第十五話 海鮮バーベキュー

 何が起きているのかわからない。


 そんなことは人間牧場では日常茶飯事のことだ。そう思っていた。

 だが、今までに起きたことがまるで何でもないだったかのように、今、目の前で起きている出来事は異常事態だった。


 海が荒れていた。暴風雨が吹き荒れ、雷が鳴る。大波が地上に向けて飛び散っていた。

 さらにおかしなことに、海は渦を巻いて、荒れるがままに周囲の島々を飲み込んでいる。雷は空中を覆い、頭上はただ黄金色の光がチカチカと点滅を繰り返すばかりだ。


 ナユタは兼平さんとともにスーパーカブで高所へと移動し、洞窟の中に隠れていた。だというのに、いつ荒波が自分たちの場所まで迫ってくるのか、不安で仕方がない。

 洞窟の入り口から海の様子を眺め、ナユタは何が起きているのか見定めようとしていた。だが、起きるのはわけのわからないことばかりである。


 始まりは黒い影が空を横切ったことだ。翼を持つ肉食獣のような姿だったが、全身は黒く、かおがあるべき場所に貌がなかった。言うなれば、貌のない黒いスフィンクスとでもいうべきだろうか。

 貌のない黒いスフィンクスは海まで飛び続け、そのまま海中に飛び込んだ。それからだ、海水が渦を巻いて沈み、海岸には津波が襲う。

 一部始終を見ていた兼平さんは方角を見定め、高台に向かってカブを走らせた。


 やがて、海水が持ち上がり、宙に浮いた。巨大な水の塊は球体へと姿を変える。そして、それを持ち上げている老人がいた。

 白い髪と白いひげを蓄え、貝殻でできた戦車に乗っていた。その戦車を牽くのは長い一本角が頭から生えたイルカだ。イッカクだろうかとは思うが、目が六個あった。

 老人は片手で樫の杖を掲げ、もう片方の手で海水を持ち上げている。


「あれはノーデンスね」


 ナユタの横にいた兼平さんが老人の姿を見て、そう呟く。


 ノーデンスに続いて、海の底から出現したものがあった。全身が筋肉で来ているような黒い人影のようにも見えるが、貌があるべき箇所からは、長い触手のようなものがうねるばかりである。筋肉の怪物はけたたましい雄たけびを上げた。まるで、闇の中で吠えているかのようだ。

 ノーデンスは闇に吠えるものに向かって、海水の塊を投げつける。すると、瞬時に闇に吠えるものは姿を変えた。それは視認できる黒い風だった。風は瞬く間に竜巻となり、海水を巻き上げる。そうして、海水は周囲に散らされていった。

 遠くにいるナユタたちのいる洞窟にも土砂降りの暴風雨となって降り注ぐほどだ。


 海水が散らされると、黒い風はまた姿が変わる。

 黒い風が変わったのは、胎児のような頭を持つ怪物だった。だが、それがつながる肉体には肉はなく、ただ骸骨があるのみだ。そして、骨のつながるその先は12本の巨大な鉤爪かぎづめが伸びる。それは異様な骨格見本のような姿だった。


 オンギャァァァァァアアァァアァァァア


 赤ん坊の泣き声のような、不快な濁音が響く。

 骨格の恐怖というべき、その存在は空中でその姿に変幻すると、その勢いのまま、ノーデンスに飛び掛かる。その瞬時の変化にはついてこれなかったらしく、ノーデンスは鍵爪に引き裂かれ、大量の血液を飛び散らして、海面へと叩きつけられる。

