第十一話 鮎のアクアパッツァ

 兼平さんがスーパーカブを走らせる。ナユタはそれに牽かれる荷車に乗り、ガタガタと揺られていた。


 水の流れるような、せせらぎが聞こえていた。地面の色も心なしか、青や白色が混じったものになっており、水や浜辺を思わせるものだ。

 ふと、ナユタが前方を眺めると、進行方向からトラックが向かってきているのに気づいた。


 トラックはだいぶガタが来ているようで、天井やドアが剥がれており、木材でむりやり補強されている。荷台には屋根がなく、ビニールシートを被せて荷物を覆っていた。

 乗車しているのは三人の男女だったが、一人はまだ幼い男の子で、どうやら三人家族のようだ。


 トラックが近くに来ると、停車した。それに反応して、兼平さんもカブを停車させる。夫婦と思われる二人が、それぞれの荷物を物々交換しないかと提案してきたのだ。


 兼平さんは荷車の中から、ゾンビのハムやソーセージ、ズーグ族の塩漬け肉、それに緑の男だった野菜を差し出した。

 夫婦はそれに対して、いくつかの荷物を見せるが、兼平さんは缶詰やお酒、山菜を選んだ。そして、トラックに置かれていたものに興味を見せる。


「これ、何か知ってる?」


 細長い棒に糸が巻かれた器具。ナユタは久しぶりに見た思いだった。


「釣り竿だよ。魚を釣るための道具なんだ」


 それを聞いた兼平さんはいつになく目を輝かせる。

「使い方知ってる?」と尋ねられたので、ナユタはその勢いに圧されるように「い、一応」と返事した。


 二本の釣り竿といくつかの食料とで物々交換が成立し、トラックの三人と別れる。

 兼平さんの興味はもう釣りに移っていた。


          ◇


 河に来ていた。

 日本の河川とは比べ物にならないほどに巨大な河で、向こう岸も見えないくらいだ。また、その色合いや質感も異質で、まるで絵に描いたように波の白と水の白がはっきりと分かれている。透明度は皆無といってよく、水の中はまるで見えなかった。

 それでいて水なのだ。ナユタは思い切って水に手を入れてみたが、冷やりとした感触とともに少しの抵抗があるだけだった。触り心地は水そのものだ。


「で、どうするの?」


 兼平さんとナユタは蟲を捕まえてきていた。

 ドールと呼ばれる蛆虫ワームの幼虫だ。成虫になるまでに凄まじい速度で巨大化していく蟲であり、大きいもので数キロほどの体長になるといわれる。この蟲が大量繁殖すると、星そのものを食い潰しかねないため、惑星によっては危険視される生物だ。

 だが、二人が捕まえたドールはまだ小さいもので指に乗っかるほどの大きさでしかない。


 ナユタは釣り針にドールを刺し込むと、釣り竿を構えて、河の中にビュッと投げ入れる。兼平さんはナユタの動きを真似して、同じように釣り糸を投げ入れた。

 日頃、兼平さんから教えられてばかりいるナユタは、今回は兼平さんに教えることができるのがうれしい。

 そして、しばし待つ。魚が食いつく気配はない。


「ねえ、いつまで待てばいいの?」


 兼平さんは少し退屈気に呟いた。ナユタは焦る。ナユタにもいつ釣れるかなんてわからない。

 人間牧場の川で魚が釣れるかどうかなんてわからないのだ。そもそも、日本にいたころだって、釣りなんて数えるくらいしかやったことがない。


 時間が経った。釣れる気配はまだない。

 兼平さんは釣り糸を垂らしながら、うとうとしている。ナユタは本当に釣れるのか気が気でなかった。


 そんな中、河の向こう側から現れるものがあった。それは光り輝く何かだった。

 光るものが近づいてきた時、それが人間の姿であることがわかる。それは男だった。純白の衣装に身を包んでいるため、輝いているように見えたのだった。

 ただ、その白い男は泳いでいるのでもなければ、船に乗っているわけでもない。水の上を歩いて渡ってきている。それは驚くべき光景だった。


「ふふ、釣れているかね」


 白い男は兼平さんとナユタの元まで来ていた。

 白いローブを身に纏い、眩いばかりの金髪をしている。だが、顔が見えることはなかった。ナユタは彼の顔を見ようと覗き込んだが、ただ光り輝いているということだけがわかるばかりだった。


