「キャ――――ッ!」

「ウニャ――――ッ!」


 パニック。壁にビタッと張り付きながら大声で悲鳴をあげた。なんか、もう一人分の悲鳴が重なって聞こえた気がする。


「どうしたの!?」


 ヘルガさんの声! 部屋が明るくなって、部屋が隅々まで照らし出される。


「おばけ! おばけでた!!」

「おばけ?」

「そこ、そこに発光おばけいるの! 背後をとられたの……って、あれ?」


 きょとんとしたヘルガさんに指し示した、その指の先をあらためて見ると、光るおばけなんてどこにもいなかった。そこにいたのは、両手で持ったランタンを胸に掲げたまま立ちすくむ、茶色い毛の女の子。


「あれ、クレオ?」

「おいどうした!?」

「なんだなんだ不審者かー?」


 ハヤテとチルさんが血相を変えて下りてきたけど、この場を見た瞬間に気の抜けた顔に変わった。ヘルガさんが苦笑して


「電気くらいつけたらいいのに。……忘れ物をしたっていうから、鍵を開けてあげたの」


 ね? とチルに目線を渡すと、毛を逆立てて口を開けたまま固まっていたクレオがぎこちなく頷く。目に浮かんでいた涙がぽろりと一粒こぼれた。


「び、びっくり、したにゃ。こわかった……」


 罪悪感が物凄い勢いで押し寄せてくる。ごめんね、と震える喉で伝えたら、クレオは首を小さく横に振った。ヘルガさんが、わたしとクレオの背中を同時によしよしする。


「おばけでも泥棒でもなくてよかった。なくしものは見つかったの?」

「ん……まだ」


 目を袖でぐしぐし。ぺたんと垂れていた耳がちょっと上向きになる。


「そう。私たちも手伝うわ。大事なものなんでしょう?」

「だめ!」


 突然の悲鳴みたいな拒否だったから、ヘルガさんの言葉にやる気満々になっていたチルさんとハヤテが揃って首を傾げた。


「なんで?」

「遠慮すんなよ」

「い、いらないっ。あたし一人で平気だから」

「でも、帰るのが遅くならない?」

「大丈夫。見つからなくても遅くなる前に帰るし、だから、その……平気。心配かけて、ごめん」


 クレオの態度はかたくなで、今すぐ一人にしてほしそうだった。だからヘルガさんも「帰る時には教えてね」と言ってすぐに引き下がったし、チルさんも、心配そうにしていたハヤテを「人に見られたくないもんなんでしょ」って言って寮に連れ帰って行った。……気まずいまま佇むわたしを残して。


 無言。ちゃんとわたしから謝らなきゃ。


「あの……ごめんね、クレオ。びっくりさせちゃって」

「……ん。別にいいし。もう帰れば?」

「うん……」


 静かでそっけない、いつも通りの声色。わたしは肩を落として階段を上り始めた。


 わたしの行動、ぜーんぶ裏目に出てる。今まで歳が同じ子が近くにいなかったせいなのかな。全然仲良くなれない。変な思い込みで、みんなに迷惑までかけちゃった。

 友達になるビジョンが完全に見えなくなった。あぁ、なくしものってなんだろ。せめて見つかりますように。


 ……いっしょに探す?


 いやいやいや、他の誰の申し出も受けなかったのに、昨日知り合ったばかりの、友達ですらないわたしになんか手伝わせたくないに決まってる。


 ……でも、聞くだけ聞いてみようかな。

 寮がある四階に着く直前で、しばらく足を止めていた。でも結局引き返して、二階の仕分け所をのぞき見ると、今日作業していた台の前で忙しなく手を動かすクレオがいた。

 近づいてみても、探しものをしているような動作とは思えなかった。むしろ仕事の続きをしているような。


「……クレオ?」


 極力ちいさな声で話しかけたけど、それでもちょっと驚かせちゃった。しっぽをぴっと伸ばしてまん丸にした目でわたしを見とめると、手に持っていた手紙を慌てて後ろ手に隠す。


