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「はぁー楽しかった」
今日もたくさん面白い話を聞かせてもらった。もっと聞いていたかったけど、子供は寝る時間だって追い出されちゃった。まだまだ起きていられるのにな。
商船のハッチからぴょんっと飛び降りる。村の入口のシャッターは薄く開いたままで、細い隙間から濃紺の夜空が見えた。
空に星がちらちらときらめいている。外に出るとあれが視界いっぱいに見えるらしい。
……ちょっと行ってみる? ボロボロになった鉄柵の隙間から足先を出して道の端っこをつついてみると、小石がぽろぽろ落ちていった。
一応、外まで非常用の通路が繋がってるんだ。足場が狭くて危ないから絶対に通っちゃダメって言われてるけど……
「……やっぱやめる」
ダメって言われていることにはそれなりの理由があるんだから。そう自分に言い聞かせて家に戻った。
入荷した商品を並べたり在庫管理をしたり少ないお湯で髪を洗ったりしていたら、あっという間に夜の九時前。私は髪を拭きながら店の戸締りをして、パタパタとガレージへ向かった。
洞窟の岩壁に生えた蛍光キノコが淡く光って村を照らしている。日がほとんど差さないから一日中薄暗い洞窟村だけど、夜は更に暗さが増すから、蛍光キノコも昼間より明るく光って見える。
ガレージの前に置いてあったランプに、乾燥させて粉末にした蛍光キノコをひとさじと、適当な量の水を注ぐ。棒でくるくるかき混ぜたら、辺りを照らし出すくらいに発光し始めた。洞窟村の照明器具、蛍光キノコランプのできあがり。お手軽でしょ。
お店のすぐ横にあるガレージ。ランプを手に持って所々錆びたシャッターの横にある扉を開けると、おじいちゃんの相棒がいつもと変わらない佇まいでそこにいた。
「やっほー」
つやつやの紅白ボディがランプの光をぴかりと反射して、まるで返事をしてくれたみたい。
大きな翼を広げた二人乗り飛行機、コチ306。おじいちゃんは「こいつ」とか「コチ」って言って可愛がってた。私はコチちゃんって呼んでる。
「コチちゃん元気? 今日も無線機貸してね」
ボディの横にある外付け給電口に繋げてあったバッテリーを外し、バレンさんにもらった新しいバッテリーに付け替えてから操縦席に乗り込んだ。操縦席の右下にある無線機を見ると......やったー! 受信ランプが点灯してる。はやる気持ちのままに有線マイクを手に取ってボタンを押したら、ザーザーとノイズ混じりの声が聞こえてきた。
「カフカ!」
「ノルン!」
ほぼ同時にお互いの名前を呼んで、くすくすと笑い合う。
三つの楽しみのうちの最後の一つ。同年代の唯一の友達、ノルンとこうしてお話すること!
