1日目
1
太陽が昇り、もとの色をすっかり取り戻した世界がわたしたちを取り囲んでいる。光に慣れていないわたしの目がどうにか眩しさを受け入れ始めた頃、わたしは更にまぶしいきらめきを見つけた。
「これって海……海だよね? 海だ! コチちゃん、海だよ! すっごーい! 全然気づかなかった」
お尻を浮かせて覗き込むと、一面に広がるでっかい水溜まり。青い水面の輝きは宝石みたいで、ひとすくいで豪邸が建ちそうなくらいきらびやか。
もっと近くで見てみたい。揚力機関のパワーをゆっくりと落とすけど、あれれ。全然下降しない。
「……あ、そっか。もう自力で飛べるんだ」
恐る恐るレバーを押し込んで揚力機関をオフに。落ちたらどうしよう、なんて思ったけど、わたしの心配をよそに、コチちゃんは自分の力ですいすい飛び続ける。すごい。
そーっと操縦桿を前に倒す。少しずつ海が近づいてきて、さざ波が見えるくらいになった。
「キラキラしてる……!」
村の水汲み場とは大違い。目に心地いいコバルトブルーの中に、小さな影も見える。あれって多分、
「魚だー!」
ぴょーん! 水の中の影たちは勢いよく水面から躍り出て、水しぶきを上げて跳ね飛ぶ。生きてる魚、初めて見た!
「……ん? わっ、いつの間に!?」
視界の隅に映った白いものを目で追うと、図鑑で見たことのある青白い体の海鳥が、次々に後ろへと流れていく。プロペラに巻き込んじゃわないか心配だったけど、みんなわたしよりもこなれた飛行で体を傾け、後ろから迫るわたしたちを避けて、海面めがけて一直線。魚を捕まえてるんだ。
黄色いくちばしが次々と獲物を捕らえていく。上からいきなり狙われたら、魚たちはひとたまりも無いよね。宝石みたいな海の上で繰り広げられる命がけの戦いを固唾を飲んで見守っていると、ごうっ! と突風を巻き起こしながら、大きな何かがコチちゃんの真横を急降下した。
その塊は海面で大きな翼を広げて急停止。その勢いで、潮の流れを無視した大きな波紋が生まれて、飛び上がっていた魚はみんな吹っ飛ばされた。海鳥たちもバランスを崩してきりもみしたり、海面に叩きつけられてジタバタしたり、そして……ばくんと大きなくちばしに飲み込まれた。それは大きな翼を器用に操りながら向きを変え、凄まじいスピードで海上を飛びながら、逃げ惑う海鳥を次々に丸呑みにしていく。
あれが何か知ってる。大きな鉤爪を足と翼の先に持ち、短く尖ったくちばしと、ぎょろりと大きな眼球の真ん中には、風穴が空いたように鋭い黒目。背中と羽根の外側はウロコ、それ以外は金色の羽毛におおわれた、コチちゃんと同じくらいありそうな大きな体。本物を見たのは初めてだけど、間違うわけもない。空の王様、鳥竜だ!
とっても頭が良くて、世界の各地、特に浮遊島では、人間と共生していることもあるんだって。あと、負けず嫌いで好奇心が旺盛だから、飛行機に乗っていると、速さ比べに誘ってくることもあるらしい。おじいちゃんも何度か競争して、勝った証に髪をくちばしで梳いて貰ったって言ってた。
すごい迫力に圧倒されているうちに、鳥竜は食事を終えて、高い空に舞い上がった。そのまますいーっコチちゃんに横付け。肉食! って感じの鋭い瞳と目が合って、正直もの凄く緊張する。
「あ、あ、えと、かっこよかったよ。ばいばい」
自分、何言ってるの? って感じだけど、仕方ないじゃない。初対面の鳥竜と楽しくお喋りなんかできっこないよ。
手をゆるゆる振ると、まばたきを一回して体をひるがえし、あっという間にわたしたちから離れていった。こ、怖かった。
「ふわあ……コチちゃんはあんなにすごい生き物と競争して勝ったってことだよね。尊敬しちゃうよ」
返事はもちろんなし。でもそれでいいんだ。わたしはドキドキが収まらないままにポケットをまさぐり、バレンさんに貰ったチョコレートを取り出した。ドキドキしたらお腹すいちゃった。
「いただきます」
一口かじって口の中で転がすと、とびきり甘いミルクチョコレートが舌の上でとけていく。やっぱり空の上でもチョコは美味しいんだ。なんだか幸せな気持ちで鳥竜が飛んで行った方角を見ると、豆粒みたいになった鳥竜の尾が一度大きくムチを打ち、そしてどこまでも広がる青色に溶けて空の一部になった。
わたしもそうだ。誰も知らない場所で、この空の一部になってる。わたしが村を飛び出してきたことだって正解なんだよって言われているような、そんな都合のいい気持ちになった。
時間の感覚がさっぱりないの。だってお日様の下に出たのなんて初めてだから、薄暗い洞窟村で培われた体内時計はすっかり変になっちゃった。
だけど太陽の位置が少しだけ高くなったから、ちゃんと時は過ぎているみたい。速く飛びすぎると時間がなかなか進まなくなっちゃうっていう信じられない理論を聞いた事があるけど、やっぱり嘘だったね。……もっと速く飛ばなきゃダメだったりする?
