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残酷な話になる。どこまで知りたい? ……全部か。うん、貪欲なのは良い事だよ。
昔、この国にはヒトがたくさん暮らしていた。彼ら……君たちは、鋭い爪も卓越した脚力も硬い皮膚も、なんら持ち合わせていない弱い生き物だ。だがね、愚かではなかった。君たちは強靭な肉体を持たないぶん、おそろしく賢く、そして器用だった。その知恵によって様々な技術が発達した。この国において顕著だったのが、航空技術。揚力機関もこの国で生まれた。
人が空を飛ぶ鳥を落とすのは容易ではない。まして鳥が鉛の弾をばらまき、炸裂する火の玉を放り始めたら……分かるかい。我が国の技術を世界中が渇望した。
私たちが旅を始めて五年が経った頃、この国は隣の国に攻め込まれ、戦争が始まった。隣国の目的は、むろん我が国の航空技術力。ずっと昔からあの手この手で手に入れようとしてきたが、なかなか上手くいかず、それに痺れを切らしてのことだった。
私たちははじめは徴兵から逃げ回っていたんだがね、想定以上に泥沼化していく戦いを無視できなくなり、共に招集に応じたにのが、戦争が始まって二年目のことだ。とっとと終わらせて、また旅に出ようと言い合い、別れた。
ところが戦いはそれから更に三年続いた。……終わりが見えなかったよ。最後の一人になるまで殺し合うつもりかと、本気で思った。もちろんそうはならなかったがね。
国際的に定められた、即時休戦条約のうちの一つに、『戦争開始時における民間人の人口のうち、五パーセントが死亡した時点で、その戦争は即時無条件に休戦される』というものがあった。その時点で、双方四パーセントくらいが死んでいたかな。
もう少し殺せば終わると、皆思っていた。
狂っているだろう。本当にそう思うよ。私も……どうかしていた。
だがね、軍人はまだマシだ。飢えと恐怖の渦中にいる民間人の絶望は計り知れないものだった。もう少し殺せば、と思っているのは、隣国も同じだったからね。
なのにその『もう少し』が一向にやってこない。戦争に慣れた人々は、身を守るすべを学んだ。他国の人道支援によって多少の食糧が得られたことも相まって、民間人の死者は格段に減った。だが兵士は変わらず死んでいく。足りなくなれば、徴兵される。兵士はいくら死んでも休戦のための頭数には入らなかったんだ。
どこかの小さな街が根こそぎ焼き尽くされたら、それだけで終わるのに、と。そんな歪んだ祈りが強くなりすぎて、いっそそれが自国でもいいと、そう思うものも少なくはなかったのだろうな。
始まりは、とある市民団体が掲げた過激なプロパガンダの一つだった。
兵士としても、肉体労働力としても、劣っている者たちがいるじゃないか、と。
当時この国にいたヒト類の数は六千人。半分でも……十分な数だ。
一人目は、激しく糾弾された。あってはならない差別的な殺人だと。
ややあっての二人目からは……もう止まらなかった。
耳を塞いでも聞こえてくる残忍なシュプレヒコールに、国中が正義を見誤った。一人殺せば、広場のカウンターが押された。一人、一人と増えていく犠牲こそが、平和を取り戻すための唯一の足がかりだと信じた。
ヒト類がこの地で暮らすことはもはや不可能だと判断したシアは、それまでの輝かしい戦績によって保証された生活と国を捨て、生き残った人々を東の浮遊大陸群に匿った。不毛の地だが、命を奪われるよりはマシだと。
シアは私に助けを求めた。
私は……応えられなかった。
唯一の肉親が……妹がいた。小さな子供を連れていて、夫を亡くしたばかりだった。
私がシアに手を貸していれば、あとどれだけの人間を救えただろうか。
私は友人とその仲間を裏切った、卑怯な裏切り者だ。
口先でやめろとのたまっただけの、立派な加害者だ。
喋り疲れたのか、大きな息をついて、シアさんはそれきり黙り込んだ。
「わたし……地上に来てから、友達ができたの」
「…………そうか」
「色んな人に親切にしてもらった。泊めてもらったり、おやつもらったり、数え切れないくらい、大事な人ができて……」
「ああ」
「でも、みんなも……昔はそうだったんだね」
ベルさんは静かに頷いた。
あまりに悲しくて、辛くて、ぽろぽろ涙が出て止められなかった。
昨日まで友達だった人に痛めつけられるって、どんなに辛かったろう。
長老も、アリーさんも、村のみんなも……今までの生活を捨てて、何もない空の上で、どんな思いで生きてきたんだろう。
泣きじゃくる横から、小さなタオルが差し出された。顔を上げると、いつの間にかベルさんが隣に座っていた。
「怖い話をしすぎたね」
タオルを顔にあてると、すぐに涙が染みて、湿った感触がした。
「もっと言葉を選ぶべきだった。昔のことは……話し慣れていないものだから」
首を振る。
「わたしから教えてって言ったんだもん。教えてくれてありがとう」
知らなかったら、もっと人を傷つけていたかもしれないから。
「知らないままじゃなくなって、よかった」
濡れたタオルをぎゅっと強く目に押し付けて、それきり泣かないって心に決めてから離した。唇を噛み締める。
ベルさんが隣で笑う。わたしも無理やり笑ってみせる。
「地上の友達のことが怖くなったかい?」
「ううん」
