4
それから荷物を出したり、ロジャーさんの仕事を見学したりしていたらあっという間に夕方になった。
さっそくチルさんに使い方を教えてもらったキッチンに立って、鍋をぐーるぐーるかき混ぜる。焦げないように底からね。とろみのある黄色いスープがぷつぷつと重たく泡立ったら火を消して、ちょっと味見してみよう。
「うーす……お、モロコーンスープの匂い 」
「ハヤテおかえり! お仕事終わった? ねぇねぇごはん作ったよ見て見て。ていうか匂いだけでよくわかったね」
「ふふん。俺らの嗅覚舐めんなよ」
誇らしげに鼻をひくつかせる。さすがご先祖さまが犬なだけあるね。
小皿を棚からもうひとつ取り出して、スープを注いでハヤテに渡した。へへ、二人で揃って味見。ふむふむ、新鮮な食材を使うと味も新鮮な感じ! 採れたてモロコーンはびっくりするほど甘いし、発酵してないバターはさっぱりした香り。そしてじっくり炒めた玉ねぎの香ばしさもたまらない〜……はっ。
とっさにハヤテを見る。もう、食べちゃった……!
「ど……どうしよう! ハヤテに玉ねぎ食べさせちゃった!!」
「ん? うまいけど?」
「でも、血尿とか……出るって」
「出ません! 犬じゃないんだから玉ねぎくらい食えるっての!」
よかったぁ。力が抜けるくらい安心したわたしに、ハヤテはちょっぴり厳しい声で語りかけた。
「あのな、祖先いじりって嫌がるやつ多いから気をつけろよ。人によっては暴力沙汰になったりするから」
ハヤテの言葉を頭の中で噛み砕く。先祖いじり……イヌ類だったら、犬みたいに扱われると嫌ってことだよね。わたしだったら、猿? お尻を掻きながらウキーッて話しかけられたら……うん、確かにちょっと嫌かも。
「ごめんなさい……」
「いいよ。悪気はなかったんだろ。俺以外には言うなよ」
ハヤテはそう言ってわたしの頭に手をぽこんと乗せた。これ以上だれかを嫌な気分にさせる前に教えて貰えてよかった。
「うえぇ! また人の頭撫でてる」
階段のほうからチルさんが叫ぶ。夕飯を買ってくるって出かけてたんだけど、帰ってきたみたい。小さな両腕に、アルミホイルに包まれた大きな塊を抱えていた。
「これだからワンコロは。油断したらすーぐ人の頭をなでくりもふもふしてぇ」
謎の物体を台に置きながら、ハヤテに蔑みの目を投げつける。わたしは全然嫌じゃないよ?
「あーあーすみませんでしたね。癖なんだよ」
「イヌ類の人はなでなでする文化があるの?」
「まあ、親愛の証みたいな」
「ほ〜? あたしと初めて会った時に撫でてきたのはそういうことぉ〜?」
「うぜー……」
ハヤテのしっぽが力なくしおれて、チルさんの大きなしっぽがその力を奪い取ったみたいにふくふく動く。感情がしっぽに現れるのって可愛いなぁ。わたしも欲しい。
チルさんは小さなナイフでサクサクとアルミホイルを切ると、薄く立つ湯気を嗅いで幸せそうな顔をしてから、わたしにも切り口を向けてきた。どれどれ……んふふ、スパイスの効いたお肉のいい匂いがする。
「あれ、チルさんってお肉食べれるの?」
「うん。フツーに食べるよん」
リス類だから木の実ばっかり食べるってわけじゃないんだ。ハヤテに叱られたばかりなのに、ちょっと偏見だった。
みんな揃ったところで、ちょっと早めの晩ごはん。階下に住んでるヘルガさんも後で来るって。食べ物をみんな中央のテーブルに並べて、二人は缶ビール、わたしはジュースを注いだコップを手に取る。
「えーそれでは、かわいいお客さんにかんぱーい!」
こつん。大きなテーブルにこじんまりと集まり、プチ歓迎会の始まり。めいめい飲み物に口をつける。……このジュース、すっごく冷えてておいしー! これが冷蔵庫の力……!