「それ、もう仕分け終わった箱でしょ? なんでまたひっくり返して……あれ」

「あ、やめっ」


 キッサ市行きの箱に残った手紙が目についた。宛先はシロップ村。


 台の上に山積みになった手紙にも目を向けると、キッサ市行きの手紙の中に、シロップ村行きの手紙がちらほらと混じっている。クレオの口元がわなないた。


「まっ……間違えちゃったの!」


 クレオが声を裏返して言う。 


「ぼーっとしてて、混ぜちゃったの。家に帰ってから、あれって思って。……いつもはこんなばかみたいなミスしないんだから。今日はちょっと、調子悪くてっ」


 次々に訳を言い募るクレオに、なんて返事をしようか、少し悩んだ。そうなんだ、そういうこともあるよね、わざわざやり直しにくるなんて真面目だね……どれも言いかけてはクレオの声に遮られて、だんだんなんて言ったらいいのか分からなくなってきちゃった。


「だから、だからそのっ……」

「わたしも手伝う」


 だから、とりあえず一番言いたいことを伝えることにした。


「二人のほうが絶対早いよ! 遅くなったらおうちの人も心配するでしょ?」


 クレオは戸惑っているみたいだった。今までのツンケンした顔とはうってかわった、申し訳なさそうな顔がちょっとかわいくて、自然に頬が緩んだ。


「ね、やろ」

「…………」


 わたしが手紙の山に手を出すと、少ししてから、黙りこくっていたクレオも仕分けを再開した。黙々と、一枚一枚確認する。紙が擦れる音だけが響く。


 わたしね、気づいたかも。クレオって別にわたしのことが嫌いなわけじゃないのかも。ただ、ちょっと警戒心が強くて、弱みを見せるのが苦手なだけなのかも。


 都合のいい考えかな。でも、なんとなーく、そんな感じがしたんだ。

 ふと、すぐ隣で吐息が聞こえた。小さな牙が見える可愛い口を何度かあうあう動かして、息を飲み込んで、クレオは意を決したように大きく息を吸った。


「ごめん」


 わたしは勝手に目が閉じちゃうくらい激しく首を横に振る。


「全然だよ。特にやることもなかったし」


「そうじゃなくてっ」服の裾を握って、潤んだ目で続ける。


「昼間エラそうに注意したくせに、自分のほうが間違えて。それなのに、手伝ってもらって、あたし、ばかみたい……ごめん」


 昼間、偉そうに注意? そんなことあったっけ。んー……注意はされたけど、偉そうではなかったよ。ごもっともってかんじだった。


「ううん。仕事中のお喋りってよくなかったと思うし」


 でも、と納得いかない様子のクレオ。わたしは手を止めて、顔だけじゃなく、体もクレオの方に向けて言う。


「わたしが好きで手伝ってるんだから、気にやまなくていいからね。むしろさ、クレオと話す機会ができて嬉しいくらい……なーんて」


 言ってから気づく。調子に乗りすぎた。でも今のやっぱなし、って言ったらもっと失礼じゃない? どうしよう。クレオはなんにも言わない。顔が熱い。


 ぎぎぎ、とぎこちなく作業を再開。

 相変わらず無言だったけど、不思議なことに、今度はあんまり気まずくなかった。


「これで、最後!」


 キッサ市行きのカゴに最後の手紙を入れて、両手を広げてばんざい!


「終わったー! やっぱり二人でやったらすぐだったね」

「ん……ありがと」

「えへへ、どういたしまして」


 にっこり笑ってお片付け。時計を見たら、もう夜の八時。


「外、真っ暗だね。一人で大丈夫?」

「慣れてるし、家近いから平気。……ねえ」


 クレオが階段の手前で立ち止まった。


「わたしのこと、子どもっぽいって思う?」

「え、なんで?」


 どうしてそんなこと聞くんだろ。大人に混じってきびきび働いてるし、むしろ大人びてるくらいなんじゃない? 比較対象がないから断言はできないけど。


「にゃ、って言っちゃったの、何回も聞いたでしょ!」

「え」


 頭がはてなでいっぱいのわたしを見て、クレオはじれったそうに声をあげる。にゃ、って……言ってたっけ。


「……んーと、だからなに?」

「変でしょ。子どもみたいで」

「可愛いと思うけど、別に変とは思わないかな。なんで?」


 むすっと細めていた瞳孔が少し広がる。しっぽの先を指で絡めてくるくる回しながら、クレオは小さく息をついた。


「……なんでもない。心配して損した」


 そう呟いて、じゃあね、とわたしに背中を向けたところで、上の階から足音が。


「終わったか」


 ハヤテが下りてきた。話し声が聞こえちゃったかな?


