第十話 唐揚げ

 ナユタは母の運転する自家用車に乗り、その後部座席に揺られていた。

 初めて行く学習塾へ向かっている。ナユタは不安とけだるさを感じながらも、窓の外から流れていく景色を眺めていた。


 たびたび母が話しかけてくる。それに対し、興味なさげに返事していた。

 心の奥底では母への憎しみが渦巻いている。それでも、日常において、暴力を振るうことのない彼女を嫌いになることはできないでいた。


 なんとなく、塾に提出する書類を眺める。その中で、母の苗字とナユタの苗字は違う。

 両親が離婚し、母と暮らしながらも、ナユタは父と同じ苗字を名乗ったままだ。父はある日唐突に蒸発し、別の場所で家族を作り、また唐突に離婚を突き付けてきた。

 母の名前は変わったが、ナユタには自分の環境が変わったとも思えず、変わったことを誰かに伝えたいとも思えず、そのまま深敷と名乗り続けている。


 ナユタには家族が母しかいない。嫌いになり切れない理由はそんなところにもあった。


 後部座席はガタガタと揺れる。ナユタは景色を眺めていた。

 いつになったら学習塾につくのだろう。気づけば、揺れはどんどん激しくなっていく。そもそも、この車にいつから乗っていたのだったか。

 おかしい。記憶が全くない。それに、いま通っているこの道、いったいどこなのだろうか。そこはすでに街ではなく、奇妙にカラフルな木々が乱立する林道であった。


 ナユタが違和感に気づくと、強烈な吐き気を催す。


 ゲホォッ


 何かが吐き出された。黒い粘着質の液状のものだ。口の中から、喉の奥から、ガソリンのような刺激臭が漂ってくる。ナユタは堪らず、ゲホゲホとむせ返った。

 ナユタは自分が兼平さんの運転するスーパーカブが牽く荷車に乗っていることに気づく。


「こっ、ここ、どこ?」


 ナユタは激しく揺れる荷車の上で、舌を噛みそうになりながらも、兼平さんに質問した。

 周囲には、赤やオレンジ、黄と幹までがカラフルな樹木が並び立っている。母の運転する自家用車から見た景色がそのまま広がっていた。


「魔法の森。今はズーグ族に襲われている。

 ナユタ、あなたは浮き上がる恐怖に取り憑かれたの」


 見ると、カブを追って奇怪な動物が群がっていた。一見、ネズミのように見えるが、猫ほどの大きさがあり、鼻と口の周りにヒゲの代わりに触手が生えている。


「なっ、なんで、こんなことに!?」


 ナユタが悲鳴にも似た叫びをあげる。


「わからない。私も同じだから」


 バックミラー越しに兼平さんの表情かおが映った。ナユタと同じように口の周りに黒い粘着質のものがべったりとついている。そして、彼女の頬には涙が伝ったような痕があった。遠目で見ているため定かではないが、なぜかナユタにはそれを確信する。


 だが、一体、何があったのだろうか。


          ◇


 最後の記憶は何だっただろうか。


 今日も兼平さんはカブを走らせ、人間牧場を進んでいる。そんな彼女たちの前に一人の女性が立っていた。

 兼平さんやナユタよりは年上だろうが、おばさんというほどではない。目についたのは、その女性が赤子を抱いていたことだ。


 大切なものを包むように、柔らかに抱きかかえられる赤子だが、おかしな赤子だということがすぐにわかった。奇妙なのはその目だ。

 当然、赤子なのだから無垢な瞳があるものと思うところだが、この赤子にあるのは老獪な眼光だった。


 その鋭い眼光が兼平さんとナユタを睨む。その突き刺さるような視線に、ナユタは身がすくみ、恐怖が浮き上がるようだ。

 そして、その口からは粘着質な黒い液体が吐き出され、それが通りすがるカブに降りかかる。


 それが、ナユタの最後の記憶であった。


          ◇


 カブの荷車に向かってズーグ族が迫ってきている。その中の一匹が荷車の後輪に噛みつき、荷車はガタガタと揺れた。

 ナユタは槍を取り出すと、その柄を向けて、ズーグ族を振り落とそうと突っつく。


 その瞬間、ズーグ族と目が合った。

 老獪で厳しい眼差しがナユタを射抜くように見つめている。それは意識を失う前にみたものと同じものだった。ナユタはゾクリと冷えるようなものを感じ、頭が真っ白になるような、眩暈がするような感覚を覚える。


 やらなければ。


 ナユタはどうにか意識を保ち、槍を持ち替えると、刃をズーグ族目掛けて突き刺した。

 皮と肉を突き破る感触が伝わってくる。そのズーグ族の口からは何か黒い粘着質のものが吐き出されていた。

 ナユタは槍を戻すが、ズーグ族は突き刺さったままだ。そして、刃が刺さったまま血がどくどくと流れている。


 その血を見て、ほかのズーグ族たちも色めきだった。次々にカブの荷車にぶつかってくる。中には荷車によじ登り始めるものもいて、車輪や車体に齧りついた。

 このままでは荷車が崩壊する。ナユタはパニックになった。


「しょうがない」


 兼平さんはぼそりと呟くと、何かビンのようなものを投げた。

 ビンが地面に落ちると、ズーグ族の群れは今度はビンに群がり始める。


「飛ばすよ」


 そう口にした瞬間、カブの速度が上がった。ナユタは身をかがめ、荷車にへばりつく。だが、その瞬間、群がるズーグ族の後方に老獪なまなざしを持つ老ズーグの姿が見えたような気がした。

