営業時間後ののんびりとした配送局内で、わたしを囲む一角だけがちょっとだけ緊張した雰囲気になっている。

 手紙の最後の一文字から目を離すと、一つ前の待合席に座っていたチルさんが、ソファに膝をついてお行儀悪く振り返ってきた。


「なんて?」


 チルさんの隣りにいたハヤテと、ちょっと離れた壁際に背中を預けていたクレオも反応する。わたしは書かれていたことをかいつまんでみんなに話した。

 ベルさんからの手紙には、しばらく家を離れていて、手紙の確認と返事が遅れてしまったこと、おじいちゃんが死んじゃったことへのお悔やみ、ぜひわたしに会いたいってことが、とても丁寧な字体で書かれていた。それと、すぐにでも会いたいってことも。


「ちゃんと届いててよかったな」

「うん」


 自分の声に思ったよりも元気がこもってなくて、びっくりしちゃった。返事がきて嬉しい反面、村に帰る予定が具体的になったことが寂しいんだ。

 チルさんもハヤテもそれを察しているのか、ちょっと優しい顔でわたしを見ていた。大人の余裕を感じる……。


「向こうはいつなら都合がいいの?」

「しばらく家にいるから、いつでもどうぞって。今週末なら連絡なしに行ってもいいみたい」


 そっかー、とチルさんが目を細める。「寂しくなるねぇ」


「どうする? 来週にするか?」


 ハヤテの言葉にしばらく悩んだ。悩んでる間、何度もつい頷きそうになったけど、それじゃだめだと思う。壁にもたれてうつむいているクレオを一度見てから言う。


「ううん。今週末に連れてってもらっていい?」


 ハヤテはやわらかい表情で頷いた。


「うし。決まりだな」

「あ……でも、今週末ってレースが」

「休みは二日あるから平気平気」

「でも、レースの前日は休んだほうがいいんじゃない?」


 ハヤテがやさぐれた顔をする。


「いいんだよあんなの」


 あんなのって。年に一度のイベントがそんな雑な扱いでいいの?


「今年はみんな諦めてるから大丈夫っしょ」

「去年の誰かさんのせいでな」

「イヤミーを殴って出場停止になったっていうやつ?」

「およ!? どこでバレた」


 チルさんの大きな尻尾がビッと伸びたその時、上の階から悲鳴みたいな懇願が響いた。


「待ってくださいよねぇヘルガさんってば!」

「しつこい!」


 二階から降りてきたヘルガさんが、後から涙目ですがりつこうとしてきた男の人を「キッ」と睨んだ。


「ヒッ」

「何度言わせるつもり? 今年うちから出せるのは一人。」

「で、でも、やっぱり二人いないと盛り上がらな……」

「観客の盛り上がりと私たちになんの関係が?」

「シパーフ郡で一番のイベントじゃないですか! お願いします、これ以上人が減ったら観客の皆さんががっかりしちゃうんですよ!」

「フン。去年うちが被った不正妨害の調査もろくにせずよく言うわ。さあ帰りなさいもう話すことなんてないから」

「あれは調べたけど結局証拠が見つからなくて……ああっ、ヘルガさん待って、お願いですからぁ!」


 なになに? あの人、いつも優しいヘルガさんを尻尾を踏まれた肉食獣みたいな形相に変えておいて、まだ抵抗してる。根性あるね。……あ、無理やり閉め出されそう。でもがんばってる。すごい抵抗してる。


「いだだだだだ! しっぽがっ! 挟まってるッ!」

「ヘルガさん、ちょっとかわいそうだよ」


 さすがに見てられなかった。「あら」とヘルガさんがわたしに気づいて手を離すと、押さえていたドアが勢いよく開いて、男の人がべちょっと床に倒れた。


「カフカ。それにあなたたちも揃って……何かしてたの?」

「あのね、ベルさんからやっと返信が来たんだ! 今週末に会いに行くことになったの」

「まあ! それはよかった」

「長い間お世話になりました」

「こちらこそ、仕事を手伝ってもらってすごく助かったわ」


 床でうめく男の人には目もくれず、ヘルガさんはちょっと寂しそうに微笑んだ。


「用を済ませてからも、しばらくここにいていいのよ?」

「ううん。たくさんお世話になったから……ねえ、あの人大丈夫?」

「放っておきなさい。後で外に引きずり出しておくわ」


 それはちょっとかわいそすぎると思う。チルさんにつんつんされてるその人のところに近寄って「大丈夫?」と声をかけると、「天使様ですか……?」って崇められた。違います。


