いつものように注文の商品を戸棚に収めていく。手作りの、可愛いパッチワークのカバーがかけてあるソファに座るアリーさんが、毛糸玉を巻き直しながら話しかけてきた。


「ビルくんと喧嘩したみたいね?」


 水みたいにすぅっと胸に入り込んでくる声だったけど、わたしの口から出たのは可愛くない言葉。


「長老たちが悪いんだよ。わたしは悪くないよ」

「あらまぁ」


 アリーさんはほほ笑んで毛糸玉をカゴに戻して立ち上がり、杖をつきながらゆっくりとキッチンに向かった。わたしが仕事を終えた頃にお湯が沸く音がして、間もなくお茶の香りが部屋いっぱいに立ち込める。


「あ! キノコじゃないお茶だ! やったぁ」

「ビルくんから貰ったの。カフカちゃんとの仲をとりなしてほしいって」

「それっていわゆる賄賂って言うんじゃない? わたし何を言われたって許す気はないからね」

「あらまあ。じゃあこの賄賂はお腹におさめてなかったことにしちゃいましょうね」


 傾けたティーポットの先から澄んだ赤色の液体がカップの中にこぼれ落ちる。湯気が鼻先に触れて、抱きしめたくなるくらいいい匂いがした。


「今日はクッキーを作ったの。プレーンと、チョコと、ジャムをのせたものと」


 布の中から白いお皿に並んだクッキーがお目見えした。特別なお茶に美味しそうなクッキーを見せられたらいつもみたいにゆっくり食べていきたい気持ちになるけど、今のわたしは誘惑に負けられない理由があるんだ。


「美味しそうだけど、やらないゃいけないことがあるから今日はお茶だけ飲んで帰るね」

「あら残念。それならクッキーは包んであげる」

「ありがとう」


 やっぱりアリーさんはいつも優しいな。怒らないし、のんびりしてて大好き。

 でも、わたしがしようとしていることを知ったら、さすがに怒るかな。そう思うとちょっと怖くなったけど、それでも言葉で伝えても変わらないなら、行動で示すしかないよね。かの有名な冒険家シア・アリムス氏も著書でそう言っておりましたので。

 ね、おじいちゃん。




「船が出たあとシャッターを空けといてほしいぃ?」


 うちのキッチンを煙まみれにする元凶、ジンさんが無精ひげまみれのアゴをなでた。


「なんでまた」

「えっと、たまには外の景色を眺めたいなーって」

「あー……それならダメ」

「なんでっ」

「鳥が中に入るかもしれないしな」


 スパーっとタバコの煙を換気穴に向けて吐き出した。なにか誤魔化してる顔だ。


 今日はバレンさんの船が来る日。荷物の積み下ろしはもう終わっていて、少し休憩したらすぐに出発するみたい。

 バレン商船の乗組員で自称凄腕操縦士のジンさんは、いつもタバコを吸うためにうちのキッチンにやってくる。この村って決められた場所以外は火気厳禁だから、ジンさんみたいなヘビースモーカーには地獄らしい。火がついていないタバコをちゅうちゅう吸っている姿が可哀想で、うちで吸っていいよって言ったらこっそり吸いに来るようになったの。お礼に本とかお菓子をくれる。


 今日はその賄賂の代わりにお願いごとを聞いてもらおうと思ったんだけど、あっさり断られちゃった。でもすんなり引き下がるわたしじゃないもんね。


「ジンさん、わたしのささやかーなお願いごとさえ聞いてくれないだなんて、喫煙場所が無くなってもいいのかな?」

「ひでーこと言うなよぉ俺とカフカの仲だろ? 次はでかいチョコでも持ってきてやるから」

「いらない。わたしは外が見たいの」

「や、でもばれたらバレンさんに何言われるか」

「それではうちは今日から禁煙です。今すぐタバコを消してくださいさもなくば顔に水をかけます」

「ひえっ。将来おっかねー女になりそう……」


 ジンさんはわたしがチラつかせるひしゃくに怯えて、口元を左手で守りながら一気に息を吸い、大量の煙を吐き出した。換気穴から逆流した煙がわたしの顔にかかる。臭い!


「けほっ。受動喫煙はんたーい!」

「これ薬効のある葉っぱを巻いた体にいいタバコだから」

「うそだ! 煙をかけられたってバレンさんに言ってやろっと」

「おいおいカフカが脅すからちょっと慌てちゃっただけだろ?」

「人のせいにしないでよ。お願いごと聞いてくれるなら黙っておいてあげるけど?」


 ジンさんはうんざりした顔で一言二言文句を言って、最後に「わーったよ」とため息をついた。わたしの勝ち!


