「粗茶だよ」

「どうも」


 とりあえず家に連れてきた。最初は警戒していたけど、家にはわたし以外誰もいないって言ったら大人しく着いてきたよ。


 石造り、というか岩をくり抜いてできた、わたしとおじいちゃんのお家。杭で壁に打ち付けられた収納棚にお茶の缶をしまう。犬の人はお茶をふーふーしてる。


「あ、そっか猫舌……いや犬舌?」

「ばかにすんなよ」


 軽くこっちを睨みながらマズルにカップを近づけてお茶を飲んだ。飲みにくかったら平たいお皿に移してあげようかと思ったけど大丈夫そう。


 向かいに座ってじーっと観察してみる。やっぱりどう見ても犬だ! すごいすごい。カリカリのトーストみたいな柴色の毛並みに長いマズル、ぴんと尖ったさんかく耳に黒い目……あ、目は村長が飼ってるダウと比べたら白目が多い気がする。

 なんで犬が立って喋って座ってお茶を飲んでるの? もしかしてダウも大きくなったら後ろ足二本で立ち上がって喋り出すのかな。「カフカ、いつも可愛がってくれてありがとう」って言ってキノコ畑の隅に隠してある大事な干し手羽先をプレゼントしてくれたりして。


 じーっと見てたら訝しげな視線が返ってきた。そっか、ちゃんと挨拶もせずにじろじろ見たら失礼だよね。


「わたしカフカ。ねえあなたの名前は? どこから来たの? 何しに来たの? なんでわんちゃんみたいな見た目なの? 男の子? こっそり隠れてたのはなんで? 玉ねぎ食べれる?」

「まてまてまて」


 わたしの質問責めを手のひらを向けて制した。また口を塞がれる前にお口にチャックをしたら、短い毛で覆われた手を引っ込めてその大きな口を開いた。鋭い犬歯の先がちらりと覗く。


「俺の名前はハヤテ。さっきはありがとうな、カフカ」

「うん。どういたしまして」


 わたしはふふんと胸を張った。


「俺は配送局で働いてて、ここへは速達の依頼を受けて来たんだ。急ぎの手紙だったのに集荷にほんのちょっとの差で間に合わなかったらしくてさ」


 それを聞いて、窓からちらりとバレンさんの飛行船を見た。普段の荷物や手紙はバレンさんが運んできてくれるんだけど、商船は週に一回しか来ないから、手紙を出し損ねたら一週間待たなきゃいけないの。


「ふうん。そんなに大事な手紙だったのかな」

「多分な。手紙一通のために小型機飛ばさせる依頼主なんて初めて見たぜ」

「飛行機で来たの?」

「そりゃそうだろ。この洞窟、空の上にあるんだから」

「あ、そっか」

「おまえって変わったやつだな」


 それあなたが言う? って思ったけど黙って話を聞いた。洞窟の外に飛行機を係留して非常用の足場をたどって中に入ってきたはいいけど、うっかりボロボロの鉄柵を蹴飛ばしてバレンさんに見つかりそうになったんだって。


 中身の少なくなったカップにお茶を足して、「もっとお話してね」っていう意思表示をする。わたしも喉が渇いたからちょっぴりお茶を飲んだ。飲み飽きたいつものキノコ味。

 ハヤテは少し脱力して足を組んだ。靴を履いているけど、中はどうなってるんだろ。足の裏にも肉球がついてるのかな。


「手紙一枚くらいこっそりポストに入れてとっとと帰ろうと思ってたのに、まさかこんなことになるとはな」

「ねえなんでコソコソしてたの? ふつうに入って来たらよかったのに」

「閉鎖的なヒト類の村に堂々と入れるわけないだろ。捕まって吊し上げられたらどうするんだよ」

「ヒト類ってなに?」


 ハヤテはきょとんとした目をわたしに向けて、それからゆっくりと指でさした。


「わたしのこと?」

「ん。祖先は猿。二足歩行の先駆け。少数人類のヒト類様。お前らのことだよ」 

「そんな呼び方初めて聞いた! じゃあハヤテはヒト類じゃないってこと?」


 口元を引き攣らせて「えっ」て顔された。なに?


「当たり前だろ。見ての通りイヌ類だ」

「イヌ類? 犬と違うの?」


 きょとんと目を丸くしてハヤテが答えた。


「犬が立って歩くかよ」


 ということは、ダウは大きくなっても喋らないらしい。ちょっと残念。

 それからハヤテは目を細めてじーっとわたしのことを見たあと、顔を動かさないままぐるりと部屋を見回て、腕を組んで何かを考え出した。

 わたしはテーブルの真ん中に出してあったクッキーをつまんで頬張る。夜中だけど、お客さんがいるから特別だよ。


「この村ってヒト類しかいないのか?」

「ふぁむ。ん、そうだよ」


 お茶でクッキーを流し込んでから頷いた。


「じゃあもしかしてお前ってヒト以外の人間を見たことないのか? ネコとかウシとか」

「ネコ? 猫ちゃんも立って歩くの!?」


 びっくりして思わず立ち上がっちゃった。わたし猫ちゃん大好き! バレンさんの船にもテテっていう猫が乗ってるんだ。


「ねえこの村の外にはハヤテみたいなイヌ? とかネコ? とかがいっぱいいるの? みんな立って歩いて喋るの!?」


 テーブルに身を乗り出してまくし立てる。また呆れ顔をされるかなって思ったけど、むしろバターが溶けるみたいに表情から険が取れた。もっとも、険しい顔をしていたことに今の今まで気づいてなかったけど。


