植物になったヒト

不二川巴人

植物になったヒト

 ――科学者のエス氏は、日々悩んでいた。


 過ぎるほどに純粋で、心優しい彼は、難題に取り組んでいた。

 生きていれば、どれだけ哀しかろうと、腹が減る。

 腹が減れば、食事をしなければならない。

 しかも、毎日の食事は、バランスを考えないと、たちどころに体調を崩してしまう。


 それが、エス氏には悩ましかった。ヒトが生きるためには、一体どれほどの動植物たちが、犠牲にならなければならないのだろうか? たかが自分一人生きるために、血肉の通った、そして心もあるはずの動物たちを、簡単に殺していい物だろうか?


 懊悩したエス氏は、ヴィーガンになろうとした。しかし、いくら世の中に代替食品が溢れているとは言え、一度肉の味を知ってしまった身体には、酷なことだった。結局エス氏は、ヴィーガンにはなれずじまいだった。


 それでも、エス氏は模索した。小耳に挟んだ、『水に溶かして飲むだけで、必要な栄養素は全て摂れる』と謳っていた粉末も、取り寄せて飲んでみた。しかし、おせじにも美味しいとは思えず、続けていくのは難しかった。第一、その粉末ジュースの素さえ、数多くの植物たちを犠牲になり立っているとあっては、エス氏には到底受け入れがたかった。


 エス氏の苦悩、あるいは、願いと裏腹な食生活は、なおも続いた。

 今やこの星に増えすぎたヒトが、環境を破壊し、自分で自分の首を絞めているのは明白だ。世間を見渡せば、何かにつけて『エコロジー』を合唱しているが、あんなものは、ヒトの勝手なエゴを満たすためだけの、ゴミのような概念だと思っていた。


 エス氏の苦悩は日々深まり、ある時には、己を殺すことさえ考えた。ヒトなど、生きる価値はない……そう結論づけようとしたが、自分の妻と子どものことを思うと、踏み切れなかった。それに、仮に自分一人が死んだところで、世界は何も変わらない。なんとか、ヒト自身が変わらねば。そうは思うものの、具体的な手立てが浮かばない。それがゆえに、エス氏はよりいっそう苦悩した。


 ある夏の日のこと。暑い日差しが照りつける中、エス氏は、趣味の家庭菜園を手入れしていた。さんさんと降り注ぐ太陽のおかげで、どの植物も、すくすくと育っていた。最近の学説によれば、植物は、『自分が食べられる音』が、『聞こえる』らしい。それを知ると、エス氏は、哀しくて哀しくて、せっかく収穫した野菜も、食べられなくなってしまった。なんだ、ヴィーガンも『心あるものを食う』罪深さという点では、同じじゃないか。所詮、あいつ等も偽善者だ。エス氏は、ますます疑り深くなった。


 菜園を手入れしながらも、エス氏の模索は続いた。

 石に、栄養があればいいのに。

 鉱石なら、まごう事なき、大地の恵みだ。食らっても、罪悪感はない。

 そう思って、エス氏は、様々な石を徹底的に調べてみた。しかし、どんな石をどれだけ調べようと、ヒトの栄養にはなりそうもなかった。


 そして、また別の暑い日だった。エス氏は、家庭菜園を手入れしつつ、額に浮かんだ汗をぬぐうと、空を仰いだ。

 空には、眩しい太陽が照りつけていた。そこで、エス氏は天啓を得た。


 そうだ! ヒトも、植物のように、光合成ができればいいんだ!


 全くすばらしいアイデアだった。なぜ、今まで思いつかなかったのだろう。

 エス氏はそれ以来、研究室に閉じこもり、それこそ寝食を忘れて、ついでに妻子のことも忘れて、研究を重ねていった。


 そして、季節が何度か巡る頃。エス氏の研究は、実を結んだ。

 血液中に注射すれば、身体の中で葉緑素が増え、光合成で活動エネルギーをまかなえる薬の誕生だった。


 エス氏は、早速自分に注射してみた。すると、肌が徐々に緑色になっていき、葉緑素が全身に増えていく実感があった。


 頭からつま先まで緑になったところで、エス氏は、ベランダに出てみた。

 季節は冬だった。ベランダとは言えガラスで仕切られていて、外気は入ってこず、小春日和ののどやかな日差しが、文字通り、身体に沁みた。そして、日の光を浴びるほどに、身体に力がみなぎっていくのを感じた。


 それからエス氏は、数日間、食事をせずに過ごしてみた。

 空腹にはならなかった。何日経とうが、日光さえ浴びていれば、それで十分だった。

 エス氏は、快哉を叫んだ。とうとう、自分は真に『環境に優しい』存在になれたのだ!


 エス氏は、自分の研究成果を、大々的に発表した。証左は、自分自身だ。

 エス氏の発表は、革命的発見と見なされ、彼は、数々の賞を受賞した。もっとも、いかに名誉を得ようとも、本人にさして興味はなかったが。


 その後、世界中に、爆発的速さで『植物人』が増えていった。

 なにせ、日光さえあれば、一生食わなくてもいいのだ。カネも一切関係ない。


 根強い貧困と飢餓に苦しむ地域では、彼は一躍、救世主となった。

 しかし、すぐに『ある重大な問題』が発覚したのだが、不幸なことに、それはエス氏の耳に届かなかった。


 自分自身が植物になれば、二酸化炭素排出量で揉めている、大気汚染問題も解決する。なにせ、二酸化炭素は、植物にとっての栄養素。植物人になれば、ごちそうの海へいるようなものだ! なんだ、いいことずくめじゃないか!


 その星のヒトが、全員『植物人』になるのには、さほどの時間は掛からなかった。


 ――それから、ほんの10年かそれぐらいだった。

 その星から、ヒトの姿が消えた。

 その星は、動物と、純粋な植物だけのものになった。


 エス氏は忘れていた。

 植物になると言う事は、自分が、食物連鎖の最底辺に落ちると言う事を。

 これが、『重大な問題』だった。

 植物人たちの身体は、虫に食われた。全身を食われた。


 彼はまた、忘れていた。自分が、外とは遮断された空間でしか実験しなかったこと。

 そして、確かに外に出るとやたらと虫が寄ってきたが、虫嫌いの彼は、他の都会人同様、一般的に広く普及している、虫が嫌がる超音波式の防虫小型デバイスを、外出時は常に携帯していたことだ。エス氏は、たまたまその防虫デバイスを家に忘れた状態で外出した折、あっという間に無数の虫にたかられ、身体中を食われ、命を落とした。


 そんな便利なデバイスが普及していない地方では、エス氏にクレームを言うまでに、全てを食らい尽くされた。


 また同時に、『植物人』となった者は、植物特有の伝染病にもかかった。植物の病気に対する免疫など、ヒトが持っていようはずもない。仮に虫の襲撃をしのげても、『植物人』達は、その病気で次々に死んでいった。


 植物人を食って増えた虫を、小動物が食い、増えた小動物を、大動物が食い……その上には、もはや、何者もいない。


 太陽は、そんな事など知るよしもなく、その星に、さんさんと輝き続けていた。


                             終わり

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植物になったヒト 不二川巴人 @T_Fujikawa

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