 骨格の恐怖はノーデンスに追い打ちをかけ、両者は海の中へと沈んでいった。


 再び、海が荒れる。海が異様な色の光を放ち、水柱が立ち、そして金切声のような不愉快な音が鳴った。

 それは、どれだけ続いただろうか。

 やがて、海は熱を発し、爆発する。破裂し、熱を持った海水が辺り一面にまき散らされていった。それは兼平さんとナユタが隠れる、洞窟にも襲い掛かる。

 ナユタは思わず目を閉じ、そして、死を覚悟した。


 バッシャーン


 水が降りかかるような音がしたが、それだけだった。

 痛みもなければ、熱も感じず、水にも飲み込まれていない。ナユタは恐る恐る目を開けた。


「ご無事なようで何よりです」


 物静かな、感情というものを感じられない声を聞く。

 そこには、黒いローブを羽織った黒人が佇んでいた。不似合いな白い手袋をつけている。ナイ神父だった。


「あなたたちの捕まえてくれた夜鬼ナイトゴーントはノーデンスの使い魔でした。おかげで、ノーデンスの拠点を知ることができました。

 今回の勝利はあなたたちのおかげです。お礼を申し上げましょう」


 淡々と礼を述べるナイ神父だったが、その貌は満面の笑みが溢れている。それは、底知れない悪意を思わせる、醜く歪んだ笑みであった。


          ◇


 いつの間にかナイ神父はいなくなっていた。

 それと同時に暴風雨はやみ、荒れ果てていた海も静かになっている。兼平さんとナユタは様子を窺いつつ、洞窟の外に出た。

 周囲を見渡すと、岩盤や地面は高熱によって焼かれており、焦げた匂いが漂っている。だが、その熱もすでに収まっているようだ。


「ナイ神父が守ってくれたようね」


 兼平さんは感情の見えない淡々とした口調で言う。

 ナユタは間一髪で生かされているのだと、冷やりとした感情を抱いた。


「海の方に行ってみましょう。何かあるかも」


 その言葉に促され、ナユタは荷車に乗り込む。兼平さんはカブを走らせて、ふもとへと進み、海岸へと向かった。

 そして、焼け焦げた海岸線を越えて、ようやく焼けていない浜辺を見つけることができた。


 人間牧場といえど、浜辺の景色にナユタは少しテンションが上がる。海は紫色の沈んだ色合いであり、空は灰色に輝き、群青色の太陽が煌々と照らしている。そんな光景にもいつしか見慣れてしまっていた。


「ナユタ、こんなのあるよ」


 兼平さんが何かを拾い上げていた。純白に輝く、半楕円状。規則的な波形が貝殻を形作っていた。


「こ、これ、帆立ほたて!?」


 ナユタは思わず声を上げていた。その驚いた様子を見て、兼平さんはニコッと笑う。

 浜辺には数多の貝殻や魚介が打ち上げられていたのだ。公害によって死傷しているなら気も引けるが、先ほどの大災害の後となれば、大自然の恵み、ならぬ神々の恵みというべきだろう。

