人間牧場の兼平さん

ニャルさま

第一話 シーチキンマヨネーズ

 記憶が混濁していて、前後のことがよくわからない。とにかくナユタは見知らぬ土地にいた。


 その場所がどこかはわからないが見慣れない風景だ。

 日本ではなくどこか外国なのだろうか。いや、そこが地球ではない、あるいは現実ではないと言われたら、そのまま信じただろう。

 それほどに異質な世界が広がっていた。


 オレンジ色の地面が地平線まで続き、空は黄色い。

 立ち上がってよく見ると、地面には白い線が走っていた。まるで舗装された道のようだ。


 いきなりこんな場所に放り出されて、どうしたらいいのだろう。何も見当が突かなかったが、ぼんやりしていてもしょうがない。

 ナユタは白い道を歩いてみることにした。


 どれだけ歩いただろうか、誰かが道の先から来ていた。それはバイクだった。

 豆粒ほどだったバイクは次第に近づき、その姿が確認できる。バイク――というより、原動機付自転車か――は青とクリーム色の配色、スーパーカブだった。

 カブがより近くに来ると、その乗り手も見えてきた。女の人だ。セーラー服を着ているように見える。


 カブと女の人はナユタの前まで来ると止まった。

 セーラー服は思ったよりもボロボロで継ぎ接ぎがそこかしこにあった。ヘルメットをかぶっていたが、脱ぐと、肩ほどまで伸びた髪はボサボサだった。


「私は兼平。兼平かねひら沙織さおり。あなたは?」


 落ち着いた、抑揚のない声で名前を聞かれた。

 彼女は兼平というらしい。


「ぼ、僕!? 僕は那由多。深敷ふかしき那由多なゆた


 急に名前を聞かれたせいで、どもりながら答えてしまった。


「そう、ナユタ。こっちには来たばかり?」


 この少女――兼平さんの声からは、どうやらナユタに対して少しの関心もないように感じた。

 だけど、“こっち”とはどういうことだろうか。やはり、ここは特殊な場所なのだろうか。


「覚えていないんだ。気づいたら、この変な場所にいた。えっと、兼平さんはここがどこか知っているの?」


 覚えていることをどうにか答えようとしたが、なにもわからないことが突きつけられる。

 ナユタの問いかけには兼平さんは遠い目をしたまま答える。


「ここは蕃神ばんしんたちの運営する人間牧場。

 あなたにこれからどうするか聞いていい?

 私と来る? 来ない?」


 まるで答えになっているとは思えない返事だった。人間牧場とは一体何を意味するのだろう。

 疑問は尽きないが、こんな場所に一人でいられない。ナユタは兼平さんの言葉に頷くほかなかった。


          ◇


 カブの引っぱる荷車に座らされて出発した。荷物は多かったが、どうにかずらすことで乗り込む。

 白い道は平坦だったが、それでもスーパーカブにガタが来ているのか、しばしば揺れた。それが奇妙に眠気を誘う。ナユタはいつの間にか眠っていた。


 ガタガタガタガタ


 急に揺れが激しくなった。

 目を覚ますと、さっきまでとはまるで違う景色が広がっている。砂利や石が周囲に転がり、せせらぎのような音が聞こえていた。川が近くにあるようだ。

 ただ、奇妙なことに辺りにある石は全てが緑色だった。


「着いた」


 兼平さんがカブを止めた場所には純白の円錐状の建物があった。

 その扉を――とても扉とは思えない開き方をしたが――兼平さんが開けると、その中に入っていく。ナユタはおずおずと彼女について、その建物の中には入った。

 その中には奇怪な機械のようなものが敷き詰められていたが、中心には双頭のコウモリのような悪魔めいた像が配置されている。兼平さんはその前にバケツを持って立っていた。


「ナユタだっけ? あなた、足一本なくしても大丈夫?」


 突如として、兼平さんはとんでもないことを言ってきた。

 ナユタは慌てて拒否する。すると、「そう」と一言だけ呟くと、外に出ていった。

 手持ち無沙汰な時間が過ぎる。


 やがて、兼平さんは不気味な生物を手に戻ってきた。その生物は兎のような四足獣であったが、頭が魚か蛙のような形をしていて、全身に鱗が生えている。

 兼平さんはそれを像に捧げるようにして、不可解な言葉を紡いだ。


「いあ! るろぐ くふあやく ぶるぐとむ ふぐとらぐるん ぶるぐとむ あい」


 外国の言葉なのだろうか。だが、それを今発声する意味はなんだ。

 不思議に思っていると、グシャっと何かが潰れるような音がした。不気味な生物の足がもがれている。

 そして、空気中から何か液体のようなものが降り注ぎ始めた。まるで蛇口でもあるかのように収束された状態で流れてくる。兼平さんはそれをバケツで受け止めた。瞬く間にバケツがいっぱいになる。

 すると、兼平さんは近くにあった鍋をナユタに渡して、その建物を出ていった。よくわからなかったが、鍋で液体を受け止める。近くで見ると、油のようだと思った。鍋がいっぱいになると、液体の流れは止まった。


 おっかなびっくり、鍋を運びながら、外へ出る。

 兼平さんはいた。バケツの中の油をカブの燃料として注入しているようだ。やがて、その作業を終えると、兼平さんはナユタの方を向く。


「料理を始めるよ」


          ◇


 兼平さんはカブの荷車から包丁とまな板を取り出した。

 近くに土台を置いて、まな板をセットする。そこに先ほど持っていた四足獣のような魚のような生物をドンと置いた。


 包丁で鱗を落とすと、その生物の腹に包丁を突き刺し、下半身から上半身に向けて裁いていく。その後、頭を切り落とすと、頭とともに内臓を取り除いた。四本足であるものの、体内は魚と変わらないようだ。