「用は済んだな?」

「うん。全部終わらせた……じゃなかった。探しもの見つかったよ」


 クレオに睨まれて、あわてて言い換える。あぶないあぶない。


「送ってく」

「別にいい。バイクだし、家まですぐだし」

「だめだって。行くぞ」


 ハヤテの有無を言わせない態度に、渋々頷くクレオ。そのままハヤテの後ろをついて行きかけて、立ち止まり、わたしの耳元に口を寄せる。


「ね……今日のこと内緒にしててね。絶対」

「うん。二人だけの秘密ね」

「……ん。ありがと」


 二人で言葉を寄せ返して、手を振りながら離れる。


「また明日ね!」


 クレオは小さく頷いて、ぎこちなく右手を握ったり開いたりした。


「また明日……カフカ」


 そう言うと、ぱっと顔を逸らして階段を駆け下りていく。


 名前、呼んでくれた。

 胸の奥をくすぐられたみたいにむずむずする。わたしはいつもよりずっと軽く階段を駆け上がった。




 次の日。


「かゆいよー!」

「だめだ掻くな!」


 もう我慢の限界。顔をかきむしろうとしたら、ハヤテが二つの氷のうで両頬を挟んだ。ひんやり気持ちよくて、痒みもちょっとマシになったけど、それでもつらいよー!


 昨日の夜からなんかおかしいなって思ってたの。で、朝起きたら顔も手も真っ赤!

 日焼けだ。噂には聞いてたけど、こんなに痛くて痒くて辛いものだなんて!


「かわいそう……」

「鼻用の日焼け止めあるけど、ヒトにも使えるのかな」


 営業開始前の局内の一角は、悶絶するわたしと、それを心配する人たちで密度が高くなっていた。


「あーん見てるこっちがつらくなっちゃう。この化粧水塗ってみて。ちょっとはマシかも」

「ありがと……」


 受け取る間もなく、化粧水で濡れた手でぴしゃってされた。すーすーして気持ちいい。


「あーらあらあらあら……んま〜、すべすべのもちもちだわ」

「あ、どさくさに紛れて。ちょっとずるいんですけど」

「私にも触らせてよ!」

「やめてー! わたしのほっぺたをおもちゃにしないで!」


 迫り来る手から逃げるようにハヤテの背後にくるりと回ってガード。フシャーッ!


「ねえ」


 声がした方を見ると、たった今出勤してきたらしいクレオがいた。みんなにおはようって言われてクレオも「おはよ」って小さく返したあと、わたしの近くに来てカバンをあさる。なになに?


「……ん、これ。日焼けのケアにいいんだって」


 取り出したのは、とろっとした白い液体が入ったボトル。肉球、鼻などの日焼けケアに、って書いてある。


「ママ、昔働いてたとこにヒトの同僚がいたらしくて、夏は日焼けで困ってたって。だから、カフカももしかしたらーって……あの、保湿するのがいい、らしいよ。あとこれ、日焼け止め。赤ちゃんでも大丈夫なやつだから、ヒトの肌にも使えると思う……」


 ぼそぼそと説明するクレオから日焼け止めも受け取った。これって、わたしのために持ってきてくれたってこと? クレオが!?


「ク……クレオー! ありがとーっ!」

「んにゃっ!? い、いきなり抱きつかないでよねっ! びっくりするでしょ!?」

「分かった今度から抱きつく前に言うね!」

「ちがーう!」


 プンプン怒ってるけど、振り払おうとしないの。えへへ、ふわふわでやわらかい。


「ほんとに、ほんっとにうれしい」

「いいし。……昨日のお礼」

「うれしいうれしい。うれしいーっ!」

「しつこい! もう、そろそろ仕事の時間!」


 つっけんどんな言い方だけど、昨日までとはどこか違う。

 これからもっと仲良くなれたらいいな。

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