「でもバレンさんになんか言われたらすぐ閉めるからな」

「分かった! あと、ペトロ燃料を二百トル注文したいの。最近ボイラーの燃費が悪くてぇ」

「あ? なんだその量。てかそんなのメリに言えよ」

「えーと……そう、アリーさんにも頼まれたから多くなっちゃったの。ついでだしいいでしょ。ね、お願い」


 面倒くさそうな顔のジンさんの腕を掴んで「お願いお願い」と揺さぶったら、渋々オッケーしてくれた。


「ありがとー! ジンさんやさしー!」

「わーおじさん嬉しいな」

「まだおじさんって歳じゃないでしょ?」

「カフカは良い子だから分かんねーかもしれねーけど、三十歳になるとオッサン扱いしてくるガキがいるわけ」

「ふーん」


 そんな失礼な子がいるんだね。ジンさんがタバコの火を携帯灰皿で揉み消して、眉を上げながら言う。


「こんだけお願い聞いてやるんだからこれからもちゃんと使わせてくれよ?」

「もちろん!」


 拳と拳を突き合わせて同盟の継続を確かめ合う。それと同時にドスの効いたしゃがれ声が勝手口の扉の反対側から聞こえた。


「ジン! 出発するぞ」


 バレンさんだ。お酒を飲みすぎると喉が焼けてこんなガラガラ声になるらしいよ。この話を聞いて、わたしは絶対にお酒なんか飲まないって心に決めたの。だって喉が焼けちゃうなんて怖くない?

 勝手口のドアを開けると、女の人とは思えないほど大きなバレンさんの体が視界いっぱいに広がった。後ろからメリさんがひょっこり顔を出してわたしに手を振っている。メリさんはいつもお茶目で可愛い。


「時計くらい見ろ。グズグズしてないで行くぞ」

「いやまだ五分前」

「返事」

「うーい……」


 ジンさんは怒られてしょんぼり。この世でバレンさんに逆らえる人は、たぶん片方の指の数より少ない。メリさんがニシシと笑ってジンさんをからかったあと、くりくりの目をわたしと同じ位置に合わせて言う。


「カフカだいじょぶ? 煙かけられたりしてない?」

「あ、さっきね……」


 ジンさんの顔が引きつる。うっかり頷きかけた持ち上げて、メリさんに笑顔を見せた。


「平気だよ!」

「ならいいけど」


 メリさんはそう言ってわたしのほっぺに指を「ぷにっ」と突いた。じゃあね、って背中を向けた二人を追いかけるジンさんが、こっそり親指を立てて寄越す。わたしもにんまり笑って親指の腹を見せた。



 ちくちく、ぐるぐる、ちょきん。裁縫のしすぎで指先がヒリヒリするけど、それも今日でおしまい!


「できたー!」


 大きな四角い布を掲げる。横幅が十メリルくらいあるから、到底腕では広げきれない。上辺にはカーテン状になるようにロープをくるんで縫ってある。

 家中からかき集めたシーツを縫い合わせた巨大目隠し。これがカフカ作戦(仮)の要なのです。


「もしかして、これを手足に括り付けたらそのまま空を飛べるんじゃない? すいーって滑空して……無理かぁ」


 さすがにありえないや。一人でクスクス笑いながら布をぐるぐる巻きにする。小さくまとめたつもりなのに、それでも両腕がいっぱいになるほどの大きさになった。よろけながら立ち上がって部屋から出て、お店の前へと向かう。


 布を広げ、通し穴にロープを通す。岩に打ち付けてある鉄の杭にロープの片側を、もう一方はお店の看板を吊るしてある金具に括り付けてから布を張ったら、完成! 試しに布を横に引くと、期待通り、カーテンみたいに端へとぎこちなく引っ張られていった。なかなかいい感じじゃない? 店の横にまとめて縛っておこう。


「来週には燃料も届くし、コチちゃんの整備はしたし、エンジンも浮揚機関も問題なかったし……操縦はちょっと不安だけど、多分なんとかなるよね!」


 指を折りながらそう言って一人で頷いた。不安と期待がぐるぐる混ざって、胸の奥がうずうずする。


 カフカ作戦(他にいい名前が思いつかなかったからこれでいいや)の決行は八日後。この日、バレンさんたちは夜明け前に村を出発するらしい。船が出る時にシャッターが全開になるから、そのままジンさんに開けておいてもらう。そして目隠しを広げたら、わたしはコチちゃんに飛び乗って村の外へ! 目隠しのおかげで、村の人たちはしばらく気づかない……はず。


 バレても、怒られてもいいや。わたしのことを子供だってばかにしてる長老たちを見返してやるんだ。


「コチちゃんも久しぶりに外に出たいでしょ? 『ウン、デタイ!』だよねーっ!」


 ガレージに移動して一人芝居をしながらボディにぎゅーっと抱きついた。浮き足立つってこんな感じかな。八日後のことを考えると、なんだか落ち着いていられない。

 コチちゃんから腕を離し、床に座ってボディに背中を預け、ポケットからコンパスを取り出した。丸の端っこに黒いペンで目印が、裏返せば数字が書いてある。


「245.87°……」


 目印の方角にぴっと指を向ける。まっすぐに二百コルトル……急に行ったら、ハヤテはきっとびっくりするだろうな。まだ大人にはなってないけど、歓迎してくれるかな? 迷惑そうな顔をされたらすぐに帰ろう。