「いたた……しっぽ取れてません?」


 ゆっくり起き上がりながら、背中の下を手で探る。丸いぽんぽんみたいなしっぽが左右に小さく揺れていた。


「ちゃんとついてるよ」

「よかった……あ、どうもヒト類のお嬢さん。自分はエリクと申します。キッサ市の市役所職員をしておりまして、毎年この時期に行われるエアレースの開催実行委員を務めて」

「また始める気……?」


 ビクッと肩を震わせて黙り込むエリクさん。トドメを刺す直前の狐と兎ってかんじ。


「ヘルガさん、こわいにゃ……」

「あら……」


 心配そうにことを見守っていたクレオがぽつりとそう漏らすと、ヘルガさんは牙を剥き出しにしていた口を手で抑え、一歩引いた。でも、いつでも噛みつけるわよ……って顔してる。


「エリクさん、どうしてヘルガさんとモメてたの?」


 よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりの笑顔でエリクさんが語り始めた。


「今年のレースなんですが、参加者がとにかく少ないんです。毎年上位の常連選手たちも体調不良やら一身上の都合やらでことごとく棄権してしまって……参加人数が例年の四分の一ほどに減ってしまったんです」

「へー」

「幸いにも各配送局からの棄権は出ていないので、箸にも棒にもかからない一般参加の方々には期待できないぶん、最速の配送局決定戦ということで盛り上げていこうかなぁと」


 さらっと失礼なこと言わなかった? ヘルガさんを怒らせたのってそういうとこじゃない?


「ところがエントリー票を見たところ、ココット村配送局は今年ハヤテさん一人で参加するというじゃありませんか」

「それのなにがいけないの?」

「いやぁダメでしょう〜」


 だからなにがダメなのよ。だんだんイライラとしてきたところで、面倒くさそうな顔で成り行きを見守っていたハヤテがわたしの横に来た。


「一口にエアレースって言っても色んなルールの大会があるんだ。まっさらなコースを飛んで純粋な速度を競うもんから、障害物競走みたいなもんまで。で、今回のレースは速度制限つきで妨害あり障害物ありっていう、まあなんでもアリなレースになる」


 ちょくちょく聞くその「妨害」ってなんなんだろう。まさか機銃で撃ち合うの?


「レースって命がけ……?」

「なわけないだろ。使うのは水鉄砲だよ。レース用の機体は揚力装置の本体が剥き出しになるように改造されてて、そこ目掛けて放水して墜とすんだ」


 なるほど。揚力装置って熱で駆動するから、そこに水がかかると装置内の温度が下がって、うまく機能しなくなっちゃうの。


「じゃあ、レースでは操縦する人と水鉄砲をうつ人の二人必要なんだね」

「操縦手一人でも出場はできるんだけどな」

「ダメですよ!」


 エリクさんがずいっと話に割り込む。


「ソロ参加は競技性を損ねるとして嫌煙されています! 撃って撃たれてのド派手なレースじゃなきゃ見応えがありませんから、やはりもう一人出場していただかないと」

「だからそのもう一人がいないの」


 ため息混じりのヘルガさん。ここの配達員さんは全部で六人いるけど、チルさんとハヤテ以外はのほほ〜んとしていて、競い合うのは苦手そう。


「で、でも、このままじゃココット村配送局の印象も悪くなるかも……」

「だから何。脅しのつもり? 出たがらない子たちを無理にでも出場させろとでも?」

「そうじゃありませんけど……どうにか説得してもらえま」

「棄権するわ。以上、さよなら」

「そんな! これ以上出場者が減るのはまずいんですってー!」


 わんわんぎゃーぎゃー。なんてしつこい。なんて執念。ほら見て、ヘルガさんに足を思い切り踏まれてるのに、まだ引き下がらないの。ソファにふんぞり返っていたチルさんがため息をついて立ち上がり、ちょこちょこ歩いてこっちにやってきた。


「あーうざったい男。ハヤテ、いっせーので放り出すわよ。アンタは足持ちなさい」

「はいよ」


 やめてー! ハヤテまで野蛮なことしないでよ、暴力反対!


「クレオ、どうしよう……」

「チルさんがキレたら下手すると死人が出るにゃ。巻き込まれたくなかったらほっといた方がいいかも」


 嘘でしょ? 出たことあるのかな。

 じり、じり……チルさんがエリクさんににじりよる。


「どうしようどうしよう。なんとか穏便に帰ってもらえないかな」

「でもでも、あの人しつこすぎるし。痛い目見なきゃ引き下がらないかも……」


 血なんて見たくないよー! 泣いて止めたらさすがにやめてくれるかな。それか、エリクさんをどうにか追い返せれば……


「はっ、いいこと思いついた」

「……なに?」


 心配そうなクレオにぐっと親指を立てる。大丈夫、私にまかせてね。「注目!」と叫んでみんなの気を引き、わたしは手を上げて大きな声で宣誓した。


「レース、わたしが出場する!」


 …………あれ、なんでみんな無言なの?

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