第六話 おでん缶
暗い森の中をスーパーカブが走っていた。
珍しく並走しているバイクがある。兼平さんの運転するバイクと同じように、スクーターが荷車を牽引したまま走行していた。
背後からは悍ましいうなり声が聞こえ、同時にバキバキと木々がへし折られる音が響く。とてつもなく恐ろしいものがカブとスクーターを追跡していた。
「コウ、あんた荷物を捨てなさい」
兼平さんにしては感情的な声を出していた。その言葉はスクーターに乗る少女に向けて発している。
「いやよ、またいつ手に入るかわからないじゃない。
それに、もう少しでこの森も抜けられる……んじゃないかと思うんだけど」
コウの言葉は最初は強気だったが、だんだん小さいものになっていく。
そうしている間にも、バキバキという木々の倒れる音は近くなっていた。ナユタはカブの荷車に身を潜めながら、迫りつつある怪物の存在に恐れおののく。
◇
プップー
背後からクラクションが鳴った。
ナユタも兼平さんも音が鳴った方に視線を向ける。そこには荷車を牽いたスクーターがあり、スクーターに乗っているのは快活そうな少女だった。茶色がかった髪は後ろにまとめられてポニーテールになっており、Tシャツにジーンズというラフな服装をしている。もっとも、そのどちらも
「サオリ、久しぶりじゃない。
あれ、人間を拾ったのね。なんていうの?」
見た目通りに、快活な声で話しかけてくる。
兼平さんの知り合いなのだろうか。
「あ、えと、僕はナユタです。
兼平さん、この人は知り合いなの?」
ナユタはおずおずと名前を名乗る。
兼平さんは素っ気なく、「はとこのコウよ」とだけ言った。
「ねえ、サオリ。食糧余っていない? もうカツカツなのよ」
コウはスクーターで並走しつつ、兼平さんに尋ねていた。
兼平さんは無表情のまま答える。
「私たちも食べ物ないのよ。シャンタク鳥の肉も今朝食べ切っちゃったし。野菜くらいだったら、分けられるけど」
それを聞いて、コウは大げさにため息を吐いた。
「野菜だけぇー。そんなんじゃ食べた気にならないよ。
どうせ、また狩りをする計画があるんでしょ。私にも手伝わせてよ」
相変わらず表情を変えず、兼平さんは「まあ、いいけど」とだけ返事をした。
コウは反応の薄い兼平さんから、話し相手をナユタに変える。
「あんた、最近こっちに来たの? 私は
私のおばあちゃんの妹がね、サオリのおばあちゃんだったのよ。えーと、
まくし立てるコウのしゃべりに、ナユタはどうにか相槌を打った。
しかし、彼女の言葉から察するに、兼平さんは少し前までおばあさんと一緒にいたということだろうか。
◇
カブとスクーターが連れ立って進んでいると、黒い森が見え始める。ンガイの森がここまで広がっているのだろうか。あるいは別の黒い森なのだろうか。
周囲に黒雲が覆い、森の中に暗闇が広がっていることは容易に想像できた。
「ねえ、あれ!」
コウが大きな声を上げた。それに対して、兼平さんは「うん」と頷く。
二人の視線の先にはトラックが止まっていた。トラックは森の入り口で気にぶつかり、破損しているようだ。
カブとスクーターは黒い森に向かって進み始めた。
ナユタと兼平さん、それにコウはトラックの荷台に入った。
ダンボールが並び、その中にはいくつもの缶詰が入っている。
「……おでん缶。なにこれ?」
兼平さんは普通の缶詰よりも長い缶詰を手にして、ぼそりと呟く。
「おでんの詰まっている缶詰だよ。温めてたべるんだったっけ」
ナユタがそう教える。兼平さんにも自分が教えられることがある、そう思うと少し嬉しかった。
「サオリ、もしかしておでん食べたことない? 練り物とか、人間牧場じゃハードル高いからねぇ。寒い日に食べると美味しんだよー」
コウも同じことを思うのか、ニコニコしながら兼平さんに教えている。
兼平さんはそれを聞いて数個を手に取ると、自分のカバンの中に入れた。それに対し、コウはダンボールを数個を抱えている。
「あんた、人間牧場では執着するのやめた方がいいって、おばあちゃんに聞かなかった? あんまりたくさん持ってかないほうがいいよ」
兼平さんは冷静に淡々と忠告する。しかし、コウは兼平さんの言うことを聞かず、段ボールを抱えたままトラックの荷台から出ていった。
ナユタと兼平さんはしばらくトラックの荷台に何が積まれているのか見ていたが、コウは何度もトラックの入り口と出口を行き来し、ダンボールを運んでいる。
トラックの荷台から出ると、ナユタは驚いた。
スクーターの荷台には大量のダンボールが詰まれている。それは予想できたことだった。
それ以上に驚くべきことは、黒い森の入り口にいたはずが、いつの間にか森の中にいたことだ。いつの間にか森が広がったのだろうか。
――うがあああああ
不気味なうなり声が響く。バキバキと樹木を押し倒し、巨大な怪物が姿を現していた。
黒い毛に覆われたその怪物は、鼻があまりにも巨大で、その顔がどんなものか判然としない。その前足からは巨大な鉤爪が生えており、瞬く間に樹木を切り裂き、容易く倒して進んでいるのだ。
「ナユタ、乗って」
すでに兼平さんはカブに跨っていた。コウも同様にスクーターに乗っている。
