いろいろってなに? なーんてズケズケと聞けるほど無神経じゃないよ。そうなんだ、って頷いてマフィンとお茶のお礼を言って、おいとますることにした。


「配達がない時でも、いつでも好きなときにおいでなさい」


 アリーさんはわたしが帰る時にいつもそう声をかけてくれる。頷いて、石の玄関をくぐった。

 空っぽになったカゴにアリーさんから預かった紙袋を入れて、帰り道とは逆方向に歩き出す。マフィンを長老にもおすそ分けしたいから持っていってほしいって、お使いを頼まれたの。


 長老の家は洞窟村のほぼ最奥にある。とは言っても、アリーさんの家から徒歩二分くらいの距離だから、スキップしてでもすぐ着くよ。

 わたしが歩く蛍光キノコに照らされた道の両脇には、鉄パイプを組んで作られた棚があって、そこにキノコの菌床が何段も置いてある。この村の人がみんなで育てている、大事なキノコ畑だよ。キノコはこの村の唯一の特産品にして大事な資金源だからね。わたしにとっては、どうしてこんなありふれた物が外の世界で需要があるのかこれっぽっちも分からないけど。


 キノコ畑を抜けたら長老の家が見えた。家の前に寝そべって大きなあくびをしていたダウが、わたしのことを見るなり一目散に走り寄ってくる。キラキラ輝く黒い目を大きく見開いて、遊ぼ遊ぼとわたしの手を舐め回してヨダレまみれにした。


「ダウ、待て! 荷物持ってるからまた後でね」

「フワン」


 なんてお利口! ダウは舐めるのをやめてわたしにぴったりくっついて歩き出した。空いた手で頭を撫でたらしっぽをブンブン振り回しながら激しく足踏みをする。爪がチャカチャカ音を立てた。


「ちょーろー」


 カンカンカン! 叫びながら長老の家のベルを叩いたけど、返事はなし。


「ダウ、長老はどこ? 誰かの家に遊びに行ってるのかな」


 ダウはとぼけた顔で首を傾げた。そんなことより遊んでよってかんじ。仕方ないからわたしは玄関の前にカゴを置いて、近くにあったボールをダウに見せる。


「欲しい? 欲しい? 取ってこーい!」


 薄暗い天井の真下に青いボールが線を描く。ダウの四足がぎゅっと縮まって、びよーんと飛び跳ねたと思ったら物凄いスピードで石の道を駆ける。すぐに空中のボールに追いついて、嬉しそうに持ってきた。


「すごいすごい。ダウは運動神経ばつぐんだね」


 わたしの前にボールを置いて、なんだか誇らしげ。ヨダレまみれのボールを拾って、今度は真上に投げた。ぴょんっとジャンプして、これも器用にキャッチ。フワフワの毛並みを抱きしめるみたいになでてあげる。

 元気でお利口で可愛いダウ。でもご飯のことになるとちょっと間抜けになる。ご飯の時間になると人(犬)が変わったようにヨダレを垂らしながらぐるぐる回って興奮するの。


 そういえばハヤテもコチちゃんを見つけた途端に大興奮してたよね。男の子ってみんなそんな感じ?


「ねえダウ。わたしね、昨日二足歩行のわんちゃんに会ったんだよ。ダウは会ったことある?」

「くわん」

「ダウも立ったり喋ったり出来ればいいのにね」


 わたしの報告なんて興味なさげに、そんなのどうでもいいからもう一回投げてーってボールを渡してきた。べたべたのボールを受け取って腕を振りかぶったら、突然ダウが玄関ドアの方を向いて、ドアに前足を置いて後ろ足で立ち上がった。


「どうしたの?」


 中に入りたいみたい。少し悩んでからドア代わりに立ちかけられたぺらぺらのベニヤ板をどけてあげたら、ダウはすぐに家の中に駆け込んだ。


「なんだろ。もしかして長老が心臓発作で倒れてたり?」


 犬って飼い主の危険を察知したりできるらしいし、わたしは心配になってダウの後をついていくことにした。


「おじゃましまーす」


 長老の家に入ると、なんだか土っぽいような埃っぽいような、とにかくあまり丁寧に掃除されていないんだろうなって思った。おとこやもめにうじがわく……そんな言葉を思い出しつつ空気の悪い玄関を抜けて、ダウが走っていった突き当たりを左に曲がると、半開きになったドアの前でダウがウロウロしていた。ドアノブには鍵が差さったままの大きな錠前が引っかかっている。


「中に何かあるの?」


 重たげな錠前にちょっとためらいつつ、ドアノブに手をかけると、それと同時に中からカツン、カツン、って金属の音がして、何ごとかとドアを引っ張る。


「む、カフカちゃんなんでここに」

「あれ、長老だ。生きててよかったぁ」


 ドアの向こうは小さな部屋で、長老がびっくりした顔でわたしを見ていた。

 部屋の中央奥の壁には金属製のハシゴが打ちつけられていて、大人二人分の高さがある天井まで続いていて、長老はわたしと目が合うなり、なにやら上に向かって追い払うような仕草をした。


