3
ベルさんの家は、崖の上に建ったその家で間違いなかった。家の近くにエイスを降ろして、わたしは一人でベルさんの家へと向かう。てっきりハヤテも一緒に行くのかと思ってたけど、機内で待ってるって。
高原と違ってあまり風が強くなかったからちょっと暑かったけど、なんとなくおじいちゃんの帽子とジャケットを着ていった。話のネタになるかもしれないしね。
壁や屋根に蔦が絡んだ土色の家の前に立って、大きく深呼吸をした。緊張する。なんて挨拶しよう……はじめまして、おじいちゃんの孫のカフカです……いや、おじいちゃんの孫っておかしくない? シアの孫のカフカです、にしよう。血は繋がってないけど仲良しでした……うんうん、こんな感じで
「あの」
「ひゃー!」
急に横から話しかけられてびっくり! 飛び跳ねながら声がしたほうを向くと、二重にびっくりした。
……トカゲが、立ってる。歩いてる。喋ってる!!!
「あ、あわ……」
「もしかして、ハチュウ類に会うのは初めて?」
は、ハチュウ類っていうんだ。ハヤテと初めて会ったときの衝撃がよみがえる。
同時に後悔もした。体はつるっとした鱗でおおわれているし、しゃべるたびに青い舌が覗くけど、話はちゃんと通じてるんだもん。わたしってばすごく失礼な反応をしちゃったんじゃないかな。
「そうです。ごめんなさい、びっくりして……」
「いいの。私もヒト類を初めて見たとき驚いたから。あなたがカフカちゃん?」
「は、はい。あなたがベルさん……ですか!?」
「いいえ。わたしは姪のミスロ」
がくっと力が抜けそうになった。そうだよね、おじいちゃんよりだいぶ若そうだもんね……
「少しここで待っていて。準備ができたら呼びに来るから」
そう言われて、玄関の前でしばらく待つことになった。はあ、ドキドキした。
ベルさんもハチュウ類? なのかな。小さな椅子に腰掛けて考える。ミスロさん、ベージュ色の肌(?)に黒いしま模様が映える、細身の身体がとっても綺麗だった。驚きでドキドキしていた気持ちが、だんだんと興奮に変わっていく。知らないことを知ったときの気持ち。
「お待たせ。どうぞ」
十分くらい待ったかな。ミスロさんに招かれて家に入る。小さな玄関を靴のまま通り抜けて、ミスロさんが開けた木製のドアの向こう側に、その人はいた。
明るい窓を背にした一人がけのソファに腰掛ける、ほっそりとした色素のうすい体。ほぼ白といってもいいくらいの肌に、金色のしま模様。
大きなボタンのシャツに茶色いカーディガンを羽織ったその人は、見開いた金色の瞳にわたしを映し、木製の椅子のひじ掛けを握った。
「あの…………は、はじめひて」
噛んじゃった。恥ずかし……
「フ……」
線のような口をにぃっと曲げて目を細める。無機質な顔に、とたんに表情が宿って、温かみが生まれた。
「はじめまして、カフカ。わたしがベルです」
そう、ベルさんは低くしゃがれた声で挨拶をする。ちょっと呆けてから、わたしも慌てて頭を下げた。
「お邪魔します。ベル、さん」
ベルさんはふるふると首を振って、自分の右横にあるソファを勧める。
「そうかしこまらないで。もっとくだけた喋り方がいいね。それこそ、君のおじいちゃんと話すような気楽さで」
やっぱり、まぎれもなく、男の人の声だった。
「てっきりおばあちゃんかと思ってました」
「ハッハァ!」
わたしの告白に、ベルさんは大層愉快そうに笑っていた。このおじいちゃん、すごくフレンドリー。
あれからおずおずとだけど、わたしの育った環境、おじいちゃんの最期、それと、どうやってここまで来たのかをベルさんに話した。頷いて、ときどき目を伏せて、さみしそうに笑って……そしてわたしが村を出た時の感動を語ったら、ベルさんは少年みたいに目を輝かせた。
「素晴らしい冒険をしてきたんだね、カフカ」
なんて言われて、ちょっと照れちゃった。
「シアは私の話をカフカにしていたのかい?」
「ううん。でも大事な相棒がいたんだってたまに言ってたよ。ずっとコチちゃんのことだけを言ってるのかと思ってたけど、もう一人いたんだね」
微笑みを硬く保ったまま二、三度頷いて、ちょっとの沈黙のあと、おどけた口調で言った。
「そうか。律儀に約束を守り続けていたとはね」
「約束?」
「私の姿について誰にも話すな、話したとしても嘘をつけ、と言ってあったんだよ」
「どうして?」
わたしの問いに、ベルさんはニヤッと笑った。
「外見を広く知られていると、悪いことをするときに不都合だろう?」
「……ジコウゲの森を燃やしたりとか?」
「知っていたか。ハッハッハ!」
穏やかなおじいちゃんだなぁって思ってたけど、撤回! この人、本に書かれた通りの人だ!
