第七話 角煮と中華饅

 真っ暗な闇の中で、ナユタは息を潜めていた。

 それは兼平さんもコウも同じことだ。身をかがめて、現れるものに見つからないようにしていた。


 現れたのは意外なことに二足歩行の生物だった。

 ナユタは動揺する。それはコウも同じことだった。


「ちょっと、サオリ。今回の獲物は人間なの? さすがに聞いてない、こんなこと」


 それに対し、落ち着いた様子を崩さずに兼平さんは答える。


「あれは人間じゃない。よく見て」


          ◇


 相変わらず、コウのスクーターがついてきていた。それでも、いつもと同じように兼平さんの運転するスーパーカブは進んでいく。

 森の近くを通るガタガタと揺れる荒地から、湿地帯のようなぬかるんだ道に変わっていっていた。付近には紫色の毒々しい色をした沼地が広がっている。

 ナユタは荷車の中から不安定な足場に不安を抱いていたが、彼らの前に奇妙な人物が立ちはだかっていることに気づいていた。


 その人物の頭は鳥だった。そう、あれはすでに絶滅したとされる日本を象徴する鳥、トキの頭のように思える。

 その衣服も特徴的で、首周りに派手な色味の装飾がなされた飾りが掛けられていた。服装はトーガのように布が撒かれたもので、どこか古代エジプトの人のような印象を受ける。


「おい、あんたは何なんだ? 邪魔だよ。そこをどいてくれないか」


 コウの罵声が響いた。それに対し、トキの頭を持つ男が顔を向け、話し始める。


「私はトート。君たちに頼みがあってきた。

 この先に集落があるが、怪物に襲われて困っているんだ。君たちにはそいつらを狩ってほしい。やってくれるな」


 嘴が開き、甲高い声が聞こえてくる。鳥の鳴き声であり、人間の言葉でもあった。オウムのおしゃべりとも似ているが、それ以上に奇妙な感覚がある。

 とはいえ、一方的に決めつけられては黙ってもいられないのだろう。コウは激しい剣幕でトートに反論した。


「なんで私たちがそんなことしなきゃいけないのよ。

 必要なことなら、あんたがやればいいんじゃないの」


 そう言いかけたコウを兼平さんが止める。


「わかった。それは私たちがやる。

 トート、それに見合った見返りを」


 兼平さんがそう伝える。すると、トートは満足そうに頷き、姿を消した。


「サオリ、どういうこと? なんでそんなことしなきゃいけないの?」


 コウが尋ねるが、兼平さんはため息を吐く。


「あなた、狩りの手伝いをするためについてきているんでしょ。あれは今日狩りができるという印よ。それを否定してどうするの」


 それを言われて、コウは言葉に詰まる。

 ナユタはそれでも疑問を口にせずにはいられなかった。


「あのトートって、あれも邪神なの?」


 それに対し、兼平さんは頷く。


「そうよ、厄介なね」


 その言葉を聞き、コウはどこか青ざめた表情をしていた。


          ◇


 ナユタは逃げている。

 追いかけてきているのは緑色の苔のようなカビのようなものに覆われた人間のように見えた。あるいは、ゾンビとでもいうべき存在だろうか。


 トートに頼みごとをされた後、兼平さんは周辺の地理を把握していたようで、的確に準備を始めた。

 沼地と集落の間をつなぐ道の中間地点まで移動すると、その場所に泥を固めてカモフラージュして、待ち伏せすることを提案する。三人は少しの野菜と缶詰で腹ごなしをしつつ、夜を待った。獲物となる怪物は夜にしか現れないのだ。


