身体がいたーい! 目が覚めた瞬間にそう思った。

 本を読んでいたら、気づかないうちに硬い床に突っ伏して寝ちゃってたみたい。ミシミシときしむ関節をゆっくり動かしながら起き上がると、薄手の毛布が床に落ちた。誰かが心配して様子を見に来て、そのときにかけてくれたんだろうな。


「お腹空いたぁ……今何時?」


 読みかけのページに人差し指を挟みながら残りの指で本を掴み、お年寄りみたいな動きでリビングに向かう。時計を見たら、なんともう夕方! 成長期なのに食事を二食も抜いちゃった。


 そういえば、昨日商品が入荷したばかりなのにお店を休んじゃった。でもこの村ってとっても平和だから、泥棒みたいなことをする人なんていないの。試しにお店に行ってみると……ほら、みんなお店に並べていた商品を勝手に選んで、何をいくつ買ったかをメモして、その上に代金を置いていってる。在庫と合計額をメモと照らし合わせたけど、間違いはなかった。もう店番しなくていいかも。明日からセルフ方式にしちゃう? なーんてね。


「あーあ、きっとみんなから大寝坊したねって笑われる」


 徹夜したうえに夕方まで寝ちゃうなんて、こんなこと初めてだよ。あくびをしながらキッチンで牛乳を温めて、テーブルの上に置きっぱなしにしていたクッキーのお供にした。交互に口に入れていたら、ぺこぺこだったお腹がやっと落ち着いてきた。


「バレンさんたちはもう行っちゃったよね」


 呟きながら窓の外を見たら、やっぱり商船はいなくなっていた。キノコの積み込みを手伝えなかったからちょっぴり罪悪感。


 テーブルに戻って、置いてあった本を開き直す。シア・アリムスの冒険、第二巻二四七ページ目。空賊の襲撃を受けてプルフ山脈に取り残された相棒のベルさんを救出に向かうシーンだよ。わたしってばすごくいいところで寝ちゃったんだね。

 この本には、ヒト類以外の人類がいることが当然のように書かれていた。おじいちゃんはどうしてこのことを教えてくれなかったんだろう。

 それにしてもおじいちゃんにコチちゃん以外の相棒がいたなんて、この本を読むまで知らなかった!


「ベルさんってどんな人なんだろ」


 まだ途中までしか読んでないけど、外見に関する描写がまったくないの。年齢性別に至るまで、全然触れられていない。


 性格は、クールだけど結構やんちゃ。平気で無茶もする。わたしの予想では、バレンさんみたいな背の高い女の人だと思う。若かりし頃のおじいちゃんはベルさんのことが好きだったから、それを追求されるのが恥ずかしくて孫のわたしにこの本を見せてくれなかったんじゃないかな。違う?

 ベルさんの通り名は「白のベル」だったらしい。カッコイイ! 愛機ワローズを巧みに操る音速の飛行士……きっとナイスバディのすっごい美人だよ。


 目を閉じて、まぶたの裏に青色を広げる。即席の空に浮かぶのは、コチちゃんとワローズ。わたしはもちろんコチちゃんの後席に乗っていて、操縦はおじいちゃん。並列飛行をしながらベルさんと合図を送りあったり、空を飛ぶ珍しい生き物を見かけては指をさしてガラス越しに喜びを共有するの。


「あれ、でもベルさんがヒト類じゃない可能性もあるのかぁ。ハヤテみたいにフワフワの毛が生えてたりするのかな」


 ベルさんってどんな人なんだろ。続きを読み進めていけば分かるかな? そう思ってまぶたを開けて、空の散歩から本の中の冒険に戻ろうとしたとき、わたしは大事な用事を思い出して反射的に立ち上がった。


「アリーさんに配達!!」




 注文されていた食品や日用品をカゴいっぱいに詰め込んで、わたしは急いで店を出た。すれ違った人たちには「今日はこれからお仕事かい?」なんて言われちゃった。


「アリーさーん。遅くなってごめんね」


 村の奥にある小さな家の前に立って声をかける。開いてるからどうぞ、と明るい返事が聞こえてきたからのれんをくぐって中に入った。


「はぁい。いつもありがとう」


 声のした方を向くと、アリーさんはいつものように小さな丸メガネをかけて、部屋の隅で手芸をしていた。今日は丸い毛玉を二つ床に転がして編み物をしていたみたいで、わたしを見とめるとかぎ針をテーブルに置いて「ふんしょ」と立ち上がろうとする。


「無理して立たなくていいよ! いつもの棚に入れておくからね」


 アリーさんは優しくてちょっぴりお茶目なおばあちゃん。足が悪くて買い物も一苦労だから、何日かおきに商品を配達しに来てるんだ。


「もう、座ってていいのに」

「しんどくても積極的に動かさないとねぇ、ダメなのよぉ。悪い足は放っておくともっと悪くなっちゃうの」


 ちょっとしゃがれた声で軽快にお喋りしながら、杖をついてゆっくりと歩み寄ってくる。持ってきた食品をカゴからキッチンの棚に移していたわたしの横まで来ると、ふっくらとしたほっぺたにえくぼを作って、目を糸みたいに細めた。


