第二十話 アマトリチャーナ

「Ekki væri við hæfi að fylgja konum á ferðum sínum. Ég meina, ég hef enga leið til að komast á milli staða. Það væri gagnlegt ef þú gætir farið með mig eitthvert til að róa mig niður.」


 あおい瞳をしたハウイー巡査が何事かを話していた。改めてその姿を眺めると、中肉中背でどこかの国の警察官の服装をしている。年齢は二十代中頃だろうか。ナユタはなんとなくそう予想したが、白人の年齢の判定基準なんて持ってはいない。ハウイー巡査はすでに落ち着いた様子で、兼平さんとナユタに語り掛けていた。

 ナユタの疑問に答えようとしてくれているのだろうか。しかし、ナユタにはハウイー巡査の言葉がわからない。


「Svo, við skulum gera það.

 ナユタ、ハウイー巡査とはどこか落ち着ける場所まで送り届けたら、お別れよ」


 兼平さんが翻訳してくれる。その言葉を聞いて、ナユタはどこか安心した気持ちになった。


「Já, ég vil þakka þér fyrir. Ég kann að búa til osta, svo ég ætla að prófa að búa til ost, en hvernig?」


 ハウイー巡査が何事かを言うと、兼平さんの顔がパっと明るくなった。

 ナユタが何事かと訝しがるが、すぐに翻訳してくれる。


「Hamingjusamur! Gerðu það.

 チーズ作ってくれるって!」


 チーズ! 人間牧場に来てから食べたことのないものだった。

 それで何が作れるだろう。ピザかな、グラタンかな。お肉に乗せても美味しいし、シンプルにチーズだけ食べるのもいい。

 ナユタは兼平さんと同じようにパっと明るい表情になっていた。


「じゃあ、早速だけど、料理を始めましょ」


          ◇


 兼平さんは大ぶりの包丁――バルザイの偃月刀えんげつとうを取り出していた。そして、ハウイー巡査が羊の乳を搾り切ると、羊の首を一撃で切断する。

 そうして血抜きをすると、羊の腹を掻っ捌き、内臓を取り出し、部位ごとに肉を切り分けていく。ハウイー巡査はそのうちの胃袋を持っていった。ギアラと呼ばれる第四の胃だ。

 兼平さんは肉を水で入念に洗うと、塩と砂糖を混ぜ、ハーブを浮かべたソミュール液に浸す。塩漬けにして、袋に入れて入念に縛った。


 一方、ハウイー巡査はお湯を沸かすと、密封したギアラに注いでいく。これはギアラにあるという、レンネットを取り出しているのだろう。

 続いて、羊のミルクも温めると、レモン汁を垂らした。さらに、ギアラ袋から取れた液状のレンネットを鍋に加えた。次第にミルクが固まっていく。チーズになりかかっているのだ。

 ハウイー巡査はなりかけのチーズに切れ込みを入れると、さらに火にかけ、ぬるめの温度を保った。やがて固形化したミルクと水分が分離を始めると、水分を丁寧に抜いた。


 ナユタは率先してやることはなかったので、竈門を作ったり、羊の解体の手伝いをしたりと、裏方に徹していた。


 すぐにやれることは終わったので、三人はこの場を離れることにする。塩漬けにした肉の袋とできかけのチーズを入れた鍋を荷台に起き、その荷台のスペースにはハウイー巡査が乗った。


「Ég fór fyrr á bak við Saori vegna neyðarrýmingarinnar en það var ekki of nálægt körlum og konum. Ég á unnusta.」


 何やらハウイー巡査の配慮らしかった。

 自然、ナユタはスーパーカブの後部座席に乗り、兼平さんと密着しながら、今日の残りの道のりを進むことになる。


          ◇


 朝になった。ナユタが目を覚ますと、兼平さんもハウイー巡査もすでに起きていた。

 ハウイー巡査は何事かを言い、随分と遠い場所を寝床にしていたようだ。

 三人は鶏肉と玉ねぎを炒めて小麦粉をまぶした簡単な朝食をとると、作業を開始した。


 兼平さんは塩漬け肉のいくつかを取り出すと、近くの川に持っていき、川の中に浸して、塩抜きをする。

 塩抜きをしている間に、木を削る。兼平さんやナユタ、それにハウイー巡査はウィッカーマンの檻に使われていた木片をいつの間にか持ってきていたのだ。それを削り、ウッドチップにしていく。

 竈門に火を炊き、鍋で湯を沸かす。塩抜きした肉をその湯でしっかりと茹でていった。


 ナユタはというと、ボウルに小麦粉を注いでいた。そこに、塩、油を加え、卵を割り入れていく。卵はナユタの戦友でもあり、クリームシチューや朝飯になったニワトリが産んだものだった。

 材料を混ぜ合わせ、次第にそれは生地というべき形状に変わっていく。そこに、さらに小麦粉を振って、生地をこねていった。

 柔らかくなるまで捏ね上げると、袋で密閉して、寝かせることにする。


 ハウイー巡査はチーズの入った鍋を取り出す。すでにチーズは発酵していた。

 もう一つの鍋に湯を沸かすと、湯の中にチーズを入れ、湯の中で延ばしていく。それを何度も繰り返しているうちに、チーズに粘りが出てきた。それを固めると、チーズとしてイメージされる円形になった。