 ナユタも兼平さんに倣って、魚介類を探し始める。


「これは、イカ! それに海老も!」


 ナユタは砂浜に打ち上げられた宝物を見つけたかのように歓喜の声を上げた。

 それに対し、兼平さんも得意げな笑顔を見せる。


「これ、何かわかる?」


 丸みを帯びた貝殻だった。手のひらにようやく収まるほどの大きさだ。


「え!? えと、なんだろう?」


 考えてみたが、わかるようでわからない。


「これははまぐり


 兼平さんはニコニコと満面の笑みを見せていた。

 そうして、集めた食材を集め、次々に袋に入れていく。やがて、袋いっぱいに回線が集まると、兼平さんが言った。


「それじゃ、料理を始めましょう」


          ◇


 砂浜の上に、兼平さんはいつもように石を集めて竈門を作る。そこで、まずはお湯を沸かした。

 沸騰しないくらいの温度でとどめ、はまぐりを集めたボウルの中に注いだ。即席の砂抜きのためで、このまましばらく放置する。


 帆立ほたては包丁で貝殻をこじ開け、片側を外す。帆立の部位のうち、ウロと呼ばれる黒部分を取り除いた。ここには微弱の毒が溜まっているからだ。

 さらにその上にはバターを載せる。


 海老は殻はそのままにしておくが、針で海老の背を探り、背ワタを取り外した。

 イカは軟骨を引き抜き、ワタとくちばしを切り取る。そして、輪っか状になるように切り込みを入れていった。


「じゃ、焼きましょ」


 兼平さんの宣言とともに、下ごしらえはあっけなく終わった。

 竈門に網を置くと、食材を乗せていく。


          ◇


「太陽のもとで飲むお酒はやはりハイボールですね」


 そう言って、いつの間にかナイ神父が現れていた。その腕には緑色のボトルが抱えれている。そこには「カティサーク」と書かれているのが読み取れる。

 ナイ神父はカティサークを氷の入ったコップに入れ、レモンを搾り、さらに炭酸水を注いだ。


 ウィスキーはどうも苦手だ。そう思いながらも、口に入れる。冷たい口触りと炭酸の刺激、それにレモンの爽やかさ。これは確かに太陽の下で飲むのに相応しいお酒のように思えた。

 もう一口飲む。炭酸とレモンの奥で、カティサークの味わいが感じられるように思えた。深みのある奥深い香り。それが感じられるようだ。気のせいかもしれないけど。


 まずは帆立ほたてにしよう。

 ナユタは貝殻ごと、網の上に帆立を乗せた。竈門の熱でホタテの水分がジュワジュワと音を立てていく。帆立に乗っているバターもじわじわと溶けてきている。

 今だ。そう思った瞬間、ナユタは網の上から自分の器の中へと帆立を移動させた。まずは一口、貝柱だ。柔らかく、旨味たっぷり。バターの風味ともよく合っている。口の中でとろけるように消えていった。

 だが、ホタテは貝柱だけのものではない。ヒモを噛みしめる。コリコリとした弾力ある食感が楽しく、磯の風味が強い。これも美味しい。

 そして、卵巣部分を食べる。オレンジ色の見た目もいいが、柔らかくジューシーで、噛みしめることで一気に旨味が口の中に広がっていく。帆立はどの部位も美味しいが、卵巣の美味しさは破格だなと思う。


 続いて、海老。これはもう、殻ごと行く。

 パリパリと香ばしく焼けた殻の歯ごたえが小気味いい。その奥にある身の柔らかさ、濃厚な旨味と海老ならではの香り、それが一体となって深い風味を形作っている。殻ごとというのはどうかと思っていたが、これはこれで抜群の味わいにになっていた。

 やめられない、止まらないと言えば、えびせんのことだというが、まさに病みつきになる美味しさだった。


 イカが焼けてきた。香ばしく焼けたイカからは磯の香りが漂っている。噛み応えも確かで、食べ進めるごとに満足感が身体に充ちていくのを感じた。

 塩気のある白身はそれだけでもいいが、醤油やマヨネーズをかけるとまた抜群の美味しさがある。ゲソのぱりぱりした食感もいいし、頭の食べ心地もまた変わっていい。意外とバラエティに富んだ味わいがあるのがイカ焼きなのだ。


 そして、はまぐり。網で焼いていると貝殻が開き始める。その中でぐつぐつと汁が煮詰まっていた。それをこぼさないように、気を付けて器に移す。

 蛤をこじ開ける。汁が器の中にこぼれた。それを一口舐めるように飲んだ。重厚な旨味が口いっぱいに広がる。

 これは美味しいぞ。

 続いて、蛤の身に齧りついた。確かな旨味が感じられる。上品な香りに酔いしれた。歯ごたえの重厚さも堪らない。瞬く間に食べつくしてしまう。


 この後は何を食べよう。ハイボールを飲みながら一心地つく。

 周囲を眺めた。海はまだ電撃を纏い、ところどころ時空が断裂されたように、空虚と化した空間がある。山々も不自然に抉られた跡が散見された。

 人間牧場。この世界の支配者は人間ではない。得体のしれない悪霊の神々なのだ。

 その事実がまざまざと突き付けられていた。

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