第十二話 タコ飯

 ナユタの乗る荷台がカタカタと揺れていた。時折、その揺れはガクンとした、より衝撃の強いものになる。

 兼平さんの運転するスーパーカブは足場の安定しない沼地を走っていた。


 ぬるぬるとした泥濘ぬかるみを進みながら、その運転は慎重なものになり、その速度は緩やかなものになっていた。沼地には草木が生い茂っていたが、その影は動くものがあった。

 それは何か小さな動物のようであったが、兼平さんとナユタを監視するかのような視線を感じる。


「チョー=チョー人よ。気をつけて。テレパシーとテレキネシスを使うから」


 兼平さんがぼそりと呟いた。

 しかし、それを聞いてもナユタはどう気をつければいいのか、わからない。


 ビィビィー


 カブのクラクションを鳴らす。年季が入っているせいか、どこか震えるような濁った音になっていた。

 そして、兼平さんが大声を上げた。


「チョー=チョー人たち! 代表者はいる?

 交渉しましょう。干し鮎なら、たくさんある」


 その声に反応して、子供ほどの背丈をした人々が草むらから現れる。

 その頭には髪は生えておらず、コーン状にとんがっていた。細長い目をしたのっぺりとした顔をしており、その目の奥からは油断のできない老獪なものを感じる。


 チョー=チョー人たちは交渉に応じた。兼平さんの差し出した干し鮎に対し、米俵を持ってくる。

 ナユタは久しぶりに白いご飯を食べられると思い、テンションが上がった。だが、同時に日本での生活を思い出して、懐かしいような、ホームシックな気分に浸る。


 そんな時だった。


 トルットルトルー


 甲高くも勇壮な音色が聞こえてきた。

 チョー=チョー人たちはその響きを聞き、ざわざわと動揺し始める。気のせいか、兼平さんの表情も強張っているように見えた。


 ナユタが音が聞こえてきた場所を探すと、沼の上に立つ黒い人間のような姿を見つける。そのものは角笛のような楽器を持っており、先ほどの音色はこの楽器から奏でたもののようだ。

 その全身は鯰のようにぬるっとした質感を持っており、まるで翼ででもあるかのように鰭が広がっている。その足には水かきがあり、沼地を悠々と歩いていた。特徴的なのはその口で、蝶か蛾のような、長く伸びたものだ。


「死の先触れ」

「破滅の使者」

「シュゴーラン」


 チョー=チョー人たちはざわめきながらも、そんな言葉を口にする。

 シュゴーランがあの黒いものの名前なのだろうか。


 やがて、いつの間にかチョー=チョー人たちは姿をくらましていた。

 兼平さんもカブに乗り込み、ナユタに「乗って」と焦った口調で言う。


 カブは再び走り始めた。


          ◇


 トゥルットゥルトゥルー


 シュゴーランの鳴らす角笛の音色が響く。

 兼平さんはカブを高速で走らせるが、泥濘にタイヤを取られ、時折滑ってその制御を失ってしまう。それでも、どうにかシュゴーランを引き離そうとするが、引き離した思った瞬間には角笛の音色が聞こえてくるのだ。

 シュゴーランは歩いていた方向とはまるで違う場所から現れ、まるで瞬間移動でもしているかのようだった。


 トゥルットゥルトゥルー


 角笛の音色に気を取られたせいか、兼平さんは曲がり角に気が付いていなかった。急いでハンドルを切るが、地面のぬめりによって滑り、カブが転倒する。兼平さんはカブから放り出されて沼地にまで飛んでいった。

 ナユタは急いで荷車を降りると、兼平さんの落ちた沼に向かって走る。


 トゥルットゥルトゥルー


 角笛が鳴った。それに呼応するように沼から触手のようなものが現れ、兼平さんの腕を、足を、首を、雁字がんじがらめに捕らえる。その触手は蛸の足のように吸盤がびっしりと生えており、それが兼平さんをがっしりと捉えていた。


 ナユタは彼女の危機に焦り、沼地へと急ぐ。

 不思議と恐怖はなかった。それどころか、触手の怪物に対して、どこか懐かしいような、見知った存在ででもあるかのような、親近感すらある。

 ナユタは兼平さんの元まで行くと、触手に組み付き、引き剥がそうとする。吸盤がしっかりと吸い付いており、容易に剥がせそうにはなかった。


 元を絶たなくては無理だ。


 そう思ったナユタは沼の奥に伸びる触手を掴むと、引っ張った。その行為にいきり立ったのか、触手を伸ばしていた生物が姿を現す。

 それは蛸のように見えたが、同時に人の姿のようでもあった。頭は蛸のような楕円を描いており、四角い瞳孔が光る。しかし、触手は四本しかなく、それぞれ人間の手足というべき場所から伸びている。蛸と人間の二つが融合した奇怪な生物であった。


