第二話 シシュケバブ
ガタガタと揺れる。
兼平さんの運転するスーパーカブ、その荷台にナユタは揺られていた。見渡す限り緑色の石と砂利に覆われた道をカブは進む。
沈黙が支配していた。兼平さんは言葉が少なく、すぐに会話が止まってしまう。それに、ガタガタと揺れる荷台では、舌を噛まないように喋るだけでも一苦労だった。
次第に揺れが収まってくる。
石や砂利が少なくなり、どす黒い地面がむき出しになる。その色を不気味だとは思ったが、それでも揺れが少なくなることはありがたかった。
ナユタは意を決して、沈黙を破る。
「ねえ、人間牧場って何なの?」
カブと荷台には僅かだが距離がある。ナユタは振り絞るように声を上げた。
それに対して、兼平さんは気にしないように静かに返す。
「邪神の運営する牧場。って、前に言わなかったっけ?」
静かだが、凛としていて聞きやすい声質だ。
しかし、彼女の返事はそれだけでは何もわからない。
「邪神って何? それに牧場ってことは人間が飼われてるってこと? どこからどこまでが牧場なの? あっ、ごめん、質問ばかりで……」
兼平さんがカブを停め、ナユタに顔を向けた。ナユタはその間中も質問していたことに気づき、気まずくなってしまう。
「邪神は神様のこと。でも、神様なんて呼ぶほどいいものじゃないから、邪神と呼ぶのよ。ほかの人間は……。そのうち出会うこともあるかもね。
どこからどこが人間牧場かはわからない。私は人間牧場の外に出たことないから」
◇
カブの停まった場所は森の入り口だった。
それは黒い森と呼ぶべき場所だ。地面はどす黒く濁り、生えている樹木はどれも幹が黒く、葉も緑というにはあまりにも暗い色だった。
兼平さんに促され、ナユタも森に足を踏み入れる。枯葉と枯れ枝で敷き詰められ、歩くたびにガサガサと音が鳴った。何が出るかわからず不安だったが、堂々と歩く兼平さんの姿が頼もしい。
「ねえ、ここって何? どういう森なの? 何しに来たの?」
矢継ぎ早に質問するしかないことが情けなかったが、わからないことばかりなのだ。だいたい、何も説明してくれない兼平さんが悪い。
「ここはンガイの森。聖なる森なんだって」
そう言うと、兼平さんは皮肉気な笑みを見せた。
「ここで供物を捧げれば、何か獲物が手に入るかも」
兼平さんはその言葉とともに振り返る。ナユタは嫌な予感がした。捧げる供物とは……。
そのままナユタの顔から足元に目線を移すと、兼平さんはしゃがみ込み、バッと何かに飛びつく。次の瞬間、彼女は奇妙な生物を抱えていた。
それはヒキガエルのようだ。だが、全身が毛むくじゃらで、頭からは二本の角が生えている。茶色の体色は黒い森の中では少しだけ目立っていた。
「それ、食べるの?」
ナユタがおずおずと尋ねる。
「言ったでしょ。供物を捧げるって」
兼平さんはヒキガエルのようなものを生きたまま抱えながら、そのまま先へと進んでいった。ナユタはそれに必死で付いていく。
やがて、黒い像のある広場に辿り着いた。人工的に作られたとは思えないが、その像の周りだけ不自然に木も草も生えていない。
その像は臓器を剝き出しにした身体を持ち、のっぺらぼうのようで顔はないが、なぜか泣き叫ぶ表情をしていることが伝わってくる。躍動する一瞬を捉えたようで、今にも動きだしそうな臨場感があった。
「持ってて」
兼平さんはヒキガエルをナユタに持たせる。その柔らかくもゴワゴワした毛とグニョグニョした脂肪の感触は気色の悪いものだったが、逃がすわけにもいかない。握る手に不自然な力が入り、強張った。
背負っていたカバンから、さまざまな道具が出てくる。
シャベルで地面に小さな穴を掘り、そこに円形の器具を埋め込んだ。それはくくり罠であった。
丁寧に土で埋め、不自然さを隠す。そして、鋼線を樹木に結び付けると、やはり地面の中に隠していった。
罠の設置が終わると、ナユタからヒキガエルを引き取る。
「罠のある場所見てたでしょ。絶対に踏まないよう注意してね」と一声かけた。
兼平さんは像と向き合うと、包丁を取り出す。
