第十三話 鮎ラーメン

 いつものように、兼平さんがスーパーカブを走らせる。ナユタはカブの牽引する荷車に乗り、ガタガタと揺れる車体を感じていた。

 そんな中、兼平さんが珍しく声をかけてきた。


「ねえ、まだ干し鮎が残っているんだけど、使い道なにか思いつかない?」


 少し前に釣った鮎は本当に多かった。白い男の加護というか呪いというかで、異常な釣果があったのだ。

 ナユタはしばらく考えて、提案してみた。


「それなら、干し鮎を出汁にしてラーメンを作ってみるのはどう? 鮎のラーメンって美味しいらしいよ」


 以前に読んだ古い文献で、スキンヘッドハゲのラーメン職人が作っていた鮎ラーメンが美味しそうだったのを思い出したのだ。


「ラーメン!? ナユタ、作れるの?

 あの、人類の口の永遠の友といわれている……」


 兼平さんはいつになくテンションが当たっているようで、妙なフレーズを口走った。心なしか瞳が輝いているようにさえ見える。そして、それはどこかで聞いたような言葉だった。確か、星野鉄郎の言葉だっただろうか。

 ただ、ラーメンを作れるのか、そう言われると自信はまったくなかった。


「ラーメンってどうやって作るの?」


 兼平さんは畳みかけるように質問してくる。ナユタはしどろもどろになる。


「えーと、確か小麦とかん水を合わせるんだったっけ」


 ナユタはうろ覚えの知識を総動員にして答えを導き出した。


「かん水って何? どうやって作るの?」


 兼平さんのさらなる質問で、ナユタの知識はすべて打ち砕かれる。


「うっ。わかりません……」


 ナユタは言葉に詰まる。すると、すぐ近くでナユタの代わりに答えるものがあった。


「うふふ、私ならその作り方わかるわよ。協力してあげましょうか」


 声をかけてきたのは女性だった。赤いチャイナドレスを身に纏い、口元を黒い扇子で隠している。艶めかしい肌が露出し、くっきりとした胸のふくらみは魅力的だった。笑みをたたえたそのかおは妖艶ともいえる美しさをたたえている。

 だが、それはカブの走行スピードに平然とついてきていた。明らかに人外の存在である。


「いや、それは……」


 兼平さんは何かを言いかけるが、女性はつかつかと彼女に近づき、その顔を覗いた。すると、兼平さんの言葉は途切れ、無言で運手を続ける。


「え、なに……」


 ナユタはその様子に驚くが、今度は女性がナユタの顔を覗く。あまりに美しく、完璧な魅力。だが、その顔を見てナユタはおぞましい何かを感じていた。そして、次第に自分の意識が薄れていくのがわかる。


          ◇


「必要な材料はなんだったか、おさらいしましょうか」


 膨れ女――なぜか、女性のことをその名で認識していた――が兼平さんとナユタに問いかけていた。それに対し、義務感に駆られてナユタが答える。


「まず、麺だけど、小麦はあるけど、かん水はない。

 スープはいろいろ必要だと思うけど、出汁のベースは干し鮎。これはもうある。シイタケやショウガも手持ちにあるから、これも使っていいと思う。あとは鶏がらがあるといいかな。

 返しは醤油ダレか塩ダレのどちらかがいいだろうけど、これも醤油はあるけど、油はもうそろそろ足りなくなりそう」


 不思議とすらすらと言葉が出た。ナユタの中にあるラーメン作りの知識が膨れ女によって引き出されたようだった。

 これに対して、兼平さんが疑問を呈する。


「それで、かん水はどうやって手に入れたらいいの?