 兼平さんは茹で上がった一部の肉を干すと、残りの肉を燻製にし始めた。

 鍋の底に着火した炭を入れ、さらにウィッカーマンであったウッドチップを加える。その上に金網を配置し、その上に肉を置いていき、蓋を閉めた。

 それをさらに竈門に乗せて、火にくべる。ウッドチップの香りが周囲に充満していった。


 ナユタは生地にさらに小麦粉を振って、くっつかないようにする。それを何度か折り曲げると、包丁で切っていく。スパゲティと呼ぶには太くて、不格好だが、麺にはなっていた。

 鍋に湯を溜めて、スパゲティを茹でる。


 ハウイー巡査はトマトの皮を剥き、玉ねぎをみじん切りにする。唐辛子は種を取り除いて、輪切りにした。

 兼平さんが燻製したベーコンを一口大に刻み、それを油を敷いた鍋で炒める。さらに、玉ねぎ、唐辛子を加えて、水とともにトマトを入れた。トマトは炒めながらも潰していく。

 次第にソースとしてまとまったものになっていき、煮詰まってくる。塩と胡椒で味を調えた。


 スパゲティが茹で上がり、ナユタはさらに取り分けていく。その上にハウイー巡査がチーズを乗せ、兼平さんがトマトとベーコンのソースをかけた。チーズはソースの熱によってドロリと溶けていく。それが均一に混ざるようにあえていった。


 アマトリチャーナが出来上がった。チーズの特徴的でまろやかな香り、ベーコンの香ばしさ、トマトの甘酸っぱい香りが混ざり合い、実に食欲をそそるものとなっている。

 三人のお腹の音がぐうと重なり合ったように思えた。


          ◇


 兼平さんがワインを注いでくれた。ピンク色のロゼといわれるワインらしい。

 見た目が爽やかで、一仕事終えた気分のナユタたちを労ってくれているようだ。

 一口含むと、フルーティな味わいが広がっていく。酸っぱさやほんのりとした甘さを感じるが、さっぱりとしていて疲れが吹っ飛ぶかのようだった。


 とはいえ、お腹がすいている。ナユタはアマトリチャーナに手をつけ始めた。

 心配事としては麺が美味しいかどうかだ。ラーメンを作った時もそうだったが、初めて打った面が上手くいっている保障なんてない。ナユタは恐る恐るスパゲティを口に入れ、頬張る。柔らかく、それでいて歯ごたえがしっかりあった。平べったい形状は意外に食べやすい。つるつるした舌触りが心地よく、噛みしめると麦の味が伝わってくる。

 美味しい。それは自分が作ったという欲目もあるのかもしれない。それでも、ナユタは自分の作ったスパゲティを美味しいと感じていた。


「ナユタの打ったスパゲティ美味しいよ」

「Nayuta, skjóttu góðar núðlur.」


 兼平さんとハウイー巡査もニコニコしながら、スパゲティを食べている。そのことがナユタを何より嬉しい気分にさせてくれた。

 そんなテンションの上がり切った状態でアマトリチャーナのソースを味わい始める。


 まず、トマトの豊かな風味がガツンと伝わってくる。言うまでもなくトマトは美味い。旨味の塊だ。その旨味が甘酸っぱさ、柑橘系を思わせる風味と組み合わさり、濃厚な味わいを生み出している。

 玉ねぎのシャキシャキ感も残っていながら、ソースの中で溶け合っているようで、トマトの旨味と甘さ、玉ねぎの旨味と甘さが混ざり合い、極上のソースを構成している。

 ピリッとした唐辛子の辛さもいいエッセンスだ。


 刻まれたベーコンも実に味わい深い。噛みしめると、羊の臭みが感じられるが、野趣味によって味わえる強烈な肉の旨味と合わさって、肉を食べているという実感がある。つまり美味い。

 チーズの匂いも非常に食欲をかきたてる。チーズが口の中で伸び、とろりとした食感とともにその旨味と塩味がスパゲティの味を強く引き立てていた。


 これらが合わさり、アマトリチャーナのパスタソースである。

 トマトとチーズの融合、その得も言われる美味しさ。だが、それだけではない。スパゲティのもちもちした食感が、ベーコンの野性味のある旨味が、玉ねぎのシャキッとした食感が、時にそれをサポートして、時に主役となり、アマトリチャーナというスパゲティを極上の料理としているのだ。

 それはまさに舞台だった。複合芸術だった。ナユタはうっとりしながら食べ続けた。


 だからだろうか。ナユタも、ほかの二人も、それが近づいていることにまるで気づけない。

 それは動物のような姿をしていた。地球の哺乳動物に近い姿をしている。決定的に違うのは、皮がすべて剥ぎ取られ、血のにじむ素肌をさらしていることだった。それは皮膚なきものと呼ぶべきだろう。


 皮膚なきものはナユタたちに近づくと言葉を発した。実際には言葉は発してはいなかったのかもしれない。だが、ナユタには言葉が聞こえたかのように思えた。


――お前たちの願いを叶えよう。


 テレパシーだったのだろうか。耳元で何者かがささやいたようにも、頭の中に直接語りかけられたかのようにも感じた。

 この時、ナユタたちは何を思ったのだろうか。何を願ってしまったのだろうか。

 次の瞬間、周囲に黒い歪みのようなものが出現する。歪みはハウイー巡査を飲み込み、そして、姿を消した。


「え、あ、あれ、えー……」


 ナユタは呆然としてそれ以上を口にできない。


「死んだ……。いや、消えたのかも」


 兼平さんがそんなことを言う。

 ハウイー巡査は死んだのだろうか。あるいは元の世界に帰れたのだろうか。

 どれだけナユタが考えても、真実が何かなどわかるはずもなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る