 果たして、夜も更けると怪物が姿を現した。それは三匹いた。三人と表現したほうが的確かもしれない。

 予想外のことにナユタは慌てたが、兼平さんは落ち着いた様子で「それぞれ一体ずつやるよ」と言い放ち、コウもそれに同意する。


 兼平さんとコウが散った。ナユタは一人取り残される。ゾンビがナユタに向かって襲い掛かってきていた。


 ヒュン


 横から矢が飛んできて、ゾンビの頭に刺さる。兼平さんだ。矢にはロープが括られており、兼平さんが引っ張ったのだろうか、ゾンビはロープに引かれるままに倒された。

 別の方角からは投石が飛んでくる。コウが投げたのだろうか。ゾンビは投石に足を取られ、動けずにいた。

 しかし、ゾンビはもう一体残っている。ナユタはゾンビに背中を見せると逃げ出した。


 ゾンビの歩みは緩やかだ。走ることができないので、走り続けている限りナユタが追いつかれることはない。だが、走り続けるなんて無理なことだ。

 すぐに息が切れてきて、動きが鈍くなってくる。次第にゾンビとの距離が縮み始めていた。

 武器として槍を持ってはいるが、それで肉弾戦をすることははばかられる。ゾンビに対して距離を詰めて戦うことは恐ろしく、何より力負けしそうな予感しかない。


 走っていると、すでにゾンビを始末したであろう兼平さんとコウが遠くでワーワー言っている。声援を送ってくれているのだろうか。

 ナユタは二人がいる場所に向かって走っていく。二人は応援してくれるだけで、加勢してくれる様子はない。自分だけで逃げ切らなくてはいけないのだ。


 走りづめで、意識が朦朧とし始めていた。それでも走らなくてはゾンビに捕まってしまう。

 力を振り絞り、ラストスパートをかける。兼平さんとコウがいる場所まではあと僅かだった。そして、最後の力を使い、その場所までダイブする。ナユタを追っていたゾンビはそのままナユタを追い、地面が崩れるままに埋もれていった。

 前もって落とし穴を掘っていた場所だった。どうにか誘導して罠に嵌めることができたのだ。ナユタは穴の中でもがくゾンビの頭部に槍を突き刺す。ゾンビから血は出なかった。


 肩で息をするナユタに向かい、コウが「やったな」と笑顔で声をかけてくれる。

 兼平さんも少し微笑んだような表情になり、言った。


「それじゃあ、料理を始めましょ」


          ◇


「うえー、本当にゾンビを料理するのかよ」


 コウが悲鳴のような声を上げていた。ナユタも抵抗があることを隠し切れない。

 だが、そんな二人の様子を意にも介さず、兼平さんは「ゾンビは血抜きしなくていいから楽なのよ」と嬉しそうに言い放った。


 兼平さんはゾンビの首を切り落とし、次いで手首、足首を切り落とす。そして、緑色の苔にまみれた皮を剥ぎ始めた。ナユタとコウは兼平さんに従って、見様見真似で同じように解体していく。


「緑色の皮が残っていると、太陽光で溶けちゃうから気をつけて」


 三人は細心の注意で皮を剥がしていく。剥がれづらい部分は包丁でどうにか削ぎ落とす。

 さらに、ゾンビの背骨の中央で切断し、肉を左右に分けていった。

 内臓を取り外すと、肩肉、ロース、モモ肉、バラ肉と各部位ごとに切り分けていく。


 兼平さんは三人分のバラ肉を集めると、ブロック状に切った。

 コウはそれ以外の肉を次々に塩漬けにしていく。

 ナユタは荷車から小麦粉を取り出した。ガスバーナーで沸かせたぬるま湯と混ぜ合わせ、粉をこねていく。こねながら砂糖や塩、油をまぜる。ドライイーストがないのが残念だが仕方がない。


 兼平さんは焚き木と石を集めて即席の竈門を作った。鍋にバラ肉とネギ、生姜をいれると水を入れて、竈門の火にかける。沸騰すると、焚き木の量を調整して火を弱めた。アクが出てくると匙で取り除く。

 バラ肉が柔らかくなったのを見計らうと鍋から取り出し、一口大に切った。鍋には醤油とみりん、砂糖、それに水を入れると、さらにバラ肉を煮込む。ついでに残っていた野菜である大根も一口大にして鍋に入れた。沸騰するとまた火を弱め、落し蓋をする。

 一切れだけ味見をする。兼平さんはその味わいに満足にしたのか、少し口をゆがめ、三人分の皿に角煮を盛り付け、残った煮汁をかけた。


 一方、ナユタは飯盒で小麦で作った生地を蒸していた。飯盒の中に網を入れ、その下に水を入れる。こねた小麦の生地をその上に乗せ、蓋をするとガスバーナーで火を入れた。

 少しずつ膨らんでいくのを確認し、成形しつつ、また蒸す。やがて、少し平べったい中華饅のようなものが出来上がった。


 同じころ、コウも肉を塩漬けにする作業を終えていた。


          ◇


 三人は「いただきます」と声をかけ合うと、豚の角煮を食べ始めた。


 ごろっと皿の上に転がる肉の塊がそれだけで嬉しい。「ゾンビの肉なんて」と思っていたのがウソのように食欲が湧いていた。

 口の中に肉を運ぶと、とろとろで柔らかく、脂身はそのまま溶けていくような感覚に陥る。しっかりと味がしみ込んでおり、醤油の塩気とみりんの甘さが肉とともに存分に堪能できた。肉自体もクセがなく、旨味たっぷりで実に美味しい。

