第十四話 溶岩ステーキ
兼平さんの運転するスーパーカブが坂道を走っていた。延々と続くと思われる道。常に円状に回り続けているような感覚もある。
カブは山道を走っていた。その後ろでナユタはガタガタと揺れる荷車の上にいる。さらにその背後からは、セグウェイに乗ったナイ神父がついて来ていた。
向かう先は遥かなる頂だ。
ナイ神父は
石炭を思わせる漆黒の肌をした黒人で、黒い服を羽織っていた。それらに不似合いな白い手袋が妙に印象に残る。
この地域では、近頃
そして、案内役としてナイ神父もついてきている。
「でも、夜鬼ってどんなのなの」
ナユタが疑問を口に出した。
「体がゴムみたいで、コウモリみたいな翼を持ってる」
兼平さんが端的に答える。それに、ナイ神父が付け足した。
「上空から突如現れては人を襲っていくのです。抵抗すると尻尾にある突起でくすぐらされ、上空から落とされます。抵抗しない場合は奇妙で危険な場所で置き去りにされると言われています。気を付けてください」
その言葉にはどこか妙なアクセントがついているが、外国人が日本語が話す際の訛りとも別のものだ。声は低く落ち着いているが、聞いているとどこかざわざわと胸騒ぎを感じる。
それに、気をつけろと言われても、どう気をつければいいのかわからない。捕まったが最後、抵抗してもしなくても危険なようだ。せいぜい、捕まらないようにしろということだろうか。
カブは夜鬼の巣があるという山頂近くを目指して走り続けていた。
◇
山頂に近づくと、次第に道の険しさが増してくる。さすがに、カブで進むことが困難になった。兼平さんとナユタはカブから降り、荷物を整理して、徒歩で進み始めた。岩にしがみつき、全身を使って山頂に向かう急登を登っていく。
それに対し、ナイ神父は相変わらずセグウェイに乗ったまま、車体を跳ねさせて、難なくついて来ている。
こうなってくると、ナユタでもナイ神父は人間ではないのだろうと思わざるを得なかった。
やがて、三人は
「思ったよりも数が多い。1頭が飛び立つのを待って、追跡して仕留めましょ」
兼平さんが小声でナユタとナイ神父に伝える。しかし、ナイ神父はその言葉を聞かずに、前に出た。そして、にんまりとした笑顔を見せると、二人に指示を出した。
「私が散らしてきます。サオリ、ナユタ、落ち着いて1頭を仕留めてください」
そう言うと、セグウェイを走らせ、夜鬼の巣の中に突っ込んでいく。夜鬼たちは唐突な闖入者にざわめき、混乱しながらも巣の中から飛び立ち、ナイ神父を警戒するような動きを見せた。
やがて、バタバタと何頭かが飛び去って行くのが見える。同時に、ナイ神父も巣の外へ出て、いずこかへ消えていた。
今なのか?
兼平さんとナユタは疑問符を頭によぎらせながら、巣の様子を窺う。果たして、夜鬼が1頭だけ残っていた。
それは、聞いていた通り、ブヨブヨとした分厚い皮膚に覆われ、背中に巨大な翼を生やしている。ただ、鬼と呼ばれるだけのことはあり、どこか人間を思わせるフォルムだった。翼のほかに四つ足のある獣であるが、手足に分かれているような印象がある。頭は長い首の先にあるが、だが顔があるべき場所はツルンとしていて目も鼻も口もないのっぺらぼうのようだった。
「やる」
兼平さんが一言だけ呟くと、クロスボウを構え、夜鬼のもとへにじり寄る。そして、岩陰に隠れながら、狙いを見定め、矢を放つ。
夜鬼の頭に命中した。口がないにも関わらず、夜鬼は悲鳴のような鳴き声を上げ、上空へと飛び上がる。
「逃がさない」
兼平さんは二射目を急ぐが、そうすぐには装填できない。
そうこうしているうちに、夜鬼が滑空しつつ、兼平さんに向かって降下してくる。
このままでは兼平さんが危ない。
そう思ったナユタは槍を構えて、彼女の前に出た。そして、夜鬼が降りてくるのに合わせて槍を突き出す。
だが、夜鬼とてそんな攻撃を受けるはずもない。降下のタイミングをずらして、槍を