「んぐ、んっ、くっ……はー……うんっま」
恍惚とした顔から缶ビールを勢いよく離し、おじさんみたいな声をあげるチルさん。幸せそう。
「長旅お疲れさん」
「あ、ありがとう。いただきます」
ハヤテがいつの間にか丸鶏をナイフで切り分けてくれて、おいしそうなところをわたしのお皿に乗せてくれた。
「あたしにも」
「分かってるって。手羽だろ」
「気が利くぅ」
差し出したお皿にご所望の物を入れてもらうと、カリカリの皮を一口かじってそのままビールで流し込み、「くぅ〜」とか「これだわ」とか言ってる。幸せそう。わたしも食べる……むむっ。皮はカリカリ、身はやわらかでおいしい! スープも飲む。こっちもおいしい。素材がいいから上手にできたね。
「美味しそうに食べてんねぇ、かーわい。やっぱ女子がいると花があるわ」
「本当な。毎日むさ苦しい酒飲みの相手すんのにはもう飽き飽きで……おい俺の皿に骨を置くなげっ歯類」
「失礼。ごみ置き場かと思ったわ」
二人の視線が交わってばちばちと見えない火花が散る。ゆら……とチルさんのしっぽが大きく揺れて、ハヤテが犬歯を見せたとき、試合開始のゴングが鳴った。かーん。
「もう切り分けてやんねー。どんぐりでも拾って食ってろ」
「フンッ。この肉買ってきたのはあたしなんだけど? あんたこそ骨ガムでもしゃぶってろ」
あれ、ご先祖様ネタは道徳的にNGって教えてくれたのは誰だったっけ?
「んなこと言ったらそのビールだって俺が買ってきてやったやつだろ返せよいいやつなんだぞ」
「はいは〜い今吐き戻すから口開けて受け止めて」
「もうそんな頭の悪い酔い方してんのかよ。げっ歯類にこんな上等な酒はまだ早かったな。猿酒でも飲んでろ」
「ハッ。こないだやっと乳離れしたような小僧が生意気言ってんじゃないわよ。ミルクでも舐めてな」
二人とも、仲悪いの? どうしてそんな酷いこと言い合うの? 悲しくなってきた……。
「やめて……けんかしないで……えぐっ」
「ん!? ごめんごめん喧嘩じゃないの! ちょーっといつもの悪ノリではしゃいじゃったわオホホ」
「そうそうそう俺たち仲良し! ほら!」
肩を組んでわたしに笑顔を見せつける二人。
「ほんとに……?」
「本当本当! 仲がいいほど軽口叩いちゃうのよ、ね〜ハヤテくん」
「だよな〜チル……姉さん」
「姉さんって……ブフフッ」
「笑ってんじゃねー! 最後まで合わせろよ!」
喧嘩するほど仲がいいってこと? 世の中にはいろいろな仲良しのかたちがあるらしい……
「悪かったな。ほら、これで鼻ちーんしろ」
「ちーん」
「こんばんは〜食べ物色々持って……」
ヘルガさんが大きなお皿を持って階段から顔を出した。二、三秒固まって、こわい顔になる。
「ちょっと!? なに子供泣かせてるのよ!」
「いや違うんすよ局長」
「何が違うって!?」
……とっても賑やかな夕方。ヘルガさんの誤解が解けるのは、日が沈み切ってからのことになる。
色々あったけど、楽しい歓迎会だったよ。
濃い一日を過ごした反動は、眠気という形になってわたしの元へとやってきた。お腹が痛くなるほどみんなで笑っていたけれど、八時前にはまぶたがどんどん落ちてきて、視界が半分になっちゃった。また明日話そうってみんなに見送られて、わたしは自分の部屋に戻った。
ぎゅうぎゅうの旅行カバンをひっくり返し、部屋の真ん中に散らす。パジャマを見つけて着替えると、片付けもせずにベッドに倒れ込んだ。
なんだろ。布団からこんがりしたあったかい匂いがしてすごく落ち着く。
今日は色んなことがあった。村を出て、知らない土地を飛び越えて、ハヤテと再会して、たくさんの人に会った。ヘルガさん、チルさん、ロジャーさん……あ、あとクレオ。みんないい人だったな。クレオには、ちょっとだけ(?)嫌われてるけど……仲良くなりたいな。なれるかな。
「友達、ほしいな……」
あ、友達といえば、ノルンにも連絡しなきゃ。わたし一人で村を出てきたんだって言ったら驚くだろうな。それと、ベルさんにお伺いの手紙を出さなきゃ。
でも、今日はもうむり。動けない。ごろんと体の向きを変えて手を伸ばし、どうにかランプの明かりだけは消した。キノコランプじゃないよ、電気のランプ。
大きな窓から、陰った葉っぱと夜空が見える。輝く星は、色とりどりのセロファンに包まれた飴玉みたい。一つつまんで食べちゃおうか。……なーんてね。えへへ。
でも、夢でならできるかも。村にいたときだって、そうしてできないことを叶えてきたからね。
外に出ても、願いが全部が叶うわけじゃない。星には手が届かないし、友達だってすぐにできるわけじゃないし。だけどちょっとでも欲しかったものに近づけたっていうのは、とびきり幸せなことだと思うよ。
薄く開いたまぶたの隙間から見る夜空は、シャッター越しにみるそれとあまり変わりはなかった。だけど綺麗で、わたしにとっては特別な空だった。
ふと、村のみんなやバレンさんたちのことが気になった。心配してるかな。帰ったら怒られるんだろうな……ふわぁ。深く考えるほどの元気は、今はないや。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます