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「十四番の白い機体、ベルさんのワローズ風の塗装してない? ほら、あの灰色のラインとかさ、挿絵にそっくり」
「ホントだ。俺らには絶対負けらんねぇって思ってるかもよ」
「こっちこそ絶対負けないよ」
昨日、ベルさんにレースに出ることを教えたら、応援してるよって言ってくれたんだ。アドバイスまで貰っちゃったもんね。
「ベルさんは速く飛ぶのに一番大事なのは『風を味方につけること』って言ってたけど……一晩考えてもよくわかんなかった」
「天才は教え下手って言うよな」
うんうん頷きながら二十番が移動を開始したのを見て、わたしもエンジンをかける。いつも通り元気なコチちゃんのエンジン音だ。
コチちゃんはレースって初めてなのかな? ベルさんは日銭を稼ぐためにたまに出場していたらしいけど、おじいちゃんはどうだったんだろう。本には特に書いてなかったんだよね。
機内を見回してみると、どこもかしこもぴかぴかに磨かれているけど、所々サビが浮いてるし、配送局の飛行機と比べるとデザインが昔っぽい。やっぱり古い飛行機なんだよね。
一般的な飛行機は、大事に乗っても三十年で寿命かなってロジャーさんが言ってた。コチちゃんは確か、五十七歳? すごいご長寿。しかもおじいちゃんと一緒に危険でいっぱいの人生(機生?)を生き抜いてきた、すごい飛行機。我が親友ながら尊敬しちゃう。
戦争をしていた頃は、本物の銃を装備して敵を倒してたのかな。……きっとそうだよね。いくらおじいちゃんが凄い操縦技術を持っていたからって、武器もなしに敵を倒したりなんてできないはず。
わたしよりもずっと長生きで、色んなものを見てきたんだね。そんなお年寄りのコチちゃんがイマドキな改造をされて、でっかい機銃の代わりに平和な水鉄砲を付けられているって考えたら、ちょっと感慨深くなっちゃった。
背もたれから後ろを覗いていたら、ハヤテと目が合った。首をかしげて笑ってる。
「ねぇねぇハヤテ」
「どした?」
「わたしさ、あの日朝までぐっすり寝てて、ハヤテに出会わなかったら、なんにも知らないまま大人になってたんだと思う」
「ほんと急にどした?」
優しい声で苦笑い。気持ちを伝えようかちょっと迷ったけど、意を決して言うことにした。
「昨日、ベルさんに色々教えてもらったんだ。おじいちゃんとの冒険の話とか、戦争の末期にあった出来事とか」
まぶたがぴくりと動いた。悲しそうな、気まずそうな顔で一度うなずく。
「やっぱ知らなかったんだな」
「うん……でも、知れてよかった」
「俺らのこと怖くなったか?」
「ううん。全然」
これは本当。みんなわたしに優しくしてくれたもん。
きっと、昔の人だって酷い人ばかりじゃなかったんじゃないかな。辛いことや悲しいことが重なりすぎて、何が正しいのか分からなくなっちゃったんだと思う。
「正直さ、ヒトのじいさんばあさんたちが俺らのこと恨むのは仕方ないと思う。あんだけのことしたんだから、何年経っても文句は言えねーよ」
「うん……わたしもそう思う。でも、わたし自身がひどいことをされたわけじゃないから。むしろたくさん優しくしてもらった」
戦争の後に生まれてきた人たちまでヒトに危害を加えてきたわけじゃない。同じことを繰り返さないでほしいとは思うけどさ。
「わたしも、何が本当に正しいのかはまだはっきりしないけど、あのまま村にいたら、考える事さえできなかったんだもん。だから村を出てよかった。きっかけをくれたハヤテにはすっごく感謝してるんだ」
あの時、夜中に起き出していなかったら。
ハヤテのことを不審者だってバレンさんに突き出していたら。
長老と喧嘩しなかったら。
ちょっとでも違っていたら、ここにはいなかったかもしれない。色んな偶然が重なって今のわたしがいる。
「ありがと、ハヤテ」
ふっと笑って手が伸びてくる。わしわしされるかと思ったら、曲がった帽子を直してくれた。拍子抜けしちゃって、かわりにわたしがハヤテの頭をなでたら、照れくさそうに笑ってた。『親愛の証』ね。
「また遊びに来ていい? 次は五年後になっちゃうけど」
「大人になるまで来ないつもりか? いつでも来たらいいだろ」
「あっ……そっか。そうだよね……」
ハヤテの黒い目がぱちくりする。
「……なあ、カフカって実は」
「三十七番ココット村配送局さん、移動お願いしまーす!」
張り上げた声の出どころを見ると、スタッフさんがこっちに着いてくるようにジェスチャーしてる。全然気づかなかった!
