第四話 タルタルステーキ

 アフトゥの密林を後にして、今日もナユタはスーパーカブに牽引される荷車に揺られていた。


 思い返すのは、理不尽に死んでいったトラック運転手の人たちと、置いていった食糧の数々だ。ごく少量の缶詰と小麦粉だけ積んで、二人は出発していた。

 とはいえ、兼平さんが食料に執着するなというのであれば、ナユタには反論はできない。それは彼女に置き去りにされることを意味するからだ。この人間牧場で一人で生きていくすべはナユタにはなかった。


 それに気がかりなのは、なぜ二人が訪れたタイミングでアフトゥによる虐殺が始まったのだろうか。まさか、兼平さんが関わっているなんてことはないと思うけれども。

 ナユタは恐ろしい想像をしてしまい、それをどうにか振り落とそうとする。


「それは狙い澄ましているからよ。ここの神様は意地が悪いの」


 ナユタが疑問をそれとなく口にすると、兼平さんからは素っ気なく返事された。よくわからないが、兼平さんが関わっているのではないらしい。


 しばらく平穏に時が過ぎた。

 しかし、違和感があった。いつの間にか、ゆったりと歩く奇妙な男が同行しているのだ。

 カブは荷車を引いていることもあり、高速で走っているわけではないが、それでも人間の歩く速度よりも格段に速い。全速力で走ったとしても追いつけるスピードではないだろう。

 それをゆるやかな歩き方で、それでも同じ速度で歩いている。


 ナユタは思わずまざまざとその男を見てしまった。

 その男は黒い肌をしていた。しかし、黒人というわけではない。黒人は茶色がかった褐色のはずだが、この男の色は純粋な黒だった。あるいは色を持たない、そんな印象すら受ける。生命を持つ者の色とは思えないものだ。

 服装は黒いスーツ姿で、一見してジェントルマン風に見えた。しかし、足には靴は履いておらず、ひづめのある足がむき出しになっている

 そして、その顔だが、一見して人間のようにも見えるのだが、どうにもおかしい。パッと見では人間のようなのだが、まざまざと見ているとゲシュタルト崩壊のように、こんな顔の人間がありえたのかと思うのだ。


「やあ、サオリ、ナユタ。また会えて嬉しいよ」


 黒い男が話しかけてくる。にこやかな語り口だった。兼平さんは軽く会釈を済ませると、運転に集中するかのように前方をただ見つめる。

 ナユタは困惑した。兼平さんに会ったことがあるのはいいとして、自分とは出会ったことがないはずだ。


「ふふ、ナユタ、君は忘れているのかな。それとも気づいていないのか」


 何も言っていないにもかかわらず、黒い男はナユタの疑問に答えるようなことを口にする。

 ナユタはドキリとするが、それでも彼の言うことに心当たりはなかった。


「まあ、いいさ。せっかく直接話せたんだ。プレゼントを用意してある。もらってくれるね」


 そう言うと、黒い男はナユタに卵を手渡してくる。

 今までに見たことがないほど美しい卵だった。内側には漆黒の深い色みが沈んでいるが、それと対をなすように眩い発光がある。それは虹のように、あるいは玉虫のように、様々な色に変幻していく。ナユタは魅了されるようにその卵に見惚みとれた。


「サオリにもプレゼントを用意しているよ。気に入ってくれるといいんだが」


 その言葉に、兼平さんはげんなりとしたようにため息を吐く。

 黒い男は彼女の顔を見ると、嬉しそうな笑みで顔を歪ませて、その場を立ち去っていった。


 その後もしばらく荷車に揺られる。

 ナユタは先程の奇妙な黒い男のことを思い出そうとする。しかし、まざまざと見つめたはずなのに、どうしても顔が浮かばない。無理矢理に顔を思い浮かべようとすると、暗黒が想起されるだけだった。


          ◇


 日頃出さないカブの最高速度が出ていた。

 ナユタはいつ荷車がカブから外れるか、自分が荷車から放り出されるか、気が気でなかった。だが、それ以上に恐ろしいのは追ってくる存在である。

 馬の頭を持つ巨大な鳥が追ってきていた。本物の馬に近い大きさでありながら、自在に空を飛ぶ捕獲者の存在は兼平さんとナユタの二人を戦慄させるには十分である。最高速度でなければ、瞬く間に追いつかれてしまうであろう。