「世界中を旅していると、どうしても正攻法じゃ立ち行かないときがあるものさ」
「じゃあ、本に書かれるのも嫌だったんじゃない?」
「ああ、だがやむを得なかった。あの時……一巻を出す前、少々ヘマをやって路銀が尽きかけていたんだ。だから特別に許したというのに想定以上に売れたものだからと次々に刊行しやがって…………失礼。口調が乱れた」
「ううん。ベルさんこそ砕けた口調で話していいよ。それこそ、おじいちゃんと話すときみたいにね」
ベルさんの真似をして言ったら、青い舌を「チロッ」と出して、いたずらっぽく笑う。うふふ。
「ねえ、ベルさんはシア・アリムスの冒険を全巻読んだ?」
「一応ね。だがもう中身は忘れたよ。恥ずかしすぎてね」
「そっかぁ」
「何故残念がる?」
「冒険について詳しく聞きたかったから」
何がおかしいのか、からから笑って肘をついた。そして首を傾げるわたしに、挑戦的な顔で語りかける。
「ここにいるのは冒険の全てを見聞きしてきた人間だよ」
……そうだった。本に頼る必要なんてないんだ!
ハヤテには悪いなぁって思う。無理やりにでも引っ張って連れてきてあげたらよかった。
だってシア・アリムスの冒険のもう一人の主人公があらゆる質問に答えてくれるんだよ? すごすぎるよ。プライスレス!
おじいちゃんが語る冒険譚の中では、自分のミスについて語られることがなかったの。だけどベルさんの口からは、おじいちゃんのおもしろ恥ずかしい裏話がどんどん出てくる。おじいちゃんったら、カッコつけなんだから。
釈然としなかった部分をベルさんが次々に明かしてくれた。時間を忘れて夢中で話し込んじゃった。
「それで、やっぱり古の財宝は見つからなかったんだよね?」
「この素朴な我が家を見てどう思う? それが答えだ」
わたしは周囲をきょろきょろ見回してから、家の構造について少し考えた。外観からして、一階はリビングともう二部屋、それと屋根裏部屋があるくらい? こった装飾も高そうな家具もない。
そっかぁ、うちの質素さからも期待はしてなかったけど、やっぱりなかったんだ……って、すごく失礼なこと考えちゃった!
「あ、あの絵画すてき!」
「ハッハ。どうも」
冷や汗かいた。ふぅ。自分で指さした絵画をあらためて見てみると、晴れ渡る空と草原を描いた水彩画だった。
奥行なんてないはずの薄い紙に描かれているのに、果てしない空が広がっているように見える。手で触れたら、どこまでも吸い込まれてしまいそうなほど。
「ベルさん、空を飛ぶの好き?」
ゆったりと頷いて、昔はね、とだけ答える。
「今は?」
「もう飛べないよ。歳をとりすぎた」
「そっかぁ」
歳をとると飛行機に乗れなくなるのかな。法律でそう決まってたりするの?
「おじいちゃんとの冒険は楽しかった?」
なにげなく聞いたその一言で、ベルさんの顔つきが変わった。絶えず浮かべているほほえみの中に、わたしには……ううん、本人でさえ説明できない大きな感情が混じった気がした。
「ああ」
笑っているのに、なんだか泣いてるみたい。ちょっとためらったけど、わたしは一番聞きたかったことを口に出す。
「ベルさんとおじいちゃんは、どうして一緒に冒険するのをやめちゃったの?」
「私があいつを裏切ったからだよ」
ベルさんは精一杯の悪い顔でそう言ったけど、わたしには効かないよ。だって今までのおしゃべりの中で、どんな人なのか大体わかったもん。
「昔あったっていう戦争が関係してる?」
「ああ」
「どんなことがあったの? 村のじじばばも、おじいちゃんも、なんにも教えてくれないの。ヒトが地上にほとんどいないことも、関係ある?」
もっと知りたい。教えてくれるなら、だけど……ベルさんはわたしのお願いを受け入れて、語り出した。
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