第八話 ハムサラダくん

 物音がしてナユタは目を覚ます。

 ガサゴソという物音を建てていたのはコウだった。彼女が何かを調理をしていたのだ。


 コウは鍋に水を入れると、兼平さんの作った竈門で火にかける。湯が温まってくると、塩漬けにしていたゾンビ肉を取りだして、袋のまま湯に沈めていった。

 いくつもの肉を沈めると、竈門の火加減を落としたり、上げたり、湯に水を差したりと、お湯の温度を調整する。


 それは長時間にわたって続いていた。

 なんとなくその様子を眺めていたナユタは次第にウトウトする。いつの間にかまどろみの中に揺蕩たゆたい、意識がぼやけていった。

 そして、目を覚ますと、すでにコウも、コウの運転するスクーターも姿を消していた。


「コウは行ってしまったみたいね」


 コウの残した書置きを眺めながら、兼平さんが少し寂しそうに呟く。

 ナユタも書置きを読んだ。別れの言葉がさらっと書かれ、「ハムを作ったから食べて」と添えられていた。

 確かに、スーパーカブの荷車にはハムの塊が数個、ごろっと置かれている。


「そのうち、また会うこともあるでしょ」


 兼平さんがぼそりとそう言った。


          ◇


 兼平さんとナユタはスーパーカブに乗る。とは言っても、今日の目的地は僅かな距離の場所だった。

 グラ―キの使役するゾンビに襲われていた集落を訪ねるつもりなのだ。


 集落に近づくと、兼平さんはカブを停める。

 今までに見た集落の中でも大きいものだった。大人ばかりか子供たちまでいるようで、カブに気づいた女の子が近づいてくる。


「ゾンビを狩ってくれたの、おねーちゃんたちなの?」


 女の子の問いに、兼平さんは静かにうなずく。

 それを見て、「ありがとう!」と嬉しそうにはしゃいだ。その様子に兼平さんの顔に少しだけ笑みが浮かんでいるのにナユタは気づいた。


 気分の良くなったナユタは兼平さんとともに集落の中に進んでいく。

 そして、その中心地にまで来たところでギョッとする。奇妙な男の象が置かれていた。その身体は植物で構成されており、さまざまな種類のありとあらゆる草木が生い茂り、それでいて人の姿を象っていることだけはハッキリとわかる。

 それは緑の男とでもいうべきものだった。


「これは……」


 ナユタが思わず呟くと、それを質問と取ったのか、ずっとついてきていた女の子が答える。


「この緑の男が悪い神様を呼ぶんだって。普段は寝ているみたいだけど」


 その口ぶりからだと、これはただの像ではなく、邪神そのもののように思える。あのグラーキを呼び出したのがこの像だとすると、集落がゾンビの脅威に襲われていたのも、この像の仕業だということか。

 ナユタは不気味さの正体がわかったようで腑に落ちた気分だった。

 それに対し、兼平さんはツカツカと緑の男に近づいていく。


「お前の言う見返りは、それでいいのかい」


 兼平さんの背後、ナユタの目前でその声は響いた。いつの間にか、という言葉は当てはまらない。ごく自然に、当たり前のようにその場所にトートがいた。

 そのトキのような嘴から甲高い声が発せられる。鳥の鳴き声のようでありながら、意味の伝わる奇妙な響きであった。


「緑の男よ、私が来た。この地を去るんだ」


 トートの言葉が響くと、緑の男に変化が起きた。

 とはいっても、急に動きだしたということもなければ、何かを喋ったわけでもない。それでも、緑の男の纏う空気のようなものが一変したことがわかる。


 ――私が来たか。この地に留まるのも飽きてきたことだ。


 それは声でもなく言葉でもなかった。だが、なぜかナユタにはその思念のようなものが伝わってくる。兼平さんの様子を窺うが、彼女にも同様に伝わっているようだ。


 ――では、消えるとしよう。


 その響きがナユタを感じた時、急に緑の男から禍々しさが消えていた。そればかりか、今まで人の姿をしているように見えていた像が、まるっきりに人間とは似ても似つかぬものであったと思えてくる。