その包丁でヒキガエルを突き刺した。ヒキガエルからはドクドクと血が流れている。その様子を確認すると、呪文を唱えた。
「いあ! しゅぶにぐらうす もりのこやぎ うぃずあ つぁとぅぐあ ふぉぅむれす すぽおん いあいあ!」
その瞬間だった。
――めぇぇえぇめぇぇええぇえ
と羊のような鳴き声がした。その響きは機械音のように甲高く、心がざわめくような不安を掻き立てる。
地面の中から黒いものが出現した。
真っ黒で頭部と胴体の区別が曖昧だが、頭と思われる部分からは何本もの太い触手が生えている。胴体の至るところに口があり、牙が光り、涎が垂れていた。足には蹄があり、足を震わせるたびにカランカランと音が響く。
その大きさは山羊なんてものではない。それは巨大な塊であり、仔象ほどもの大きさに見えた。
黒いもの――仔山羊はヒキガエルを触手で絡め取り、丸のみにする。ヒキガエルを食べ終えると、今度は兼平さんの方を向いた。
兼平さんは設置した罠の方向に走り、自身は罠を回避する。だが、追いかけてきた仔山羊はそのまま罠を踏み込み、足を取られ、勢いのまま倒れ込んだ。
倒れた仔山羊に兼平さんはクロスボウを向け、頭に向けて矢を放った。頭を貫かれた仔山羊はドクドクと青い血を流し、「めぇええぇぇ」と不愉快な鳴き声を上げる。
それを聞いたナユタは一瞬我を失うような感覚に陥った。
兼平さんは専用の器具で何度も矢をつがえると、そのたびに矢を放った。そのたびに仔山羊は金属と金属がかすり合うような「めえぇぇええぇぇ」という鳴き声を上げる。
ナユタは不快な鳴き声に苦しみ、自分の正気が失われていくような感覚を味わう。
やがて、黒山羊は動かなかくなった。
「それじゃ、料理を始めるよ」
◇
仔山羊から丁寧に矢が抜かれると、ドクドクと真っ青な血が流れていく。兼平さんは首筋にも傷口を作る。仔山羊の体勢を変えさせ、血が勢いよく流れるように促していった。
血が流れなくなると、仰向けにさせ、片方の後足を持つ。そして、ナユタの方を見た。
「手伝って」
その声にビクッとしたナユタは、急いでもう片方の後足を持った。
「せーのっ」という掛け声とともに、足を持ち上げる。想像以上に重い。ナユタは無我夢中で持ち上げた。
やがて、「もういいよ」という兼平さんの声が聞こえてきて、安堵して手を放す。周囲には血が溢れ、水溜まりのようになっていた。
兼平さんは巨大な包丁を取り出すと、仔山羊の腹(と思われる場所)を掻っ捌いていった。
そして、皮手袋を手にすると、内臓を取り出していく。仔山羊には口が複数あるため、それを切り離すのには手間が掛かった。とはいえ、それさえ終わればツルンとばかりに、一気にあらゆる臓器が外に出る。最後に肛門から臓器を切り放した。
作業が終わると、兼平さんは少し考え事をしていたようだった。
「荷台取ってくるからちょっと待ってて。
そうだ、ナユタはその辺りで
その言葉と共に、兼平さんは森の入り口に向かって歩いていく。
一人になると、急に森が恐ろしくなる。陽の光がまばらにしか降り注がない。足元には黒い仔山羊の死体が転がる。その先にある得体の知れない邪神の像は今にも脈を打ち、動き始めるかのように思えた。
ナユタはその恐怖に一人で耐えながら、できるだけ遠くに行かないように、香草と思われるものを集め始めた。しかし、ナユタにはどれが香草かはわからず、適当にそれっぽいものを拾うしかない。
永遠とも思える時間が流れた。
ここからカブを停めた場所までどれくらいかかっただろう。そう考えると、もう戻ってもいいはずだ。兼平さんは帰ってこないのでは。
そんな不安が堂々巡りする。だが、そんな繰り返しを何度かしているうちに、カラカラと荷台を引いた兼平さんが近づいてきた。
料理が再開される。兼平さんは仔山羊を部位ごとに切り分けていった。ロース、肩ロース、肩、バラ、モモがそれぞれ分割される。それをどんどん塩漬け用の袋に漬けていった。
ただ、切り落としの肉がいくつか残り、さらにモモの大部分も残して、それを自作のものと思われる串に差していった。それをまた別の袋に収める。
