第十九話 クリームシチュー
人間牧場の気象というものはよくわからない。
つい先日までは灼熱のような猛暑だったのに、今では肌寒い、どころではなく空気の張りつめた真冬のような寒さだ。
兼平さんの運転するスーパーカブは緑の野が広がる高原を走る。カブの牽く荷車に乗りながら、ナユタは寒さに耐えつつガタガタと震えていた。
そんな中、妙に人だかりの多い場所が見えてきた。
「あら、思ったよりも人が集まっているのね。誰かが広めたのかしら」
兼平さんがそんなことを言う。ナユタとしてはそれを意外というか唐突に思った。
「えっ? これってどういうあつまりなの? 聞いてないんだけど」
思わず、素直な質問が口から飛び出る。
「あ、言ってなかったっけ? 定期的にこの場所にウィッカーマンが出るの。みんな、それを狙っているんでしょうね」
兼平さんはそう答えたが、それだけではナユタはよくわからなかった。
「ウィッカーマンって何?」
ナユタの知らない言葉だった。
兼平さんはそれに意外なような顔をし、やがて、納得したように返事をした。
「ウィッカーマンは、ナユタ、あなたたちのいた世界から来るものよ。知らないのかな。
ウィッカーマンは柵なの。その柵の中に農作物や動物を入れて炎で燃やすの。それが神への捧げ物になるんだって。燃やされたウィッカーマンはこっちに来るみたい。
だから、それを手に入れられれば向こうの世界の作物が手に入るわけ。そんなのみんな欲しいよね」
そんなものの存在はナユタは知らなかった。
でも、向こうの世界の作物が手に入るのなら、こんなに嬉しいことはない。
ナユタはウキウキとした気分になった。
「ウィッカーマンは知らないけど、それはいいね。お祭りになるわけだ」
何の気なしに発言したナユタに対して、兼平さんは表情を曇らせる。
「これは争奪戦よ。これだけ参加者が溢れてる。ウィッカーマンを捕らえられなければ、何も得られない。この辺りには狩れるものが少ないから、飢え死にするかもしれない」
ナユタは高原の何もない景色を思い起こす。確かに、何も得られずに戻ったのでは悲惨な未来が残っているだろう。
だが、そうだとすると、この高原に集まっている人々の多くに悲惨な運命が待っていることになる。それを話すと、兼平さんはなぜか笑顔を見せた。それは笑顔ではあったが、どこか諦観と自嘲を含むものに思える。
「それはそう。今日、はしゃいでいる人たちのうち、何割かは死ぬ。ウィッカーマンの恩恵を受けた人のおこぼれがあったのかもしれないし、その話を聞いただけかもしれない。期待して来たんでしょうけど、これはそんな生易しいものにならない。
私たちも勝負なのよ。獲物を得ても奪い取られるかもしれない。気をつけてね」
いつになく饒舌だった。兼平さんも緊張しているのかもしれない。その緊迫感にナユタは黙るしかなかった。
◇
それは陽炎のように、ゆらめきとともに現れた。あるいは、炎に燃やされる様を逆再生しているかのようでもある。不思議な光景だった。
徐々に形になっていく。それは木製の巨大な人形だった。人形であり容れ物だ。木の檻でできた人形の中に、さまざまな動物や農作物が収納されている。
人形は姿を現すと、ワシワシと歩き始めた。
――ワアァァァァァァ
人々の歓声が湧き立った。彼らは出現したウィッカーマンに向かって走り始める。
ウィッカーマンはそれに反応すると、拳を振り上げ、向かってくる人々を殴りつけた。巨体とは思えないほどに速い。
ドガァッ
目ざとく、最初に駆けだした者たちを
そのうちの一人が兼平さんだ。兼平さんは鉤付きのロープ抱えており、ビュンビュンと回転させて、投げた。そのロープを伝い、兼平さんはウィッカーマンの身体を登っていく。
一方、別の男がウィッカーマンの足元に爆弾を設置した。
ドゴーンと派手な音が鳴り、ウィッカーマンの足が弾け飛び、そのまま崩れ落ちる。
「愚かね」
兼平さんはぼそりと呟きつつ、ウィッカーマンの首にしがみついて、落下の衝撃に備える。
ドーンと音を立てて、ウィッカーマンは地に伏した。周囲で様子を見ていた人々も、「ワァァー」と歓声を上げ、倒れたウィッカーマンに群がっていく。
人々がウィッカーマンに纏わりつき、檻を引っぺがして、その中の動物や作物を抱え込んでいった。奪い合いが始まる。