「一週間ぶりくらいかな。元気だった?」
「へへ、ちょっと忙しくて。こっちは元気だよ。カフカも変わりない?」
「うん。それよりさ、今日のゆくらじ聞いた?」
「聞いた。残念、九連敗だったね」
「もうがっかりだよぉ。次なにを書こうか全然思いつかない……」
計器盤に突っ伏して嘆くわたしをノルンが笑う。
ノルンとは一年くらい前に無線機をこねくり回してたら偶然チャンネルが繋がって、それで友達になったんだ。歳は私と同じで、小さい兄弟がいっぱいいるお姉ちゃんなんだって。ノルンは兄弟のお世話で忙しいから毎日はお話できないんだけど、できる日はこうして夜の九時頃に通信を繋げるの。
ちょっぴりボーイッシュで優しいノルンは、ここから三百コルトルくらい離れた地上にある小さな町に住んでるみたい。まあ距離を言われたところでこんな村に住んでるせいであんまりピンとこないんだけどね。
「もうウソでもいいから絶対読まれそうな内容にしようかな。二人のファンになったら奇跡が起きておじいちゃんが生き返りました〜とか」
「むしろ絶対読まれないでしょ」
ちえっ。
「カフカもライブ見に行けたらいいのにね」
「うん……やっぱりすごい?」
「すごいよ。泣きます」
「いいなぁ行きたいなぁ……大人になって、わたしが村の外に出れたら一緒に行こうよ!」
「え゛!?」
ノルンが濁った声で叫んだ。私に会いたくないの? そんなに嫌だったのかな……急に不安になってきた。
「い、いや、行こう! ぉあ、たしもカフカに会いたいし!」
「……ほんとに? 嫌だったら素直に言ってくれたほうが」
「嫌じゃない! 絶対! さっきはちょっとビックリしただけ!」
「そ、そう? ならいいけど」
なんだか必死なノルンに押されてさっきの声は忘れることにした。たまに勝手に変な声が出る時あるもんね。
「あの……でもその、カフカ。私ね……」
「なあに?」
「…………いや、なんでもない」
「えーっ気になる」
「ほ、ほんとになんでもないから! また話そうねおやすみ!」
ぶちっ。一方的にまくし立てたと思ったら、通信が切れちゃった。
「なによぅノルンってば」
なにか隠してる? 私は言いたいことがあるならはっきり言って欲しいタイプなのに。次に話した時に聞き出してやろ。
マイクを定位置に戻し、古い皮の背もたれに手をかけて操縦席を出た。少し光度が落ちた蛍光キノコランプを手に持つ。コチちゃんのボディについた指紋を拭き取り、その周りをぐるぐる歩いた。二人乗りの、小さな可愛いコチちゃん……うん、異常なし。おじいちゃんの相棒は今日も静かに余生を過ごしてる。
むかしむかし、おじいちゃんは飛行機乗りだったんだって。戦争で大活躍したらしいけど、おじいちゃんは撃墜した敵機の数よりも、避難民をこっそり安全地帯に送っていったことを誇っていた。私はおじいちゃんのそういうところが好きだったよ。
コチちゃんにおやすみを告げて家に戻ったら、パジャマに着替えて冷たいベッドに潜り込んだ。
寝室のカーテンの隙間から蛍光キノコの光が差していた。寝転びながらぼんやりと見える薄暗い天井に指を向け、点を描いていく。つん、つん、つん、って。
犬の形になるように点を描いて、最後に点と点を結んだら、長老が飼ってる犬、ダウ座のできあがり! ちょっと間抜けな顔がポイント。
……楽しいかって? そんなわけないでしょ。
でも今はこれで我慢してるんだ。いつか本物の星座を見るまではね。
夢を見た。
大好きなおじいちゃんが、自慢のコチちゃんを整備している。ボディを拭いて、油を差し、たまに揚力機関を駆動させて、ちょっぴり床から浮かせてみたり。かつての相棒を労うような、優しい眼差し。私に向けられるものと同じぬくもりがこもっている。
カッコイイねぇ、なんて言いながらその周りを駆け回るわたしを優しく抱き抱えて、操縦席に乗せてくれた。
おじいちゃんはいつも、はしゃぐわたしにエンジンのかけ方、操縦桿の握り方、それぞれのボタンの役割を自慢げに教えてくれた。正直、飛行機自体にはあんまり興味はなかったけど、子供みたいな笑顔で話すおじいちゃんを見ているのが嬉しくて、にこにこ頷いて聞いていたんだ。
「俺がこいつと出会ってどれくらいの頃だったかな」
この語り出しから始まるのは、おじいちゃんの冒険譚! 大きな身振り手振りが語りを彩る。いつもわくわくしながら聞いてた。
想像の中で冒険の続きを考えてみたりもしたよ。話の中にちゃっかりわたしを登場させて、コチちゃんの操縦席にはおじいちゃん、後ろの席にはわたし。一緒に虹の輪っかをくぐったり、空から降ってくる滝の源流を探しに行ったり。
想像と夢の中なら、わたしはどこへだって行けるんだ。今でもおじいちゃんに会える。
だけど、ベッドの中で描いた物語が楽しいほど、夢から覚めた時にさみしくなる。
「……ん」
意識がぼんやりと浮き上がってきた。まだ寝ないと。そう思って目は閉じたままにしてるけど、意思に反してどんどん頭が冴えていく。
あきらめてまぶたを開くと、寝る前に描いた星座は消えていた。どんなふうに描いたんだっけ……そんなことを考えながら時計を見たら、まだ夜中の二時。
「やな時間に起きちゃった」
誰に向けたものでもない不機嫌な呟きが、暗い部屋に溶けてなくなった。のそのそと体を起こしてキッチンで水を飲み、目を擦りながら窓を開けて外を見る。
正面には、いつもとなんにも変わらない蛍光キノコの群生。左を見ると、うっすら開いた大きなシャッターの隙間から見えるきらきらの夜空。
スリッパからサンダルに履き替えて家の外に出た。村の外から吹き込む夜風が気持ちいい。
「髪、切ろうかな」
風になびいた自分の白い髪をつまみ、ぽつりと呟く。
長い髪は洗うのに水を沢山必要とするから、この村じゃあんまり歓迎されない。だけどおじいちゃんが「髪が長い方が似合う」って言ってたから、ずっと伸ばしてた。
でも、もうおじいちゃんはいないから、褒められることもめったにない。
短い髪になったわたしを想像してみる。……あ、悪くないかも。でもいまいちしっくりこない。そのうち慣れるかな?
ほっそりとした空をじっと眺めていたらなんだか心細くなって、ガレージの中に飛び込んだ。消えかけたランプに粉末を追加して明かりを作る。
コチちゃんに「どうしたの?」って聞かれてるみたい。なんでもないよ、って答えて操縦席に乗り込んだ。操縦桿を握りしめ、カフカ、発進!
「ぶーん……あ、前からアカバシの群れが迫ってきた! ローリングでかわして。しゅいーん」
はい、虚しい。
きょろきょろ周りを見て、恥ずかしいところを誰にも見られていないことを確認。息をついて後ろの座席に回った。
操縦席よりも少し高い位置にあるから、視界が新鮮。そういえばおじいちゃんがいなくなってからはあんまりこっちに座ってなかったんだった。
座席のベルトとか、ポケットに刺さっていた古いペンとかを漁って無意味にいじくる。うわ、けっこうホコリ被ってる。あとで掃除しなきゃ……そんなことを思いながらぽいぽいと色んなものを引っ張り出していたら、座席の下がちょっとした収納になっている事に気づいた。
小さなレバーを引いて座席を上げる。結構重たい!
「へそくりとか入ってたりして」
どうにかして上げた座席を落ちないように固定して中を見てみると、錆びた工具とこれまた錆びた小さなシングルバーナー、そして古い帽子が入っていた。
他はどうでもいいけど、帽子は気になる。手に取ってみるとしっかりした生地でできたフライトキャップだ。おじいちゃんのかな? ……うわ、かびくさい。
すごく大きいけど、調整できるみたい。ベルトを限界まで締めたらわたしでもかぶれるかな? 光の差さないこの村で帽子を被る意味なんてないけど――
ガララン!
