明けの空のカフカ

水品知弦

空のない空の上で

『……でぇ、舞台袖に隠れた瞬間にねーちゃんがぶっ倒れて「お腹すいた」とか言い出したのにゃ。アホか!? って。あれだけちゃんと食えって言ったのに』

『私少食だし行けると思ったんだけどなー』

『ほんとにアホなのにゃこのガリガリ。ってのが、これがこの前のライブでアンコールに応えられなかった理由でした。みんなごめんにゃー』

『ごめんにゃー。今度からは気をつけまーす。はい、そんなこんなでもうエンディングのお時間です。お便り消化してくぞー』


「今日こそお願い……お願い……」


 両手を絡めてぎゅーっと目をつぶり、お願いごとのポーズ。スピーカーから流れ出した気の抜けるようなゆるい歌とは真逆で、わたしは真剣そのもの。


『えー、次のお便り。ララニ郡にお住まいの、P.Nお兄ちゃん軍団さん。「しゅまりちゃん、こんばんフィー。先日のミニライブ最高でした。人気者になっても丁寧なファンサービスを忘れない二人には頭が下がります。どうか身体に気をつけてこれからも頑張ってください!」……だって。ありがとー』


「なによ、あなた。わたしはライブに行けないどころか二人の顔も見たことないっていうのに、こんなひねりの無いお便りを読んでもらってぇ……!」


 ソファの上で握りしめた拳をわなわな。だけど落ち着いて、わたし。まだ諦める時間じゃないよ!


『ハソン市にお住まいのP.Nちーちゃんさん』

「くっ。次!」

『ロロロッケ町にお住まいのP.Nメルさん』

「次!」

『カシギア市にお住まいのP.N波打つお腹さん』

「次!」

『というところで時間なのにゃ〜』

『みんなお便りどうもありがと。採用された方には撮り下ろしブロマイドをプレゼント。来週もどしどし送ってね』

『ばいにゃ〜!』

「うわ――ん!」


 はい、これで九連敗。フェードアウトするジングルと一緒に意識まで遠のきそう。


 わたしは「なんとなく」で投稿してるその辺の投稿者とは信念も気迫もケタ違いなのに、なんで!? ゆるかわいい二人の外見が気になって仕方ないだけなのに!

 今回のお便りは五日かけて完成させた、三千文字越えの力作だった。一体何がダメだったの? 空の上からの応募は受け付けてなかったりする?


 ソファに突っ伏した顔をちょびっと上げて、机に広げたままにしてあった書きかけの便箋を見る。メルシカ第二民営放送局より大好評放送中の『ユクフィーのゆくらじっ』は次で十回目。わたしのお便りも十通目。皆勤賞記念でなんかくれないかな。


『この後のお天気です。シパーフ郡、晴れ時々くもり。東の風、のちに南東の風。予想最大風速は三コルトル。夕方にかけて、急な落雷やゲリラ豪雨にご注意くださ……』


 ラジオから聞こえる言葉を遮るように、ツマミをくるりと回して音量を下げた。天気予報なんか聞いたって、ほとんど役に立たないんだもん。虚しくなるだけだよ。


 だって窓の外を覗いても、そこに青い空なんてない。わたしに見えるのは洞窟の天井にへばりついた蛍光きのこの群れと、作りかけの蜘蛛の巣くらい。

 わたしが空を見ることが出来るのは、岩の天井にちょびっとだけ空いた穴を覗くときと、村と外を隔てるシャッターが開いたときだけ。しかも距離があるから「なんか青いかも」くらいしか分からないの。


 一面の青い空ってどんな感じなんだろう。気持ちいいとか眩しいとか月並みな感想は知ってるけど、わたしはこの目で見て、感じてみたい。

 ま、いつになるのか分からないけどねー……ひねくれた気持ちで音量のダイヤルを右に回す。男の人の声と爽やかなジングルが戻ってきた。この番組、選曲センスが良くて好きなの。


 コンコンコン!


「うおーいカフカちゃん! 畑で使う紐がこんがらがったんで解いてくれや! わしら老眼でなんにも見えんのよ」

「うわ出た」


 せっかくのお休み、洞窟の壁にまだ見ぬ青空でも思い描きながら気持ちよく音楽でも聞こうと思ってたのに、窓枠の端からにゅっと生えてきたつるつるの頭に台無しにされた。長老がいつものようにお手伝い要請に来たんだ!


「えーっ。今ラジオ始まったばっかなのに」

「録音したらいいじゃないの。な、頼むわい。先行っとるぞ」


 毎日こんな調子でじじばばたちのお手伝いをしていたら、一生かかっても外に出られる気なんてしない。


 だって今わたしを呼びに来た長老は今年七十二歳になるのに「カフカちゃんのためにあと百年は生きるぞ!」って口癖みたいに言ってるんだもん。わたしの方が先に死ぬって。

 んもう、仕方ないんだから。ラジカセの横に雑に積まれたカセットテープの山から一つを抜き取ってセットして、おじいちゃんが昔着ていたジャケットを羽織る。ぶかぶかだし袖もだいぶ長いけど、わたしの大事な宝物。


 おじいちゃんのにおいはもう消えちゃったけどね。




 わたしの名前はカフカ。十二歳。お年寄りばっかりのこの洞窟村に住む唯一の子供で、生活用品店を営んでるよ。同居人はゼロ、友達は一人、日々の楽しみは三つだけ(一つはラジオ)ああ、自分で言ってて虚しくなってきた。なんてつまんない暮らし!