慌ててコチちゃんを浮かせて、スラストレバーをほんの少し倒す。プロペラが回ってのろのろとコチちゃんを前進させて、スタッフさんの指示に従って海の上のスタート位置に移動した。
……ぷぴっ
「え、なんの音?」
なんか、どこかから可愛い音がした。きょろきょろ見回すけど、異常は見当たらない。
「だれかの警笛か?」
「かなぁ。気の抜ける音だね」
「コチちゃんも大概だけどな」
コチちゃんの「ぴぉー」っていう声を思い出した。たぶん、昔はもうちょっと迫力のある音だったんだと思う。きっと歳をとって丸く可愛い声になったんだよね。
スタート位置は結構後ろの方だ。不利かと思いきや、意外とそうでもないんだって。揚力装置に攻撃を仕掛けられるのは後方からだけだから。
向きの調整はスタッフさんにお任せ。前から後ろに向かって階段状に並んだ飛行機の列と、海の上でぷかぷか揺れる黄色いスタートラインに胸が高鳴る。
コースにはキッサ湾全域が使われる。一周約五十コルトルのコース上に置かれた、障害物や噴水による水の壁を避けながら、一番速くゴールしたチームが優勝。単純で分かりやすい。
最後の機体がスタート位置について、スタッフたちが離れていく。隣の人も帽子を被りなおしたり、ゴーグルの位置を調整したりし始めた。じーっと見てたら手を振ってくれた。
反対側も見てみたら、グレーの機体に乗る小さな操縦士さんが見えた。かなり若そうな男の子、っていうかまだ子ども。しかも一人での参加だよ。
「ソロ参加はあんまりいい顔されないんじゃなかった?」
「まあ、でもルール違反じゃないし、毎年何人かはいるから。まして子どもならたとえ入賞したってブーイングまではされないだろうな」
ふーん。子どもってお得なこともあるんだね。そんなことを考えながら男の子を見ていたら目が合って、すぐに迷惑そうに顔をそらされた。じっと見るのは失礼だったね。反省。
砂浜からスタッフさんがやってきて、スタートラインから少し横に離れた場所に止まった。缶に取り付けられたエアーホーンを取り出し、時計を見ながら無線機でやり取りしてる。
「いよいよだな」
「うんっ。楽しみ」
「気楽にやろうぜ」
おじいちゃんゆずりの帽子のベルトを締め直して、ゴーグルをおろす。お気に入りのぶかぶかジャケットは、さすがに暑いから置いてきた。
「十、九、八、七」
ハヤテのカウントダウンが始まる。右手で操縦桿を、左手でスラストレバーを握り、その時を待った。
「……三、二、一」
ゼロ。
スタートを告げる音が空気を震わせる。
スラストレバーを押し込み、プロペラが回りだす。四十二機の飛行機が、光る海の上を一斉に前進し始めた。なんて勇壮なんだろ。ずっとこの隊列のまま飛び続けるのも悪くないんじゃないかって思ったけど、これはレースなんだからってすぐに思い直した。
前を見る。エンジンの回転数がレース用の装置による制限の最大の回転数に達して、高速で回るプロペラがゆっくりと見え始めたそのとき、わたしは異変に気づいた。
プロペラの付け根あたりに何かある……? 目を凝らしたその瞬間、
ぷぴぴびぴびびびびっぷぴぴぴぴぶびー!