「あの暗黒の男、とんでもないプレゼントをくれたものね」


 兼平さんはそうぼやく。


「あれはシャンタク鳥。本当はもっと大きいのだけど、私たちが抵抗できるかできないか、ギリギリのものを用意したんでしょうね。ほんと、意地が悪い」


 兼平さんは大きい岩を見つけると、その物陰にカブを停めた。

 急いで荷物を漁ると、クロスボウを手にする。


「ナユタ、あなた何かできることある?」


 突然、兼平さんに尋ねられた。

 いきなりの質問でナユタは慌てる。


「えっ、あっ、お、囮になるとか……」


 思わずついて出た言葉だった。口にしてすぐに後悔の感情が湧き上がってくる。

 兼平さんなら迷わず実行することだろう。


「それ、いいね」


 にっこりとした兼平さんの笑顔を見て、自分の思ったことが間違っていなかったと実感する。

 自分は今日で死ぬかもしれない。そう覚悟した。


 ナユタは棒に包丁を括り付けた即席の槍と麻袋を手にすると、岩陰から飛び出した。

 恐怖を紛らわすため、「うおおおぉぉぉぉっ!」と雄叫びを上げている。シャンタク鳥はすぐに気づき、ナユタを狙い、飛びかかってきた。


「ま、間に合った」


 ナユタは木々の連なる場所まで辿り着くと、麻袋の中身をぶちまける。その中に入っていたのは網だった。網は木と木の間に引っ掛かり、その隙間を埋める。

 その網がナユタを保護し、襲いくるシャンタク鳥の牙と爪から守ってくれた。だが、網が破かれるのも時間の問題だ。ナユタは這うようにして、シャンタク鳥から逃げようとするが、腰が引けた動きは遅々たるものだった。


 ズプッ


 鋭い音が鳴る。シャンタク鳥の翼に矢が刺さった。兼平さんが後方から射かけているのだ。

 シャンタク鳥はいななくと、苦痛から逃れるように飛び立とうとする。しかし、兼平さんの放った矢にはロープが繋がれており、そのロープは木に括られていた。シャンタク鳥が飛び立とうとすると、ロープが張り詰め、シャンタク鳥は地に伏した。


 ズプッ


 さらにもう一撃。もう片方の翼も射貫き、この矢に繋がれたロープも木に括り付けていく。

 これで、シャンタク鳥はもう飛べなくなったといっていい。


「ナユタ、シャンタク鳥を叩いて」


 兼平さんの声が響いた。

 叩く? 一体、どういうことだ?

 困惑したナユタだったが、自身が手に抱えた槍の存在に気づく。これで手を掛けなければならないのだろうか。


「ご、ごめん!」


 思わず出たのは謝罪の言葉だった。

 ナユタは網越しにシャンタク鳥の頭に向けて、槍を突き刺した。グチャァアッという生々しい音とともに、 肉を貫く感触が伝わってくる。自然と涙が溢れてきた。

 「ごめん」「ごめん」同じ言葉を繰り返しながらも、何度も槍を突き刺す。恐怖と罪悪感が同時にあったが、恐怖が打ち勝っていた。やがて、シャンタク鳥は動かなくなり、辺りは血にまみれている。


 呆然とするナユタに、クロスボウを持った兼平さんが近づいてきた。

 シャンタク鳥の様子を眺めると、彼女はニッコリと笑う。


「それじゃ、料理を始めるよ」


          ◇


「とにかく、羽根をむしって」


 そう、兼平さんに言われたナユタは必死の思いで、シャンタク鳥の羽根をむしり始めた。すでに血抜きされ、シャンタク鳥からはほとんどの血が流れている。

 それを横目に、兼平さんは調理環境を整えたり、周辺の植物の採集をしていた。


 ナユタがどうにか羽根をむしり終えた時、兼平さんが戻ってくる。

 兼平さんは「皮も美味しいからね」と呟くと、巨大な包丁を手に、シャンタク鳥の残毛や薄皮を取り除いた。

 そして、お尻の先端を包丁で切り裂いた。これは油つぼである。ボンジリとも言われるものだ。


 さらに尻から首にかけて背中を切っていく。足の付け根はナユタと二人掛かりで開いて、関節を切り裂いた。その姿は大きいが、まさに骨付きももの形に肉が切れていく。それを丁寧に骨を切り取って、骨なしの状態にしていった。

