第十六話 煮込みカレー

 目の前に巨大な鉄の扉があった。

 周囲には、やはり鉄の壁が広がっている。


 人間牧場に来て、ここまで巨大な建造物を見るのは始めただった。まさか、文明があるのだろうか。居てもたっても居られない。

 兼平さんがスーパーカブを停止させるのと同時に、ナユタは駆け出していた。


「前来た時にはこんなのなかった。ナユタ、気を付けて」


 兼平さんの言葉もろくすっぽ耳に入らず、ナユタはその扉に手をかける。

 その瞬間、扉が開いた。自動的にである。それと同時にナユタの足はがっちりと何かに掴まれ、ナユタの踏みしめていた地面が動いた。瞬く間に、壁の中の街へと運ばれていく。


 それはまさに文明だった。

 大勢の人々が忙しなく動き回っている。あるものは荷物を運び、あるものは施設を修理し、あるものは商売でもしているのか物品を配り歩いていた。人間牧場では見たことがないほどの活気のある光景だ。

 その人々が人間ではなく、機械であることに目をつぶれば、だが。この街の人々の姿は多種多様であったが、その肉体は金属やプラスチックのような無機物で構成されているように見える。

 あるものは人型に近い金属性であり、あるものはプラスチックでできた円筒状であった。


 ナユタは街の中をひたすら運ばれ、やがて地面に開いた穴の中を移動し、地下深くへと入っていく。

 兼平さんはいない。自分がどうなるのか、強い恐怖を感じていた。


          ◇


 どれだけの時間が経ったのだろうか。一体、何日が過ぎたのだろうか。


 ナユタは毎日決まった時間に起き、決まった時間に労働をさせられていた。そして、決まった時間に食事をする。

 労働はひたすらに棒を回すだけの無味乾燥なもので、これが何の目的で行われているのかもわからない。食事は最低限の塩気の付いた芋や小麦粉をペースト状にしたもので味気がないものだ。SFの映画やアニメで見ていた、未来人が食べる食事のようだった。


 とはいっても、こんな生活をいつまでも続ける気はない。

 ナユタは食事時に出されたスプーンを失敬し、床を掘っていた。地下で床を掘るとは無為なことにも思えるかもしれないが、自分がひたすら回している棒がどういう作用をしているのか、下層に行って確かめてみたい。


 その思いは通じた。何日が経ったのだろうか。くり抜かれた床は次の階層への道を開く。この施設の監視は緩く、誰も見張っているものなどいなかった。

 ナユタは穴を降りる。果たして、あったのは製粉機とでもいうべき機械だった。ナユタがひたすら棒を動かすことによって作動する。それは植物を微塵にし、粉にするものだ。

 残っていた粉を試しに舐めてみる。ピリリと辛い。どうやら、唐辛子のようだ。


「誰!?」


 急に人の声が聞こえた。ナユタは驚き、身構える。とはいえ、ナユタに武器らしいものはボロボロになったスプーンくらいしかない。反則レスラーじゃあるまいし、と自嘲気味に笑う。

 だが、次の瞬間、現れたのが誰かに気づき、また別の驚きがあった。


「え? あれ、コウ?」


「そういうあんたは、えと、……ナユタ?」


 それは何日か行動をともにしたことのある、兼平さんの従妹いとこのコウだった。

 コウもまた、ナユタと同じく、好奇心に駆られて鉄の扉を開いて、労働を強制されていたのだ。


「でも、ちょうどいいタイミングで来たかもよ。もう、ここからは逃げられる算段ができてるんだ。ちょっと、来てくれない?」


 それはナユタが寝泊まりしていたのと同じ簡素な寝室だった。その壁に布で隠された部分があり、コウがその布を開くと、抜け道ができている。

 考えることは一緒だ。コウもまた、この施設から抜け出るために、脱出のためのルートを掘っていたのだ。


「もうちょっとで、地上に出られると思うのよ。あんたも抜け出るつもりなんでしょ、手伝ってよ」


 それは深い穴だった。身をかがめて進んでいくと、徐々に地上へと向かっているのがわかる。これをスプーンで掘ったのだろうか。ナユタはコウの根性に感心していた。

 やがて、行き止まりに辿り着く。ここから先を掘るということだろうか。

 ナユタはスプーンを掴み、壁を掘り始める。


「え? なにそれ? そんなんで掘るつもりなの!?」


 コウはスコップを持っていた。そのうちの一つをナユタにも差し出す。製粉機で粉上にしたものを袋に移すために使うものだったらしい。

 二人は揃って、壁を掘り始めた。


 延々と掘る。コウはもう少しで地上だというが、どれだけ正確なことだろうか。


「ねえ、兼平さんって、少し前までおばあちゃんと旅してたんだよね。おばあちゃんってどんな人だったの?」


 ナユタは兼平さんには尋ねられない質問をコウにした。

 コウは言葉に詰まる。


「うーん、サオリが言わないことを私が言っていいのかな? 詳しくはサオリに聞いてよ。

 でもね、萌詩きざしさんはいい人だったし、頼りになった。萌詩さんが亡くなって、サオリはずっと塞ぎこんでいたけど、ナユタ、あんたと一緒に旅して、随分と明るくなったと思ったよ。その点で私はあんたに感謝してる」


