第十七話 ウナギのゼリー寄せ
それは不思議な男だった。
浅黒い肌を持つ普通の人間に見えたのだが、一点、明らかに人間とは異なる点があった。その左足が黒曜石でできた鏡になっており、その鏡からは煙が吐き出されていた。
男はその煙を吸いながら、どこか酩酊したかのような表情でいる。
「ナユタ、コウ、煙は吸わないで。依存させられるから」
兼平さんがナユタたちに忠告した。それを聞き、男は心外だとでも言うように、口を開く。
「それは誤解さ。私は人々を幸せにするために煙を出しているに過ぎない。感謝こそすれ、そんな言葉を浴びせられるのはおかしなことだよ」
男は煙を吸い、ラリったような表情で言う。
「どうだか。テスカトリポカ、あなたの力は知っている。でも、この子たちは巻き込まないで」
兼平さんの言葉に、テスカトリポカは細い目を少しだけ開く。
「そんなことはしないよ。だけどね、この近くにイグの縄張りができたんだ。君たちはそれに興味あるんじゃないのかな」
それは狩場の情報だった。
少し前に大所帯と一緒に行動し、そのために食材のほとんどを失ってしまったナユタたちにとっては願ってもない情報である。しかし、兼平さんは怪訝な表情をした。
「あなたの言葉、疑わしい。イグは蛇の邪神。その毒も恐ろしいものよ。今は先に進むことにする」
それに対し、コウが反論した。
「サオリ、正気かよ。もう食料は残り少ないんだよ。
狩りのチャンスは逃すことないって! なあ、ナユタ!」
急に振られてナユタは混乱する。ただ、ドギマギとしながら頷くことしかできなかった。その様子を見て、兼平さんはため息をつく。そして、苦笑いしながら、言葉を発した。
「テスカトリポカの言葉は実現する。抵抗しても無駄だったみたいね」
◇
イグの生息地は川べりであった。炎天下の中、川原は涼しいが、それ以上に危険が大きいし、イグの仔らの捕獲は難しい。
その川の中にイグの仔たちが現れてはナユタたちに襲い掛かるが、こちらが明確に殺意を見せると、瞬く間に消えてしまうのだ。捕獲は簡単なことではなかった。
ナユタたちが捕まえたのは不意をついた最初の一匹だけで、その後は逃げられてばかりだ。
「油断しないでよ。あいつらに一回でも噛まれたらお陀仏だから」
兼平さんが注意を促すように言葉を発する。
だが、ナユタとコウはその言葉に深い恐怖を受け付けられる思いだった。しかし、兼平さんに今回の狩りを促したのは二人なのだ。否定的な言葉は言いづらかった。
「ナユタ、囮になれる? コウ、ナユタを守ってあげて。私はイグの落とし仔をクロスボウで狙う」
また囮か。ナユタは少しげんなりとするが、それが自分にとって最適な役割であることは理解している。槍を構えつつ、川の中に片足を突っ込んだ。
コウはナイフを手にして、周囲を経過している。腰にはスリングがかけられており、それにはすでに石が装填されていた。いつでも投石する準備もできている。
そして、兼平さんはクロスボウを川に向けており、出現するイグの仔らに備えていた。
バシャァッ
水が飛沫を上げ、イグの落とし仔が出現する。目のない
「うわぁっ」とナユタは悲鳴を上げつつ、槍を突き出す。だが、イグの落とし仔は螺旋状に体をうねらせて、槍を伝って這い寄ってきた。
コウがナユタの手をひっぱたいて、槍を落とさせ、そのままナユタの身体を引っ張る。川岸に引き上げられるが、なおもイグの落とし仔はナユタに襲い掛かる。
ドンッドンッ
クロスボウの連射がイグの落とし仔の身体を貫いた。「キシャァァ」と雄たけびを上げ、イグの落とし仔は苦しむようにのたうち回る。
ナユタはその様子を見て、「ふぅ」と一息ついた。これで一安心だ。ひとまず、一匹のイグの落とし仔を狩り取ることができる。
しかし、それは完全に油断だった。イグの落とし仔にはまだ息があり、最後の力を振り絞って、ナユタに噛みついてくる。
「危ない!」
ナユタの身体が引かれ、その場に兼平さんが飛び出してきた。
ガブリと、イグの仔によって兼平さんの腕が噛みつかれる。患部が瞬く間に紫色になり、兼平さんはふらぁっと倒れ込んだ。
コウはナイフを手にしてイグの仔に近づき、さっとその首を落とした。イグの落とし仔はしばらくのたうっていたが、やがて動かなくなる。
「そんな兼平さんが……」
ナユタは後悔していた。なぜ自分は簡単に油断してしまったのだろうか。それに、兼平さんの言うことも聞かず、コウに同調して今回の狩りを始めるように促したのも自分だった。反対していれば、こんなことにはならなかったはずだ。
だが、後悔なんてしてもどうしようもない。兼平さんを救い出す方法を考えなくては……。
ナユタは兼平さんに駆け寄った。
「あらら、噛まれてしまったんだ」
背後から声が聞こえた。浅黒い肌の男――テスカトリポカだ。
テスカトリポカは黒曜石の鏡でできた左足から、モクモクと煙を吐き出している。ナユタとコウは息をしないように注意し、口元を手で覆った。