その袋にヨーグルト、ナユタの集めた香草を詰めた。そのハーブはコリアンダーと呼ばれるものだ。さらに、兼平さんが乾燥させた香辛料を入れていく。
「これはタマネギとニンニク、ショウガ、唐辛子。それにクミンね。あとお塩。
火を焚くから、手伝って」
二人は周囲の石を集めると、即席の竈門を作る。さらに枯れ枝を拾い、火を点けた。そこに鍋を乗せ、鍋の上に網を乗せる。
そうしてできた調理場に串を並べた。肉が次第に焼けていき、香ばしい匂いが漂う。漬けダレが時折垂れ、ジュージューという音が響いた。
ナユタはその光景に食欲がそそられる。お腹が鳴った。
◇
「どんどん食べていきましょ」
兼平さんはそう言うと、ナユタに食器を渡し、それに串を乗せていく。
ナユタは「いただきます」と発言し、串焼き――シシュケバブを手に取った。
「あ、ちょっと待って」
食べようとするナユタを兼平さんが制止する。その口調はどこか嬉しそうだった。
そう言って兼平さんは荷車の中から、透明な液体の入った瓶を出してくる。そして、コップに少しずつ注いでいった。
「これ、何?」
ナユタが尋ねると、「お酒でしょ」と少しだけ嬉しそうに返される。
それを聞いて、ナユタは動揺する。
「僕、未成年なんだけど」
その発言に兼平さんはキョトンとする。
「ナユタ、勘違いしてる。人間牧場で年齢なんて関係ないのよ」
そう言うと、兼平さんはシシュケバブの肉の塊にかぶりつき、そして、コップの中のお酒を飲む。
「これ、美味しー」
そう呟くと、頬が赤く染まったように見えた。
お腹は空いている。ひとまず、お酒のことは忘れて、シシュケバブを食べることにした。
口に近づけると、エスニックで刺激的な風味が鼻腔を刺激する。齧りつくと、仔山羊の肉はクセはあるが、旨味がたっぷりで野性的な味わいだ。ハーブの独特の香りがそれを引き立てている。それでいて、どこかまろやかな感覚もあった。ヨーグルトの効果なのか。
これはモモだろう。肉自体はあっさりしているが、味付けが濃いので気にならない。肉にはレアな部分も残っていたが、それゆえの歯ごたえもあり、満足感のある食べ心地だった。
お腹が空いていたこともあるが、どんどん胃の中に入っていく。瞬く間に一本を食べ切っていた。
次の串を食べる。これはバラだろうか。脂肪が多く、満足感が強い。次の肉は肩ロースかな。赤身と脂肪のバランスがいい。
さらにもう一串、これは肩だろう。固くてクセが強いが、これはこれで美味しい。ただ、もちゃもちゃと噛み切れないのは難点だ。
もう一口食べると、今度は柔らかい肉だった。これはロース。食べやすく、旨味がダイレクトに伝わってくる。この肉が一番おいしいかもしれない。
「お酒苦手? 水で割った方がいいのかなー」
兼平さんは心なしか、いつもより陽気だった。ナユタのコップに水を注ぐ。透明だった液体は、水を入れただけなのに、白く濁った。
これは飲めるものなのだろうか。意を決して、ナユタは白く濁った液体の匂いを嗅ぎ、口をつける。
どこか甘く、柑橘系の酸っぱい匂いがする。口にすると、少しだけ甘いが、やはりお酒だ。アルコールが全身に回るような感覚があった。
「このお酒って前から持ってたの?」
酔っぱらったナユタは訊く。
それに対して、兼平さんはなぜか言いにくそうに言葉を詰まらせた。
「……あ、えーと、さっき、道を迷っちゃってね。別の森の出口に出て、そこでトラックを見つけたの。そこに置いてあったの。調理に使ったヨーグルトもね」
それで帰ってくるのが遅かったのか。
「それって拾ったってこと? そんなネコババみたいなことしていいの?」
兼平さんはそれを聞いて、窘めるような口調になる。
「人間牧場では見つけた人が持っていかなかったら腐っていくだけなの。見つけた人は必要分持っていく義務があるのよ」
どうやら人間牧場では、元いた世界とは違う倫理観があるらしい。そんなことを考えながら、ナユタはアルコールが誘うままに眠りに落ちていた。
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