 まるで強烈な錯覚が失せていくような、奇異な感覚だった。残ったのは植物の合成物キメラであるかのような奇怪な物体である。


 兼平さんは緑の男だった像に近づいていくと、嬉しそうに笑った。そして、言う。


「じゃあ、料理を始めましょ」


          ◇


 兼平さんは緑の男の残骸から、いくつもの植物を集めていた。笑みをこぼしながらも、それらを抱えて持ってくると、まな板の上に置く。植物をザッザッと切り始める。

 集落の人々も「自分の取り分は全部もらった」という兼平さんの言葉を聞くと、こぞって緑の男の身体を持っていった。


 それを横目に見ながらナユタはコウの作ったハムを取り出し、薄く切っていく。

 薄いピンク色の肉塊は美しく、食欲をそそられた。肉とハーブの香りが切り刻むたびに感じられる。

 ついつい、つまみ食いしたくなるが、さすがにそれは憚られた。兼平さんと料理しているのだ。一人だけ食べるわけにはいかない。


 一方、兼平さんは次々に緑の男だった野菜を切っていっていた。

 細長い深緑の植物はサクサクと薄切りにし、淡い緑色の塊は皮を剥いて種を除き乱切りにしていく。重なった葉のような植物は手でちぎって小さくした。

 それらを次々と皿の上に装う。最後に、ナユタの切ったハムを盛り立てた。


 さらに、ドレッシングを作る。

 兼平さんは緑の男の破片の一つから、種のようなものを集め始めた。それはゴマのような外見に思える。

 そのゴマのようなものをすりつぶし、粉にしていった。それに塩、砂糖、酢、醤油、油を入れ、混ぜ合わせる。


 茶色がかった液体が出来上がった。

 それを野菜にかけると、胡麻の風味と油のこってりとした香りが広がる。野菜が一過程でサラダへと進化したのが見て取れた。


          ◇


 兼平さんとナユタがハムサラダを食べようとすると、女性から声を掛けられる。先ほどまで一緒にいた女の子を連れている。彼女の母親なのだろうか。

 女性は感謝の言葉とともに、飲み物をくれる。爽やかな柑橘の香り。梅酒だった。


 兼平さんは梅酒をグビッと飲む。そして、嬉しそうにニコニコと笑った。よほど、梅酒が気に入ったのだろう。

 それに釣られてナユタも梅酒をグビリと飲む。よく冷えていて爽やかな味わいだ。ほんのりとした甘みも嬉しい。ついついお酒だということを忘れて飲み過ぎてしまいそうだ。


 いよいよハムサラダに手を付ける。

 まずはハムだ。肉厚に切られたハムを口に入れた。さっぱりとした味わいの中に、しっかりとした肉の旨味がある。噛みしめるごとにジューシーな肉汁の味わいがあるようで、食べるごとに食欲が湧き立つようだった。


 ハムをさまざまな野菜と一緒に食べる。

 薄切りにされた深緑の野菜。それはきゅうりのようだった。シャキシャキとした歯応えが小気味よく、瑞々しい味わいが堪えられない。どことなく感じる青臭さがアクセントになっていて、こってりとしたしつこさを爽やかさで一掃してくれる。

 葉野菜もまた良い。これはレタスのようで柔らかくも確かな噛み心地がある。ドレッシングの旨味をよく吸っており、ハムやドレッシングの味わいを引き立てる名脇役だ。


 薄緑の塊はバターのような脂を湛えたアボガドのようだった。野菜とは思えないほどの旨味とコッテリさがあり、ハムやドレッシングによってその旨味が倍増していく。

 さらに、トマトも添えられていた。その酸味と深い旨味、これもまた良いものだ。


 サラダだけでも満足できるものだ。

 ナユタは腹が満たされたのを感じ、もう一口と梅酒を飲む。


 ふと、先ほどの女の子が目に入る。女の子はお腹が痛いのか、急にうずくまり始めた。

 そのまま、しばらく悶えると、口の中から、鼻の穴から、耳の穴から、そして目から、芽のようなもの生え始めた。それは瞬く間に成長し、女の子を心配して抱き上げていた母親を吹っ飛ばす。木の幹のようなものが、蔦のようなものが、茎のようなものが、次々に女の子を覆っていった。

 次第に女の子は緑色の人間へと姿を変える。その姿は緑の男というべきものだった。


 だが、ふいっと植物が枯れ始めた。瞬間的に緑が茶色へと変色していく。

 植物は枯れて、粉々に砕けた。女の子も一緒に。


「緑の男はこの地から去った。戻るようなことはないさ」


 ふと、トートの声が聞こえたような気がした。

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