「ううん。自分から遊びに来いって言っておいて迷惑がったりなんかしないよね」


 目立つ外見だって言ってたけど、どんなところなんだろう。大きなお城とか? 湖のど真ん中にあるとか? 着いたらなんて言おうかな。初めまして、ハヤテの友達のカフカです。村の人に黙って勝手に飛行機を飛ばしてここまでやってきました! ……ちょっとまずいかな。誤魔化し方を考えておこう。

 地上では、たくさんの人に会って、色んなことを話すんだ。そして帰ってきたら亜人類さんはいい人ばかりだったよって長老たちに言い聞かせてあげよう。ハヤテともたくさん話をしたい。うちに来た時みたいに、二人で椅子に座って、お茶でも飲みながら……


「あ」


 手紙のこと、すっかり忘れてた。

 そうだった。ハヤテはおじいちゃんに手紙を届けに来たんだった! それに返信もしないといけなかったのに、色んな事があってすっかり頭から抜けてたよ。手紙ってどこに置いたっけ?


「……あった。よかった」


 急いで家に戻ってリビングを見て回ったらすぐに見つかった。飾り棚の上に置いてあった封筒を手にソファに座り、封蝋をぺりんと剥がす。


「親愛なるシアへ。ベルより……あーっ! ベルって!」


 もしかして、本に出てきたおじいちゃんの相棒のベルさん!?


「すごいすごい。ハヤテが知ったらはしゃぎそう」


 急に中身が気になってきた。中に入っていた、たった一枚だけの便箋を広げ、そこに書かれた、ちょっと荒く散らかった文字を追いかけた。




『久しぶり。会いたかったよ。


 私が今更こんなことを言っていいのか分からないけど、紛れもない本心だ。君との輝かしい日々を忘れたことはない。うたた寝しながらだってあの頃の思い出を語ることができるほどにね。


 元気かい? お互い歳をとったね。悪いところはないかい。おまえはまだ冒険のただ中にいるのかな。


 私か? 旅もいよいよ大詰めといったところだ。



 もっと早く手紙を出すべきだった。この五十年で何枚の封筒と便箋を無駄にしたことか。


 だが昔の自分に「早く手紙を出せ」と叱りつける機会があったとしても、ポストの前に行くことさえできないのだろうな。私はあの時から何も変わらない、卑怯な臆病者だ。


 お前からの返事が来ないことを恐れるだけの時間が無くなった今、ようやくこうして手紙を出せたよ。笑ってくれ。


 会いたい。


 会いに来てくれないか。』




「……どゆこと?」


 表現がぼんやりしてて詳しくはよく分からないけど、とにかくおじいちゃんに会いたいってことは伝わってきた。ベルさんって本当に仲良しな相棒だったんだ。

 正確な歳は分からないけど、きっとベルさんもお年寄りになったんだろうな。バレンさんを老けさせたような、カッコイイおばあちゃんの姿を想像してみる。


「ベルさん、おじいちゃんが死んじゃったって知ったらがっかりするだろうな……」


 こんなに会いたがってるのに、もう会えませんって返事を書くのはちょっと辛いかも。

 せっかく村の外に出るんだし、わたしが直接会いに行ってみようかな?


「うん、そうしよ。どんな人なのか会ってみたいし」


 頭の中のやることリストに一つ書き加える。地上に行ったら、この手紙に書かれた住所はどこですかって聞いてみよう。


 やることがいっぱいあってうれしいな。ラジオをつけてソファにごろんと寝そべる。まどろみを連れてくる音楽が流れる中、わたしはそばに置いてあったシア・アリムスの冒険五巻を手に取って、終わりのほうのページを開いた。こうして触ってみると、他の四冊よりも新しい感じがする。


「冒険とは、金塊の眠る島への道程を指すばかりではない。それは歩き慣れた家路からたった一本外れた道に踏み出すときのときめきであったり、故郷に背を向けた日の空に見た希望であったり、例には事欠かない。君の人生の全てが尊い冒険だ。」


 あとがきに書かれたおじいちゃんの言葉。全五冊の中で、わたしが一番好きな言葉。


「もうすぐわたしの大冒険が始まるよ、おじいちゃん。みててね」


 わたしの頭の中で生きているおじいちゃんが、にっかり笑顔で親指を立てた。

 ラジオから番組の終わりを告げる音楽が聞こえてくる。そういえばこの次はノルンが好きなアイドルの冠番組だ。


「そうだ。ノルンにも会いに行きたいな……」


 明日にでも連絡してみよう。

 軽快な音楽と一緒に、女の子の可愛い声が聞こえてくる。今日は日差しが強くて大変だったんだって。


 わたしも、もうすぐお日様の下に……ふわぁぁ……

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