みんなは大丈夫。……そう信じていた人に殺された人もたくさんいるんだろうなって、そう思ったら悲しくなるけど、それだと誰のことも信じられなくなるから。
「わたしは自分が見て、感じたことだけを信じるの。……あ、ベルさんの話を信用してないとかじゃないよ? なんていうかその、一番大事なところでは、みたいな……」
「分かっているよ。強い子だね」
窓から太陽の光が直接差し込んで、ベルさんの白いウロコがきらきら光った。
「あのねベルさん。おじいちゃんは別にベルさんのことを裏切り者だなんて思ってないと思うよ。だってさ……仕方ないでしょ? ベルさんのせいで人が死んじゃったなんてこと、ないと思う」
これは、心の底から思ったこと。ベルさんが気に病むことじゃないと思うの。
誰が聞いたってわたしと同じことを言うと思う。だから自信満々に、そう言ったけど、ベルさんの心には届いていないみたいだった。
「そうかもしれないね」
その返事があまりに空っぽな声だったから、わたしがなにを言ってもベルさんの気持ちを軽くすることはできないんだって気づいた。
他の誰でもなく、ベルさん自身が自分を許してないんだ。おじいちゃんじゃないとだめなんだ。でもおじいちゃんはいないから、もう……
……これ以上、わたしがかき回しちゃいけない気がする。言葉を探すのをやめたら、「優しいね」って言われた。
もし何かが違ったら、おじいちゃんとベルさんは今でも冒険を続けていたのかな。
額縁の中の青い空が、さっきよりも明るく見えた。少し前までわたしが憧れていた色だ。
「ベルさんは、また冒険に出たいって思う?」
「ずっと思っていた。だがもう遅すぎる」
「そんなことないと思うけどな。ほら、シア・アリムスの冒険五巻の最後にもそう書いてたじゃない? わたしあの言葉大好きなの」
ベルさんがぴくっと肩を震わせて、金色の目を見開いた。
「五巻?」
どうしたんだろう。視線をふらふらさせて何か考えるようなそぶりをしたあと、もう一度わたしに向き直る。
「あれは四巻までしかなかったろう」
「ううん、五巻まであったよ。俺たちの旅は永遠に続くぜ! みたいな終わりかたで」
そういえばおじいちゃんの本棚から発掘したとき、五巻だけちょっぴり新しい感じがした。もしかして、四巻からだいぶ間を置いて発行されたのかな。
「大好きな言葉だから、暗記してるんだ。『冒険とは、金塊の眠る島への道程を指すばかりではない。それは歩き慣れた家路からたった一本外れた道に踏み出すときのときめきであったり、故郷に背を向けた日の空に見た希望であったり、例には事欠かない。君の人生の全てが尊い冒険だ』……言ってて思ったけどさ、この言葉通りなら、ベルさんだって冒険をやめたことにはならないんじゃない?」
黙り込むベルさん。あれ、伝わらなかったかな。ちょっと噛み砕いて言ってみる。
「本の通りなら、ベルさんはおじいちゃんと別れてからも、ずっと冒険を続けたってことになるんじゃない? …………えと、違うかな」
ベルさんは薄く口を開けて呆然としていた。わたしの方を向いてはいたんだけど、とても遠い場所を眺めているような目だった。
なんか変なこと言っちゃったかな。怖くなってきちゃった。
「あの、わたしそろそろ帰らなきゃ……」
「ああ……そうか」
心ここにあらず、って感じ。ぼうっと頷いて、まばたきをする。その横でいそいそと立ち上がってカバンを肩にかけていると、
「カフカ」
そう呼ばれて、ベルさんの方を向いて、驚いた。
一瞬、泣いているのかと思った。実際にはむしろ笑っていたんだけど、その笑顔は今まで浮かべていた微笑みとは全然違うものだったから、すごくびっくりした。
「会えてよかった」
その言葉にほっとする。「わたしも」と笑い返した。
ベルさんは変わらずわたしのことを見ていたけれど、どこかもっと遠くに思いを馳せているような、そんな感じがした。
「ありがとう」
「こちらこそありがとう。色んなお話が聞けてすっごく楽しかった。……また来ていい?」
ベルさんは首をゆっくりと振る。
「じきに、長く家を空けるんだ。キッサ市にいたのも、その準備でね……ほら、返信の消印はキッサ市のものだったろう?」
少し考えてから、おずおずと聞く。
「……もう会えない?」
「また旅に出るだけだよ」
ちょっと寂しいけど、頷いて、足の上で組まれた指を見た。ひからびた葉っぱみたいな細い指。その指がゆっくりと持ち上がって、わたしの前に差し出された。わたしは迷わず握り返す。
「最後に一つ聞いていい?」
「なにかな」
「ベルって本名?」
フフッと笑って「いいや」と言った。そしてこっそり本名を教えてくれたけど……秘密だよって言われたから、誰にも言わないでおこう。
「だが私があの『ベル』だということは、ごく限られた人しか知らないことだ。だから変わらずにベルと呼んでくれるかな」
「うん」
立ち上がる。座ったままのベルさんよりも、ずっと目線が高くなる。
「良い冒険を、カフカ」
さようならって言うのはなんとなく違う気がしたから、わたしは笑ってこう返した。
「ベルさんもね」
そう言って背中を向ける。視界の端に、満たされた顔で笑う姿が焼きついた。
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