終わらせたくない日々
最後の夜
多分、百年ぶんは怒られた。会場のど真ん中で十年ぶん怒られて、配送局に戻ってから残りの九十年ぶん怒られた。華々しい表彰台には、気まずい顔をしたハヤテが一人で乗った。
バレンさんと知り合いだったらしいヘルガさんが間に入ってくれて、やっと説教から開放されて部屋に放り込まれた頃には、もう外は暗くなっていた。カーテンの隙間から覗き見ると、丘を下ったところに、見覚えのある飛行船が停まっていた。明日の早朝、あれで村に戻ることになってる。
みんなに嘘つきだってバレちゃった。軽蔑されたかな。自業自得だけど。
ベッドの上でひざを抱える。顔が涙でかぴかぴ。お腹も空いちゃった。だけど外に出る気が起きない。
ベッドでしばらくうじうじしていたら、ドアの外から話し声と物音が聞こえた。わたしのことについての話し合いが終わって、ハヤテとチルさんが帰ってきたんだ。
「こんこんっ。お嬢さん、お腹すいてるんじゃなぁい?」
……チルさんだ。寝たふりしよ。
「寝たふりすんな!」
「わあー!」
入ってきた! 手に持ったお皿からおにぎりを掴み取り、それをわたしの口に押し込んでくる。
「むご」
「今日一日がんばったんだからちゃんと食べなさい。これはチル姉さんからの命令」
「もぐん……」
吐き出すわけにもいかないから、そのままむしゃむしゃ頬張る。塩気が効いてておいしかった。満足げに頷いて、こほん、と小さな体の大きな胸を張る。
「あたしに何か言うことは?」
「え…………嘘ついてて、ごめんなさい」
「ノー」
おおげさに手でばってんを作る。
「あたしには謝んなくていいの。村の人とか、あのおっかないオバチャンには謝った方がいいと思うけど、あたしにはいらないよ。カフカの保護者じゃないもん」
チルさんはお皿を机に置いて、いつもより、なんだか大人っぽい仕草で腕を組んだ。
「じゃあ、なに?」
「友達にバイバイするときに言うことくらい分かるでしょ」
「……今までありがとう?」
「七十点」
微妙な点数。口をつんととがらせたら、チルさんがそれを見てからっと笑った。
「カフカが来てからちょー楽しかったよん。また遊ぼね」
胸がきゅーっとした。ぱちんとウインクして、ドアのふちを掴む。
「いつでも帰っておいで」
じゃね、と残して部屋を出る。ドアが閉まってまた一人きり。だけと、チルさんがくれた言葉のなごりがあったかい。
また外を見る。なだらかにうねる黒い草原に包まれた、ほのかな明かりをたたえた静かな村を見下ろす。クレオの家は、あのあたりかな。
クレオはわたしのためにすごく怒って、バレンさんを説得しようとしてくれた。せめて明日までいさせてよって。でも、当然だけど、バレンさんは許してくれなかった。
約束、守れなかった。明日海に行くってわたしから言ったのに。
『あたしの友達を嘘つきにしないでよ』
バレンさんに向かって、クレオはそう泣き叫んでいた。
気持ちがまたずうんと沈む。たまらなくなって、そっと部屋を出た。
リビングにはもう誰もいなかった。足音を立てないようにそっと階段を上り、整備場の鍵を開ける。
整備場の片隅で、コチちゃんが待っていた。ふりそそぐ星明かりを体にまとって、うっすらと光っているようにも見える。
ちょっとほっとする。今日はありがとう。でも、ごめんね。明日は一緒に帰れないんだ。……コチちゃんのボディにぺたりと頬を寄せて心の中で謝ってから、操縦席に乗り込んで無線機をつけた。
「……カフカ」
あんまり期待してなかったけど、すぐにノルンが出た。どうしよう、ぼんやりしてて何を話すか全然考えてなかった。
「あー、こんばんは……元気?」
「こんばんは。なんか、そう言うカフカは元気なさそうだね。……こっちも元気ないけど」
「なんで?」
「いろいろ……前言ってた大会で勝てなかったのと、あとそれ含めて、ちょっとね」
「そっか。残念だったね」
「……本当に、珍しいくらい落ち込んでるね。どうしたの?」
こういうとき、ノルンはすっごく聞き上手。
気が弱っていたことも手伝って、あっという間に全部喋っちゃった。ハヤテっていうイヌ類に偶然出会ってはじめてヒト以外の人間がいることを知って、つい無断で村を出ちゃったこととか、バレンさんに百年ぶん叱られたこととか。
全部話し終わると、ノルンは「あっ」とか「えっ」とか低い鳴き声みたいな音を発していたけど、覚悟を決めたように唾を飲み込んで、とんでもないことを言った。
「カフカって、ヒトだったの?」
え?
