第三話 ミートパイ

 今日も兼平さんの運転するスーパーカブの引く荷台に乗り、ナユタはガクガクと揺られていた。

 仔山羊を狩猟してから何日が経っただろうか。その間、特に獲物もなく、朝は深きものの干物を食べ、昼は塩漬けの仔山羊の肉を食べる日々を過ごしていた。

 平穏な日々ではあるが、食料は着実に減っている。兼平さんにただ付いていく立場ではあるものの、それは心配なことだった。


 キュキュー


 急にカブが止まった。

 ナユタが前方を見ると、トラックが倒れている。周囲の地面は沼のようにぬかるんでいるが、異常なのは、トラックの先に別のトラックが沈み、そのヘッドランプだけがかろうじて見えていることだった。

 ここはトラックの墓場なのだろうか。


 それを見つけた兼平さんはどこか嬉しそうに、その荷台に入っていった。しかし、すぐに落胆したように出てくる。その後、運転席にも向かうが、やはりがっかりした様子であった。

 ナユタも荷台に入ってみることにした。だが、その中には何もない。ガランとした空間が広がるばかりだ。兼平さんは何かがあると期待して入り、何もないことに期待が外れたのだろう。


 ナユタが荷台から出ると、兼平さんの興味は別のものに移っていた。

 ぬかるんだ地面に足跡がいくつも残っている。それを見た兼平さんは好奇心にかられたように、その追跡を始めようとしていた。


「ナユタ、これを持ってて」


 そう言うと、兼平さんはナユタにクロスボウを渡す。ナユタはその重さと張り詰めた弦の固さに、緊張感を抱いた。兼平さんはいくつもの包丁を腰回りにいている。


「危険なの?」


 おずおずとナユタが兼平さんに質問した。兼平さんは事もなげに答える。


「わからない。この先にいるのが、どんな人たちかわからないから」


 兼平さんでもわからないことがあるのか。ナユタはそのことに寒気を感じながらも、緊張した面持ちで彼女について歩く。

 ぬかるんだ道を進んだ。周囲に様々な樹木や植物が生い茂り、まるで密林ジャングルのようだった。

 やがて、柵で覆われた集落と思しき場所に辿り着く。


 兼平さんはその門と思われる場所にツカツカと歩いていった。


          ◇


「この集落に代表者はいる? 話をしたいのだけれど。

 トラックの荷物を受け取る権利は通りがかった旅人にもあるでしょ」


 兼平さんが門の前で語りかけた。門の中からはざわめきが起きる。

 やがて、門の上にあるやぐらに何者かが現れた。そして、言葉を返す。


「俺たちはこの地に急に迷い込んで、そのまま暮らしてきた。

 トラックの荷物は俺たちが元々運んでいたものだ。権利がどうのと言われても、元々の持ち主はこの近くにはいない。だとしたら、運んでいた俺たちに権利は移譲するのではないかな。

 通りすがりの者たちにその権利はないだろう」


 集落の代表と思われる男がそう答えた。兼平さんはその回答を冷めた目で聞いている。


「ふーん、そういうことなのね。

 だったら、物々交換でもいいけど。私たちに出せるのは、干物の魚と塩漬けの肉くらい。交換できるかしら?」


 門の中がざわめく。集落の代表者は門の中にいる人々の声を聞いたのか、戻ってくると、意見を変えた。

 何かを諦めたように、声を搾り出した。


「それならば、中に入って商売しても構わない。交換してもいいというものがあるならな。だが、武装は解除しろ」


 その言葉を聞くと、兼平さんがナユタを見る。ナユタは慌てて、クロスボウを地に置いた。それとともに、門が開く。


          ◇


 堂々と集落の中に入っていく兼平さんに続き、ナユタもおずおずと付いていった。

 兼平さんは集落の中心と思われる場所にシートを敷き、干物や塩漬け肉を並べいていく。次第に興味を持った人々が集まり始めた。


 集落とはいっても、十人にも満たない集団のようだった。家屋と思われる施設も少ない。


「ここ一年以内にできた集落みたいね」


 兼平さんがつぶやいた。ナユタもその言葉に同意する。集団としての歴史が浅いことが施設からも、彼らの態度からもわかった。

 全員が男性でどこかいかつい印象がある。先ほどの代表者の話からすると、トラックの運転手の集まりなのだろうか。


「トラックの荷物を見せてくれない? 食べ物はこれだけだけど、なんなら情報と替えてもいい」


 周囲でざわめきが起きる。男たちの中の一人が声を上げる。


「ここは一体どこなんだ? 元いた場所にはどうやって帰れるんだ?」


 しかし、そんな問いに対して、兼平さんは不愛想に「ここは人間牧場。帰り方なんて知らない」とお決まりの台詞を口にしただけだった。周囲の男たちが落胆するのがわかる。


「そんなことより、まず始めに警告してあげる。人間牧場で恐ろしいのは執着することよ。

 同じ場所に留まったり、一つのものを独占したり。そうした行動が人間を熟成させるの。ここで長生きしたいなら執着しないことね」


 兼平さんの言葉を男たちはポカーンとして聞いていた。ナユタも何を言っているのかよくわからない。

 中には笑い始めるものもいて、笑いは連鎖するように広がっていった。


「それが情報? あんたらも俺たちと同じように迷い込んだだけじゃないのか?