「それにしても、ココット村ってどこ? このまま真っ直ぐずーっと、ってどれくらい?」
方角は合ってるはず。ハヤテにどれくらい飛び続けたらいいの? って聞いておいたらよかった。
ココット村の、目立つ見た目の配送局。そこでハヤテが働いているみたいだけど、どんな所なのか検討もつかないや。海の上にあるのかな? それとも空の上? それとも……地上?
足元に広がる海に、ぽつぽつと白いものが浮かんでいる。最初は鳥かと思ったけど、少し考えたら船だって分かった。木や鉄の塊が、人や物を載せた状態で水に浮くって、信じられる? わたしは信じられない。今度近くで見てみたい。
船がたくさんいるってことは、近くに人が住んでいるってことだよね。村でもあるのかな。
まだまだ空は果てがないように見えるけど、海には終わりがあった。青に染まった視界の隅で見つけた違和感はみるみるうちに大きくなって、やがて海を抱くような地形に作られた、白い街になる。
海の終わりにはずらりと船が整列していて、ぽっかり口を開けた港に歯が生えているみたいに見えた。その先は地上だ。人がたくさんいる。思わず速度と高度を落として、揚力機関を駆動させ、初めて見る街を目に焼き付けながら、ゆっくりと進んだ。
街の中央を通る大きな道を埋め尽くすのは、人、人、人! その人たちの風貌は、みーんな毛むくじゃら。ハヤテの言っていたことは本当だったんだ。地上は毛むくじゃらの人たちばっかりだって!
道の左右にあるのはお店かな? ペらぺらの布みたいな屋根の下に、ゴザや木箱を置いて、そこに商品を並べているみたい。魚とか、果物とか、よく分かんないのとか、色々売ってる。
その背後には、いつか何かの本の挿絵で見たような、画一的な四角い家がぽこぽこと建ち並んでいる。白壁が太陽の光を反射して、街全体が輝いていた。
「すごい……すごいね、コチちゃん。すっっっごく、すごい」
一体、どれだけの人がこの街に住んでいるんだろう。洞窟村がいかに狭い場所だったのかが身にしみてくる。
ふと顔を上げると、前からほぼ同じ高度で飛んでくる、羽の短い一機の小型機がいた。ゆっくり近づいてくる。
わたしが少し考えてから操縦桿を右に傾けて進路を譲ると、操縦手のおじさん(たぶん)が気さくに手を挙げた。茶色い毛の、耳が丸い犬みたいな見た目だ。わたしも軽く手を挙げて笑いかけたら、すれ違いざまにぎょっとした顔でゴーグルをずり上げて、わたしの顔を凝視していた。ヒト類の子供って、やっぱりそんなに珍しいの?
街の外縁を飛び越えて、景色は白から緑へ。なだらかにうねる大地に、鮮やかな植物が生え広がっている。これ、きっと苔じゃなくて草だよ。草原だ。寝転んでみたいなぁ。あ、遠くには木みたいなものも見える。
地上に降りたい気持ちを抑えながら進むにつれ、地面がせり上っていく。自然と地面との距離が縮まったから、高度を上げ直そうとしたんだけど、そこで大きな立て看板が目についた。ところどころ消えかけた字を読む。
『よ こそ ココット村へ ゆいいつの 観光め しょは あっち』
「ココット村って。ちゃんと着いたんだ! ていうかあっちってどっち? ……ってあれのこと!?」
きょろきょろ見回すと、木みたいなものが丘の上に見えた。なんで「みたいなもの」かと言うと、それがあまりにも大きすぎて、商船のみんなが教えてくれた「木」とはかけ離れていたから。
とにかくでっかいの。木みたいに作られた建物なのかな、って思うくらい。だって、わたしが今いる高度は百メリルなのに、その木のてっぺんは、わたしたちよりもまだ上にあるんだよ。
「なにあれ……」
近づくほどに細部がよく見えてくる。太すぎる幹にぽつぽつと付いているあれは、窓?