「「は!?」」
なにこの間抜けな異音!? すぐにエンジンの回転数を落としてプロペラへの動力供給を止める。左右上下で飛行機が動いたせいで機体がガタガタと揺れる中、プロペラの異物はさっきよりも先のほうへと移動しているのが見えた。
「見に行ってくる」
ハヤテはわたしの返事を待たずにロックを外し、キャノピーの枠に足をかけて外に飛び出した。機首へと向かって器用に這い進み、のろのろと回り続けてなかなか止まらないプロペラに、なんと脱いだ自分の靴を引っかけて止めた。絶対真似しちゃだめ!!
プロペラを掴み、ポーチから小さなナイフを取り出してごそごそと動かす。作業はすぐに終わったらしく、黄色い大きな物体をガラス越しに見せつけた。……なにこれ。鳥の形をしたおもちゃ? やわらかそうな素材でできてる。押すとぷーぷー鳴るやつみたい……
「犬のオモチャだ」
どしんと機体が揺れる。ハヤテが戻ってきた。
「ご丁寧にボンドでガッチガチにくっ付けてあった」
「えーっ! そんなものなんで」
振り向いて顔を見た瞬間、ぎょっとした。すっごく怒った顔してる!!
「心当たりは一つしかねーよなぁ」
「……イヤミー?」
犬のおもちゃなんて常日頃から持ち歩いてるわけないよね。じゃあ、ハヤテとわたしに嫌がらせするために準備したってこと? わざわざこんなぶじょく的な物を?
「サイッテー」
もう一度エンジンをかける。レバーを引きながら横目に見た横長の観客席は、かなりざわついている様子だった。
「……棄権してもいいぞ」
「イヤだよ!」
ムキになって叫ぶ。ハヤテがこんなふうに馬鹿にされたのに、そのまま棄権するなんて絶対嫌だ。わたしの気持ちに寄り添ってくれるように、コチちゃんが前に進み出す。
「絶対に嫌。最下位でいいからゴールだけはしてやるもん」
背後でハヤテが動く気配がして、ぬっと背もたれの隙間から拳が出てきた。柴色の毛におおわれたふわふわの手。
「やるか」
「うん!」
視線はそのままで、拳を拳で小突く。
海のかなたで紙飛行機みたいな大きさの四十一機が空を泳いでいる。もうみんなスピードにのってる。絶望的な気持ちが湧き上がりかけたのを、首を振って振り払う。
最下位でも、局のみんなはきっと笑わないと思う。だけど局のみんなを笑う人はいるんだろうな。それこそ、イヤミーとかさ。
悔しい。
イヤミーが触ったところをちゃんと確認しておけばよかった。ロジャーさんに無理を言って最高の改造をしてもらったのに、すごく悔しい。
コースのずっと先を駆け抜けていく飛行機の群れを見ていたら、挫けちゃいそうになる。気持ちだけは負けちゃいけないのに。
「カフカ、左」
海の先を睨んでいたわたしは、ハヤテの声に慌てて左を向いた。なんだろう。たくさんの観客と、屋台のテントと、運営スタッフさんたち、そして立ち入り禁止のロープから身を乗り出して、スタッフさんにたしなめられている、一人の女の子。
クレオだ。
いつものすまし顔が面影もなくなるほど大きく口をあけて、しきりになにか叫んでる。何度も何度も繰り返す大袈裟なくらいの口の動きが、わたしの目にはっきり映った。
がんばれ
むねがきゅうってなる。わたしから言ったんだった。目指すは一位、って。
クレオの目の前を通り過ぎる。最初の障害物が見えてくる。立ちはだかる水の壁と、ところどころに空いた隙間。あの隙間を上手く通り抜けないと、揚力機関に水がかかって高度が下がるうえに、機体が海水まみれになって肝を冷やすはめになる、らしい。
「ハヤテ」
「ん?」
「しっかり掴まっててね」
へ、と間の抜けた声がした。
水の壁を抜けたら、すぐに右カーブ。狙うのは一番インコースよりの抜け穴……よりも右、放水装置とコースラインの隙間。
レース用の速度抑制装置が作動したのか、これ以上スピードは上がらない。だからちょっとしんどいかもだけど!
「いっけぇコチちゃん!」
「まっ……まてえええええ!!」
機体の角度は海面に向かって九十度。
体に食い込むベルトと右足でふんばりながら、操縦桿の操作が少しもぶれないように神経をとがらせて、その細い隙間めがけて突っ込んだ。
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