 二人はなおも壁を掘り続ける。


「そうね、私の個人的な話ならしてもいいかな。

 私のおばあちゃん、小恋乃都ここのつっていうんだけどね。妹の萌詩さんが行方不明になった話をいつもしてたんだ。だからさ、実際に萌詩さんに会った時は運命だと思ったよ。こんなのが運命だなんて、私も因果なものだけどね。

 人間牧場に来て、最初に出会ったのは萌詩さんとサオリだった。私は二人と一緒に、この世界のことと狩りを学んだ。狩りはサオリほど上手くないけどさ」


 掘り進めるナユタはコツンとスコップが固いものに当たるのを感じた。土からコンクリートに感触が変わったようだ。

 地上は近い。そう思うと、スコップに入る力が強くなる。


「そういえばさ、おばあちゃんのお兄さんにね、邪神に詳しい人がいたらしいのよ。なんていったかな、ごろうさんだったか、ろくろうさんだったか。

 当時は変わり者もいるんだなと思ってたけど、その人は真実を知っていたのよね。こうなってみると、そういう人が助けに来てくれないかなって思っちゃう」


 いつの間にとりとめのない話になっていた。

 しかし、その名前を聞いた途端、ナユタはギクリという感覚を持つ。聞き覚えのない名前なのに、なぜか知っているような気がした。

 そんな思いがありながらも、カツンとスコップを突き刺すと、コンクリートの割れ目から眩い光があふれ始める。

 ついに地上が姿を現したのだ。


          ◇


 ナユタとコウは追い詰められていた。


 機械の兵隊たちが二人に詰め寄ってくる。機械兵のする質問は聞き覚えのあるものだった。

 すなわち、「あなたはロボットですか?」という問いだ。


 つい癖で、ナユタは「私はロボットではありません」と答えてしまった。機械兵はその音声を認識すると警報を鳴らし、同じような機械兵が現れ、二人は包囲されてしまう。

 しかし、このまま捕まるわけにはいかない。ナユタはコウの手を掴むと、包囲網がまだ手薄な場所に向かい、走り始めた。


 ナユタとコウはあらん限りの力で走った。必死に前に向かって進み続ける。

 背後からは機械兵がガチャガチャと音を鳴らし走っている。しかし、思ったよりもそのスピードは遅かった。重鈍な機械兵は歩くだけでも複雑な機構を必要とし、ましてや走るとなると、その構造では負担が大きすぎるのだ。


 逃げ切れる。

 二人はそう確信した。ナユタとコウの進む先には街の出口である壁が見え始めている。しかし、さすがにそう甘くはない。

 二輪走行の機械兵が救援に現れると、瞬く間にナユタとコウは捕まってしまった。二輪の機械兵はナユタの腕を掴み、音声を発する。


「チクタクマン様ノ血肉トナリ働クノダ。コンナ素晴ラシイコトハ他ニナイ。デキレバ自由意志デナ」


 動きを拘束しながらも、そんなことを言う。優しいのか理不尽なのかわからなかった。だが、この状況で選択肢があるとも思えない。その言葉から判断するに、肉体をバラバラにされ、チクタクマンという神の捧げものになるのだろうか。

 ナユタは恐怖に顔をひきつらせる。


 ドスン


 ナユタを捕まえていた機械兵の顔面(と思しき部位)に矢が突き刺さっていた。

 矢は次々に打ち込まれ、周囲の機械兵たちが破壊されていく。ナユタが周囲を見渡すと、二人が向かっていた壁にロープが垂らされているのが見えた。そこから、セーラー服を着た黒髪の少女が降りてくる。兼平さんだった。


 兼平さんはナユタたちに向かって走ってくる。と思ったのだが、矢の突き刺さった機械兵に駆け寄っていた。機械兵にロープを括り付ける。

 ナユタとコウにはちらりと視線を向け、「ついてきて」とだけ言った。


 その言葉に従い、壁に足らされたロープを登る。そこには弓矢やクロスボウを構えた集団がいた。兼平さんが彼らを率いていたのだろうか。機械兵を打ち抜いてくれていたのは彼らだったのだ。