「あ」
窓の一つが開く。人が大きく口を開けてこっちを見てる。首を傾げて、窓から身を乗り出して、しばらくじーっとこっちを見たあと、窓を開けたまま引っ込んでいった。中に住んでるのかな? なんだか家みたい。へんなの。
ん、待って。ハヤテがいってた、ココット村の目立つ建物って……
「これのこと?」
一帯を見回してみても、村や畑らしきものが見えるだけで、驚くようなものは何もない。てことは、やっぱりこれがそうなのかな。
とりあえず降りてみようとゆっくり旋回する。降りられそうな平坦なところを見つけて、水平維持装置をオンに。あとはゆっくり揚力機関の出力を下げていくだけ〜
「ウニャ――――ッ!!!」
なんの音? 下降を止めて辺りをキョロキョロ見回すと、わたしの真下、コチちゃんの機影から、乗り物に乗った女の子っぽい人が飛び出した。少し離れた場所で振り返ってこちらを睨む。もしかして、潰しかけちゃった?
今度はもっと慎重に、しゅるる〜と高度を下げて無事着陸。二つのタイヤが前後についた乗り物を操ってこっちに引き返してくるその子の顔は、ヘルメットの影に隠れてはっきりしなかったけど、歩き方から不機嫌さと怒りがこれでもかってくらい滲み出ている。
「人が走ってる真上からいきなり着陸しようとするなんて信じらんない! せめて警笛くらい鳴らしなさいよ!」
「け、警笛?」
計器盤を舐めまわすように探したら、ラッパみたいなマークがついたボタンがあった。これかな?
ぴぉー
「遅いのよーっ!!」
「ごめんなさーい!」
もっと怒ってる! わたしは慌ててキャノピーを開けて、コチちゃんから飛び降りた。靴底を受け止めたのは、やわらかな土と草。鳥肌が走る。
「わああ! 足元がふかふかする! コツコツしない!」
「……は?」
初めて地上に降りた感激のあまり、思わず足をふみふみしていたけど、トゲトゲしい視線を感じて慌てて顔を上げた。
視線の主はシルバーの乗り物を引っ張ってわたしの前に来ると、引き結んだへの字の口が惚けたようにゆるみ、薄い唇の向こうに鋭い牙の先が見えた。
この子もヒト類じゃないんだ。顔も、半袖から覗く腕も、足も、ふわふわで柔らかそうな薄茶色の毛に覆われている。ハヤテよりもずっと短い鼻先に鋭い目つき……なんだか猫みたい。ヘルメットに隠れている部分も見てみたいな。っていうかこのヘルメット、猫耳の形になってる!
「わぁ、可愛い」
「はぁ!? な、なによ失礼ね。人の顔見るなりいきなり……かっ、可愛いとか」
「そのヘルメット! 耳のところはメッシュになってるんだ。わあぁ」
「…………」
身長はわたしと同じくらいだ。歳も近いのかな? 女の子、だよね。可愛いなぁ。
「って、巻き込みそうになって本当にごめんなさい! 怪我はない?」
慌てて謝ると、その子はじろりとわたしを睨んで、
「別に」
ふんっと顔を横に向けた。怒ってるみたい。当たり前か……
「おーいクレオ! 大丈夫かー!」
丘の上から声がして、わたしたちは同時に顔を上げた。声の主は、あの大木の根元から、緩やかな斜面へと勢いよく駆け下る。あっという間に目の前に到着したその人には見覚えがあった。帽子からぴんと飛び出した三角耳に、長いマズル、柴色の毛並み……
「ハヤテ!」
思わず叫んだわたしをうろんげな目が映す。「え」の口をしたまましばらく固まって、コチちゃんをチラ見して、またわたしに視線を戻すと、カチコチだった表情がゆっくりとほどけて、
「も……」
も、って何? 怒ってはいない……よね?
「ええと……来ちゃった」
そう言いながら恐る恐る帽子を脱ぐと、顔をしかめるほど眩しくて熱い日差しが顔に降り注いだ。細めた視界の中でふわふわの顔が崩れる。
「もう来ちゃったのかよ!」
ハヤテは秘密基地にぴったりの隠れ家を見つけた子どもみたいな、とびきり楽しそうな声でそう叫んだ。
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