 それにスープと返しって何? どう違うの?」


 それに対し、膨れ女は妖艶な笑みを湛えたまま返した。


「返しっていうのはタレのことよ。出汁を取ったスープで返しを割るの。それが一般的にラーメンのスープになるのよ」


 その答えの後、ナユタは膨れ女とともに馬に乗っていた。

 岩場であるが、高低差が強く、それでも馬はそれを突破していく。ナユタは馬の上で慌てるばかりだった。


 広大な湖が広がっている。

 ナユタと膨れ女はその湖まで降り立ち、灰汁のようにひろがる天然のかん水を採集した。

 かつて、モンゴルで偶発的に人類が入手したかん水ではあるが、その存在を知りさえすれば、採集もまた容易なのである。


 一方、兼平さんたちである。

 兼平さんもまた膨れ女と連れ立って出かけていた。別に膨れ女が複数いるとか、分身しているとかいうことではないのだが、当たり前のように同時に別々の場所にいることができるのだ。

 ナユタはそのことを自然に受け入れていたが、改めて考えると、頭にノイズが湧きたつかのように激痛が走る。


 なんにせよ、兼平さんは油の入った瓶と鳥の骨のようなものを抱えていた。いや、骨だけになった鳥といったほうがいいかもしれない。

 その骨だけの鳥だが、驚くべきことにまだ生きているようで、コッコッと鳴き声を上げ、兼平さんの腕の中から逃れようともがいている。


「そうだ、これも使おうかしら」


 膨れ女はどこからともなく食材を取り出した。それは干し牡蠣のようだった。

 しかし、よく見るとそれは蛞蝓ナメクジのようであり、顔には三本の触手があり、足の代わりにピラミッドのような三角錐が生えている。かつてゾンビを狩った時に現れたグラーキが縮んだような姿であった。

 一体なぜ彼女がそんなものを持っているのだろうか。ナユタにはわからなかった。


「食材は揃ったんじゃない?」


 膨れ女が兼平さんに何かを促す。兼平さんはどこか釈然としないように、言った。


「じゃあ、料理を始めましょ」


          ◇


 ラーメンとは何か。本来は拉麺と書く。

 拉とは「引っ張る」とか「引き延ばす」といった意味であり、小麦粉で作った生地を引き延ばして作る麺料理なのだ。そのため、元々は手打ちによる作成が基本であったが、日本独自の進化により、機械での精製が主流となっている。

 だから、手打ちによるラーメンの麺打ちというのも可能なのだ。


 ナユタはボウルに小麦粉を入れ、かん水と塩を少しずつ加えて混ぜ合わせる。

 パラパラとした小麦が少しずつまとまっていく。ただ、一気に混ぜたり捏ねたりするのではなく、あくまで慎重に少しずつ生地とかん水を馴染ませていった。

 だんだんと生地がもちもちした感触になる。ナユタはここでいったん寝かせることにした。袋に入れて空気を抜き、体重をかけて生地を延ばしていく。


 一方、兼平さんと膨れ女であるが、膨れ女による、

「スープは私が作ってあげる。サオリは見ているだけで構わなくてよ」

 という言葉を受けて、兼平さんは珍しく手持ち無沙汰になっていた。


 とはいえ、ただ見ているのも性に合わないのか、はたと思いついて行動に移る。

 飯盒とガスバーナーでご飯を炊いた。その後、焚火を起こし、干し鮎を何匹か焙り始める。

 干し鮎が焼けると、あるものは骨抜きにし、あるものはバラバラにほぐした。


 膨れ女は兼平さんの作った竈門に鍋を置き、スープを湯を煮立て始める。

 そこに骨だけの鳥を入れ、灰汁を取りつつ、じっくりと煮込む。さらに昆布や椎茸、青ネギ、玉ねぎを加えた。そして、ショウガをたっぷり入れ、グラーキと思しき干し牡蠣も追加する。

 ぐつぐつと鍋の中身は煮込まれていった。


 ナユタは寝かせた生地を取り出して、小麦粉をまぶすと、薄い生地を折りたたみ、綿棒で延ばす。これを何度か繰り返した。

 そして、生地をたたみ、包丁で細かく切っていく。細かくといっても、細麺にはできない。極太麺くらいの太さになってしまうが、これがナユタの限界であった。


 ご飯が炊けると、兼平さんはおにぎりを作る。ご飯の中にほぐした干し鮎を混ぜ合わせ、それを塩と水で包んだ手で握っていった。まだ温かいご飯を握るため火傷しそうになるが、ほかほかのおにぎりが出来上がる。