 兼平さんは機械兵を結び付けたロープを持ったまま、壁を登り、ロープを手繰り寄せて、機械兵を壁の上まで引っ張った。

 そして、やはりロープを伝い、壁の外側へと降りていく。


 どうにか全員無事で、壁の外へ脱出できた。機械兵たちは壁の外までは出てこないようだ。


「この街はチクタクマンという邪神の肉体そのものだったみたいよ。中に入れば、チクタクマンの血肉の一部として死ぬまで働かされるみたい」


 兼平さんがナユタとコウに向かって、少し咎めるように言った。ナユタとしては兼平さんの言葉も効かずに扉に触れてしまったため、バツが悪い思いである。

 だが、一転して兼平さんは嬉しそうな口調になる。


「でも、いいか。食材も手に入ったことだし」


 さすがに、これにはナユタも耳を疑った。兼平さんの言う食材が機械兵のことだと気づいたからだ。

 しかし、兼平さんは笑顔のまま言う。


「それじゃ、料理を始めましょ」


          ◇


「そうだ、サオリ。私、こんなもの失敬してきちゃった」


 コウが出したのは、多種多様な粉の袋だった。ナユタが延々と棒を動かして潰していたものだ。

 兼平さんはそれを眺めると、ニコッと笑った。


「ターメリック、コリアンダー、チリ、パプリカ、ヒング、ペッパー。これ、カレーができるよ。コウ、カレーのスパイス、調合できる?」


 その言葉にコウは躊躇する。さすがにカレーをスパイスから作ったことはないようだった。

 だが、背後から「私できるよ」と声がかかる。それは機械兵と戦った集団の一人で、体格のいいおばさんだった。

 彼らはたまたま通りがかった旅の集団で、兼平さんの呼びかけに応じて、チクタクマンと戦ってくれたのだ。


 コウとおばさんはスパイスを調合することになった。

 とはいって、必要な量を合わせるだけだ。それぞれのスパイスを計量し、カレーのルーにしていく。


 一方、兼平さんは大ぶりの包丁ことバルザイの偃月刀えんげつとうを取り出し、機械兵の解体を始めた。腹部を切り裂き、内臓と思しきパーツを取り出す。そして、黒い何かを引きずり出した。機械兵の肉だとでもいうのだろうか。

 それは緩衝材とでもいうべきものだったかもしれないし、接続ケーブルとでもいうべきものもあったかもしれない。兼平さんはそれらを取り出し、鍋に入れ、煮込んでいく。


 ナユタはというと、旅の集団に声をかけて、竈門を作っていた。いくつか作ると、鍋を借りて、ご飯を炊くことにする。備蓄していた米を放出して大量に鍋に入れ、集団の持っていた水を注いだ。目見当ではあるが、何度となく炊飯したナユタはその分量に確信を持つ。

 しばらく、時間を見ると、火にかけ、ご飯を炊いた。


 機械兵の肉が煮込まれていた。それと同時に、別の鍋で玉ねぎを炒める。これは飴色になるまで炒められた。

 そこに十分に煮込まれた機械兵の肉を投入し、同時にニンジンと玉ねぎも入れられる。そこにコウとおばさんが調合したスパイスを追加し、水が足されていった。途中からジャガイモも投入する。

 ぐつぐつと煮込まれる。カレーの匂いが周囲に漂う。ナユタもそうだが、周囲にいる全員のお腹が鳴ったようだった。


 器にご飯をよそい、その上にカレーをかける。人数分のカレーライスが出来上がっていた。

 この世にこれだけ食欲をそそる食べ物があるだろうか。ナユタはスプーンを握りながらもお腹の音が止まらないでいた。


          ◇


 いてもたってもいられず、ナユタはカレーライスを口に運んだ。

 しばらく、無味乾燥なペースト状の食べ物しか食べていなかったのだ。スパイシーな香りが漂うカレーに耐性がないのも致し方ない。


 口に入れると、意外なことに優しい風味が広がった。甘い。これは玉ねぎの甘さなのだろうか。後からピリリとした感覚と、熱々の感触が襲ってくるが、それでも優しいという印象は続いていた。

 食べる人のために工夫を凝らした料理というものは、これほどに美味しいんだ。そう実感し、思わず涙が流れてくる。

 カレーは甘く、辛く、しょっぱく、香り高く、旨味もたっぷり。ご飯は噛みしめるごとに満足感を抱かせる。この繰り返しがどれほど幸せなことだろう。


 機械兵の肉は柔らかい。兼平さんがじっくり時間をかけて煮込んだからだろう。柔らかくて食べやすく、それでいて濃縮された旨味が全身に伝わってくる。

 カレーの風味とも相性抜群で、カレーの中に混ざった肉はそれだけでご飯を進ませる。

 硬質な機械兵の肉だとは思えないほどに、とろけるような感触であり、いくら食べても飽きないほどだ。


 野菜は玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモが入っている。玉ねぎは甘く、ニンジンは新鮮で、ジャガイモはホクホクだ。

 それらをひっくるめて家庭的な味わいだと思う。それが最高だった。

 カレーは専門店の味よりも、家庭の味が美味しい。兼平さんの甘いカレーはそれを実感させてくれるものだった。


 夢中でカレーを食べるナユタに、兼平さんが声をかける。


「ふふ、随分と必死に食べるのね。チクタクマンの中じゃ、ろくな食べ物がなかったのかしら」


 夢中でカレーを食べるナユタに代わって、コウが返事をした。


「そりゃ、そうよ。あの中は無味乾燥な食べ物ばかり。サオリのカレー、ほんとに美味しいよ」


「いや、あなたも作ったでしょ」

 そう兼平さんが言うが、コウは聞く様子がない。しかし、コウの言葉に兼平さんは疑問を抱いたようだった。


「じゃあ、なんでスパイスなんて作っていたのかしら」

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