 そんなよくわからないことじゃあ、さすがに物々交換にはならないな」


 完全に侮られてしまった。

 しかし、兼平さんは気にしないようで、そのまま言葉を続ける。


「ここはアフトゥの支配する地よ。アフトゥは植物の姿を取る邪神だけど、その種子を食べたものに成り代わることもある。あなたたちの中にアフトゥがいるかもしれない」


 兼平さんがそう口にした瞬間だった。

 さきほどの集落の代表者が破裂した。いや、黄金のような色をした触手が弾けるように湧き出たのだ。その触手はうねうねと集落全体にはびこり、枝分かれした触手が周囲の人々に纏わりつき、養分を吸い取るかのように飲み込んでいく。

 それは狂気の沙汰であったが、兼平さんとナユタは部外者であるかのように触手の被害を受けないでいた。


 黄金の触手によって、集落の住人すべてが殺されていた。血が撒き散らされ、臓物がそこら中に落ちている。集落で動くものは二人だけだった。

 ナユタはあまりの事態にどうすることもできない。ただ茫然とするばかりだ。

 その騒ぎが収まると、兼平さんは言った。


「それじゃ、料理を始めるよ」


          ◇


「まずはこの集落に何があるか調べないと」


 兼平さんはそう言うと、簡易的に作られた家屋の中に入っていく。たった今死んでしまった人の家探しするようで抵抗感があったが、ナユタもそれに従った。

 そうして見つかったものは、小麦粉、トマト缶、バター、それにさまざまな野菜だ。

 家屋の中に使いやすそうな台所を見つけた兼平さんは嬉しそうに料理を始めた。


 小麦粉とバターを混ぜ合わせて、そこに水を加える。兼平さんの手でこねられることで、粉状だったものがだんだんと一塊ひとかたまりのパン生地のような姿に変わっていった。

 その様子を眺めながら、ナユタは焚き木を集め、竈門に火を点けていた。


 生地は置いておいて、別のものを作り始める。仔山羊の塩漬け肉を細かく切った。手に入れた野菜――タマネギやニンジンはみじん切りにする。かつてルログに生贄を捧げて手に入れた油を鍋に肉や野菜を入れ、ナユタが火を起こした竈門で炒めた。

 それに塩や香辛料を入れ、トマト缶の中身をぶちまける。ぐつぐつとトマトが煮え、肉や香辛料の香りとも相まって、美味しそうな匂いが辺りに充満していた。


 兼平さんは、先ほどの生地を炊飯器の中で伸ばした。トントントンと生地にフォークで穴を開けていく。

 その中に肉と野菜の詰まったトマトソースを注いでいった。生地一杯にまで注ぎ終ると、生地で蓋をする。

 そして、炊飯器を火にかける。


 どれぐらい時間が経っただろうか。

 パンの焼けるような香ばしい匂いが立ち込めていた。それに、トマトの旨味を感じさせる香り、肉の野性的な香ばしさが加わり、食欲を掻き立てるものだ。


 だが、ナユタはとても食事をする気分にはなれないでいた。いや、この場で何が起きたのか、理解もできないのだ。人が死に、死体が散乱する中、食事なんて楽しめるものではない。


          ◇


 炊飯器の蓋を開けると、出てきたものはパイであった。肉がたっぷり入り、トマトで味付けされたそれはミートパイ、あるいはトマトパイとでも言うべきものだっただろう。

 兼平さんはそれを二人分に取り分けると、プシュッとビールの缶を開ける。そして、ごくごくと一息に飲んだ。


「あはー。ビールが飲めるなんて嬉しいことね」


 兼平さんは嬉しそうに笑っていた。缶ビールはやはりこの集落に備蓄されていたものである。

 しかし、ナユタの気分はどん底だ。こんな状況で、こんな場所では何も喉を通らない。


「ナユタもビール飲んだら」


 兼平さんに促される。もう、どうとでもなれと思った。ナユタも缶ビールをグイグイと飲む。

 これは逃避だ。もう酒に逃げる以外にはない。そんな思いだった。

 ビールの苦みと炭酸が喉を覆っていく。ケホケホッ。少しむせてはいたが、アルコールは確実に体内を巡っていった。


 何となく、まあ、いいか、という気持ちになっていた。酔ったからだろうか。

 目の前にあるミートパイがとても美味しそうに感じられた。お腹が空いている。そんなことを実感していた。


 フォークでパイを切り分けて、口の中に運ぶ。サクサクっとした軽快な歯ごたえが楽しい。同時に、その香ばしさが鼻腔に入り、得も言われぬ幸せを実感した。肉ばかりの食事が続いていたせいか、パイが極上の美味しさだと思える。


 そのまま食べ進めていると、トマトソースが口の中に入ってきた。生地の中から出てきたトマトソースはとても熱く、はふはふと熱を冷ましながら食べ進める。口いっぱいにトマトの香りが広がり、その酸味、旨味が満ちていくようだった。

 野菜って美味しいものなんだな。人間に必要なものなんだな。そんなことが身に染みていく。

 さらに肉のこま切れを食べた。ミートパイの中にあって、肉の歯ごたえは格別だ。噛みしめるごとに肉汁の旨味が舌に刺激を与え、野性的で豊かな旨さが生を実感させる。

 タマネギの甘み、ニンジンの爽やかさもあり、このトマトソースはバランスの取れた味わいになっていた。


「このミートパイ、美味しいよ」


 思わず、そんな言葉が口から出る。

 それを聞くと、兼平さんはニッコリと笑った。


「でしょ」


 それは本当に嬉しそうな微笑みで、ナユタの中にあった、兼平さんへの疑問や不信感がすべて吹き飛んでしまう。

 残ったのはアルコールが巡る高揚感とミートパイを食べ切った満足感だった。その二つが合わさって、ナユタの意識は多幸感とともに、深い眠りの中に溶け込んでいく。

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