「全然釣れてないです」


 ナユタは顔も見えない白い男にそう返事をした。

 それに対し、白い男は落ち着いたトーンで言葉を返す。


「そうかな、私にはよく釣れているように見えるよ」


 白い男がそう口にした瞬間、ナユタの手元に反応があった。同じように兼平さんの釣り竿も引いている。

 リールを巻き、糸を引き上げた。兼平さんはナユタの仕草を見て、真似るようにおなじ動きをする。


「あっ、釣れた」


 それは鮎だった。手のひらからはみ出すほどの大きさで、流線形の丸まった形状。青緑がかった色合いを美しいと思う。

 ナユタは釣り針から鮎を引きはがし、バケツの中に入れる。兼平さんも同じようにバケツの中に鮎を入れた。


 振り返り、白い男のほうに向いた。だが、すでに白い男は姿を消している。

 あれは何だったのだろう。ナユタは煙に巻かれた思いだった。


「そうだ、アユの友釣りって聞いたことがある」


 ナユタはハッと思い出した。


「こうだったかな」


 ナユタは鼻に管を通し、尾鰭に釣り針を差した。そして、丁寧に鮎を河の中に流す。


「これで釣れるの?」


 兼平さんは不思議そうな顔をしながら、ナユタの真似をして、管を通し、釣り針を刺した鮎を河に流した。


 鮎は縄張り意識の強い魚で、縄張りに入ってきた同種を見つけると、体当たりして追い払おうとする。友釣りはその習性を利用した漁法で、体当たりしてきた鮎を釣り針にひっかけ、釣りあげるというものだ。

 とはいっても、ナユタも話に聞いたことがあるだけで、実際にやったことはない。ほとんど戯れに始めたことだったが、面白いように鮎が釣れ始めた。それは兼平さんも同じだったようで、次々に鮎を釣り上げていく。