思考停止。思考停止。あたりまえじゃない。え?
「そうだけど。え、ノルンって、なに?」
「おれは、テンだけど」
「なに、テンって」
「テンは、テンだけど……」
???
「ヒトじゃないの? なんで!?」
「むしろこっちが聞きたいよ! カフカってヒトなの!?」
「そうだよ! 浮遊島に住んでるのってヒトばっかりなんでしょ?」
「そう、だけど、ヒト以外も住んでるのかなって思ってて。白い毛っていってたから、ネコかなって……いや、むしろなんでおれのことヒトだと思ってたの!?」
「だってこの間までヒトしか見たことなかったんだもん!」
「おれだってヒトなんて見たことなかったよ!」
ひとしきり言い合って、ぜぇぜぇと荒く息をする。嘘でしょ。ノルンってヒトじゃなかったの? ずっとお互いの姿を勘違いしてたってこと?
「先入観って、こわいね」
「ね……」
沈黙。
テンって、なに? ぜんぜん分かんない。
「ふふっ……」
なんかおかしくなってきた。つられてノルンも笑い出す。どんどん笑い声が大きくなって、止まらなくなった。
笑ってたら、涙が出てきた。今更ヒトとかそうじゃないとか、どうでもいいや。ノルンはわたしの友だち。はじめてできた、同年代の友だち。
「はぁ、おかしい……ねえカフカ、この際だから言うけどさ、実は……ずっと、隠してたけど……」
「ノルンって男の子なんでしょ?」
「なんでしってるの!!」
分かるでしょ、そりゃ。
最近の声、男の人みたいだし。
さっき「おれ」とか言っちゃってたし。
「安心して。男の子だから友だちやめるとか言わないから」
「……もっと早く白状したらよかった」
「そもそもなんで女の子だって嘘ついてたの?」
「嘘つくつもりはなかったんだけど! カフカがいつの間にかおれのこと女の子だと勘違いしてて、そのまま訂正できずにズルズルと……」
そういえば、はじめて話した瞬間からノルンのこと女の子だと認識してた気がする。
ヒトでも、女の子でもなかったんだ。勘違いしすぎてて笑っちゃう。
笑いながら、ちょっとだけ泣いた。気持ちがぐちゃぐちゃで、だけどノルンと友だちでいられることに変わりないってことが嬉しくて。
いつか絶対に会おうって約束して、通信を終えた。本当に会えるかは分からないけど、そう約束しておきたかった。村に帰ってからも、外の世界と繋がるための希望みたいなものが欲しかったから。
もうめちゃくちゃ。嬉しいのか悲しいのか、辛いのか楽しいのか、なんにも分かんない。
膝かけにしていたおじいちゃんのジャケットを抱きしめてすすり泣く。おじいちゃんに会いたい。何も考えずに甘えたい。わたしがしたことを知ったら怒るかな。怒るだろうなぁ。だけどひとしきり怒ったら、顔をくしゃくしゃにして笑うんだろうな。「最高の冒険だったんだろ」って。
……そうだよ。最高の冒険だったよ。
後悔なんて一つもない。わたし、村を出てよかった。勝手に出ていったことは反省してるけど、それでも、この目で見たものを否定なんかしたくない。
無性に叫びたくなった。操縦席を飛び出して空を見上げ、めいっぱい息を吸い込んで、すべて大声に変えた。
「わ――――!」
長く、遠く、ぽっかり丸い夜空に吸い込まれていく。肺の中が空っぽになるまで叫んだら、頭にぽすっと何かが乗った。
「なかなかいい遠吠えじゃん」
振り返ると、ハヤテがいた。
並んだ薄い影が同時に動く。上目に見た顔は、なぜかちょっとドヤ顔。
「……うるさかった?」
「いや? 呼ばれたかと思っただけだよ」
涼しい声で言って、ハヤテはコンテナの上であぐらをかいた。座れよってジェスチャーされたから、わたしはその横、コチちゃんの翼によじ登って足をぶらんとさせた。
ざぁ、と大樹の葉っぱを揺らす夜風が吹き込んだ。わたしがここに来た頃はぬるい風だったのに、今じゃ少し涼しい。
「嘘ついてごめんね」