 その蛸人間の触手がナユタに向かって伸びてくる。この時、ナユタの肉体に変化が起こった。

 ナユタの左腕がしなやかに伸び、蛸人間の触手に絡みついて攻撃を防いだ。そして、右腕もまるでゴムであるかのように伸び、蛸人間の首をグルグルと絞めつける。

 蛸人間は次第に力を失い、その動きは鈍くなっていった。完全に動きが止まるとプカァっと沼地の水面に浮き上がる。死んだようだ。


 兼平さんは触手をどうにか振りほどくと、水面に呆然とたたずむナユタを見つけた。ナユタはぐったりとしており、意識が朦朧としている。

 ナユタをどうにか陸地まで引き上げると、水面に浮かぶ蛸人間に目をやった。


「これは、クトゥルフの星の落し子クトゥルヒ

 ナユタがやったの? すごい、どうやったの」


 もう角笛の音色は聞こえなかった。シュゴーランの気配も消えている。

 ナユタは朦朧とし、意識を失いつつある中で、兼平さんの声を聞いた。


「料理を始めるよ」


          ◇


 ナユタは意識を取り戻しつつあった。

 兼平さんが鍋で何かを茹でているのがわかった。それは蛸だろうか、あるいは枝豆だったのかもしれない。


 兼平さんは蛸と枝豆を茹でていた。

 蛸が茹で上がると、それを一口大に切り分けていく。枝豆は鞘から出していった。

 さらに、ショウガを千切りにする。


 飯盒で米を研ぐと、二人分の水を入れる。そこに醤油と酒、塩、それに干し鮎を削ったものを入れて、さらに蛸と枝豆を沈めた。その上に千切りにしたショウガを乗せる。

 蓋を締めて、ガスバーナーで火にかけた。


 ナユタはその様子を横たわりながらも眺めていたが、しばらくうとうとと微睡まどろんだ。

 再び目が覚めると、お米の炊けるいい匂いが漂ってくる。グキューとお腹が鳴った。

 すると、兼平さんが声をかけてくる。


「起きたのね。ちょうど、ご飯できたところよ」


 飯盒のふたを開けると、ショウガの香りがブワッと漂う。刺激的だが、どこか爽やかな香り。

 ナユタは自分のお腹が減っていることを自覚した。


          ◇


 兼平さんが食器にご飯をよそう。茶色がかったご飯の中に、蛸の紫、枝豆の緑が映える。さらにそのてっぺんにショウガが乗せられた。

 見た目だけでも美味しいことが伝わってくる。


 さらに、鍋からお吸い物が注がれた。

 勧められるままに一口飲むと、干し鮎で取れた出汁の味が口いっぱいに広がってくる。濃厚でありながら、どこか清涼感があり、川のせせらぎと苔むした岩肌を思い起こさせる、牧歌的な味わいだった。

 具材として椎茸が入っており、その味わいを一層豊かにしている。椎茸を齧ると、柔らかでありながら、コリコリとした歯触り。噛みしめるごとに濃厚な風味が溢れ出てくるようだ。

 何より、お吸い物の塩気と水分がナユタに力を取り戻させる。グダグダに疲労した肉体に活力が戻ってくるようだった。


 タコ飯を食べる。

 これもまた、干し鮎の出汁が効いている。さらにショウガの風味も強く、否が応にも食欲が促進されるようだ。

 ご飯はホカホカで豊かな味わいだった。久しぶりに食べると、お米というものがどれほど心を満たしてくれるものなのか実感する。ナユタは確かな満足感を味わいながら、ご飯をむさぼった。


 ご飯も美味しいが、蛸も忘れてはいけない。

 弾力のある歯ごたえが嬉しい。旨味の濃縮された味わいが、噛みしめるごとに伝わってきて、ご飯がより一層美味しくなる。

 ご飯と蛸という馴染み深い組み合わせがナユタを落ち着いた気分にさせてくれた。


 枝豆もいい。

 シンプルながら病みつきになる美味しさがある。滋味があり、肉体に力が蓄えられるようだ。枝豆もまた、タンパク質の塊であることが食べることでわかる。


 ナユタは夢中になって、タコ飯を食べていた。


「ねえ、クトゥルフの星の落し子クトゥルヒをどうやって狩ったの?」


 兼平さんが話しかけてくる。


 ナユタは必死の思いで蛸人間に立ち向かったことを思い出した。自分の肉体が変化したことを覚えている。

 そのことに驚きはあったが、違和感はなかった。自分にあんなことができることは自然に受け入れることができる。ただ、その変化が唐突だったことだけに戸惑いがあった。


 ナユタはしばらく黙った。そして、ぽつりと言葉を返す。


「ごめん、覚えてない。混乱していて記憶がないんだ」


 兼平さんに明確な嘘をついたのは初めてのことだった。

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