 気が付いた時にはバケツは鮎でいっぱいになっていた。いつの間にこんなに釣ったんだと思うほどである。

 それを見て、兼平さんは笑顔を見せる。今まで見た中で一番といえるほどの満面の笑みだった。


「それじゃ、料理を始めましょ」


          ◇


 兼平さんは鮎の鱗を落とすと、鍋に入れた。そこにオリーブオイルを注ぐ。

 さらにニンニクをスライスし、それも鍋に放り込んだ。

 即席の竈門に火をくべ、弱火で鍋に火をかける。


 ナユタはボウルに塩水を入れ、あさりの砂抜きをする。あさりはなぜか鮎を入れていたバケツの中に入っていたものだ。不可思議だが利用しない手はない。

 ブクブクとあさりから気泡が漏れた。砂が抜けていっているのがわかる。


 鍋の上で鮎が焼けていっていた。同時にニンニクの香りが漂ってくる。兼平さんは鮎をひっくり返し、もう片面も焼く。

 鮎が焼けると、白ワインをひたひたになるまで注いだ。そこにマッシュルームとミニトマトを入れた。ナユタが砂抜きしていたあさりも殻ごと入れていく。

 ワインが沸騰し、蒸発していくのに任せ、しばらくそのまま煮詰めた。


          ◇


 兼平さんがコップに白ワインを注いだ。ナユタはさらに酢を入れていく。

 どちらも、トラックの夫婦と物々交換したものだった。


 兼平さんが白ワインを飲むと、ナユタも一緒に飲む。以前は、ワインが苦手だと思っていたものの、意外に美味しいものだと思うようになっていた。

 なにより、今日は兼平さんと一緒に釣りをしたことで、距離が縮まったように感じている。それが嬉しかった。そのせいか、いつもよりもお酒がおいしいと感じるのだろうか。

 昨日、唐揚げを食べた後に、兼平さんに余計な質問をしてしまった。そう感じていたわだかまりが、いつの間にか解けたようにも思える。


 鮎のアクアパッツァに手をつける。その豊かな肉質と奥深い風味が堪能できる料理だ。それに加えて、あさりの濃厚な旨味がしみ込んでおり、同時にミニトマトやマッシュルームの出汁もしっかり出ている。それがシンプルな塩味を媒介にして、抜群の融合を見せていた。

 さらに、ニンニクの刺激的な匂い、食欲をそそるハーブの香りが合わさり、料理の完成度を底上げしている。


 あさりの食べ心地も最高だ。柔らかくも存在感の強い豊かな味わい。それは幸せを実感させる美味しさだ。

 また、マッシュルームのコリコリした歯ごたえと風味もまた楽しい。ミニトマトの酸味も効いており、その旨味と風味はアクアパッツァを完璧なものにしているといえよう。

 兼平さんは料理上手だ。それを実感させる出来栄えだった。


「素晴らしい料理だねえ。それだけに惜しいな。これだけだと画竜点睛を欠く」


 背後から声がして、ナユタの肩を叩くものがあった。

 それはあの白い男の声だ。


 急なことに驚き、ナユタは後ろを向くこともできなかった。

 白い男はナユタの背中越しに、皿を置くと、そこに一欠けらの真っ白なパンを乗せた。ふんわりとした柔らかそうなパンだ。焼きたての美味しい香りが漂ってくる。

 ナユタは湧き起ってくる食欲を抑えきれなくなった。


「美味しい料理には美味しいパンを。私は君たちにもっと食事を楽しんでほしい。

 これは私からのちょっとした贈り物だよ。喜んでもらえると嬉しい」


 白い男の語りが終わるのを待つこともなく、ナユタはパンを食べ始めた。

 何もつけないで食べても、小麦の純粋な美味しさが伝わってくる。そのままでも、いつまでも食べていられるように思えた。

 だが、アクアパッツァとともに食べると、また違った美味しさを見せる。魚介の滲み出る旨味、野菜の爽やかでありながらも濃厚な味わい、それにワインの風味。そのどれもが白パンにしみ込み、新たな美味しさを構築していた。


 世界が変わった。そんな錯覚があった。

 この世界は美しい。幸せだという実感がある。ただ、食事が美味しい。それだけで、人は幸せになれるんだ。その事実がパンを噛みしめるごとに全身を巡っていく。

 パンを食べるのをやめることができない。ナユタは延々とパンを食べ続けていた。


 奇妙なことである。だが、奇妙だと気付くのが大分遅れていた。

 白い男が置いたのは一欠けらのパンだったはずだ。それをずっと食べ続けている。パンがなくなる気配もない。


 これは一体どういうことなんだ。


 そう感じながらも、ナユタはパンを食べ続けることをやめられなかった。それは腹の中にしっかりと蓄積されており、胃はパンパンになり、苦しくて仕方がない。

 それでも、食べ続けるのをやめることはできなかった。パンが美味しすぎるのだ。


 ――苦しい。苦しい。苦しい。


 ――だけど、美味しい。食べるのをやめることができない。


 相反する二つの感情がありながら、ナユタは食べ続ける。

 このままだと胃がパンクして死ぬだろう。そのことをわかりながらも、ナユタは食べ続けた。ナユタは死を覚悟した。


「ふふ。冗談だよ。

 君たちにはまだ期待していることがある。今日はここまでにしよう」


 パチン


 白い男が指を鳴らす。

 その途端にパンが消えた。同時に、異常とも思えるほどの食欲も消え去っている。


 兼平さんとナユタは、白い男の意図がつかめず、ただ困惑するだけだった。

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