「わっ」
鉄の棒が倒れたみたいな音がして、わたしは思わず顔を上げた。外からの音みたい。商船の誰かが何かを落としたのかな? 外に出て確認してみようとコチちゃんを降りようとステップに足をかけると、外で窓が開く音がして、
「誰だ!」
声が響いたの。バレンさん、かな。厳しい声。ちょっと怖いと思いつつ、ステップからぴょんと飛び降りた。
そしたらガレージの扉が静かに素早く開いて、人影が飛び込んできた。びっくりしながらランプをかざそうとしたら、その人影は小さく驚いた声をあげてからわたしのところに真っ直ぐ走ってきた。
「わぁ! だっ」
誰、って言おうとした口を『もちっ』と塞がれて、その誰かはわたしの背後に回ってコチちゃんの影にわたしを引きずり込んだ。誰? 何しに来たの? もしかして洞窟村の人じゃないの? 怖さよりも驚きと好奇心が溢れてきて、質問をするために、口を塞いでいる妙にもちもちした手を払いのけようとした。
「シーッ! 頼む、絶っっ対に危害は加えないから匿ってくれ!」
「ふが」
わ、なんか小説の悪役みたいなこと言うね、この人。それに声が若い男の人っぽい。やっぱりこの村の人じゃないんだ。
どうしよう。本当に悪い人なのかな? わたし悪い人に会ったことがないから、悪い人がどんな怖いことをするのか想像できないや。でもすごく必死にお願いしてるし、危害は加えないって言ってるし、助けてみる?
「おい誰かいるのか!」
ガレージの扉が開いてバレンさんの声がした。どう考えてもこの人のことを探してるみたい。ちょっと悩んだけど、やっぱり人助けって大事だと思う。
背後にいる人の腕をとんとんと叩いて、どや顔で親指を立てる。そしたら口を覆っていた手が離れたから、立ち上がってコチちゃんの影からひょっこりと顔を出した。
「バレンさーん」
わたしが呑気な声を上げると、バレンさんはランプをこちらに向けて強ばった顔を緩めた。隠し事をするのってなんだかドキドキするね。
「カフカか……さっきの音もお前か?」
「ごめん、外の空気を吸おうとして……バレンさんに怒られるかと思って慌てて逃げてきちゃった」
ちょっと言い訳が適当すぎたかな。バレンさんはわたしから目を離し、室内を一周睨み回すと、ため息をついて腕を組んだ。
「夜なんだから気をつけろ。この村は音がよく響くからな」
「はーい。ごめんなさい」
よかった、うまく誤魔化せたみたい。頭をガシガシ掻いて「早く寝ろよ」と言い残して出ていった。
少しして、商船の重い扉が閉まる音がした。ガレージのドアからこっそり顔を覗かせてきょろきょろと辺りを見回す。……よし、バレンさんはもういない。左側を見ると、村の出入口に繋がっている細い道を塞いでいた鉄柵が倒れていた。ガランって音はこれのせいだったんだね。
「もう大丈夫だよ」と言いながら機体の裏を覗く。遅れてランプを向けると、帽子を目深にかぶった謎の人が下向きに持っている灰色の物体に目が釘付けになった。
「……あ、知ってる! これてっぽうだむぐっ」
「シーッ。撃ったりなんかしないから静かに」
謎の人は鉄砲を腰のベルトに引っかけながらサッと立ち上がり、またわたしの口を塞いできた。こくこくと頷きながらもわたしは鉄砲に夢中。手が離れてからもじーっと腰に納まるそれを見てる。かっこいい!
「わたしも撃ってみたいなぁ。離れたところに空き缶を置いて、それを狙ったりするんでしょ? 射撃訓練!」
「……助けてもらってなんだけど、おまえって緊張感ないやつだな」
「えへへ」
手で鉄砲の形を作ってバキューン! 笑いながら、そのとき初めて謎の人の顔を見た。
犬だった。わんちゃん。わんわん。毛むくじゃら。
思考停止。笑顔のまま固まっちゃった。
「…………え、え、え………………犬だ」
「……おう」
「しゃべってる。立ってる」
「まあ、見ての通り」
「…………なんで?」
きゅるるるる。思考再開。犬がしゃべってる。立ってる。被り物? ……違うっぽい。ちゃんと口が動いてるしたまに犬歯が見える。
謎の人(わんちゃん)が気まずそうに首をかいた。そのときに黒くてもっちりとした手のひらが見えて、わたしは納得した。
「あ、肉球だー! そっか手のひらが肉球になってるからもちってしてむぐっ」
「だぁから静かにしてくれ!」
また口を塞がれちゃった。反省。
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