「じゃあ、川辺で洗ってくる」


 そう言うと、魚を手に移動しようとする。

「えっ、僕はどうすれば……」

 思わず口にした。漠然とした言葉しか出なかったが、それを聞いた兼平さんはナユタの方に振り返って、ニコリと笑う。

「手伝ってくれるんだ」

 そう言うと、ナユタにご飯を炊くことを頼んでくれた。やり方を軽く教わる。


 飯盒と米、それにカスバーナーを渡されていた。飯盒に二合分の米を入れると、兼平さんについて川に向かう。

 兼平さんは魚のような生物の血やこびりついた内臓を洗い出していた。ナユタは米を研ぎ、水を必要なだけ飯盒に入れると元の場所に戻る。

 そして、またやることはなくなる。水を浸すため、30分ほどは時間を見なくてはならないのだ。


 しばらくして、兼平さんが戻ってきた。魚のような生物を三枚におろすと、身の塊だけ残して、どこかに行ってしまう。残された切り身には塩がまぶされていた。

 やがて、また戻ってくると、今度は石を集めて、即席のかまどを作る。かまどに木炭を2、3個を入れると火を点けた。

 魚の切り身の水分を拭うと、油の入った鍋に浸した。さらにニンニクや胡椒を入れると、鍋を火にかける。火力は弱く、まるでコトコト鍋の中で魚を似ているようだ。


 そんな様子を見ているうちに、時間が経ったような気がした。飯盒炊爨はんごうすいさんをしよう。林間学校でやったことがある。

 ナユタにもできるはずの作業だ。

 ガスバーナーに火を点け、飯盒を火にかける。まずは強火……のはず。

「最初は弱火」

 兼平さんの声がした。ナユタは慌てて火を弱めた。

「ちょっとずつ火を強めて、沸騰したら強火にして。

 あとこれ、かき混ぜて」

 ボールとコップ、それに箸を渡された。ボールには卵黄と調味料が入っており、コップには先ほどの油が入っている。

 兼平さんが言うには少しずつ油を入れつつかき混ぜるのだという。言うとおりにすると、クリームのようなものが出来上がっていった。黄色がかったクリーム色。

「あ、マヨネーズ」

 ナユタがそう呟くと、近くで調理していた兼平さんが微笑んだような気がした。


          ◇


 ご飯が炊きあがり、蒸らし終わる。ナユタは兼平さんに渡されたステンレス製の食器にご飯をよそった。

 それを兼平さんに渡すと、鍋で調理していた魚をその上に乗せ、ほぐす。その見た目には覚えがあった。シーチキンだ。そこに先ほどのマヨネーズがかけられていく。

 兼平さんからナユタの分の食器が返される。ほかほかのご飯にシーチキンマヨネーズ。それを見ると、お腹が鳴る。ナユタは空腹だったことに気づいた。


 シーチキンを口に入れる。まだ温かい。作り立てなんだと実感する。

 柔らかい魚肉の感触だが、兎肉というか鶏肉のようなしっかりした肉の味わいと脂身が感じられる。それでいて、魚の新鮮な香りもあり、ほろほろと口の中でほどけていった。それがマヨネーズと混ざり合い、とびきりのご馳走になっている。

 マヨネーズも市販品の真っ直ぐな美味しさとは違うものの、自分が作ったんだという実感からか、そのまろやかさ、塩味と酸味と旨味の混じり合った美味しさにうっとりしてしまう。


 シーチキンマヨネーズの旨味と塩味がご飯へと駆り立てる。ご飯を思いきり頬張った。魚とマヨの美味しさで無我夢中でご飯を食べていく。冷静に考えると、少し芯が残っていて固いような気がしなくもないが、十分に美味しく感じられた。


「この魚って、何の魚なの?」


 ナユタが兼平さんに尋ねてみた。すると、兼平さんは顎に手を当てて、思案するような表情をする。


「たぶん、もともとは兎。この土地の力の影響で深きものになりかけてたのね。魚の器官なのに陸上生活しようとしてたから、捕まえるのが簡単だった。

 何の魚かはわからないけど、淡白さと香りからいって鮭か鱒にでもなりかけだったかも」


 深きものというのはよくわからなかったが、兎が変身した魚ということなのだろうか。獣肉と魚介の美味しさが同時に味わえたように思える。


「じゃあ、あれは? コウモリみたいな像が油を出してたのは何?」


 疑問はいっぱいあった。その中でも最も不可解なのがそれだ。


「あれはルログよ。像は作られたものだけど、一年に一回、足一本と引き換えに、願いを叶えてくれるの。

 今はカブの燃料と油が足りなかったから、それをもらったのよ」


 つまり、断らなければ、ナユタの足が砕かれていたのだろうか。兼平さんの冷淡さに改めてゾッとする。しかし、次から次へと疑問が湧いてくる。


「ねえ、ルログって何?」

「邪神でしょ。早く食べちゃって」


 そう促されて、ナユタは残ったご飯とシーチキンマヨネーズを一気に書き込む。油でヒタヒタになったご飯は旨味がたっぷりで美味しく、そして満足感がある。

 食べ終えた時には確かな満足感で頭がいっぱいになっていた。

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