 その後、兼平さんは長ネギの白い部分を縦長に切っていく。ラーメンの薬味にするつもりだ。

 そして、作業が終わった料理器具をてきぱきと片付け、荷車に乗せていった。


 スープが出来上がりつつあった。取れた出汁の一部は醤油と混ぜ合わせて、醤油ダレにする。

 その後、ついに干し鮎を入れて少しの間煮込んだ。鮎の香味豊かな匂いが周囲に充満していた。


 ナユタは麺を茹で、膨れ女は器に醤油ダレを注ぎスープと油を加える。そこに茹でた麺を入れ、その上に干し鮎を一匹ずつ乗せ、縦切りにした白髪ネギで飾り立てる。

 ついに、ラーメンが出来上がったのだ。


          ◇


「これがラーメン……」


 兼平さんはいつになく感動していた。どこか声が震え、その瞳は涙が溢れようとしているのか、潤んでいる。

 ナユタも久しぶりに食べるラーメンを前にしてウキウキした気分があった。


「それじゃあ、いただきます」


 ナユタは麺をすする。ツルツルした舌触りが心地よく、噛みしめるともちもちした食感。それが優しいスープの味わいを伝えてくれる。

 上出来だ。初めて手打ちしたにも関わらず、いい出来じゃないか。

 ナユタはその美味しさに気分を良くした。


 だが、麺以上にスープが美味しいということは否定できない。

 鮎の香りの高さに加え、ショウガの風味も強く、どこか優し気な味わいが気分をほっとさせる。醤油の風味と鮎の味わいが違和感なく一体化しており、さまざまな旨味が調和した完成度の高い料理であることがナユタにも理解できた。麺をすすり、スープを飲む。そのサイクルがごく自然に、だが強い中毒性を持って、繰り返されていく。


 チャーシュー代わりに乗せられた焼き鮎も美味しい。骨抜きされているため食べやすく、兼平さんの気遣いが嬉しかった。香ばしい風味と魚肉の味わいが麺とスープによく合う。

 白髪ネギも薬味として効果を発揮しており、シャキッとした歯ごたえとともに味わう麺はまた別の魅力を見せてくれた。


 兼平さんの握ったおにぎりも食べる。ご飯と焼き鮎の相性が抜群なのは言うまでもないだろう。

 それだけではない。このおにぎりとスープの相性も最高なのだ。

 麺を食べる。おにぎりをかぶりつく。スープを飲む。それぞれがそれぞれを引き立てあう、最高のトライアングルだ。

 麺がなくなると、スープに残ったおにぎりをいれて雑炊にする。鮎の格調高い味わいがご飯にしみ込み、贅沢な気分に浸った。


「これがラーメン……」


 兼平さんはラーメンを食べ終えていた。満足したような、感動しているような、不思議な表情をしている。その目はキラキラと輝いているようにすら感じられた。


 そして、膨れ女。彼女は兼平さんやナユタの器とは一線を画する、巨大などんぶりでラーメンを食べていた。大量の麺を、スープを、一気に体内に吸収するように、物凄い速さで平らげていく。


 オホホホホホホホホ


 それは女性の高笑いのようにも聞こえる奇妙な音だった。その音ともに膨れ女の体が急速に膨らんでいく。

 その貌からは妖艶だった面影は消え失せ、おぞましくも醜悪な本性がさらけ出されていた。口は5つに増殖し、その口のどれもが食べても食べても消えることのないラーメンを吸引し続けている。チャイナドレスは肉の膨らみによってはじけ飛び、ぶくぶくとした肥満体からは無数の触手がうねうねと蠢いている。


「ナユタ、急いで」


 兼平さんはいつの間にか食器を片付け、カブに乗り込んでいた。ナユタが慌てて荷車に乗り込むと、それと同時にカブが発進する。

 膨れ女の膨張はなおも続き、どんどんと巨大になり、周囲を圧し潰していく。

 兼平さんとナユタは間一髪、その膨張から逃れ、カブは走行を続けていた。


「ラーメン、美味しかったね」


 今なお、膨れ女は巨大化を続け、周囲の森や川や道を圧迫し飲み込んでいる。そんな姿を眺めながら、ナユタは兼平さんのうっとりとした声に耳を傾けていた。

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