15日目

「来るね」

「ん、来る」

「あ、もうつくよ。ほら」

「あともうちょっと」

「来るぞ来るぞ来るぞぉ、う……うぅ!」

「にゃ……!」


「「じゅわぁ〜」」


 太陽が海に触れた。ああっ、みるみるうちに海が干上がっていくー! わたしとクレオは黒いガラスでできたメガネを放り投げ、壁の内側に伏せる!


「お、なんだぁ?」

「夕陽が勢い余って海に落ちたの。キッサ市はもうダメ」

「ハヤテ、今にココット村も超高温の蒸気で蒸し焼きになるよ! ここはわたしが食い止めるから逃げてー!」

「むしろどうやって食い止めんのか見てみてーよ」


 入口から顔だけ出していたハヤテはひょいっとハシゴを登りきると、伏せたわたしを跨いで、枝の隙間から見える景色を眺めて目を細めた。


「ここがロジャーさんの秘密基地か。眺めいいなぁ。最近はお前らに占領されつつあるけど」

「あんま使ってないからいいよってちゃんと許可されてるもんね」

「ね」


 ここは整備場の脇から生えた枝(太すぎてもはや幹)の中にあるロジャーさんの休憩部屋なんだけど、「いちいち上るのが面倒」っていう理由であんまり使ってないみたい。ここを発見したばかりの頃は、部屋の隅に積まれた古い飛行機雑誌が寂しそうにしていたけど、ホコリをはらってナンバー順に並べ直したら、ほら、本も嬉しそう〜。


「今日『お泊まり会』なんだろ? 帰らなくていいのか?」

「ママとパパがごちそう作るから、ちょっとゆっくり帰っておいでって」

「そういうことー。でもそろそろ行かなきゃかな」

「ああ、暗くなったら危ないからな。ほれ、出ろ出ろ。ロジャーさんももう帰るらしいから鍵閉めるぞ」

「てことは、ついに完成したの!?」


 レース用に改造された後、調整を重ねたスーパーコチちゃん。ロジャーさんは最初は葛藤しながらやってたのに、試し乗りと調整を繰り返すうちにノリノリになっちゃって、ヘルガさんに叱られてた。他の仕事をサボってまでコチちゃんの調整に没頭してたからね、しかたないね。

 縄でできたハシゴを一つ飛ばしで下りると、ぴかぴかに磨かれたコチちゃんをうっとりと見つめるロジャーさんがいた。わたしたちに気づいて軽く手を上げる。


「ロジャーさん、できた?」

「いや、明日も調整しに来る。念には念を、だな」


 お休みなのに……ありがたいけど、ちょっとこだわりすぎじゃない? はじめはあんなに激しく拒否してたのに。


「結局わたしたちには一切手伝わせてくれなかったね」

「メスを使おうとする奴に手伝わせるわけがないだろ」

「さすがにあれは本気じゃなかったよぅ」


 ロジャーさんみたいな専門家ではないけど、わたしだって整備の知識がゼロってわけじゃないもん。コチちゃんを雑に切り刻んだりなんかしないって。


 整備場の戸締りをして、ハヤテとは寮でお別れ。ひょっこり顔を出したチルさんにもバイバイして一階に下りると、ヘルガさんがまだ一人で仕事をしていた。ロジャーさんとヘルガさんが話し出したから、クレオと二人で局を出る。

 夕陽が通り過ぎたあとの青紫色の空の下で、長くうすい色の影が落ちた。もうすぐ夜がくる。


「夏の終わりのにおいがする」


 バイクを引っ張りながら、クレオがそうつぶやいた。


「なにそれ? なんの匂い?」

「なにって……なんだろ。なんか、季節のにおい」

「全然わかんない」


 ふふっと笑いあって、バイクを走らせた。村へと続く乾いた道を最小限のブレーキで駆け下りる。ぬるい空気が涼しく感じるくらいのスピードにドキドキしながら、クレオの言う夏の終わりのにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。

 明日はベルさんのところに行く。明後日は、レースの本番。そして次の日には帰る……予定。


 もう、こんなふうにこの丘を下る機会はないかも。そう思うとすごく寂しい。

 村を出てから、ずっと「帰りたくない」って思ってた。今も思ってる。でもキッサ市でお兄さんと話してから、「帰りたい」とも思うようになったの。

 正反対の気持ちが、胸の中で並んでる。どっちも嘘じゃない。へんなの。


 どんどん暗くなっていく大通り抜けて、村の外れに出た。進むにつれて、建物と建物の間隔が広くなっていく。配達でもこの辺には来たことないや。


「ここ」


 クレオは一軒の家の前に停まった。白い柵に囲われた、木でできた可愛いおうち。カーテンの隙間から光が漏れている。


「ただいま」

「おじゃまします」


 クレオが玄関のドアを開けると、クレオのパパが出てきた。背が高くてメガネをかけた茶色い毛並みの人で、クレオにそっくり。そのあとすぐに出てきたママは、灰色の毛に薄いグリーンの瞳が綺麗な人。お揃いエプロンの優しげな二人は満面の笑みを浮かべると、ぴったり揃った声で「いらっしゃい」と招き入れてくれた。

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