兼平さんも腰に下げていた
「Hvar er þessi staður? Engan veginn helvíti? Hvert ertu?」
背後から声が聞こえた。物陰に隠れていた何者かが兼平さんの背後に立つ。彼女の首筋には冷たい金属製の何かが突き付けられていた。拳銃だろう。
「Ég er að flýta mér núna. Nú þarf ég hverja mínútu og hverja sekúndu. Ef þú hefur áhyggjur, geturðu þá fylgt mér?」
兼平さんはその声の言語で言葉を返し、拳銃の脅しも気にせずに駆け始める。
一方、ナユタはというと、ウィッカーマンに群がる人々の中に入ることもできず、その様子を眺めることしかできなかった。兼平さんの様子も見てはいるが、とても、その場所まで到達できそうにない。
手をこまねいていると、空から何かが降ってきた。いや、飛んできたのだ。
バササ、バササササ
それはニワトリだった。誰かが捕まえたものの、逃がしてしまったのだろう。
ニワトリはナユタに向かって飛んできて、自然にその腕の中に抱き留められた。その様子に気づいた周囲の人々は、目の色を変えて、ニワトリを奪おうと、ナユタに迫ってきた。
ナユタは意を決し、ニワトリの足を掴むと、ニワトリを振り回した。
コケーッ、コッコッコッコ
ニワトリを振り回すたびにニワトリが鳴く。その
次第に、ナユタに近づけるものは少なくなり、大勢の人々が遠巻きに彼を眺める。
それを見極めると、ナユタは駆けだした。追ってくるものはニワトリで叩き、先を急ぐ。目指すのは兼平さんのいる場所だ。
「ナユタ!」
兼平さんの声が聞こえる。兼平さんも走っており、その向かう先はスーパーカブのある場所だ。
だが、彼女を追っているのか、近くに警察官のような男がいた。日本人ではなく、白人のようだったが、拳銃を持っていることがわかる。
敵か。ナユタはそう判断し、ニワトリを振りかぶると、渾身の力で投擲した。
コッコッコッコッコォォォ
ニワトリが嘴を白人警官に向かって飛んでいく。翼が広がっており、ナユタの力以上に飛距離が伸び、スピードが乗っていた。
だが、そのニワトリに警官が拳銃で狙う。
バンッ
ニワトリは地に落ちた。そのニワトリを迅速に警官が回収する。
ナユタは呆然とし、走るスピードが緩やかになっていた。
「ナユタ、何やってるの? 早く乗って」
兼平さんはスーパーカブに乗り込み、警官もその後部座席に跨っていた。ナユタがいつも載っている、荷台のスペースは空いている。ただ、羊が大きなスペースを占めてはいるが。
え? そこに乗るの?
ナユタは警官に対して、苛立ちとも嫉妬とも取れない複雑な感情を抱いていた。だが、背後からは獲物を狙う人々が迫っている。ナユタは急ぎ、荷車に乗り込んだ。
「その人、何なの?」
カブが走りだすと、ナユタは不信感を隠せないまま、この言葉を口にした。
「Ég er Liðþjálfi Howee. Ég gat ekki kyngt aðstæðum en hún hjálpaði mér. Mér þykir leitt að hafa skotið skyndilega.」
警官の言葉はまるで理解できない。英語でもないようだ。
「ウィッカーマンに閉じ込められて、一緒にこの世界に来たみたい。ハウイー巡査だって。とりあえず、ご飯くらいは食べさせてあげましょ」
しばらくカブは走り続ける。そろそろ、ウィッカーマンに群がる人々は撒けただろうかというところで、兼平さんはカブを停車させた。
「じゃあ、料理を始めましょ」
◇
兼平さんはニワトリの首を
湯が沸騰すると、その鍋の中にニワトリを突っ込む。そうして、関節が硬直してくると、羽根を抜き始めた。丁寧に一本一本しっかりと抜いていくのだが、しばらくすると、白人の警官ことハウイー巡査にその作業を引き継ぐ。
ナユタは野菜を一口サイズに切っていった。
今回は、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリー、カリフラワーだ。兼平さんがウィッカーマンの頭部に収められたものを取ってきたもので、邪神が姿を変えていたものでもなければ、代用品でもない。正真正銘の野菜だった。