気を付けるべき事態に陥ってしまった。抵抗すれば落とされ、抵抗しなければ連れ去られる。どちらを選んでも無事では済まないだろう。
ふと、地上を見ると、兼平さんがクロスボウを構えているのが見える。
そうだ、自分は一人ではない。ならば、選べる道があるはずだ。
決意を新たにし、選択した。とにかく抵抗する。
ナユタは夜鬼の拘束から逃れるべく、ジタバタと暴れ始めた。夜鬼の尻尾がナユタに伸び、ナユタの全身をくすぐり始める。
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
あまりのくすぐったさに、ナユタは笑い出し、それでも辛抱堪らずにより激しく暴れた。夜鬼はそのままナユタを放り出す。
だが、その瞬間にナユタの腕が伸び、夜鬼の尻尾を掴んだ。その瞬間、ガクンと夜鬼の身体が沈む。徐々に上昇を続けていたため、夜鬼の動きは一瞬だけ静止した状態となった。
ビュンッ
兼平さんがクロスボウを放つ。矢は夜鬼の翼を貫き、夜鬼は揚力を失い、瞬く間に落下する。
ナユタは慌てて夜鬼の身体の上に這い上がった。夜鬼の皮膚はゴムのように柔らかく、落ちてもダメージが吸収される。ナユタはどうにか衝撃を和らげられる位置で地面に衝突した。
「ナユタ、ナイス!」
兼平さんは落下地点を予測して移動しており、夜鬼が落ちてから体制を立て直す時間を与えず、大ぶりの包丁で首を切った。首からはその青い血をドクドクと流し、やがて、夜鬼は動かなくなった。
ちょうど、その時、セグウェイに乗ったナイ神父が戻ってくる。
ナイ神父は涼しい顔で、「見事に仕留めたようですね」と声をかけてきた。
「ナイ神父こそ無事だったの?」
ナユタが尋ねると、ナイ神父は悔しそうな表情を見せる。
「残念ながら私は獲物を捕らえることはできませんでした。粉々になってしまいました」
その言葉からは冗談を言っているようには思えない。やはり、ナイ神父は恐ろしい力を持った邪神なのだろうか。
一方、兼平さんは夜鬼の状態を見ながら、ナユタに向けて言う。
「じゃあ、料理を始めるよ」
◇
兼平さんとナユタは力を合わせて、
その包丁で腹を裁き、その厚く固い皮を切り裂く。夜鬼の
「相変わらずの切れ味。しっかりと手入れをされているようですね」
その様子を眺めていたナイ神父が感心したように声を上げる。どうやら、ナイ神父は兼平さんが解体する姿を見たことがあるらしい。
そして、もう一つ疑問が生まれた。
「その包丁って、何か凄いものなの?」
ナユタが浮かんだ言葉を口にする。やすやすと巨大な生物を切り裂いていくその包丁は特別な業物なのだろうか。
「なんとかっておじさんに作ってもらったのよ。
随分とゴツそうな武器を改造したものらしい。
それを聞くと、ナイ神父はニタァーっと笑いながら、口を出す。
「バルザイ、だね」
兼平さんはそれを聞くと、「そう、その人」と肯定した。
バルザイの偃月刀が元となった包丁だということか。
「そうだ、いいものを見せていただいたお礼をしないといけませんね」
ナイ神父は思い出したかのように言葉を発し、周囲を見渡した。そして、溶岩の固まりに注目すると、指をパチンと鳴らした。
風が吹く。目に見えるほどの黒い風だった。黒い風は溶岩だまりを中心にして収束し、パキンと岩を切断する。
ナイ神父が拾い上げると、それは岩石でできたプレートになっていた。
「溶岩プレートです。これで肉を焼くのも乙なものです」
兼平さんはプレートを受け取ると、思案して、夜鬼の腰回りの肉をそぎ落とし、厚い肉の塊にする。この形はステーキの形状だ。ナユタはそれに気づくと、ワクワクとした嬉しい気持ちが湧いてくる。
肉に胡椒を振り、しばらく置いた。その間に竈門に火を起こし、溶岩プレートを熱する。そして、肉に塩を振りかけると、溶岩プレートで火にかけた。