 胴体は兼平さんの包丁によって、だんだんと切れていく。やはりスーパーで売られているむね肉のような姿に変わっていった。さらに、不思議なことというか、その辺りから卵のようなものがいくつも露わになる。

 むね肉には手羽も付いていたが、それも切り取る。


 鮮やかな手つきでシャンタク鳥はさまざまな部位ごとに切り分けられていった。

 そして、むね肉と手羽の間にある肉を取り除くと、これを麻袋に入れる。


「お肉、塩漬けにしておいて」


 兼平さんはそう言うと、荷車を離したスーパーカブに肉を入れた麻袋を引かせながら、走行は始めた。この辺りは石ころが多く、麻袋もこすられていっている。

 シャンタク鳥に追われた恨みをこうして晴らしているのだろうか。

 ナユタは深く考えないようにして、塩と麹の詰まった袋に残された肉を詰めていった。


 やがて、兼平さんが戻ってきた。

 肉はそのままにして、近くで手に入れたと思われる根菜を切り始める。それはタマネギやニンニクのようにも見える。

 それを皿に盛りつけていく。


 麻袋の中の肉を取り出した。ぐちゃぐちゃに崩れている。

 それをまな板に乗せ、みじん切りのように細かく切っていった。それをこねて、整形していく。ハンバーグにでもするつもりなのだろうか。


          ◇


「さ、食べよう」


 兼平さんはそう言った。ナユタは困惑する。


「これ、生じゃないの?」


 ハンバーグにでもするのかと思った、シャンタク鳥のロース肉は整形しただけの、そのままの状態で食卓に並んでいた。

 肉の上にはシャンタク鳥の卵巣にあった卵になりかけのものの黄身が乗っている。周りにはみじん切りにされた根菜や香草が添えられていた。


「そう、そのまま食べるの。それがタルタルステーキ」


 そういうものなのか。

 ナユタは納得し切れないままに、肉を口に運ぶ。すると、その生肉ならではの旨味と香り、柔らかな歯ごたえ、それに濃厚な後味に衝撃を受けた。

 馬肉の赤身肉の強い味わい、鶏肉のタンパクながらシンプルな旨さ、その二つが混ざり合う。得も言われない幸福感があった。

 これは美味しいものだ。贅沢品だ。それに気づき、ナユタはゆっくりと味わうように食べ始めた。


「ワインもあるよ」


 兼平さんはペットボトルの容器に入れられた赤ワインを取り出した。アフトゥの里から持ち込んできたものだ。

 コップに赤々としたその液体を満たし、肉を食べるごとに、その酒を一口ずつ飲んでいった。タルタルステーキを食べるたび、赤ワインを飲むたび、兼平さんは幸せそうにその表情を緩めている。

 ナユタは兼平さんのそうした表情を見るのが嬉しかった。


「ごめん、これナユタの分」


 そう言うと、兼平さんは赤ワインの満ちたコップを渡される。恐る恐る匂いを嗅ぐが、アルコールと酸味の強さを感じさせるものだった。


 もうちょっと、タルタルステーキを食べよう。そう思った。

 卵を潰して、トロぉーっと溢れてきた黄身をお肉と混ぜる。野生的な生肉にまろやかな黄身の味わいが加わることで、不思議な調和があった。

 根菜とお肉の組み合わせもまた良い。柔らかいお肉に、根菜のシャキシャキした食感が加わると、また格別の味わいだ。甘さと辛さが同居しており、それもまたアクセントになる。肉の旨味が引き立った。

 香草はどうだろうか。クセのある香りではあるものの、肉の旨味と一緒に味わうことで互いの良さが引き立つようだ。これもまた新たな美味しさをもたらしている。


 肉がなくなりかけていた。赤ワインに目をやる。

 ナユタは赤ワインを一口飲んだ。酸っぱい。それにアルコールの匂いでむせる。

 もはや、赤ワインを飲むどころではなくなった。


「ごめんね、ナユタ。ワイン苦手だったかー」


 兼平さんが申し訳なさそうに、ナユタの背中をさすった。

 そして、思い出したかのように声をかける。


「あのさ、暗黒の男にもらってた卵だけど、すぐに捨てた方がいいよ」


 そう言われて、ナユタはビクッとした。

 すでに卵は自分の荷物の奥の方に入れていた。その美しさに魅了されている。手放すなんて、考えられないでいた。

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