「ん、いいよ」
渾身の謝罪だったのに、軽く流された。じとっとにらむ。
「……軽」
「だって俺おまえの親じゃねーし」
「チルさんにも同じようなこと言われた」
「だろうな」
ハヤテは大人っぽく笑う。……ううん、チルさんもそうだったけど、「大人っぽい」じゃなくて「大人」なんだ。普段は一緒にふざけてくれるけど、何かあったらすぐに「大人」に戻れる。
大人っていいな。余裕があって、どこにでも行けて。わたしみたいに気持ちがぐちゃぐちゃになることもないのかな。
「早く大人になりたいな」
ぽつりとつぶやく。
「大人になって、自分の好きなように暮らしたい」
好きなところで働いて、好きなように旅に出て、好きなときに村に帰るの。
どうして子供にはそれが許されていないんだろ。
わたしの疑問に、ハヤテは答えをくれなかった。なんでだろうな、って呟きながら、生い茂る樹冠に囲われた空を眺めて、目を細めた。
「俺の故郷の空もこんなふうに狭かったんだ」
カフカと一緒だな、と付け足す。
「狭い谷間にある集落だったからさ、ガキの頃は山の隙間から見える細い空がその全てだと思ってた。そうじゃないって知ってからは、どうにかして視界いっぱいの空を拝んでやろうと躍起になったよ。徒歩で百コルトル先の海まで行こうとして帰れなくなったり、友達と山のてっぺんまで登ろうとして、滑落して死にかけたこともあった」
「……やんちゃすぎない?」
「そうか? じいちゃんの飛行機に乗って家出するヤツほどじゃないだろ」
う、痛いとこ突かれた。何も言えずに唇を尖らせる。
「結局、村の外に出たのは十六になってからだったかな。張り切って海やら山やら空やら、見たかったもん全部見に行ったけど、正直、こんなもんかって思った。」
「あんまり綺麗じゃなかったの?」
首を横に振る。
「綺麗だったよ。感動もした。でも子供の頃に思い描いてたもんとは何かが違ったんだ。それで気づいた。子供の頃に見たかった景色って、その時じゃないと視れないものだったんだなって」
わたしには、ハヤテの言っていることの意味が半分も分からなかった。だけど言葉の中にひそんだ大人びた虚しさは感じ取れたから、どういうことか聞き返したりはしなかった。
ハヤテが立ち上がる。わたしに向き合って、うつむくわたしを覗き込むように見上げた。
「だから思い立ったら即自力で外に出て、見たいもん見て、知りたいこと知りにいったカフカのことをすげーと思うよ。尊敬する。……大人がこんなこと言ったら駄目かもしんないけどな」
「でも、好き勝手しすぎて怒られちゃった」
ハヤテはじっとしている。何も答えない。おそるおそる顔を上げたら目が合って、真剣なまなざしに背筋が伸びた。
「カフカはどうしたい?」
……そんなの決まってる。
「ここにいたい。村のみんなのことは大事だけど、でも、やっぱり空の下で暮らしたい」
膝の上で握る手に力がこもる。言葉が止まらなくなる。
「クレオと海に行きたい。学校にも一緒に行きたいし、給食も食べてみたい。あと、局のみんなともっとたくさん話がしたかった。コチちゃんとももっと一緒に飛びたい」
ハヤテが満足気に何度か頷いて、はじめて会ったときと変わらない顔で、にぃっと笑う。
「じゃ、そう言ってこいよ」
「……多分、聞いてくれないよ」
「言うだけタダだろ」
今までも言ったって無駄だったもん。それにタダでも、損はするよ。怒られたら落ち込むし。
「子供が子供らしくいられるってのは結構貴重なことなんだぜ」
「そう?」
「そう。大人になったらワガママなんてそうは言えないからな。今のうちに好きなだけ言っとけ」
手を腰にあてて、無邪気に言う。
「それを叶えてやれるようにするのが
明るい星の下で、頼もしくしっぽが揺れた。
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