 わたしが暮らすこの村は空の上、浮遊洞窟の中にある。四方八方を石の壁に囲まれていて、じめじめ薄暗い。

 当然日光はほとんど当たらなくて、植物はコケときのこと日陰好きなハーブくらいしか育たないし、野生の動物なんて見たこともない。ペットの犬とか猫とか、家畜の鶏ぐらいならいるけど、日光に当たらないせいかあまり元気がないし、外の世界よりも早く死んじゃうらしい。


 そんな感じで閉鎖的にもほどがある生活環境だから、生活物資のほとんどを週に二度寄港する商船から仕入れている。なんでこんな不便なところで暮らしているんだろうって、ここで育った私ですら思うよ。更に不思議なのは、こんな村に二十人も暮らしていること。そして誰一人としてここを出ていこうとしないこと。


「はぁーあ、いよいよ体からきのこでも生えてきそう」

「わふ?」


 ぼやきながら畑の周りをウロウロしていた長老の飼い犬を撫でる。名前はダウ。ふわふわの茶色い毛を持っていて、人懐っこくて可愛い。でもずっとここにいたらまた仕事を押し付けられそうだから、ひとしきりなでくりまわしてさっさと帰ることにした。


「結局最初のお願いついでに別の仕事まで手伝わされた。人使いが荒いんだから」


 ぶつくさとひとり言を吐き、薄暗い石の道を歩く足を止めて、私は洞窟の天井を見上げた。岩の隙間からちょっとだけ外が見える所がある。そこから流れてくる雨水を貯めるための池が真下にあって、村のみんなはここの水を大事に使っている。

 岩の隙間から見えた空は抜けるような青色。眩しい光に鼻がツンとして、気分がちょっと明るくなる。直接は見えないけれど、太陽はちょっと西に傾いているみたい……


「って、もうすぐバレンさんが来る時間だ!」


 バレンさんはこの村に生活物資を届けてくれる、商船の船長さん。肌が黒くて髪が短い、かっこいいおばちゃんだよ。


 え、わたしの見た目? 残念だけどうすーい感じ。髪も肌も白くて、遠目からだとおばあちゃんみたいに見える。お日様に当たらないと、人の肌ってどんどん白くなるんだって。

 けどね、目の色は綺麗な青なんだ! 自分の体の中で一番気に入ってるところでもあるよ。


 岩の隙間から差し込む日光をしばらく腕を広げて受け止めてから、(大事なことらしい。おじいちゃんが教えてくれた)ところどころへこんだ石の道を小走りで進む。岩をくりぬいたり石を積んだりして作られた家々を通り過ぎて、村の入り口にほど近い私のお店兼住宅のドアを開けようとしたそのとき、鼓膜が破けそうなほどの金属音が村に鳴り響いた。慣れてはいるけど思わず耳を塞いじゃう。


 ギギギギ。わたしからは遠くに見える村の入り口で、大きな飛行船がシャッターが開ききるのをお利口に待っている。


「間に合った」


 バレンさんの商船だ。私は店の横に積み上げていた空のコンテナを全部台車に乗せた。そうしているうちにシャッターが全開になって、飛行船の巨体が村の中に侵入してくる。

 ベージュの船体がのっそりのっそり近づいてきた。ハッチが開いて、船員の男の人がかかっていたロープのハシゴに足をかける。おーらい、おーらい、すとっぷー。すぐにロープを巻き付けたり錨を下ろしたりして係留すると(私も手伝った)、中から見覚えのある船員さんたちがぞろぞろと出てきた。


「ようカフカ。元気だったか?」

「元気だよ! お疲れ様、ジンさん」

「やっほー。今日はなにしてたの?」

「メリさん! なーんにも。ずっと退屈してたから、みんなが来てくれてうれしい!」


 船員は下が二十歳から上が五十歳までの男女六人。みんな外の世界の話を沢山聞かせてくれるし豪快で優しいから大好きなんだ。


「あーあー相変わらず辛気臭い村だ」


 最後に出てきた浅黒い肌のおばちゃんがバレンさん。皮肉っぽくて口が悪いけど、実はけっこう優しい。


「おうカフカ。今日の荷物は多いぞ。キリキリ運べ」

「はーい。バレンさん、今日はここに泊まってく? 外の話聞きに行っていい?」

「ああ。仕事が終わってからな」

「やったー!」


 わたしの三つの楽しみのうち、二つ目がこれ。バレン商船のみんなから外の世界の話を聞くこと!


 私は物心つく前からこの洞窟村でじめじめ暮らしてきたから、外の世界を見たことがない。だからみんなの話はどれも新鮮でキラキラ輝いてる。視界を埋め尽くすくらいにどこまでも広がる青空、季節ごとに咲く色とりどりの花が広がる平原、水が湧き出る小さな浮遊島が百個も集まってる群島……本の中の作り話じゃなくて、どれもこれも本当に存在するんだって。

 話を聞きながら、本の挿絵とか、おじいちゃんが昔撮った写真に映っている景色を頼りにその風景を想像するの。草が緑色なのは流石に私でも知ってるから、地面は緑。そこにぽつぽつと赤とか白とかの花が咲いていて、たまにそよそよ風が吹く。村の入口が開いた時みたいな突風じゃないよ。シーツを布団にかけるときに起きるくらいの優しい風。風にはお日様と青い草の匂いが混じってる......らしい。これはちょっと分からない。お日様の匂いってどんな?


「おいカフカ、ボーッとすんな。危ないだろ」

「わ、ごめんなさい」


 まだ積荷を下ろし終えてないのに想像が先走りすぎちゃった。でも、それくらい本当に楽しみにしてるんだ。


 知らないもの、見たことないもの、いっぱいありすぎて数えきれないや。

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