「天井に何かいるの?」

「いやいやいやなんでもない、さあ外へ行こうか。ワシの家は埃っぽいもんでなあ」

「ねえ何してたの? 隠し事?」


 わたしを室外へ追いやろうとする長老の脇をすり抜けて、しゃがんで天井を見上げる。天井にぶら下がったフタのせいで見えないや。


「何も無い! 気にするな」


 ぜーったい嘘だ。間違いなくなにか隠してる焦りようじゃない。どうにかすり抜けられないかと隙を窺っていると、


「おぉカフカちゃんどした。ワシらと一緒に飲みたくなったか」

「お前出てくるなと言ったろうが!」


 天井から二人目のおじい、ベンさんが現れた。赤い顔を天井から覗かせて、フラフラしながらハシゴを降りてくる。


「二人でコソコソお酒飲んでたの? うへぇ、お酒くさい」

「カフカちゃんってば、そんなこと言わんどくれぇ。ジジイ傷つくじゃろ」


 ベンさんがくねくねしながらそんなことを言う。この人、相当酔ってるよ。ちょっと呆れちゃった。


「上に隠れバーでもあるの? 美人のバーテンさんがいたりして」

「いんや、美人よりいいもんがあるのよ」


 長老がぎょっとした顔でベンさんに飛びかかる。だけどベンさんは構わずヘラヘラ笑いながら、


「嵐が去った後の夕暮れは綺麗でなあ。二人で西の空を肴にしとったの。カフカちゃんも一緒にどう?」


 長老が「黙っとれって!」と怒鳴って、ベンさんの頭をはたいた。

 わたしはぽかんと口を開けて、言われた言葉をゆっくり噛み砕く。夕暮れ? 西の空? どういうこと? ……この村の中にも外の景色を見れる場所があるってこと?


「その上、どうなってるの? 空が見えるの? わたしも見てみたい」

「いや、違う。いいからあっちに行こう。な?」

「違わないでしょ。ね、ベンさん。そこから外が見れるんでしょ?」

「うん」

「このバカ!!」


 長老はベンさんを怒鳴りつけて、難しい顔でわたしを見た。


「なんで嘘つくの? ちょっと外に出るくらいいいじゃんか」

「いかん」

 いつも飄々としている長老が、別の人みたいにきっぱりとした声でそう言った。思わず少し怯んだけど、理不尽さへのいら立ちの方が勝つ。

「なんで?」

「いいから言うことを聞きなさい。大人になるまで外には出たらいかん」

「だからなんで!」


 わたしが大きな声で叫んでも、誰も答えない。さっきまでヘラヘラ笑っていたベンさんにまで気まずそうに目をそらされた。

 すごくすごく腹が立った。自分たちはいいのにわたしはダメなの? 理由を聞いても答えてくれないのはなんで?


「……みんなで意地悪してる? わたしのこと嫌いなの?」

「そんなことはない。カフカちゃんのことが大事だから言ってるんだ」

「全然わかんない! 大事ならちょっとくらいワガママ聞いてくれたっていいじゃんか。誰かに迷惑かけるわけでもないんだから」


 二人とも困ったような怒ったような、なんともいえない顔で黙りこくっていた。空気がみるみるうちに重たくなる。わたしはもどかしくなって、うつむいた長老の顔を覗き込んだ


「ねえなんでダメなの? 本に出てくる吸血鬼みたいに、お日様の光に当たったら溶けちゃうとか?」

「そんなわけがなかろう。いいから、もう帰りなさい」

「ヤダ。なによ色んなこと内緒にして、聞いても誤魔化してばっかりで。……わたし、地上にはヒトがいないって知ってるんだからね。毛むくじゃらの人たちが沢山いるって。みんな内緒にしてるけど、昔の人が喧嘩したせいで仲良く一緒に住めなくなったって!」


 長老が眉間にシワを寄せて低い声を出した。


「……シアの本を読んで知ったのか。だがワシらは何一つ悪くない。あのケダモノどもが裏切ったんだ」

「嘘だ。アリーさんはみんないい子だったって言ってたもん」


 わたしが叫ぶと、長老が目を吊り上げて拳を握る。怖かったけど真っ向から睨み返した。


「あいつらは優しくなんかない! 昨日まで笑って話してた人間を平気で裏切るような下劣な奴らだ。本なんぞで聞きかじっただけで分かったような気になるな!」

「そんなことないもん! 少なくとも二人よりはずーっと優しいに決まってるよ!」


 小さな部屋が怒鳴り声でいっぱいになった。胸がぐちゃぐちゃに苦しくなって、言葉が勝手に喉から出てくる。唇をぎゅっと結んで震えている長老と困りきった顔のベンさんに向けて叫ぶ。


「みんなのせいだよ! わたしがこんなお年寄ばっかりの村で暮らしてるのも、歳の近い友達がいないのも、自由に外に行けないのも、全部みんなのせいだったんだ!」


 怒りでいっぱいだった長老の目が悲しそうに歪んだ。


「嘘つき。分からずや! だいっきらい!」


 ……ひどいこと言っちゃった。そう自覚した瞬間、ムカムカしていた胸の中がみるみるうちに冷めていく。


「くぅん」


 ダウの冷たい鼻先がわたしの手に触れて、はっとした。二人の顔を見るのが怖くなって、わたしはくるりと背中を向けて部屋を出る。脇目も振らずに走る。

 息が切れて足が重たくなったけど、必死に足を上げて走った。少しでも早く家に帰りたかった。


 お店のドアを開けて中に飛び込む。鍵をかけて、家のドアも同じようにする。

 誰にも会いたくなかった。おじいちゃんのジャケットを被ってベッドの上でうずくまる。


 ……言い過ぎちゃった。でも、でも、やっぱり納得できない。


「大人になるまでって、あと五年もこうしてなきゃいけないの? なんで?」


 ベッドに突っ伏したまま口をもごもご動かした。くぐもった愚痴が布団の中に染み込んでいく。

 お腹がきゅるると鳴る。成長期の体には、マフィン二つじゃ少し足りなかったみたい。


 まだ成長期の証拠。

 急に背が伸びて、明日になったら大人になってないかな。

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