ジュージューと油の溢れる音が聞こえ、肉の焼ける香ばしい匂いが漂う。こうなっては期待するなというほうが無理というものだろう。
兼平さんが肉を切り、肉を焼いている間、ナユタはジャガイモを茹でていた。茹で上がると、皮を剥いて、ペースト状になるまで潰す。
それに塩と胡椒を加えて味を調えるだけで済まそうとしたが、ナイ神父がどこからともなく生クリームと牛乳を持ってきており、それを混ぜ合わせる。これでマッシュポテトになった。
出来上がったステーキは一人用の溶岩プレートの上に置かれた。マッシュポテトとクレソンを添える。
料理が完成した。
◇
兼平さんによってコップに赤ワインが注がれた。肉には赤ワインが合うのだと兼平さんは言う。
ナユタは一口だけ舐めるように飲んでみる。その渋さに少し閉口するが、それでもお酒に慣れてきたのか、飲めないことはないと感じた。
そんなことよりステーキを食べたい。ナイフで一口大の大きさに切る。中身はまだレアだったが、そのまま食べてもいいし、溶岩プレートで切り口を焼いてウェルダンにしてもいい。
ナユタはまずはレアのまま口に入れる。血の滴るような味わいが口の中に広がった。それでいて、生臭さはなく、しっかりと火が通っていることがわかる。ステーキは柔らかく、噛みしめるごとに肉が
ステーキと一緒にマッシュポテトを食べる。ポテトが滑らかで柔らかく、美味しくできていた。
何より、強烈な肉の旨味とポテトのふっくらした味わいは相性がぴったりだ。肉の物足りなさを補ってくれるのを実感する。
今度は、ウェルダンに焼いてみよう。溶岩プレートでレアステーキをジュージューと焼く。こんがりと焼けたお肉も美味しそうだ。
口に入れると香ばしい味わい。レアでも柔らかかったが、それ以上に柔らかく噛みしめるごとにお肉が溶けていくようにすら思える。
塩と胡椒の味付けもしっかりついているが、それだけで美味しいのは肉が新鮮なのと、
クレソンを一緒に食べた。シャキッとした食感とともに、爽やかな風味が広がる。その味わいは野菜ならではの地に足の着いた美味しさと、香り高いハーブによるものだろう。ステーキと合わさることで、油っぽさをリフレッシュさせてくれるようだ。
赤ワインも飲んでみた。渋みのある味わいがなぜだか嫌ではなくなっていた。ワインにもしっかりした味わいがあり、渋みや甘み、酸味、ブドウの香りが絡み合って、ひとつの旨味を形成している。ワインは複雑だと聞くが、ナユタにも少しだけそれがわかるような気がした。
それに、お肉の味わいがさっぱりして、気分が一新させる。赤ワインを飲んだ後のお肉も美味しい。肉の味わいの複雑さもわかってくるようだ。
それにしてもお肉は美味しい。シンプルであり、当然のことではあるが、やはりステーキを食べるとそう実感する。
ナユタは夢心地な気分でステーキを食べ続け、気が付いたらなくなっていた。
そして、ようやく気付いたが、ナイ神父は食べる二人を眺めるばかりで、自分ではステーキを食べていなかった。
「ナイ神父は食べないんですか?」
ナユタが尋ねると、ナイ神父は意外そうな顔をする。そして、思いついたように立ち上がった。
「私は食べなくともいいんです。よくそんなことに気づきましたね。
そうそう、その代わりと言っては何ですが、夜鬼の皮は私がいただきましょう」
そう言うと、残された夜鬼の皮のもとまで歩いていき、パチンと指を鳴らす。それに反応するかのように、夜鬼はむくりと立ち上がった。顔は落とされたままだったが、切り傷や矢傷は綺麗に消え去っている。
ナイ神父が夜鬼の背中に乗ると、夜鬼は翼をはためかせ、飛び立った。すぐにナイ神父ともども遠い空の彼方へと姿を消す。
「あの人、また来るよ」
兼平さんは溶岩ステーキを食べながら、ぼそりと呟いた。
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