「イグの毒を解毒するには血清が必要だ。君たちの捕獲したイグを血抜きしないで食べさせるといいよ。
ただ、そのままだと食べにくいね。然るべき調理が必要だろう」
兼平さんの様子を見ると、紫色だった患部は赤黒く変色している。顔色も赤い。危険な状態なのだろうか。
だが、テスカトリポカの言葉によれば、イグの血清を食べさせれば、兼平さんは助かるはずだ。兼平さんも、テスカトリポカの言葉は実現すると言っていた。今は信じるしかない。
ナユタは不安な気持ちを抑えきれないまま、言った。
「料理を始めなきゃ」
◇
「でもさ、血抜きしないで料理なんてできるのかな。食べにくかったら、この状態のサオリが食べられそうにないし」
コウが疑問を口にした。確かにそれはナユタも思っていたことだ。
「蒲焼きにするには血を抜かないといけないし。うーん、そのままゼリーにするとか……」
ナユタが考えがまとまらないままに、言葉にする。すると、コウは思い出したように大きな声を出した。
「ゼリー? 確かにウナギのゼリー寄せって聞いたことある。
そうだ、私がチクタクマンの中から持ってきた粉の中にゼラチン粉があったはずだよ」
いつの間にウナギのゼリー寄せを作るということで決まってしまう。
「でも、それって……」
ナユタは口に出しかけたが、やめる。迷っている時間はなさそうだった。
やるしかない。そう思い、準備を始める。
ボウルに水を汲んできて、ゼラチン粉を溶かした。かき混ぜて均等に溶けるようにする。イグの落とし仔はざっくりとぶつ切りにし、血液がなくならないように注意し、骨と内臓を取り除いた。
コウは竈門を作っていた。そこに鍋を乗せ、湯を沸かすと、醤油やみりんで味付けする。そこにぶつ切りにしたイグの仔を入れ、火を通した。しっかり火が通ったタイミングでイグの仔を取り出し、大きめの器に並べていく。
溶かしたゼラチンと味付けした煮汁を合わせると、それを器の上に並べたイグの仔の上にかけていった。
器は密閉し、川の流れの中で冷やす。
その間、イグの仔らが現れないか警戒していたが、なぜか現れる気配はなかった。
◇
ゼリー寄せが固まっていた。上手くできているのだろうか。
ナユタは小さめの器に移し、味見してみることにした。
スプーンで掬うと、プルンとした感触が伝わってくる。醤油やみりんが入っているということもあるが、茶色のゼリーであり、その中にウナギのような見た目のイグの仔が切り身になって浮かんでいた。単純に見た目はあまりよろしくない。
ナユタは意を決して口の中に入れる。意外と悪くない。いや、美味しいと言ってよかった。
ツルンとした食感と冷たさは、炎天下の暑さの中で、まさに一服の清涼感となる。一瞬だけではあるが全身が冷えていくような感覚があった。
魚介の豊かな風味は食欲を掻き立てるもので、それはまさにウナギの味わいと言っていいものだ。柔らかく、弾力のある歯触り、舌触りとともに、その風味と満足感がナユタの腹の中を満たしていく。
これはまごうことなきウナギ料理であり、どこに出しても恥ずかしくない高級品と言ってよい。
「いいじゃん。これ、美味しいよ」
同じように味見をしていたコウも感嘆の声を上げた。
よし、問題ない。兼平さんに食べさせてあげよう。
ナユタはイグの肉を多めに取り、ウナギのゼリー寄せを兼平さんの口元に運ぶ。そして、口を開けさせて、口の中に突っ込んだ。
自然とウナギのゼリー寄せは飲み込まれ、喉を通っていく。それを何度か繰り返した。
次第に、兼平さんの顔色が赤黒いものから、血色のいい桜色に変わっていく。
「よかったぁー。元気になってきてるよね。大丈夫だよね」
コウが安堵の声を上げていた。ナユタも張りつめていたものが解けていくような感覚がある。
良かった。兼平さんは助かるんだ。
しばらくして、兼平さんが目を覚ました。
見た目だけなら、いつもの体調を取り戻したように見える。
「あれ、私、どうなってたの?」
ナユタとコウが説明する。イグの落とし仔が兼平さんに噛みついたこと、兼平さんが毒にかかり意識を失ったこと、テスカトリポカから血清を食べさせることで解毒できると聞いたこと、それを兼平さんに話した。
「あなたたちが助けてくれたのね。ありがとう。迷惑かけてごめん」とボソリと礼と謝罪の言葉を口にする。だが、やがて眉間に皺を寄せ、訝しげな表情になった。
「血清……? イグの……? そんな話、聞いたことない」
そう呟くと、兼平さんはゲホゲホと咳をする。その口からは煙のようなものが吐き出されていた。
「これは、まさか……」
兼平さんは何かに気づいたようだったが、それ以上のことは言わない。
「テスカトリポカの言葉は実現する」
ナユタは安心感とともに、兼平さんの言葉を実感していた。
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