それをもう一つの竈門で鍋にかけ、油を敷いて炒めていく。そこに、水、白ワイン、それにローリエを入れて煮込み始めた。
兼平さんは竈門で羽根を抜いたニワトリを炙り、産毛を綺麗に取り除く。
それを包丁で各部位ごとに切り分け、今回はもも肉を取り出すと、一口大に切り分けていった。肉は小麦粉をまぶすと、鍋に入れて焼く。
焼き色が付くと、ナユタが煮込んでいた鍋に合流させた。
鍋に油を敷きなおすと、加熱しながら、小麦粉を入れて油と混ぜ合わせた。
その間にハウイー巡査は羊から乳を搾っていた。そのミルクを受け取ると、少しずつ小麦と油のソースの中に混ぜていく。それを丁寧にかき混ぜていった。
ホワイトソースの見た目になってくる。塩と胡椒で味を調えると、ナユタの煮込んでいる鍋の中に入れ、味をなじませていった。
クリーミーないい香りが漂う。クリームシチューが出来上がった。
◇
今日の戦利品の中に、ジンがあった。ビーフィータージンのストロベリーフレーバーという変わり種のお酒だ。
兼平さんは平賀源内と取引して手に入れていた炭酸水を取り出し、それにレモンと砂糖を混ぜ合わせ、それをジンと割った。
「ストロベリージントニックといったところね」
それをナユタやハウイー巡査にも渡した。
カクテルというやつだろうか。ナユタはあまり飲んだことがないと思いつつ、口にしてみた。
透き通った味わいだった。甘さと酸っぱさが心地よく、イチゴの甘酸っぱい香りとよく合っている。それでいて、その奥にジンのヒリリとしたドライな味わいが待っているのだ。
「これ美味しい」
ナユタが思わず、そう口に出すと、兼平さんもハウイー巡査もにっこりと笑っていた。美味しいお酒を飲むと、笑わずにはいられないのだなと思った。
ただ、肌寒い。飲み物ばかり飲んでいる場合ではないだろう。
クリームシチューを食べよう。
ナユタは匙を皿に突っ込み、クリームシチューを掬うと口に運んだ。温かい。温かく、まろやかだ。
ミルクのまろやかさが前面に来るが、その奥には豊かな旨味が広がった。香りが豊かで、塩気がちょうどよく、どこか甘さも感じる。
温かいスープが体に染み込んだ。温かいスープはなんと優しいんだろう。
野菜を食べていく。
ニンジンは甘く、リアリティがあった。ハッとするほどの爽やかさがある。
ブロッコリーはなんと豊かなのだろう。旨味の塊といっていい。葉も茎も重厚で美味しいというほかないだろう。
カリフラワーはブロッコリーと似ているが、まったく違う。歯ごたえがしっかりしていて、より爽やかな旨味がある。噛みしめるごとに感情がリフレッシュされるような不思議な味わいがある。
そして、ジャガイモ。ホクホクだ。土の匂いが感じられ、確かな味わいがある。このジャガイモがあって、シチューは完成するのだ。
鶏肉を食べる。ジューシーな肉の旨さが口いっぱいに広がった。
確かな満足感があった。これは群衆とともに戦った戦友というべきニワトリだったのだ。だからこそ、しっかり味合わなくてはいけない。そう感じた。
気づくと、兼平さんもハウイー巡査も美味しそうにシチューを食べている。
「ハウイー巡査ってどこから来たの?」
一心地ついたナユタはハウイー巡査に尋ねた。
「Ég er frá Íslandi. Hann var gripinn af hópi drúída og fastur í Wickerman. Áður en ég vissi af var ég hér.」
何を言っているのかわからない。英語でもないし、ナユタの知識ではわからない言葉だった。
それを察したのか、兼平さんが説明してくれる。
「ハウイー巡査はちょうど人間牧場に来たばかりなのよ。ウィッカーマンに閉じ込められて、燃やされて、それで人間牧場に来たみたい。
Þú hefur ekki annan kost en að búa á mannlegum búgarði héðan í frá. Það er synd.」
半分わからなかったが、ハウイー巡査の悲惨さもわかる。人間牧場に来たばかりのナユタと一緒なのだ。
ただ、気にかかる。
「これから、ハウイー巡査と一緒に旅をするの?」
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