 しばらくして、ズーグ族を引き離すと、少しスピードが弱まった。ナユタは顔を上げると、兼平さんに尋ねる。


「あれ、何投げたの?」


 それに対して、兼平さんは少し悔しそうに答えた。


「ワインよ。ズーグ族は果実酒に目がないのよ」


 ナユタは手元にまだ槍を握っていることに気づき、まじまじと見る。刃にはまだ突き刺したズーグ族が突き刺さっていた。

 兼平さんもそれに気づくと、ふふと笑い、言った。


「それじゃ、料理を始めようか」


          ◇


 二人とズーグ族が吐き出した粘液質の黒い液体は油のようであった。それはどうにか集めて、鍋の中に入れる。


 兼平さんがズーグ族を解体した。

 ズーグを足からつるして皮を剥ぎ、はらわたを取り出す。そして、血抜きをして、部位ごとに切り分けた。

 今回使わない部分は袋に取り分ける。


 一方、ナユタはニンニクとショウガを潰した。

 それを兼平さんが切り分けたズーグの肉に揉み込ませ、さらに醤油を加える。揉み込んで水分をすべて肉に吸収させた。


 肉はしばらく置き、サラダを作ることにする。

 といっても、緑の男の部位であるキャベツのような葉野菜とミニトマトのようなものを並べるだけだ。キャベツは千切りにした。


 竈門で火を炊く。黒い油の入った鍋を火にかけ、油を熱する。

 火は強すぎてもいけない。兼平さんは火加減を調整し、油を一定の温度で保つようにした。


 そうして、十分に味のしみ込んだ肉に小麦粉をまぶし、鍋に入れていく。ジュワーっという音を響かせて、肉は上がっていった。それを兼平さんは見つめながら、しっかりと上がったタイミングを見計らって、ひっくり返す。さらに少し上げ、今度は器に盛りつけていく。


 唐揚げが出来上がった。


          ◇


 器に唐揚げが並ぶと、兼平さんはビンを取り出した。


「悲しいときはお酒を飲みましょ」


 そう言ってコップに茶褐カラメル色の液体を入れていく。

 ナユタが恐る恐る匂いを嗅ぐと、果実のような甘い香りが漂ってきた。これはリンゴだろうか。


「これはアップルワイン。ズーグ族に投げたのと同じもの」


 兼平さんがぼそりと呟く。

 ナユタはアップルワインを舐めるようにして飲んだ。ほのかに甘いが、それ以上にアルコールのキツさで舌と喉が焼かれるようだった。

 しかし、次第に体中が熱くなり、気分が少し高揚してきたように感じる。これが、酔ったという感覚なのだろうか。


 先ほど見た幻覚の記憶を探る。もはや、思い出すこともなかった子供のころのことが再現されていた。やるせなさが甦ってくるようだったが、それでも平然としていられるのは、酔っているからだろうか。

 兼平さんはあの時、泣いていた。そう思い起こす。彼女はつらい幻覚を見たのだろうか。


 そんなことを考えてはいたが、ふと唐揚げが目に入ると急激にお腹が減った。長いこと、何も食べていなかったように思える。


 唐揚げを口の中に運んだ。噛みしめると、柔らかくジューシーな味わいが飛び込んでくる。衣が薄いせいかサクッという歯ごたえは薄いが、その分、肉の旨味がダイレクトに味わえるかのようだった。

 味付けはニンニクとショウガの風味が聞いており、食べるごとに食欲が増進されるようだった。醤油の塩気と香りともよく合っており、この三つの味付けが混然一体となった得も言われぬ美味しさがある。


 ナユタはパクパクと夢中になって唐揚げを食べた。あっという間になくなっていくように思えた。

 サラダとして配置したキャベツの千切りも食べる。唐揚げの塩気とキャベツのバランスが良く、また脂っこさを中和する感覚もある。爽やかな歯ごたえが心地いい。

 ミニトマトも食べる。酸味の強いミニトマトだったが、唐揚げとの相性が良く、お互いを補完するように感じた。


 唐揚げを食べ終えると、ナユタは一息つく。

 気分が高ぶっているせいか、兼平さんに質問した。


「兼平さんはあの時どんな幻影を見たの?」


 兼平さんはナユタを見つめて、呆然としたように一瞬動きを止める。だが、少しすると、話し始めた。


「私はね、少し前までおばあちゃんと旅をしていたのよ。それで……」


 そこまで喋ったところで、兼平さんが瞳からツーっと一筋の涙が流れた。そして、言葉を詰まらせる。

 ナユタにはそれ以上、兼平さんから話を聞くことはできなかった。

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