 久しぶりに新鮮な肉を味わい、ナユタはその多幸感に酔いしれた。


 肉も美味しいが、大根も美味しい。爽やかで瑞々しい味わいは、醤油とみりんの煮汁をしっかり吸い込んでいる。さらに肉の旨味も合わさっているようで、柔らかく爽やかな食べ心地に、複雑な風味が加えられている。まったりとした幸せを感じられる、そんな味わいであった。


 平べったいのが気になるが、角煮を中華饅で挟んでみる。少しパサパサしているようにも思えるが、ふかふかの食感もあり、小麦の甘さ、旨味が肉と合わさることで、バランスの取れた味わいになっていた。肉と小麦の組み合わせ、これは黄金のコンビネーションだといえるだろう。

 これが欲しかったんだ、ナユタはそう思った。何より、この中華餡は自分が作ったのだ。そう思うと、一層美味しいと感じられる。

 だが、同時に不安になった。自分で作ったから美味しいものの、兼平さんやコウはそうではないだろう。


「この中華餡、大丈夫かな。自分ではよくできたと思うけど、変な味だったりしない?」


 ナユタはおずおずと尋ねた。

 兼平さんとコウも中華餡に角煮を挟んで食べている。


「ちょっと固いけど、これはこれで美味しい」

「美味いよ。ナユタ、やるじゃん」


 二人とも笑顔だった。その言葉と表情にナユタは救われる思いがした。そして、美味しく食べてもらえていることに喜びを感じる。

 高揚感を抱いたまま残りの角煮と中華饅を食べ切る。先ほどまで以上に美味しいと思った。


          ◇


 食事を終えると、コウの持っていたインスタントコーヒーを淹れ、しばし落ち着いた時を過ごしていた。

 空は明るくなりつつあったが、ほとんど徹夜したような状態であり、みんな眠くなり始めている。

 そんな微睡みつつある時は、轟音と共に中断された。


 ザバァッ


 沼地から轟音が響き、巨大な蛞蝓ナメクジのような怪物が姿を現していた。顔と思しき箇所からは三本の触手が伸びており、その先端には目がある。身体の下部には足の代わりなのか、ピラミッド状の突起で覆われていた。背中には金属のような棘が伸びている。


 ――我が下僕を片付けてくれたようだな。不愉快だ。


 ナユタの頭に言葉が響いた。音声が発せられているわけでなく、ただ言葉だけが直接響く。奇妙な感覚だった。


「テレパシーね」


 兼平さんは珍しく焦燥したような表情をしている。彼女のそんな顔を見るだけでナユタは不安になった。

 これは、兼平さんでも手に余るような事態なのだろうか。


「不愉快なのは私だよ、グラ―キ」


 甲高い声が響く。

 ナユタたちの背後からツカツカと、蛞蝓の怪物――グラ―キの前に躍り出るものがあった。

 トキのような異形の頭部に、トーガを纏った衣装。沼地の怪物退治を依頼してきたトートである。


「勝手に私の領域に入り込まれては困る。

 沼の奥底に引きこもられたのでは、釣りだすのも一苦労だ」


 トートの存在を認識したグラ―キは鳴き声を放った。それは悲痛とも驚愕とも取れるが、彼のものの絶望を感じさせる悲鳴のように感じられる。

 トートの口様から察するに、ナユタたちにゾンビを狩らせたのはグラ―キを沼の外に誘い出すためだったのだろうか。


 奇妙なことが起きた。

 トートは人間とそれほど変わらない大きさであり、グラ―キは異様なほどに大きい。ちょっとした建物なら簡単に飲み込めるほどである。

 それにも関わらず、トートは虫けらを啄ばむように、グラ―キを一飲みにした。トートは小さいままで、グラ―キは大きいままである。姿は変わらないが、それに違和感もなく、さも当たり前のことのように思えた。


 三人がポカンとしていると、トートのトキのような嘴が開く。


「サオリ、見返りを、だったね。

 今はまだ必要ないだろう。またいずれ」


 そう言うと、背中から翼が広げ、いずこへか去っていった。

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