ナユタは急いで荷車の中に乗り込んだ。
兼平さんとコウはバイクを走らせ、どうにか暗黒の魔物から逃げ出そうとする。
◇
逃げ切れない。ナユタはそう感じていた。
暗黒の魔物は巨体であり、ノシノシと歩いている。だが、巨体であるがゆえに、その緩慢に思える歩みでも十分以上に速いのだ。追いつかれるのは時間の問題に思えた。
「ナユタ、スクーターの荷台に近づける。乗り移って、荷物を捨てて」
兼平さんがカブから指示を出す。ナユタはそれに頷き、「わかった」と返事をした。
「ちょっと、勝手なことはやめてよ! 私の荷物でしょ」
コウは抗議の声を上げるが、兼平さんはそれに構わずカブをスクーターに横付けする。
ナユタは意を決して、スクーターの荷台に飛び移った。そして、積まれたダンボールを次々に落としていく。やがて、最後のダンボールを落とし切った。
それでも、暗黒の魔物は追いかけ続けてくる。ダンボールを落としても効果がないのだろうか。
「だめだ、暗黒の魔物は消えないよ」
ナユタが叫ぶ。コウは抗議を上げるように声を発した。
「もうダメじゃん。意味ないじゃん。このこと、ずっと覚えてるからね」
それに対し、兼平さんは落ち着いて言葉を返す。
「無駄じゃない。森が狭まってる」
前方を見ると、次第に森の木々が消えていっているのがわかった。兼平さんの言うとおり、森は狭くなり始めたのだ。
だが、それでも、暗黒の魔物に追いつかれるのが先に思えた。
ふと、ナユタはひとつの発見をする。スクーターのバックライトが暗黒の魔物を差した際、魔物の動きが鈍った。
まさか、暗黒の魔物は光に弱いのか。
ナユタはポケットをまさぐると、マッチを取り出した。それを擦って火を点けると、スクーターの牽く荷車から投げる。マッチは草の上に落ち、草を燃やす。その発光が暗黒の魔物をひるませた。
「今だ、逃げ切って」
ナユタが叫ぶと、その間にカブとスクーターは森の外に出て、森は三人をその外に出していた。
すっかり、夜も更けていた。森の外にも闇が広がっている。だが、それ以上に暗黒の魔物が追ってくることはなかった。
兼平さんは状況を把握すると、声を出す。
「それじゃ、料理を始めましょ」
◇
コウは即席の竈門を作り、ナユタは枯れ木を集めた。二人掛かりでどうにか火を点ける。
それに対し、兼平さんは近くに生えている花から種を採取していた。種は石と石をこすり合わせて、粉状にする。
ナユタとコウの作った竈門で鍋を温め、熱湯を作ると、粉を溶かした。だんだんと黄色というかオレンジというか、まさにからし色のものが練られていく。
それはからしだった。
さらに残ったお湯でおでん缶を温める。十分に煮えたと思えるタイミングで缶詰を引き上げた。
一方、からしを練り上げた兼平さんは荷車の中からお酒を取り出している。それをコップに注ぐと、ナユタとコウにも差し出した。
「これ、ギンジョウだって言ってたよ。二人も飲みなよ」
兼平さんの言葉を受けて、コウはお酒を飲む。
「あ、飲みやすい。辛口だけど、すっきりして飲みやすい」
コウはうっとりしたように感想を言った。兼平さんは無表情で飲んでいるが、次第にニコニコとした笑顔になっていた。
それに釣られて、ナユタもギンジョウを飲む。
確かに飲みやすい。それにピリッとした辛さも感じる。だが、その奥には甘さがあり、香りも豊かで、とても美味しいお酒だった。角を持つ男の村で飲んだお酒も美味しいと感じていた。
「日本酒、好きなのかも」
ナユタはそんなことを思う。
おでんを食べよう。
ナユタはおでん缶を開け、その中で浮いていたこんにゃくを手にする。そのまま口に入れる。サイズこそ小さいものの、しっかりとこんにゃくだ。清逸な風味とコリコリとした噛み心地が嬉しい。出汁の味も染みていて、しっかりとした味わいを楽しめる。
次にちくわ。魚介の確かな風味が感じられる。柔らかくもしっかりした歯応えで、噛みしめるごとに旨味が広がっていった。
卵も小ぶりだが、やはりちゃんとしている。固ゆでの白身は噛み心地がよく、淡白ながら旨味を感じられる。対して、黄身はとろとろとして、まだ液状にも思える感触だった。そのとろけるような味わいは、卵ならではのものといえよう。
大根も軟らかい。出汁の味が染みていて、噛みしめるごとに優しい味わいとともに、出汁の旨味と香りが味わえるのだ。
さらに、おでん缶を攫うと、しらたきが出てきた。
こんにゃく以上に噛み応えがある。糸がまとまっている形状からか、食べるたびにその食感は変わる。味付けも風味もないが、それゆえに純粋に出汁の風味が楽しめるものだ。
そして、がんもどき。おからの風味が優しくも刺激的だった。ふんわりとした食感が嬉しい。時折、口の中に交ざる枝豆の旨味が堪らない。その総合力で美味しさを演出してるのか、そう思わせる具材だった。
一息つくと、ギンジョウをさらに口にする。
美味しい。辛さも風味もおでんによく合っていた。兼平さんはよくぞこのタイミングで出してくれたものだ。
ナユタは頭の中にあるとろっとした感覚とともに、次第に意識を失っていった。
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