第二十一夜 ゴーヤチャンプルー

 おばあちゃんの朝は早い。

 兼平かねひら沙織さおりはまどろみながらも、おばあちゃんが何をやっているのか、見届けようとする。


 水に浸された妖蛆ようしゅの卵すり鉢に入れ、細かく潰している。あれは昨日、採取してきたものだった。大地の妖蛆は蜥蜴とかげと人間を合わせたような外見をしているが、その本質は植物の特徴を備えた動物といってよい。

 そのせいか、妖蛆の卵には大豆のような特徴があった。タンパク質が豊富なのはもちろん、ビタミンやミネラルの含有量が多い。

 妖蛆の卵はつけ汁とも混ざり、次第に真っ白な液体のような姿に変わっていく。


 おばあちゃんは竈門に火を炊いた。鍋に白い液体を注ぎ、火にかける。焦げないようによく混ぜながら温める。

 新鮮な豆腐の香りが周囲に漂い始めた。うとうとしていたサオリも急激にお腹が減り、ぐぅとばかりにお腹の虫が鳴く。


 ザルに移し、液体豆乳固形物おからとに分けた。

 豆乳はさらに温め、ストックしていたにがりを加え、ゆっくりとかき混ぜる。豆乳が豆腐へと分離を始めていた。

 それをやはりザルに入れ、水抜きをしながら、豆腐が固まるのを待つ。


 サオリはその様子を眺めながら、いつの間にか眠ってしまっていた。

 目を覚ますと、味噌汁の匂いが立ち込めていた。その中には先ほど作っていた豆腐が入っている。

 白いご飯も炊けていた。干物にした深きものの肉が焼けており、浮き出た油がぱちぱちと音を立てている。


 ご機嫌な朝食だった。

 サオリが飛び起きると、横で寝ていたコウも目を覚ます。

 おばあちゃんはニコニコしながら、二人が朝ご飯を食べる様子を眺めていた。


          ◇


「けど、不思議よね」


 おばあちゃんが運転するスーパーカブに牽かれる荷車に揺られながら、コウが疑問を口に出す。


「私のおばあちゃんはもう60過ぎなの。萌詩きざしさんは10も離れていないはずだから、少なくとも50半ばか後半くらいのはずよ。でも、全然そんな風に見えない」


 確かに、おばあちゃんはまだ若々しく美しい。長旅でくたびれてはいるものの、その長い黒髪は僅かに白いものが混じるだけである。

 性格も棘が少なく、ほんわかした空気を纏い、お嬢さん育ちを思わせるおおらかさがあった。きびきびと仕事をし、年齢による衰えを感じさせることもない。

 いつもニコニコと笑みを欠かさないおばあちゃんの姿は、過酷な人間牧場での生活にあって、サオリとコウにとって救いであった。


「それは人間牧場だもの。時間の流れは現実世界とは違うの」


 サオリは得意げにコウに話した。とはいっても、それもおばあちゃんからの受け売りに過ぎない。

 彼女が実際にさまざまな経験を経て、それを実感を持って口にするのはまだ後の話である。


 そんな中、カブが止まった。おばあちゃんが声を上げる。


「ここで狩りをするね。何があるかわからないから、武器を構えておいて」


 おばあちゃんの言葉に従って、サオリはクロスボウに矢を装填し、コウはスリングショットに石を入れた。

 おばあちゃんは包丁を抜き身で腰に差し、やはりクロスボウを構えている。そのまま、道のわきにある草むらの中へ入っていった。


 緊張感が高まったまま、時間が流れる。特に何が起きるでもなかったが、遠くから音が聞こえた。何か争い合っているような音だったが、ヒュンという矢が空気を擦れる音とともにそれもやんだ。

 おばあちゃんが獲物を仕留めたのだろう。サオリとコウは安堵のため息を漏らした。


 そんな時だった。奇妙な色をした霧が周囲を覆い始める。

 その色をなんと表現したらいいだろうか。光によって認識される色は赤、緑、青の三色によって構成されるといわれる。その色が強くなるほどに白に近くなり、弱ければ無色、すなわち黒に近づくものだ。あるいは、三原色は青、赤、黄と言われ、その混合によって無限に色は表現されるだろう。

 その霧は奇妙な色をしていたが、光の色とも三原色とも異なる、今までに認識したことのない色であった。見ていると自分の感覚がくるっていくのを感じるが、しかし、目を背けるのも危険だと感じている。


