へと進むと、果たして獲物はいた。
それは翼を持つ甲殻類だった。その闇の塊というべき、黒い生物は洞窟の壁を掘り進めている。ユッグゴトフより現れた菌生物、忌まわしきミ=ゴだ。
パッと兼平さんが飛び出す。静かに駆けると、ミ=ゴに近づき、瞬間的に翼を切り裂く。
翼を失ったミ=ゴは急に暴れ出し、狭い空間の中を飛び回った。そして、ナユタの存在を見つけ出すと、ナユタに向かって飛んでくる。
「う、うわぁっ!」
思わず、大きな声を上げた。しまった、そう思うが後悔はいつだって遅いものだ。
ミ=ゴの全身が光り、次の瞬間に喪失。そう思った。だが……。
ザンッ
ミ=ゴの首が堕ちていた。兼平さんのバルザイの偃月刀が一閃していたのだ。
「ナユタ、よく引き付けたね」
兼平さんとナユタはミ=ゴの死骸をロープでくくると、二人がかりで引っ張り、そのまま洞窟を引き返す。
同じルートを使い、どうにか地上に戻ることができた。
ゼーゼーと肩で息をするナユタに、兼平さんが言う。
「それじゃ、料理を始めましょ」
◇
ミ=ゴは菌生物であるが、動物でもある。その肉はキノコのような形状の部位もあれば、上等の牛肉のように旨味と野性味たっぷりな部位もあった。加えて、その血は酸味があり、旨味もたっぷりで、トマトのような味わいがある。
これは、ミ=ゴだけでさまざまな御馳走を作れそうだ。
兼平さんは甲殻を切り裂いて、ミ=ゴの肉を解体していく。まずは血を抜き、バケツの中へ流して溜めた。次いで、内臓を取り出し、肉を切り分け、食べやすい形状にカットしていく。
肉を切り終わると、ついでに玉ねぎを千切りにした。キノコのような感触の部位も千切りにする。
一方、ナユタは米を研ぐと、飯盒でご飯を炊いた。いつもの役割だ。
そして、竈門をつくり、鍋に火をかけると、油を敷く。
鍋で兼平さんのカットした肉を炒め、焼き色がつくと器に入れて、一時、置いておくことにした。
鍋に油を足し、玉ねぎを炒める。しっかり飴色になるまで炒めると、バター、小麦粉を加え、さらに炒めた。
そこにワインとローリエを加えてひと煮立ちさせる。キノコのようなミ=ゴ肉とミ=ゴの血をを加え、さらにミルクを入れた。このミルクは赤の国でイアラから貰い、ポーン製の冷蔵庫で冷やしておいたものだ。
本当はサワークリームやヨーグルトを入れたいところだが、それはない。そのまま、しばらく煮込んだ。
ご飯が炊けていた。器にご飯をよそい、さらにその上から煮込んでいたストロガノフをかけていく。
ビーフストロガノフが出来上がった。
◇
「ワインが余ってるから、飲もうか」
そう言って、兼平さんがコップに赤ワインを注いだ。
ナユタもそれを受け取る。
「ねえ、これって、どういうワインなの?」
何度かワインを飲んで、ナユタにもワインに対する興味が出てきていた。しかし、兼平さんは被りを振る。
「それは私もわからない。ワイン詳しくないから。でも、飲んで美味しかったら、いいワインなんだって」
そんなものかな。そう思いながらも、注がれた赤ワインを飲む。
渋くて、酸味が強い。でも、それが心地よく思うようになっていた。ほのかな甘さを感じるし、香りも芳醇で豊かなものに感じる。美味しいと思えた。
「これ、いいワインなのかもね」
そう言うと、同じように赤ワインを飲んでいた兼平さんが頷く。
赤ワインの味が残ったまま、ナユタはビーフストロガノフに手をつけ始めた。
まずは肉を食べる。牛肉のような極上の旨味、香ばしさ、抜群の質感が伝わってきた。上品な美味しさだった。食べやすく、それでいて重厚な味わいがある。
それが、トマトとミルクのソースの良質な美味さとともに押し寄せてくるのだ。ナユタは一口食べただけで幸せな気分になった。
なんといっても、ソースが美味しいのだ。トマトの甘みと酸味、それに旨味が、ミルクのまろやかさと合わさり、コクのある味わいを形作っている。ちょうど良い塩味に、肉、トマト、キノコ、ミルクの複合的な味わいが重なり、重層的な美味しさを生んでいた。
「これ、美味しいよ」
思わず、声に出ていた。それを聞いて、兼平さんもビーフストロガノフを食べながらも、ニコリと笑う。
肉だけではない。キノコも美味しい。コリコリした食感が嬉しいし、香りも抜群だった。トマトとミルクの旨味の複合をもっとも味わえる食材であると感じる。
玉ねぎもいい。しっかりとした旨味と甘み、シャキシャキした食感が合わさって、ストロガノフに彩を加えていると言っていい。
そして、忘れてはいけないのがご飯だ。もともと、ビーフストロガノフはロシアで生まれた料理だというが、日本人の心というべき白米とまったく喧嘩をしていない。白いご飯の度量の広さというべきかもしれないが、それだけでもない。
もともとロシアという地域はヨーロッパとアジアの中間地帯であるという側面もある。欧州的なシチューのような料理もあるし、中華に近い料理もある。ペリメニなんて餃子に近い。ピロシキはパンと中華饅が複合した食べ物といっていいだろう。
ビーフストロガノフにも和食と連なる美味しさがどこかにあるのだ。
そんなことを考えているうちに、いつの間にかビーフストロガノフを平らげてしまっていた。
ナユタはまだ食べ途中の兼平さんの様子を眺める。
そんな時だ。ジャッカルの遠吠えが聞こえた。
ナユタは警戒して、槍を手にする。
二人の前に現れたのは一匹の黒いジャッカルだった。
そのジャッカルはいつの間にか二本足で立ち、ファラオのごとき装飾を身に纏っている。その姿はセト神だ。
「ああ、気にしなくていい。礼を言いたいと思い、訪れたのだ。
お陰で目障りな虫を一匹退治できた。ありがとう」
兼平さんは怪訝そうな表情になり、セト神に問いかける。
「あのミ=ゴがいったい、なんだったの? たった一匹、迷い込んだだけじゃない」
その言葉を聞き、セト神は笑い声を上げた。
「ふふ、確かにたった一匹だ。だが、あれは私の領土を荒すための調査をする尖兵なのだよ。放っておくべきではないんだ」
一通り笑いきると、いつの間にかセト神は姿を消していた。
だが、その言葉にナユタは不穏なものを感じる。かつてあった、ノーデンスと闇に吠えるものの戦いのように、神々の戦いが起こるのだろうか。
あの時はかろうじて生き延びたが、次も同じように無事で済むだろうか。ナユタの心にはチクチクとした恐怖が残った。
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