「昼過ぎにビルくんが言ってたわ。カフカちゃんが本を読んだまま床で眠りこけていて、呼んでも小突いてもちっとも起きなかったって」

「えーっ長老に寝顔見られちゃったの? なんかヤダぁ」

「あら、年頃の女の子らしいこと。ビルくんが聞いたら泣いちゃうかも」


 そう言って鈴を転がしたみたいに笑った。アリーさんはコロコロした体型と同じで、笑い方もコロコロしている。

「これはあっち」「それはここ」と合いの手みたいな指示を聞きながらカゴの中身を全部しまい終えた。アリーさんはいつも助かるわとお礼を言いながら、キッチンの上にかけてあった布をめくって見せる。中に隠れていたのはカップに入ったマフィン!


「こっちはチョコチップ、こっちはマーマレード入り」


 そう説明しながらマフィンを並べてお茶を入れてくれた。配達の日は、こうしてアリーさんが作ったおやつを一緒に食べるんだ。

 ちなみにアリーさんは食べるのが大好き。おやつが出来上がったそばから味見と称して結構な量をぱくぱく食べている姿を何度も目撃しているよ。コロコロ体型の理由がよく分かるね。


「いただきまーす」


 ぱくり。しっとり甘いケーキからバターがしみだして、思わず顔がほころぶ。ゴロゴロ入ったチョコチップが奥歯でコリンと砕けてほろ苦い味が広がったら、また甘い生地が恋しくなって次の一口。やっぱり美味しい。ぺろりと一つたいらげたところで、わたしは重大な事実に気づいてしまった。


「アリーさんたいへん。晩ご飯の前にどっしりしたおやつを食べちゃった」

「あらなんてこと」


 棒読みでそう言ってマフィンの山頂にかぶりついた。


「だけどもう遅いわ。一度口に入れたらもう手は止められないの」

「そうだね。今日くらいいっか」


 あれ? 昨日の夜もそんなことを言った気がする。


「二つ食べたらきっとおなかいっぱいになっちゃうけど、晩ご飯がマフィンっていう日があってもいいよね」

「カフカちゃんはこれで足りるの? わたしは晩ご飯も食べるのよ」

「えーっ!」


 衝撃の事実、第二弾。でもたくさん食べるって素敵なことだよね。おじいちゃんは死んじゃう前、全然ご飯を食べられなくなってたから、尚更そう思うよ。

 口の周りに着いた食べカスを拭き取ってから二つ目に取りかかる。もぐもぐと口を動かしながらマフィンの焼き色を見ていたら、ハヤテの毛色を思い出した。

 無事に家に帰れたかな? もう来ないって言ってたけど、五年後にまた会おうって約束したもんね。……約束、ちゃんと覚えててくれるかな。


「……ね、アリーさん。地上には毛むくじゃらの人たちがいるの?」

「あら」


 丸メガネの奥の目がまん丸になる。


「どこで知ったの?」

「んーと……おじいちゃんが隠してた本を読んだら書いてあったの。あ、村の人にはこのことは内緒にしててね。教えてくれなかったってことは内緒にしておきたかったってことなんでしょ?」


 アリーさんはまん丸の瞳にわたしを映したまま口をもぐもぐと動かした。


「知らない方がよかった?」

「……いいんじゃない? うん、いいわよぉ。私は隠し事って嫌いだもの」


 独り言みたいにそう言って、お茶を一口飲みニコッと笑う。


「そうなの。今の地上にはね、実は私たちみたいなヒトってあんまりいないの。昔、毛むくじゃらの人たちと大喧嘩しちゃって、私たちは空の上にお引越ししちゃったのね。頑固な年寄りの中には今でもあの人たちのことを許せていない人もいるのよ」

「じゃあ、アリーさんは毛むくじゃらの人たちに会ったことある?」

「あるわよぉ」

「嫌い?」


 ちょっと黙り込んでから、ニコッと笑って首を振る。


「いいえ。私が知っている子はみんないい子たちだったから」


 アリーさんが何の迷いもなくそう言ったから、わたしはなんだか嬉しくなった。


「そうだよね! いいなぁ。わたしも地上に行ってみたいなぁ」


 うっとりと呟いたわたしにむけて、アリーさんは困ったように笑った。てっきり今までみたいに同意してくれると思ってたから、ちょっと気を落としちゃった。マフィンが入っていたカップを両手でくしゃりと丸める。


「アリーさんはどうしてここに移り住んで来たの? せっかく仲良しだったのに、どうして地上で一緒に暮らしていられなかったの?」


 わたしの質問にアリーさんはすぐには答えずに、目を閉じてカップを傾けた。それからふくよかな体を縮こめるように両腕をテーブルの上でぴったりとくっつけて肘をつき、


「色々あったの」


 そう呟いて、ほんのりと笑った。

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