 その這い寄る霧の不条理な色合いによって、コウは込み上げるものがあり、嘔吐した。サオリも理不尽な経験は多いが、自分の意識が狂い始めるのを感じている。

 そんな時、草の根を踏みつける音が鳴った。おばあちゃんが帰ってきたのだろうか。


「おばあちゃん、来ちゃ駄目……」


 サオリはどうにか声を上げる。

 だが、戻ってきたのはおばあちゃんだけではなかった。石炭を思わせる漆黒の肌をしており、黒いローブに、白い手袋。ナイ神父だ。


「おっと、これはいけませんね」


 ナイ神父は手袋をしたまま、パチンと指を鳴らす。すると、奇妙な色をした這い寄る霧は晴れていく。

 サオリもコウも意識が自分のもとに帰ってくるのを感じていた。


 おばあちゃんが言う。


「それじゃあ、料理を始めるよ」


          ◇


「今日狩ったのはザイクロトルよ。半植物性の巨人みたいなものだから、動物性のお肉と植物性のお肉が取れるの。で、この瘤みたいなのはゴーヤに似てるわね。

 お豆腐も作ったのがあるし、今日はゴーヤチャンプルーにしましょう」


 それを聞いて、サオリとコウは「やったー!」と大声を上げた。もっとも、サオリはゴーヤチャンプルーがどういうものか、あまりわかっていなかったけれど。


 おばあちゃんはザイクロトルの瘤を切り出すと、サオリに渡した。

 そして、ザイクロトルの本体に包丁を突き刺し、その肉を切り分けていく。


 サオリはゴーヤを半分に切ると、種の部分を匙で取り除いた。そして、輪切りにしていく。それに塩を振りかけ、水分が出ると、塩と水分を拭った。

 コウは豆腐を手でちぎり、一口大にしていった。そして、竈門が用意されると、鍋で豆腐を炒める。十分に火が通ると、豆腐は器に取り分けた。


 おばあちゃんの肉の切り分けが終わっていた。

 一部を細かく切り、一口サイズにすると、鍋に油を入れ、炒めていく。そこにサオリの切ったゴーヤも加えた。そこに保存しておいた深きもので採った出汁を入れて、さらに炒める。

 炒めている間、おばあちゃんは妖蛆の卵を割り、かき混ぜる。取り分けていた豆腐を鍋に戻すと、一緒に卵も回しかけていく。そこに塩と醤油で味付けしていった。

 しっかり火が通ると、出来上がりだ。


「これがチャンプルー……」


 サオリは出来上がった料理に目を光らせていた。


          ◇


「料理が出来上がったようですね」


 いつの間にかナイ神父が来ていた。缶ビールを手に持っている。


「これは沖縄のビールですよ。チャンプルーにはこれだと思いましてね」


 そう言って、おばあちゃん、サオリ、コウに缶ビールを渡していく。その缶にはオリオンビールと書かれていた。


「ちょっとぉ、まだ、サオリもコウも飲めないでしょ」


 おばあちゃんは咎めたが、サオリとコウは抵抗した。


「もう、お酒飲める年齢だと思うよ。飲んでいいでしょ、おばあちゃん」


萌詩きざしさん、私、元居た世界だともう飲めてたよ」


 それを聞き、おばあちゃんはサオリを眺め、目を細める。


「そうなのねぇ。いつの間にか、大きくなっていたのね。海乃瑠みのるちゃんとお別れして、もうそんなに経っていたのかしら。

 人間牧場の時間はよくわからないわ」


 それは許可を意味する言葉だった。

 サオリは大喜びで、缶ビールを開け、一息に飲む。


 オリオンビール。沖縄のビール。

 よく知らない地名ではあるが、海の綺麗な温暖な土地だということは聞いている。そんな雄大な土地ならではの爽やかな味わいなのだろう。


「苦っ」


 始めて飲んだビールは苦いばかりで味がよくわからなかった。それでも、飲んでいると次第に楽しくなっている感覚はあった。それが心地よくて、サオリはビールを飲み進めていく。


「あらあら、そんなに一気に飲んだらダメよ」


 ほわほわした気分のまま、おばあちゃんのそんな声が聞こえる。

 そうだ、ゴーヤチャンプルーを食べよう。サオリは料理に向かい合った。


 まずはゴーヤを食べる。苦い。でも、それこそが美味しいと感じる。苦いから食べたい。そんな感覚があり、それでいてほのかな甘さも感じられる。

 豆腐はふわふわで、熱い。深きものの出汁もあり、味付けがしっかりしている。その味わいと豆腐独特の香り、それが相まって上品な食べ物のように思えた。

 肉は細かく切られているが、香ばしく焼き上げられていた。噛みしめるごとに旨味が伝わってくるようだ。

 卵も忘れてはいけない。柔らかくて、まろやかで、チャンプルーの味をまとめ上げているような印象もあった。


 それらをまとめて食べる。これこそがチャンプルーの美味しさだろう。

 苦くてうまくて柔らかで熱い。それが混然一体となって、食欲を刺激する。サオリは夢中になって食べ、そしてオリオンビールを飲んだ。

 自分が大人になって最初の食事だ。そんな風に思っていた。


「随分とお酒を気に入っちゃったのね」


 おばあちゃんもまだゴーヤチャンプルーを食べていたが、サオリの様子を見て呆れたような言葉を口にする。


「そうねぇ。私のお兄さん、あなたの大伯父さんに当たる人かしら。

 その人もお酒が大好きでね、でも、若くして亡くなってしまったのよ。阿僧祇あそうぎちゃんって言ったかな。お兄さんの娘だけが一人取り残されてしまったのよ。弥恵やえちゃんが引き取って育ててたけど。

 サオリ、あなたも気をつけないと、大変なことになるのよ」

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