「生まれてからずっとこの小さな浮遊洞窟の村で暮らしてたってわけか。そりゃ歩く犬を見たら驚くわな」

「うん、すごくびっくりしちゃった。でもお話できてうれしいよ」

「ははは」


 あ、笑った顔。わたしもつられて笑う。

 ひとしきり笑って椅子に座り直すと、今度はハヤテの方がテーブルに肘をついて、ちょっとだけ顔をこっちに近づけた。


「村の外にはヒト類以外がいっぱいいるのかって聞いてきたけど、その通りだよ。この星の人類のうち、ヒト類が占める割合は小数点以下。しかもその殆どが人里離れた浮遊島に住んでる。だから街を適当に歩いてても一日に一人見かけるかどうかだし、田舎なんかじゃまずお目にかかれない」

「えーっ! そんなに少ないの? 嘘みたいな話に聞こえるよ」

「それが本当なんだよ。それに地上にいるヒト類は成人ばかりだから、子供に会うのはカフカが初めてだ」

「そうなの? なんでだろ」

「五十年前の戦争を経験した年寄り達は未だにヒト類以外を『ケダモノ』とか『亜人類』って呼んで怖がってるらしいから、可愛い孫や子供たちが地上なんかで暮らすのは嫌なんだとさ。ま、年寄りが何言ったって地上に憧れるてる奴はとっとと出ていくらしいけどな」


 全然知らなかった。みんなも五十年前の戦争で逃げてきたのかな?

 洞窟村の人たちは戦争を経験してきたらしいけど、当時のことをあまり話したがらない。おじいちゃんでさえ具体的なことはほとんど教えてくれなかった。言葉を濁すってことは聞かれたくないってことだろうから、わたしも深く聞いたりはしなかった。けど、昔はこんなふわふわした毛を持った人たちと暮らしていたなんて! 嫌がられてもしつこく聞いておいたらよかったかな。明日村の人に聞いてみよ。


 二枚目のクッキーに手を伸ばす。チョコチップとナッツがたっぷり入っていておいしい。


「夜に食ったら太るぞ」

「毎日お手伝いで村中走り回ってるから平気だもーん」


 虫歯は怖いけどね。


「ね、ハヤテってこの村に来るの初めて?」

「もちろん」

「だよね。ねえねえ聞いて。なんとこの村の住人ってわたし以外みんなお年寄りなんだ! わたしは村で唯一の子供だから、いっつもじじばば軍団のお手伝いをさせられてるの」

「偉いじゃん」

「でもつまんないなの! みんな可愛がってくれるけど、歳の近い友達はいないし、村は狭いし、大人になるまで外に出ちゃだめって言われてるし」

「あー、そりゃ退屈だな」

「でしょー!」


 今ハヤテに言った愚痴が、この村に対する一番の不満。ちょっと外に出るくらい減るもんじゃないし、どうして寄ってたかってそんな意地悪をするのか分からない。だけどハヤテが同意してくれたのはちょっと嬉しいな、なーんて思っていたら、


「でもまあ、じーさんばーさんたちがカフカに空を見せたくない理由は分かる」

「なんでっ」


 裏切られた。口をへの字にしてハヤテを睨みつけると、肩をすくめて目を逸らされた。


「あーあ。わたしもシャッターの隙間からじゃなくて、ひらけたところで空を見てみたいな」

「大人になるまでの我慢だな」


 む。さっきまではわたしの味方だと思ってたのに、今はみんなと同じことを言ってる。これみよがしに大きなため息をついて、テーブルの上に腕を投げ出した。


「ねえ、一面の空って綺麗? 」

「ああ。綺麗だぞ」


 すごくあっさりとそう返された。

 もしかして、みんながわたしに空を見せてくれないのにはとんでもない秘密があったりして。ヒト類はお日様の光を大量に浴びたら五秒で干からびて死んじゃうとか、実は村の隙間から見える空は作り物で、青いペンキを塗った板を貼り付けているだけだとか。塗装業の妖精さんが、時間ごとにオレンジ色とか黒色とかに塗り替えてるの。


 そんなことをハヤテに言ってみたら「想像力が豊かだな」って苦笑いされちゃった。ちょっとばかにしてる?

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